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横浜ウォーキング

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文明開化からハマトラまで、横浜の歴史的な建物から現代の風俗まで幅広くスケッチいたします。尚、筆者は横浜に長年地方税を納め、現在は町内会長(戸塚区上倉田町)として、地元にドップリ漬かっています。
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鰍を食べたい

この秋、私は要介護ランクも3から2にランクアップ致しました。これも友人の励ましやリハビリ関係される方々のご尽力のお蔭であります。デーサービスに行くのも週2から週1に半減してしまいました。職員の皆さんには「機会が減ったのは寂しいけれどリハビリの成果だから喜ばなくてはね・・・」なんて言われています。
デーサービス施設は我が家から徒歩5分の距離にあります。でも、朝晩送り迎えしてくれます。
朝10時に施設にお客さん(患者さん)が集まります。
集まると直にミーティングが始まります。暦の確認等に続いて”旬の食べ物”の話に盛り上がります。ホワイトボードに「鯔」の字が書かれました。誰もこの字が読めません。旬の食べ物で魚偏ですから”泥鰌だ””秋味(鮭)”だ食べたい魚の名を言ってみますがどれも外れです。「ぼらと読みます」正解が明かされました。
私は「ボラなんて臭くて食えないよ。其処の柏尾川にも今頃は群れを成して海から遡上してきている、強いていえば卵を取ってカラスミにして酒の肴にするくらいだよ」言いました。
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柏尾川にはボラが群を為して片瀬の海から遡上しますがあおさぎがゲットします。でもボラの肉は臭いので食べられません
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ボラは食用になりませんが卵は干してカラスミにします。珍味で酒の肴には格好です。写真は屋久島のあきもとの商品案内http://www.nipponselect.com/shop/g/gS05640007?utm_source=yahoo&utm_medium=cpc高価なのが欠点です(60gで6000円)

ボラの話をしているうちに泥鰌が無性に食いたくなりました。そこでワイフに”今泥鰌を喰っておけば絶対に風邪をひかない”等と適当な事を言って、馴染みの魚屋さんにバスに乗って泥鰌を買いに行きました。
例年今頃は丸々太った鮎と樽の中には生きた泥鰌を入れて商っているのですが今年は未だだとの事です。どうも大分産の泥鰌を南部市場で仕入れて居る様なのですが今年は未だ入荷して居ないのでまた来てくれとの事でした。
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これが泥鰌の定番の土壌鍋、私のサラリーマン時代は向島の駒形泥鰌が渋谷にも店を出しているので風気味になると必ず出かけました。葱の微塵切はサービスでお代わり自由でした。葱と泥鰌を汗を流して食べれば店を出るころには風邪は引っ込んでいたもんでした。駒形泥鰌も鯨屋も追い出されて今は109になってしまいました。
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大分県宇佐市印内町の名産泥鰌綺麗な湧き水で飼育されたので泥臭くないそうです。写真は上記土壌鍋共に印内町のHP/http://www.oita-shoku.jp/shoku.php?shoku=1&no=43

昔は稲刈りを終えたら田圃脇の水路に網を入れ仕掛けをして泥鰌は取放題だったのに今は貴重な魚です。現在でも柏尾川に網を入れれば簡単に取れます。
何時か柏尾川の川原で芋煮会をしたいのですが芋煮の鍋に柏尾川の泥鰌も入れたいと思って居ます。管理者である県(戸塚土木)に確認したところは
「柏尾川には漁業権が設定されていないのでご自由にどうぞ、でも会長火を起こすなら警察に言っておいた方が良いですよ・・・・・」アドバイスされました。
泥鰌は先送りになったのでしたが今度は河鹿が喰いたくなりました。
2年前柏尾川に入って「追い込み漁」をしたのでしたがその成果は泥鰌以上にハゼが多かったのです。柏尾川のハゼは「よしのぼり」と呼びますが何処から見ても河鹿なのです。河鹿は一字で「鰍」と書きます。魚偏に秋ですから秋が旬の魚は鰍なのです。魚偏に春ならサワラ(鰆)でした。
ハゼは天麩羅が最高ですから鰍も天麩羅が良いのでしょう。
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柏尾川のよしのぼり、江戸前のハゼと有明海のムツゴロウの混じった様な顔をしています。
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北斎の富岳36景鰍沢の図。富士川鰍沢の急流で投網している漁師を描いて絶妙です。空気は秋を思わせます。鮎や鰍が網にかかって重そうです。川に落ちたらお終いです。

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柏尾川の生物黒いのがヨシノボリ小さくても藻屑蟹も居ました。
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泥鰌も居ますがヨシノボリの方が多いようです。鯉のようなのは鮒です。鰻や川穴子が取れたこともありましたし昨今はブラックバスも目立ってきました。
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ヨシノボリは周囲の色で合せて変色しますので茶色いと鰍に相応しい様に見えます。
今年は柏尾川に入って子供達と追い込み漁は出来ませんでしたが来年は実施し東戸塚小学校祭りで「海老釣り遊び」を再開したいものです。
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2年前の柏尾川追い込み漁の風景地域が子供達に呼びかけて柏尾川に入って生物の多様性を確認します。


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我家の前の県道は(柏尾大船線)は古くは奥州古道で由緒のある古代の古道です。我家と大船笠間十字路の中間点に飯島交差点が在ります。飯島は昔から須藤さんというお百姓が大地主でその須藤さんの店でイタリアンレストランのサイゼリアがあったのですがこの夏に閉店してしまいこの秋サンマルクカフェが出店しました。http://r.gnavi.co.jp/bjxkjrm90000/
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私の生活圏に新規にオープンしたサンマルク・カフェ飯島店多分地元の須藤家のフランチャイズと思われます。

私は月一通院している脳神経科に通院していますのでその序に初めて入店してみました。
サンマルクには思い出深いものがあります。私が某中堅証券会社の公開部長をしていた時に岡山支店から店頭に公開する計画している有望な会社が在る、ベーカリーレストランで全国展開をするには公開する事が有効である・・・との意見でした。私はかって気懸りであった山口のファーストリテイリング(ユニクロ)と併せて出張しました。
私は銀行時代神戸屋パンの創業した新業態(オープンキッチンとベーカリーレストラン)を知っていましたので岡山のベーカリーレストランの成功は予測できました。
私の勤務した証券会社は期待通りの引き受けシェア―をゲットできました。
そのベーカリーレストランがサンマルクでした。
私が社名の由来を聞くとサンマルクとはと パリに在った古代東方教会の修道院の名で、修道士サンマルク聖マルク)に由来するのだそうです。”心を込めた手作りの天然酵母パンを焼き立てでお出しする”美味しさと静謐な空間で食事の楽しさを満喫して貰う・・・・・・・、そんなコンセプトだったのでしょう。
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静謐な空間が保たれ落ち着いた室内。パソコンの電源も欲しい処です。

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広いテーブルは新聞や雑誌を読むにもゆったりしていていいものです。
私の第一印象は修道院で作ったパンの意味か?ならばモンサンミッシェルの方が日本人には受けるだろうに思いましたが、そんな事を先方に言ったら肝心のシェアーが獲れません。口を噤んでしまいました。
当時人気の任天堂のゲーム”スーパーマリオ”のお名前を拝借した安易なものだろう思ったのでした。
私の生活圏では鳥が丘等に進出して「行列が出来るファミレス」でした。でも私の評価ではレストラン神戸屋の方が上でした。公開すれば安い資本が大量に入って来ます。でも他人のお金は絶え間ない成長と配当を約束する事なのです。修道院のパンを提供したい志と一致させるのは至難な業です。


サンマルクは公開後も順調に成長し、今ではいまでは東証一部に上場しています。
でもその会社四季報を確認して驚きました正社員は60人で非正規社員が10倍の600人なのです。修道院の焼き立てパンを食べさせるのがコンセプトならこんな人員構成になる筈はありません。
株価維持の為には利益率を維持しなければなりません。利益重視の為には利益の上がりそうな業態は何でも食いつきたくなります。
パスタが良さそうに思えば鎌倉パスタの名前フランチャイズ展開しましたし。寿司店が魅力に見えれば函館寿司の名で打って出ました。
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サンマルクカフェ飯島店のディスプレイ、ハイカロリーで甘いものばかりで、修道院のコンセプトには不似合いなメニューです。ワンコインでランチが出来るコンセプトは飯島の地域性にマッチしているのですが、主要顧客が高年齢層であることを配慮すれば健康志向が欲しいものです。
ところで我が家の近所に新設されたサンマルクカフェ飯島店ですが、業態は名古屋のコメダ珈琲のコピーでした。落ち着いたインテリア豊富なメニューそして沢山の新聞雑誌…何れもコメダ珈琲かはたまた星野珈琲に来たようでした。そんな次第で近所にコメダ珈琲が出店したと思えば満足です。
でも東方教会の修道院の名を冠したのですから、それらしいパンを食べさせてもらいたいものです。
鎌倉にはドイツパンの「ベルグフェルド」があります。北ヨーロッパは痩せ地ですのでライ麦しか育ちません。ですから浅黒いけれども滋味のあるライ麦パンしかできません。
私が大学に入る直前に映画「ライ麦畑でつかまえて/原作D・J・サリンジャー」を観に行きました。落ちこぼれた青年のお話でした。落ちこぼれ青年は逆境に抗して少女に恋したり逞しく生きて行きます。当時の時局はベトナム戦争への批判が渦巻きヒッピーが目だっていました。時代は権力や資本に迎合するよりは孤独でも自然児として人間らしく生きてゆくことに価値を認めて居ました。
私の友人は寝袋を担いで京都駅前や札幌の大通り公園で野宿して居ました。
ドイツパンにはライ麦パンの味がします。でもサン・マルクのパンは甘いしハイカロリーで不健康な味がします。
ですから私もワイフも不満です。
サン・マルクカフェはコメダ珈琲との差別化の意味でこそ、修道院の健康自然食品に徹してみたら如何でしょうか?
いずれにしても安易なネーミングに始まり業態展開何れも、サンマルクカフェは応援したありません。
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サンマルクカフェのカウンター基本的には顧客のセルフサービスでショップでパンを焼いています。コメダ珈琲よりも省力化が進んでいます。
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豊富な雑誌や新聞をゆっくり閲覧できるのも名古屋方式のコーヒーショップのそれです。
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午後3時でもお店は閑散としていました。これではオーナーはサイゼリアの方が良かった思って居る事でしょう。




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昔から”雷が落ちると茸が顔を出す”言われてきました。
大地に電気が流れると土中の菌糸が刺激されて生育を早めて結果茸が多く傘を擡げるのだそうです。
今年は秋になっても雷が鳴っていました。
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これが尾根道「野庭路。スダジイの根元には茸が顔を出していました。
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菌糸の伸びにそって茸は行列を為して顔を出していました。この茸はは大銀杏茸と呼ばれ食用だそうですが。食べる気になりません。私が屈みこむとチコは食べ物と勘違いして口にしようとします。昔の人は犬や猪が食べるのを見て茸を食べてみたのでしょう。

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チコは先に行って茸の前で私を待ってくれていました。
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此方は破れ傘のような茸烏瓜も色づいてきました
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土の中から顔を出した妖精のような大銀杏茸ムーミン谷のニョロ・ニョロのようです。
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でも流石にこれはヤバそうです
そこで茸を観に生家盛徳寺の裏山を茸見物に出かけてみました。この裏山の尾根には道が続いていて一般に「野庭路」と呼ばれています。戸塚から野庭を経て弘明寺に出る生活道路だったのでした。
ところが戸塚から舞岡を繋ぐ都市計画道路がプランされていてもう束の間の命なのです。
この尾根道で落ち葉を掻き集めたり柴を刈った記憶も消えようとしています。
昔は松林でしたが松はとっくに枯れてしまい今はスダジイや白樫クヌギが生い茂っています。
娘と愛犬のチコは私を置いてドンドン先に行ってしまいます。先行して「此処に茸が生えてますよ」言わんばかりに止まって私とワイフを待っていてくれます。私は樹の根に躓かない様に慎重に歩を進めます。
「茸君今日は!君は食べられるのかな?」
訊いて見ますが当然答えてくれません。
ワイフが言います。
「もう10年前でしたかお母様の生家の狛江の龍泉寺に登った時住職の英雄さんが”竜泉寺の茸」を出版した”」と云われて貰って来たわね。屹度あの本に茸の名前も食べられるか食べられないか書かれているでしょうね。」
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母の生家は狛江の泉龍寺で10年も前従兄弟の英雄さんが境内に自生する茸の本を上梓しました。
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母の生家狛江の泉龍寺はお檀家の黒澤監督が地獄門を撮影したしお寺で中世の雰囲気の漂うお寺です。照葉樹林に囲まれているので茸も蛇も蛙も生きています。このお寺は三軒茶屋から鶴川海道を経て大山詣での参詣道に面しています。大山寺の開基良弁さんの建立と言い伝えられています。我が生家に較べると遥かに格の高いお寺です。

云われてみれば母も亡くなってもう10年近くなるでしょうか?人は死ねば地中に戻り子孫が地上に出現します。
地中生活は真っ暗で湿っていて嫌なものでしょう。それが地上に頭を出すのですから茸君にしたら「地獄から天国に生まれ代わった気持ちでしょう。でも8日目の蝉の様に地上生活も良いものとは限りません。地上生活は束の間で地下生活の方が長いのです。
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茸も蝉も)地中生活が長いのです。ようやく遭遇した地上生活ですから充分に天国を満喫させてあげたいものです。
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生家の裏山で収穫した茸君

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ハロウィーンのバケツに茸君を飾りました。明日デーサービスに持って行ってお仲間を喜ばせてあげましょう。

でもやっぱり茸は食べみたいものいものです。
親友のI君の軽井沢の別荘ででキノコ狩りをして闇鍋か芋煮会風にして茸鍋を食べたいものです。I君もしっかり地元の人に食用と毒キノコの判別方法を勉強しておいてほしいものです。

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日吉銀杏の老後対策

宮本輝さん作品はサラリーマン時代愛読しました。「錦繍」の蔵王山の情景描写からど坪に嵌って次々と読んだものでした。同氏に随筆集「命の姿」がある事を知り、市図書館に申し込んでおいたところようやく私の番が巡って来て、一気にを読みました。
同書は小林秀雄の「モーツアルト中の次の言葉に刺激感化されて書いたものであることと記されていましたし。随筆自体がその体験記の体裁を為していました。ベートーベンは逆境に打ち克ったとと指摘したうえで命の力は外的偶然をやがて内的必然と観じる能力が備わっているものだ。この思想は宗教的である。モーツアルトの環境がもし善かったらという疑問はのは若しもモーツアルトの精神がもっと善人であったらという程度の愚問である。
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宮本輝さんの随筆「命の姿」作家の体験記の体裁をとっていましたが執筆の動機は小林秀雄のモーツアルトでした。そこで私は小林秀雄を改めて読んでみました。

私にとっては宮本輝氏の文章は簡明であり読みやすくイメージも湧いてきます。一方小林秀雄氏の文章は簡明に見えても内容は理解が困難で言葉が幾つも喉に刺さった骨のようで、一向に読書が捗りません。受験時代の現代文を読んでいるようで、気分が優れません。私の作家を分類する座標軸上で宮本輝さんは一番に読み易く想像力を活性化させてくれるのですが、小林秀雄氏は一番い読み難く想像力は死んでしまい脳の一番不活発な論理的な洞察力を要する嫌いな作家であります。
でも、そんなプラス評価の宮本輝氏を参らせる言葉がシャワーの様に噴出させるのですから小林秀雄は偉大です。
そんな次第で。私はモーツアルトも借りて読み終えました。私は総じて漢字でものを考えるタイプですから音楽はからきし理解できません。音学は漢字の逆の位置にある文化でしょう。音楽を漢字で理解すること自体が無謀な事のようです。でも小林秀雄氏は漢字で天才作曲家モーツアルトを説明したのでした。そのキーワードが「外的偶然を内的必然に感じる宗教的理解」だというのです。私に当てはめてみればお寺の三男に生まれた偶然もカソリックの学校に学んだことも外的な偶然でこの偶然を私の心が必然であったと理解した時に宗教的な解釈が可能になるという事です。私が健康的で骨格の頑丈な母が生んでくれたのに、晩年になり病気がちな事も脳梗塞を発症した事運が悪かったと思うのではなく内的必然が為した事実だと受容した時に宗教的な安心立命が得られるという事でしょう。
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小林秀雄氏の代表作の文庫モーツアルトを始め実朝西行「無常ということ」が揃っています。こんなに薄くて内容の重たい本は他にないでしょう。

6月13日私は慶応大学日吉キャンバスに向かいました。午後2じから日本文化研究会のTさんのレポート「何故格差が生まれるのか/ピケティー(21世紀の資本」を聴きに行くのが目的です。Tさんは開銀の調査部長を経て現在は中央大学などで教鞭をとる理理論にも実学にも強い学者です。今日は現役学生も参加して盛り上がりそうです。
日吉の駅を降りて慶応大学の記念館への意登り道を歩いていて気づきました。どの銀杏の樹も鬱蒼と青葉を茂らせています。
日吉のキャンバスが竣工したのは1934年(昭和9年)福澤諭吉誕生100年の事業でしたからこの銀杏は今年で80歳(傘寿」になります。もう堂々とした風格です。でもどの幹も地上2メート路ほどの高さから地面まで黒々としています。まるで樹皮を焼いたように見えます。手で触ってみると炭化しているのでもないしペンキを塗ったものでもないようです。
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慶応大学日吉キャンパスの銀杏並木。幹の人間の背丈辺りの処から地表に懸けて黒々しています。
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銀杏の緑は癒しであると同時に火災対策です。銀杏の木は防火効果が大きいので寺社には欠かせません。
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銀杏の幹には黒々とした筋が付いていました。


大切な日吉キャンパスのランドマークツリーです。塾監局の職員に尋ねると幹の黒々とし手いるのは植栽の管理会社のしたもので悪戯で放火されたのでもないし、毛虫が湧いたわけでもない。銀杏も大樹になったので将来を見越して樹の髄を健康に堅牢にするための予防措置だという事でした。
云われてみれば想いだすのは2003年3月の事でした。神奈川県下最長寿鎌倉八幡宮の大銀杏が倒れました。倒壊した幹を見て皆が驚嘆の声を発しました。7メートもある幹回りでしたが髄は空洞で幹と思っていたのは樹皮だけだったのでした。日吉の銀杏も同じ轍を踏まない様に早目早目に予防措置が大切だという事でしょう。
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2003年3月に倒壊した鶴岡八幡宮の大銀杏、樹の髄が腐って空洞になっていましたから倒壊したのは無理からぬことでした。
夜6時既に暗闇になり始めた日吉キャンバスを後にしました。
涼しい風が熱した頭を冷やしてくれます。もう50年も前にも同じような時刻に皆で帰宅しようとしていました。
あの頃は若くて命に漲っていました。命の「い」は息をするの「い」です。人間が生きているか死んでしまったか判断する時万葉時代も今も息をしているか否かで判断しました。命の「ち」は血液の「ち」です。「命」は「息をして熱い血が体中を巡っている」意味です、それを中国人が心臓の形象文字を考え着いたので命の機能(大和言葉)よりも形が重んじられてしまいました。
銀杏の木も皮膚で呼吸をしています。皮膚は生きていても髄(水分や養分が通る)が腐ってしまいやすいのでしょう。銀杏も歳と共に動脈硬化しやすいのです。
日本の国も戦後70年、銀杏より10年遅れです。格差の拡大も心配ですが。もっと心配な事があります。財政赤字の野放図な拡大です。私達は昭和80年代円高株高で浮かれました浮かれて堅実を標榜していた三菱地所でさえロックフェラービルを始め世界中の不動産を強い円で買い漁りました。私の勤めた長銀もバブル競争に先行して自由競争・古典的な自由経済の先陣を切っていました。
今再び円安の気配です。通貨の乱高下の度毎に財を成す人(組織」と身を削る人(組織)が在ります。矛盾は財政赤字を拡大させます。日銀も政府の言いなりで赤字国債を引き受け続けています。いずれこの病は八幡宮の大銀杏の様に倒壊する事でしょう。その時人々は毎年の稼ぎ(GNP)の2倍も3倍も借金が在った事を指摘する事でしょう。
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Tさんのレポートとピケティー




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Tさんのレポート風景
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格差が広がっている事実は共通認識です太平洋戦争は拡大してきた格差を小さくしましたが昨今は改めて中間層が消滅する事で格差が拡大
が目立ってきています。富の不平等を是正するのが税制であり福祉であるのですが、国は成長が格差問題を解消すると説明しています。
日本の御用学者にはどんな社会を目標にするのか視座が破損しています。アダムスミスの古典経済学の時代は
「自由」「平等」「博愛」の共通する価値観が在りましたが今はそうした価値観も薄くなってしまいました。アダムスミスが「神の手」と表現したのは
「日本国がどんな社会を目標にするかという事でしょう。

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皐月の名前

6月になってから街に皐月の花が目立つようになりました。今年は皐月の開花が遅れた一方で紫陽花10日も早く色濃くなりました。花の気持ちは女心の様に捕えがたいもののようです。6月6日(土)ワイフに誘われて横浜の三溪園に出かけました。
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今年は花が小さいように思える三溪園の菖蒲の花
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もう横浜は紫陽花の色も濃くなってきました。
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皐月の空に向けて花を開いた泰山木。この花は「朴ノ木」の仲間で大きく香しい花です。吾妻渓谷でも道祖神の上に咲いて居ました。
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三溪園の鶴松閣で結婚式を挙げたカップル、内苑で記念撮影。素敵なカップルで特にご主人の笑顔がはじけていました。”お幸せに”の意味でお顔をそのまま出させていただきました。ご指示があれば削除いたします。ご主人の袴姿がぎこちないのも良いものです。

今年の花菖蒲は花も小さいし不出来のようです。そろそろ株もつ疲れてきたようです。今年の花が終えたら勢いのある花株に植え替えする事でしょう。泰山木が花の盛りでした。泰山木の花を見ながら綿帽子のお嫁さんが歩いて行きます。綿帽子が泰山木の花のようだと想いながら眺めました。お嫁さんは美しいし婿さんの笑顔が弾けていました。私達にも50年前あんな季節が在りました。
内苑入口で皐月の盆栽展が開催されていました。
盆栽展の主催者が質問に応じてくださいました。盆栽展は横浜の植木屋さんが中心のようですが、横浜の植木職人は総じて栃木の鹿沼市の系譜を汲んでいるのだそうです。日光、鹿沼、大宮、江戸と続く植木職人の系譜が横浜にも及んでいるのでしょう。
私は「暁天」という名が付いた盆栽を指さしてその名の謂れを訊いて見ました。素人目にはオレンジ色の花が暁の空の色を思わせたから、私の直感を確かめてみたかったのでした。ところが意外な答えが返って来ました。「暁天」とは孫の名なんですよ。お孫さんが「暁」ちゃんで、その字を戴いたのですよ。薔薇では恋人の名を新種の薔薇に付けるそんな話をよく聞きますが。盆栽皐月の世界にもそうした習慣が及んで来ているのでしょう。
暁ちゃんの新居の庭にもいずれこの三溪園賞を受賞した皐月が誇らしげに咲く事でしょう。
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これが三溪園賞を受賞した皐月の「暁天」
行天 豊雄(ぎょうてん とよお昭和40年代の実力財務官)大蔵省財務官を想いだす人は稀でしょう。円高が進行してバブルを生んだ時の財務官でした。私は暁天の響きは嫌いですが暁天の光景は好きです。
皐月展主催者はこんなことも云われました
「このクラスの皐月でも昔は展示が終わると家が一軒建つほどに稼いでくれたものでした。」
「展示が終わるころまでには”一枝欲しい”という人が沢山出てきて,花期後の手入れの時期までに総ての小枝が売れてしまったんですよ、この枝先が一枝2万円ですから全部で500枝1000万円位は買い手が付いていたんですよ。」
わたしは昔の世間話を想いだしました。鎌倉の高名なお茶室の露地の植え込みが人気になって剃刀を隠した人に枝を切り取られ、お着物の袖に隠されて困ったとの事でした。有名茶室の庭木の花を自宅の庭でも咲かせたい想いは解りますが。花が咲くたびに心に剃刀の刃が向けられる、そんな嫌な思いをさせられる事でしょう。



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