仮想旅へ

毎日の通勤路を憧れの街道歩きに転換してみたら? あなたを「LOHAS」な世界に誘ってくれます。

街道ウォーキング

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全国の歴史的な町並みや、史跡をウォーキングします。筆者は慶応大学日本文化研究会の会員で、多様な世代の仲間と共に、地方を歩き、地誌を学んでいます。
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去年はユネスコの文化遺産に「山・鉾・屋台」が指定されました。処で「山・鉾・屋台」の区別をご存知ですか?どれも山車の事で山車の屋根の上に松が在るのが山で(多分山の神が依る)鉾を飾っているのが鉾(武神が依る)神社の屋根のモノが屋台なのです。何れも山車で神様が”面白そうだ”思って天から降りて神輿に乗ってお旅所に来て貰う仕掛けです。だから山車は派手に面白可笑しくしなければなりません。お人形もお囃子も踊りも必要なアイテムです。
全国の祭りで躍動する山車が同時に33も指定されたので全国が湧き立ったのですが、京都の祇園祭りや博多山笠は当然として、京都の「葵祭り」や「弘前のネブタ」や「秋田の竿灯」は指定されませんでした。”『祭り』でなくて『山車』だけが抜き取られて指定を受けたのか?””なぜ葵祭りが落されて祇園祭りが選ばれたのかも”判りません。先日の日文研セミナーで「博多山笠/九州では博多くんちと呼ぶ」が選ばれて「長崎くんち」が抜け落ちたのか_?問題にされました。
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日本の祭りの華は「山車」です。山車の屋根に松を飾るモノを山と呼び鉾(武具)を立てるモノを鉾と呼びます。こんなにたくさん山車があるのに33の山車だけがユネスコの文化資産に指定されました。青森のネブタも長崎のクンチも指定されませんでした。文化庁の認識が薄いのかユネスコの知的レベルが低いのか解りませんが指定に落ちた地域が気の毒です。写真出典は佐原の山車会館の展示。
結論を先に云うと「長崎くんち」も「唐津くんち」も「弘前ネブタ」も「葵祭り」もユネスコの文化遺産には指定されませんでした。
ユネスコの指定根拠も「日本の地域文化の多様性を示している」と評価しているのですが、多様性と云う意味なら「長崎くんち」や「葵祭」を除外する事は不適切です。ましてお祭りの本体は山車では無くて神輿です。神輿は神様の乗り物で山車は神様の関心を曳く為のツールです。総じて云える事は勅命の祭りや神道に関係する祭りの山車は落選し、民衆の山車が選択されたように見えるのです。
肝心の神輿を差し置いて山車とその周辺を文化遺産に指定するのは本末転倒しています。神輿は宗教的色彩が強くその宗教もアミニズムだから、低く視られているのでしょう。一神教が勝っていると思うのは偏見です。
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これは日本の祭りの代表葵祭の山車です。牛車の中には斎王代が乗っておいでです。賀茂神社の神様はお神輿に乗って後から来られます。山車は祭りの華でお囃子踊り等も含めて総合民俗文化なのです。写真出典京都新聞。葵祭は勅命によるもの祇園祭は町衆が行うお祭りです。
ユネスコの指定を受けた33の山車には「潮来の祇園祭」、そして利根川を挟んだ「佐原の祇園祭」も含まれていました。私は佐原の山車は観た記憶が無いので佐原の八幡神社の山車会館に出かけました。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E5%8E%9F%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%A5%AD
佐原の旧市街地伊能忠孝記念館から徒歩10分ほどで八幡宮が在ってその境内に山車会館が建っています。3階建ての建物は写真やポスターの展示と併せて2基の山車が展示されています。1階からは見上げるだけですが2階3階に登れば巨大な人形の細工が観られます。高山の屋台は見上げるだけですが、佐原の山車はお人形の細部まで観る事が出来ます。
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此れが佐原の八幡宮です。本殿の左側の白いビルが山車を展示している山車会館です。
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山車会館の展示筆者の背後に在るのは巨大な鯉に見えますが説明では「鯛」とされていました。良く出来ていますね誉めると稲藁と麦藁で作っているのだそうです。3年毎に新しい鯛を作るのだそうです。技の伝承の為なのでしょうか?
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此れは山車会館に展示されている神武天皇の山車
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神武天皇の山車の台車部分(1階の目線)
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上段の神武天皇のお人形も3階に登れば目線の位置にあります。
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パネルやビデオで祭りの熱気が伝わってきます。
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山車が25基も勢揃いすると壮観です。(山車会館のパネルを複写、秋祭りには25基参加します)
今年の佐原の祇園祭は夏が7月14日(金)〜7月16日(金)で秋祭りが10月13日(金)〜10月15日(日)だそうです。夏は奈良に蓮を観に秋は塩の道に石仏行脚に出かける予定です。今年は諦めて来年の目標にしましょうか?


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会津坂下の馬刺しの味

磐梯高原には牧場が目立ちます。会津磐梯山の広いすそ野は牧畜業に最適なのでしょう。私は会津に来て磐梯山の雄大な裾野を観ると、無性に「馬刺し」が食べたくなります。
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磐梯山の裾野に広がる村営牧場奥に見えるのは猪苗代湖です。写真出典磐梯山村営牧場https://www.inawashiro.or.jp/institution/bokujo/
馬肉の事を一般に桜肉と云います。でも桜肉と呼ぶのは語弊で馬肉は桜色ではありません馬肉は,鉄分たっぷりの朱色です。解体した時は桜色なのかもしれません、私達消費者が視るのは何時も真っ赤なお肉です。屹度多量に含まれている鉄分が酸化しているのでしょう。私は馬刺しを食べるとサラブレッドになったような気分がして脚が早くなった気になって駆け出したくなる衝動に駆られます。博多勤務時代に再三熊本まで出かけて行って小次郎なる専門店で馬の「たてがみ)」を食べて以来馬の虜になってしまいました。たてがみ(首)は馬肉の中でも人気のある部位で、馬にしかない希少な部位です。脂分とゼラチン質で構成される真っ白なお肉で、お刺身で独特の触感と甘みを味わえるのでした。馬肉におろしショウガやおろしニンニク、刻みネギなどを薬味として戴きます。何処か鯨の刺身の食べ方に似ていました。

記憶に一番残っているのは馬のペニスでした。友人がどうしても食って行けと云うのでナタデココの様なゼラチン質を口の中に放り込みました。ヌルッとした食感が在って単なる脂肪の塊でした。馬肉を食べた時はサラブレッドになった気分でしたが、馬のペニスを食べてもアッチの方の自信が確かなモノにはなりませんでした。
「馬喰」と云えば馬を売買する人の事で馬を食らう人の意味ではありません。日本史上最初に「肉食禁止令」を出したのは天武天皇(大宝律令」で身近な家畜の命を奪う事を禁じたのは仏教の影響で賞、日本人は縄文時代から馬肉をは食べていたのでしょう。
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これは埼玉高麗川の馬牧場です。この馬は食用ではありません。
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これは阿蘇の草千里です。熊本の馬食の文化は加藤清正の朝鮮征伐に際して馬食して英気を養った事に始まると云われているようです。

猪を「牡丹」と呼んだり鹿肉を「紅葉」と呼んだりするのと同様に隠語だったのでしょう。”明治時代に本当は牛鍋を喰いたいのだが懐が寒いので、”夏バテ対策で桜でも食べに行こうか!〝なんて云うと禁を破る誘惑と薬膳料理の効果が期待されます。そんな意味では一泊二日のショートツアーですが、旅の最後に馬刺しを食べようとするのは、疲れた体を癒やすのにはグッドプランです。どうせ食べるのなら一番テンに入ろうと会津坂下の堀商店に向かいました。このお店は磐梯山に牧場を直営しているうえに加工工場も完備していて厚労省の認可も得ているのです。場所は国道49号線沿い会津坂下にあります。国道に面したビルが馬肉の販売店です。そしてビルの裏に立派な日本家屋が聳えていて其処がドライブインというか割烹です。
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右が国道49号線手前(東)が会津若松で奥(西)が柳津此処は馬肉そのものと馬肉の加工品が販売されています。
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此方がドライブインです。
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堀商店の神棚、賑やかで楽しいのです。
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付出しとして出された煮込みのボリュームに驚きです。会津人は大食いかな?
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右が馬刺し1080円です。辛子とニンニクなどの薬味の入った味噌を醤油で溶いて食べます。
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手前が私の注文したモツ煮込み定食800円です奥が友人が注文した「煮込み定食)800円です。二人とも食べきれませんでした。このお店は定食ものをオーダーすれば煮込みや馬刺しは付いています。馬刺しを注文するなら定食を完食してもっと食べたい思った時に限るのが賢明です。
先ず馬刺しを注文しました1人前千円で80g程度です。二人で半分づつ分けて戴きました。その上で献立をにらんで、私は「モツ煮込み定食」800円、友人は「煮込み定食」800円を注文しました。最初に「付出し」と称して煮込みが出て来ました。煮込み定食はダブってしまいます、煮込みを突っ突いている中に腹も塞がって来ました。次いで馬刺しが出て来ました最後に定食が出て来ました。私の場合は充分な量のモツ煮に味噌汁に漬物(キャベツ)に馬刺しが添えられていました。ラーメンを食べている人にも馬刺しや煮込みがついていました。美味しかったのは間違いないのですが食べきれなかったのは馬さんに申し訳が立ちません。次回この店に寄る事があれば最初に「アレも食べたい此れも食べたい」注文しないで食べきった上でもっと食べたい、思った時に限定しようと思います。
それにお土産には馬肉スーパーが最適です。

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柳津の虚空蔵堂で地震による破損仏を観たら、久保田集落に祀られていると聞く33観音を無性に観たくなりました。「今日観なければ一生観られない」と思うともう私は制御不能です。友人の同意を取り付けて只見川を更に遡りました道は県道59号線(標識には会津三島線」と記されています。柳津では川幅も在ったのですが渓谷は次第に狭く深くなっています。
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これが只見川にかかる只見川第一橋梁です写真出典奥会津観光http://www.okuaizu.net/spot/54/
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県道59号線(会津三島街道の三島集落。新潟に多い土蔵が目につきました)
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一番観音前から振り返る道は県道53号線棚田の左下に久保田の集落向こうの山の下あたりに銀山跡があります。
粟津の道の駅で貰った地図によればもっと川上に西山温泉があってその直前で西(新潟方面)に折れると県道53号線(会津高田柳津線)で久保田集落に着くそうです。渓谷を過ぎると突然に山間に棚田が開けて棚田の端に観音山(標高501m)があってその中腹に8字状の山道が在って山道の脇に33観音が祀られているのです。
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此方は5番観音の千手観音で山桜の下にありました。この観音が8の字の交差した位置にあってこの上にグルッと円状の道に観音様が9ばんから33番まで「回り観音」に位置しています
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此方が著名な7番のマリア観音です。4手の中の左上腕手に十字架を奉げて居る事から一般に「マリア観音」と呼ばれたのでしょうが、長谷観音もお地蔵さんの持物の錫杖を持っておいでです。錫杖の上部は十字架状ですから、十字があれば隠れキリシタンと思うのは間違いです。
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これが久保田33観音の案内図です。下の写真の棚田の奥にあるのが観音山で遠くの山は越後と会津の国境の山でしょうその間を阿賀野川が流れています。
5番観音は8の字の交差した位置に在って8の字の上の八巻状の道を33回廻ると霊験が一段と厚い(子宝に授かるなど)そうです。33回は無理にしてもせめて1回は廻りたいと滑る山道を必死に廻りました。Ⅰ周は精々300mですが道は狭いうえに滑りやすく倒木が道を塞いでいます。
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観音の回り道には倒木が多くて友人の手助けなしには巡る事は不能でした。
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千手観音が一番人気でした。この観音様も裳に朱色が滲んでいました。屹度赤べコに使った塗料で染めてみたのでしょう。
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これは9番の馬頭観音黒いのは黴の所為でしょうか?私は農家が夜なべで観音像を彫っているときに竈の煤で陰影をつけたと思うのです。勿論朱は赤べコの塗料です。案内では農家が1体/1戸彫った、としていますが。本格的な彫技から専門の石工が彫ったと思うのです。素人の農民が儀軌に沿った三面六腕の馬頭観音を彫る事は考えられません。屹度久保田集落の実力者の家に何か記録が残っているような気がします。
昔読んだ「太郎衛兵の石仏」では 『貞治の 石仏」を著した曽根原駿吉郎氏の元に越後のの農家から古文書(過去帳)が寄せられ、高遠石工が越後に旅して石仏を彫って廻ったと著しました。同じように高遠か群馬の石工が此処久保田を訪れて農家に寝泊まりして希望の観音仏を彫って賃料を得た…。と、予測するのですが・・・・。
案内にはこのように円く並んでいる33観音を「まわり観音」と呼ぶのだそうです。云われてみれば金沢文庫の百観音も称名寺の裏山に「回り観音」状に祀られています。造られたのは江戸時代の文政元年(1818年)で久保田集落の人が願いを込めて、一戸一体刻んだ石の観音像だそうです。一番多いのは千手観音ついで如意輪観音十一面観音、馬頭観音などです。各家ごとの事情によって33観音の中の一体を選んだのでしょうから。”あれもしてほしい!これもしてほしい!”願の多さが千手観音になったのでしょう。私が以前写真集で観たのは「マリア観音」で7番目に祀られていました。「マリア観音も拝んだしソロソロ転ばぬ中に戻ろうか」思うと隣の8番その先の9番観音に誘われてとうとう33観音と番外2明王を回ってしまいました。
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此方が18番の如意輪観音像、一番高い位置に祀られている柔和な表情の観音様でした。山桜が花を添えていました。
出口に”やれやれ無事に戻れた”と思うと清水の水飲み場が用意されていました。
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観音巡りをした人には美味しい清水がプレゼントされます。
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此方が200年前に観音像を祀った久保田の集落この山村は映画「ジヌにさらば」のロケ地だったそうで、村中にロケの案内板が架っていました。


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粟津の虚空蔵堂

名物も粟饅頭を戴いて。虚空蔵に詣でました。只見川の岸辺から懸崖造りの虚空蔵堂は何度も見上げたのですが、舞台に上りのは初めてです。清水の舞台を遠望しても、伯耆大山の投入堂を遠望しても舞台に上らなくては飽きないようなものです。いよいよ虚空蔵堂に上れる悦びが湧いてきます。
友人は饅頭屋さんに一番舞台に近い駐車場を確認してくれました。登れるだけで満足な処一番楽して上りたいなんて私の欲望は尽きません。
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虚空蔵堂の舞台を見上げる。柳津の駅から上るのはもう大変です。この左に公共駐車場が在ったのですが此処か更に上った舞台と略同じ高さにある駐車場に車を停めて横移動しました。

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虚空蔵堂の南側にあった駐車場から上りました。マップの右奥が奥の院になります。
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虚空蔵堂南門の石段の両側には百合が自生していました。山百合より遥かに小振りなので笹ユリであろうと確信しました。
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虚空蔵堂の南側から舞台に上りました。写真の右が東で真下が只見川で眺望抜群です。
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憧れの虚空蔵堂の舞台に立って満足満足でした。写真に撮ってみると唐破風が見事な権現造り(江戸)と火頭窓の唐様(室町)の折衷建築でした。
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舞台の北側から東を望む、柳津駅から歩いて上ればコッチが正面になります。
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此方が虚空蔵堂で行われる「裸詣」です。裸の男衆が梁に上ってお札を奪い合います。暖簾は麓の粟饅頭屋さん。
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柳津駅から歩いて上れば此処が本堂入口になります。狛犬や獅子のいる位置に牛が待ち構えていて名物の赤べコも置いてありました。言い伝えでは1611年の大地震で会津地方は大災害に見舞われました。人々は虚空蔵堂の修復をしようと材木を浮かべて只見川を虚空蔵堂の岸辺まで運びました。でも岸辺か巖上まで運ぶのは容易い事ではありません。この時に活躍したのが何処からとも無く現われた赤い牛さんでした。そのお蔭で1617年に初めて虚空蔵堂(本堂)は現在の巌上に建てられたのでした。虚空蔵堂が建つと赤い牛さんは消えてしまいました。
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これは虚空蔵堂の奥ノ院にある弁天堂幅3間(5.4m)のサイコロ状の建物で萱葺寄棟(方形です。窓は火頭窓が更に立った紡錘形をした室町時代の禅秀建築です。国の重文です。
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これは弁天堂の北奥に祀られていたお地蔵さんです。先の東北地震の災難だったのでしょうか。お地蔵さんは前のめりに倒れた(右二体)お地蔵様はお顔を痛め、仰向けに倒れたお地蔵様(左二体」はお身体を痛めておいででした。
舞台の南側にある注射場は高々4台しか収容できない小さな駐車場でしたが、舞台との高低差は精々10mで楽して舞台に上れました。加えて緩やかな石段の脇には百合が群生しています。どう見ても山百合には見えません「これが若しかしたら笹ユリかな?」思いながら見詰めました八幡宮の七夕祭りの奉納舞で巫女さんの髪を飾っていたのが笹ユリです。昔テレビで山形の山奥で笹ユリを栽培しているお爺さんを観ました。一昨年尾瀬の入り口の弥勒寺の本堂裏でピンクの笹ユリの花を観ました。何といっても奈良の大神神社の率川神社(いさがわじんじゃ)では6月に「百合祭り」が催されます。三輪山に自生しる笹ユリを奉げて三輪市内から奈良市内を巡幸し豊作を祈願する行事です。率川神社のほーむぺーじからお写真をお借りして案内させて戴きます。
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此方が桜井の率川神社の百合祭りです。巫女さんの奉げているのがササ百合の花です。写真出典率川神社http://www.isagawa-jinja.jp/topics/2016/sasayuri.html
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これがササユリです。百合の葉っぱが笹の葉のように細くてしなやかなのでこの名が付いているのでしょう。山百合よりも遥かに乙女らしい手弱女の風情があります。
尾瀬の笹ユリも美しかったのですが虚空蔵堂に笹ユリが咲くのであれば是非見たいものです。
奥の院に回って重文の弁天堂を観ました弁天堂の脇にはお地蔵さんがおられましたが先の震災の時の傷でしょうか?お顔を破損されたお地蔵さんに仰向けに倒れられた際に身体を割ってしまわれたお地蔵さんを観ました。すると無性に石仏を観たくなりました。
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此方は奥ノ院の地蔵石仏右から二体目のお地蔵様は屹度地震の際に前のめりに倒れられたのでしょう。お顔がお面を外した様に取れてしまいました。お顔を戻せばピッタリでした。樹脂で貼り付ければ簡単に元に戻るのでしょうが、実はこの4体の他に左に2体のお地蔵さんは仰向けに倒られてそのはずみで身体を上下に割られてしまいました。参拝者は痛々しいお地蔵様のお姿に心を痛めておいででしょう。
友人にお願いして昔写真集で観た柳津久保田の33観音を巡る事に合意しました。久保田は只見川の更に上流で新潟に近い位置にあります。
石仏巡りの前に腹ごしらえで名物の「馬刺し」を食べに行く事にしました。虚空蔵堂の下を行ったり来たりですが、楽しく食事をすることも旅の醍醐味ですから致し方ありません。
ソロソロ一泊二日の旅行も大団円です。最後は石仏三昧でその前に馬刺しで腹ごしらえする事に致しました。

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飯豊の曲屋

「曲屋」と云えば岩手県遠野の民家を想い出す人が多いでしょう。勿論遠野の曲屋は大きくて見栄えがします。でも飯豊にも曲屋は数多くあります。遠野のように母屋が立派であるのに較べて飯豊の曲屋は母屋もこじんまりしていて厩(うまや)も小さいのです。南部の曲屋は上級武士や支配階級の農家で飯豊の曲屋は下級武士や貧農の家のように想えます。屋根は本来茅葺きだったのでしょうが今では茅葺き曲屋は稀で大半が萱の上からカラートタンでカバーしています。本屋(母屋)は寄棟、突出部(厩側)は入母屋若しくは寄棟です。本屋と突出部の向きには、右厩タイプ(向かって右側が突出部)と左厩タイプがあり、遠野盆地では左厩タイプが多いのに対し飯豊は右厩タイプがが多い様に見えました。母屋は南面して建てるのが普通なのですが。飯豊地方は飯豊山(南)を背にして北向きに建てるので、東側に厩(うまや)を建てたのでしょう。家畜を健康に飼育するには西側より東が良いのは当然です。
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これは川崎民家園の南部の曲屋です。右側が母屋で正面は馬小屋で二棟の建物がL字型に連結しています。正面が馬屋で右が母屋です。厩(うまや)は母屋の左西側に位置しています。人間の住まいを優先しているのです。
私の泊まった中村さん宅も曲屋でした、家畜屋の部分は取り壊して玄関にしてしまったのだそうです。曲屋の欠点は屋根に積もった雪がうず高く積もって不便な事だそうです。
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私が泊まった中村さん宅正面が母屋で母屋に繋がっていた牛小屋は壊して玄関にしてしまいました(母屋の右側)不思議なのは手前が北側である事です。広い廊下(縁側)も北向きでは無用のように思うのですが。飯豊山が南側にあるので自ずと家は北向きに建てられ、牛小屋は右側(東側)に建てられたのでしょう。
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これは米沢牛の繁殖をしていた頃に使っていたサイロです。曲屋の牛小屋部分は繁殖牛の為に使用していたのでした。
物置との間にステンレス製のサイロがありました。訊けば中村さん家は10年も前は米沢牛の繁殖農家をしていたのだそうです。繁殖農家は種付けから分娩(ぶんべん)、哺乳(ほにゅう)し生育を分担する酪農家で子牛は肥育農家が買いとって成牛に育てます。繁殖農家の仕事の要点は毎年出産してくれる母体を大切に育てる事が大切で妊娠期間は300日弱だそうです。母牛に種付けして貰い元気なベビーの出産に立ち会いベビーの臍の緒は絹糸で結んでやるのだそうです。出産から出荷までは100日ですから、種付けから出荷までは400日に及びます。肥育農家が育てる器官が2年ですから、米沢牛A5クラス(400K)で120万円ですから子牛は40万円程度になるのでしょう。
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これは飯豊の隣玉庭村の曲屋です。紅いとんがり屋根が可愛いと思いました。今では藁ぶきの民家はなく写真の様にブリキで屋根を覆っています。誰か藁ぶきの面影を残す屋根材を開発して里村の景色を保存してほしいモノです。
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これは田沢の洞松院傍の曲屋です。藁ぶきに千木のある棟を保存する為修理を予定しているのでしょうか?ブルーシートをかけたままで工事を中断していました。是非保存してほしい小さくとも美しい曲屋です。
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この冬をあの隙間だらけの雪囲いで過したのでしょうか?室内の傷みが心配です。この古民家は萬五郎と云う人が再生しているようです。何れ泊まることも出来そうです。期待しましょう。http://mangoro.life/
母牛に種付けして出産、子牛に育てるまで400日もの間牛の命を守る訳ですから母牛を身近に置く事が重要です。曲屋が必要になるわけです。上の写真の曲屋をみていると藤沢周平の小説の舞台を髣髴させます。

芭蕉が尿前関で吟じたのが次の句でした。
蚤虱馬の尿する枕元
蚤虱に悩まされ加えて馬が枕元でジャーとおしっこをするのでとても寝られなかったのでしょう。
牛や馬を生業にする農家にとっては。牛馬を眼の届く範囲に置いておきたいことでしょう。
や『北越雪譜で有名な魚沼の鈴木牧之は「秋山紀行」で天明の大飢饉を「家畜を食らう惨状」と記しています。家畜を食らえば来世は畜生道に堕ちます。でも餓死を避けるには血涙を流して愛する牛馬を殺したのでしょう。立派な曲屋も良いのですが、質素でコジンマリした曲屋は愛おしいモノです。


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