|
スーパー林道は積雪で未だ開通していないので、仕方ありません昨日来た道を戻る事にしました。でも柚餅子で有名な玉庭を通って喜多方に向かう事にしました。民宿の奥様は玉庭から飯豊にお嫁に来たそうです。
ですから飯豊と玉庭の間の名所旧跡は執拗に訊きました。”「山の神」の神社は無いか?”
『山の神ならそこらじゅうに祀られてるよ。神社なら入れば何処も山の神の洞があるし、澤には山の神の石碑が立っているよ』期待に応えてくれません。
源流の森を見下ろす菅沼道を玉庭に向けて走っていると、樹間に未だ桜が残っています。醍醐の桜を観てからもう一か月も経つのに今年は未だ桜が観られる等幸運です。
暫く先に葉桜の大木が見えました。何かと思って停車すると2メートルもの高い土手の上に巨大な桜の木が生い茂っています。桜は根屋谷の薄墨桜の様に白い花だったようです。未だ少し花が残っています。その根元に説明文と大きく「経塚桜」案内されています。
この桜は大同3年(〈807年)に弘法大師が当地の地滑りで農民が難儀しているのを見られて、澤の地滑り対策として経塚を建て桜の木を植えられたのが始まりだそうで、弘法大師お手植えの桜なら樹齢は1200年と云う事でしょう。観れば桜の木の道路を挟んで北側(山側)は現在も地滑り対策工事をしていました。今朝も観たのですがこの辺りの地質は水を良く含んで地滑りし易いようです。私は公団出向中に魚沼(長岡)の地滑り対策実験をしたことがあります。大体、珪砂が採取出来る様な土地は地滑りし易いのです。「経塚」には法華経を納めて地滑りしないように祈願したモノでしょう。経塚は全国にあります。総じて云えば古代末期末法思想が敷衍した頃にお経を経筒に納めて埋蔵しました。何れやってくる「弥勒菩薩」の救済を祈願したモノでした。弘法大師の謂れが在るという事ではこの経塚は比較的古い経塚発祥期のモノでしょう。
これが経塚桜解説文です。弘法大師がこの沢の下にある菅沼住民の為に地滑り祈願と対策の為に桜を植えたのが始まりで昭和の地滑りで大師堂もろともに桜は土に流されたが奇跡的に桜は芽吹いて花を咲かせ続けていると解説していました。
この桜の後ろ(南側)は源流の森白川湖になります。白川ダム建設前は菅沼集落が在ったのでしょう。
これは伯耆一宮経塚出土品(国宝)です、一般に経塚は経典を土中に埋納した塚で本件の様に地滑り対策や築堤が堅固であるように呪術したものが多いようです。一般に経筒の中にお経が納まっています。出典はウィキペディア
これは秩父の石経寺の経石、近世になると川原石にお経の一句を書いて納めるようになります。経塚の伝統でしょう。
経塚桜を観ていたら桜塚やっくんを想い出しました。セーラー服を着た美男のお笑い芸人です。菅沼峠を越えて玉庭の集落に向けて所々軽トラが停車していました。屹度入山料を払わないで山菜を採っているのでしょう。「入山禁止」の看板もありますが「クマ出没注意!」の看板も見えます。熊の看板の方がエスプリが効いているように思いました。
此処が菅沼峠、此処にも桜が残っていました。切土面を観ると水を含み易い砂地で地滑りし易いと思いました。峠の向こうが玉庭村です。
軽トラにのって山菜採りに来た人
山菜農家にとっては山菜泥棒は死活問題です。「入山禁止」よりも「熊出没注意」の方が遥かに効果がありそうです。
|
街道ウォーキング
[ リスト | 詳細 ]
全国の歴史的な町並みや、史跡をウォーキングします。筆者は慶応大学日本文化研究会の会員で、多様な世代の仲間と共に、地方を歩き、地誌を学んでいます。
|
山葡萄酒に熊肉の効果でしょう。熟睡できました。朝5時目が覚めると枕元に水音がします。今日も昨日に続いて雨天のようです山の神に嫌われたのかもしれません。温かいお布団から出る留めは枕元で叫んだ鶏の鳴声でした。そんな次第で、スッキリ目覚めて、表に出ました。水音は雨の所為では無くて雪解け水の流れ下る音でした。私が外に出る気配を察してかご主人が後から出て来られました。真っ直ぐ物置小屋に入って卵を三つ掌に抱えて出て来られました。「雌鳥のくせしてコケコッコ―は生意気ですね!」云えばこれは比内地鶏で一羽雄も混ざっているのだそうです。何故卵を産まない雄を混ぜて置くのか?、尋ねると、有精卵の方が美味しいし身体にも良いのだそうです。
この家が泊めて戴いた現役マタギの宿中村さんたくです。クリーム色の小屋は農機具が入っていて鳥小屋兼用です。この小屋にアイヌ犬の熊太郎が住んでいます。周囲は減反中です。
中村さん宅の北側は土砂を取っていました。
粘土かと伊思ったら、元々は珪砂(ガラスの原料)の採掘プロジェクトで、余分な土は園芸や盆栽用に人気だそうです。
中村さん宅から南に向かう、向こうの冠雪した山が大蔵山です。飯豊山はその奥で山間をスーパー林道が通っています。7月になれば桧枝岐まで開通するそうです。今日の行き先西会津は飯豊山の南ですから林道が通れればいいのですが帰りも121号線に迂回しました。黄色い花は水仙で廃屋になったお宅で育てられていたモノを中津川集落の人が路傍に植えて広めたモノだそうです。
中村さんは熊太郎と朝のお散歩で私の後を追ってきました。中村さんがスコップを持っているのは熊太郎がウンチをしたら跡始末をする為です。
ご主人は精悍な虎模様の大型犬を連れてスコップを片手に私を追って来ました。訊けば犬はアイヌ犬で熊狩りには最高の犬だそうです。熊太郎に吼えられては流石の熊さんも退散してドンドン沢に後退してご主人の猟銃の銃口の前に追い遣られてしまうのでしょう。昨晩観た写真では2006年5月に写っていますからもう10歳は越えて老犬の部類に入っていることでしょう。ソロソロ次世代のアイヌ犬を調教する必要がありそうです。ルックスが精悍なのは当然として感心したのは私がカメラを向けると正座をしてポーズをとってくれるのです。正座すると股の間の「大犬のフグリが見えます。顔つきも立派ですが股の間の一物も圧倒する迫力です。
私がカメラを向けると正座してポーズをとってくれる熊太郎です。正座すると厭がオウも無く立派な一物(大犬のフグリ)が目に飛び込んできます。
これはJR東日本の秋田のキャンペーンポスターです。日本の猟犬と云えば秋田犬、でもこれでは可愛過ぎてまるで柴犬です。熊太郎の赤ちゃんも観てみたいです。
いっその事アイヌ犬でなくても秋田犬やシベリアンハスキーに掛け合わせて子犬を種付け料で引き取ったら良いと思います。熊太郎も種の継続を願っている事でしょう。
朝食には比内地鶏の卵かけご飯に昨晩の熊汁が再度出ました熊汁は一晩置くとコクが一層増すのです。
ご主人はどんぶり飯を食らって今日も忙しそうにしておいでです。
朝食は産みたての比内地鶏の有精卵で卵かけご飯に山菜と昨晩の熊汁を温めて出してくれました。
田圃は過半が休耕田でその保証を受けているんだそうですが。多くは山菜山の手入れのようです。山菜取りは入山料が2000円/一人で一番の人気は蕨だそうで蕨を自制させるにはブナ林の下草を綺麗に刈り取って、都会人が楽しく山菜獲りに興じられるし、蕨が自生し易い環境を整備する必要があるそうです。ご主人の携帯に絶え間なく電話が入ります。要件は蕨獲りの予約と仲間と「観光藁園」の作業打ち合わせでした。肝心の熊狩りの電話は全くないようです。ジビエ料理をもっと普及させるか、熊の罠猟を解禁でもしない限りマタギの文化は消滅してしまう運命に在るようです。
|
|
昭和42年の羽越豪雨がありました、最上川上流部は未曾有の大洪水になりました。また、一方では置賜地方は水不足にも悩まされ続けてきた地域でもあります。そこで飯豊の山間部に、白川ダムが計画されました。洪水と渇水に対応し、地域の発展に貢献しようとするものです。水は上から下に流れます。従って受益者は下流の置賜や川西や米沢の住民です。犠牲になるのは飯豊の住人です。
兎角不満の昂じるダム上流民対策でしょう飯豊には分不相応な立派な学校や温泉が建てられました。
「源流の森」とネーミングされたブナ林も資料館もその一つでした。源流の森には民俗資料館の他に温泉施設やパターゴルフ場も出来ました。パターゴルフ場は何のことは無い「雪解け水」の雨水調整池なのです。普段は温泉に遊んだ人の憩いの施設として、雪解けの5月は一時湖になるのです。
幻の湖が出現するのはGWの前後1箇月で5月の半ばには下流域で田植えが始まると消えてしまいます。斑雪の残った山肌にブナ林の鶯色、そして湖のブルー、何時もは柳の木が林立しているのですがこの時だけは柳の木が水没林になっています。学生時代白樺湖に遊んだ時、早朝の湖で冷たい湖に濡れてヌード撮影会を催していました。田沢湖の辰子姫の像を髣髴させる光景でした。白樺の木が水没していて女性が凭れていました。
源流の森に一か月の間雪解け水を溜めて幻の湖が出来る事は昨秋訪れ時に伺いました。私は勝手にアソコに生えていたのは柳なので柳絮(柳の花で白い綿毛が見事)が水面を風に吹かれて漂う様を思い浮べました。柳絮は賀茂川でも琵琶湖でも5月に観られる風物詩です。でも此処飯豊村の柳は未だ芽吹いたばかりで花が咲くのは7月のようです。
その代わりと云っては何ですが、未だ桜が観られました。パターゴルフ場の桜は屹度「大山桜」の仲間でしょう。色は濃く形も良いものでした。でも雪の重みでしょう。どの枝も下向きに垂れていました。
右上が中津川から飯豊山(遠くの冠雪しているのが大蔵山)山脈の向こうが喜多方。飯豊山の雪解け水を集めてパターゴルフ場を湖に変えます。田植えまでの1箇月間だけの幻の湖です。湖の水没林は柳で、源流の森の樹木はブナ林です。どちらもズンダ餅のような鶯色です
源流の森のパターゴルフ場は大山桜が見頃でした。パターゴルフ場に使うのは夏の乾期で主要な役割は雪解け水の調整池です。
岸辺は良いのですが実はショウジョウバエが群れていて大変なのです。
これは水源の森の大山桜枝が下向きなのは雪の重みに耐えて生きているからでしょう。
向かいの大屋根の建物が源流の森博物館で縄文遺跡の展示やマタギの展示が観られます。右端の建物は白川温泉です。民宿は此処から2キロほど飯豊山方面に登った飯豊桧枝岐林道にあります。
温泉があれば入るのが私達流です。幻の湖の水面を観ながら温泉に浸かりました。
匂いもしないし透明な軽い泉質でした。
|
|
飯豊村の農家民宿ですからベッドはありません。畳の奥座敷に布団が敷かれていて布団で寝なくてはなりません。私は脳梗塞で半身不随ですから和布団は苦手です。昨秋に熊汁をたらふく戴いて寝た時です。朝方トイレに立った時でした。スット立ち上がれました、久しぶりに左の膝に力が入ってくれたのでした。瞬時に”昨晩戴いた熊さんのお蔭だと気付いて感謝しました。
私は味をしめたら病み付きになって、お供物を盗み喰いする狸君と大同小異です。
今春も熊さんのお肉を戴いてもっと健康体になろうと思いついて、再度の飯豊村旅行です。電話で”熊さんが食べさせてください”特別注文しておきました。今回の農家民宿は現役マタギ猟師が運営している民宿です。
現役マタギ猟師の中村さん宅の囲炉裏の切ってある居間に吊り下げられたツキノワグマの毛皮、手前にも一枚吊り下げられてありました。 家に入るなり巨大な熊の毛皮が吊るされています。2メートル以上はあります。それが2枚もあると圧倒されてしまいます。奥さんは私達の顔を観るなり”熊肉用意しておきましたよ、これから圧力鍋で柔らかくします。暫く山葡萄酒でやっていて下さいね”、言われます。酒のツマミはマタギ村の珍味にご主人の熊狩りの経験談です。
話の中で印象に残ったのは次の話でした。
【熊は急増している事実】
一昨年はブナが豊作でした結果子供が沢山産まれました。母親の子育て期間は通常2年です。今年は子育て中の熊に遭遇する危険が急増しています。そこで飯豊村の熊狩猟の上限は通常270頭の処、急遽臨時枠として300頭が認可され570頭になりました。でもマタギ猟師は高齢化して減少しています。到底目標を達する事は出来そうもありません。
【熊の狩猟方法の制限】
熊の狩猟方法には次の三つがあります。根拠法「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律」
①猟銃で射殺する方法:
熊を一発で射殺するのが重要です。その為には頭か心臓を撃ち抜く無かなくてはなりません。手負いの熊は危険なのです。最適射撃距離は100mですが300mでも撃ち抜く自信があります。
②熊トリハサミを使う方法
鉄の爪で熊の足を挟んでしまう道具、小型のモノはガハサミと呼ばれ狐などの小動物を捕獲します。
③罠を仕掛ける方法。
檻を設置し檻の中に蜂蜜を置いて熊を誘引します。
熊狩の危険は少ないし、効率が良いので許可してほしい方法ですが『獲り過ぎてしまうのでしまうので禁止』されているそうです。
射殺した熊さんは現地で解体してしまうようです写真は2006年5月に中村さんが写したものです。毛皮の下はビッシリ脂肪が着いています。
解体する熊の内臓赤いのは肝臓で肝臓にくっ付いて居る黒い円盤状のものが脾臓だそうです。これが熊の胃と呼ばれ胃腸薬に珍重されます。
【熊のお値段】
『大間のマグロは200Kも在れば、脂の乗りが良いと2千万円もの値がつきます。ところが熊は200Kクラスが取れても肉が7千円/Kですから精々140万円です。熊の毛皮が50万円です』、と云われて思わず柱に吊るされた毛皮を見上げました。そして一番貴重なのが胆嚢です。これが30万円です。云いながら真っ黒い茶卓の様な丸い物体を触らせてくれました。私は幼い時富山の置薬屋が置いていった熊の胃(胃腸薬)を想い出しました。想い出しただけで苦味を感じました。200Kもの大物を獲っても熊は200万円大間のマグロの十分の一です。「熊とマグロとどっちが美味しいか?」訊かれれ明瞭です。熊の方が美味しいに決まっています。美味しいモノは身体にも良いのです・・・・。
さてマタギのご主人の話を聞いている中に晩の御馳走が次々に炬燵の上に運ばれてきました。
付けだしは山ウドです。酢味噌をつけて食べろと云った指示です。豆の佃煮も乙なモノです。ヤマメの塩焼きに鯉の煮付け(所謂鯉こく)、こんなに出されては本命の熊料理が出る前に満腹になってしまいそうです。
食前酒は山ブドウ酒で付だしは煮豆に山ウドの酢味噌付、にヤマメの塩焼きでした。
これは山ウドです。酢味噌をたっぷりつけて戴きました。ウドは苦手ですが山ウドは好みでした。
一度圧力鍋で蒸して柔らかくしてからステーキに焼いたのだそうです。付け合せは山菜のコゴミでした。土筆や知らない山菜がソースにに使われていました。
昨秋戴いた熊に較べるとサッパリしていて筋肉質なお肉でした。一般的には脂ののっているのは冬眠前の熊さんだそうです。冬眠明けの熊さんのお肉は脂も落ちて筋肉質になっているそうです。好みにも依るのでしょうが万人受けするのは冬眠前の熊さんのお肉でしょう。折角の熊さんですからしっかり噛んでいるうちにガムの様な食感になってしまい、最後は飲みこんでしまいました。
さあ!熊さんも戴いて満足満足、奥座敷の布団に入ろうとするとペルシャ猫と何処にでも良く居る虎のような猫が先に布団の上で寝ていました。今晩は猫さんの添い臥(そいぶしでユックリ寝る事にしましょう。なにしろ中村さん宅は猫が5匹も居て内3匹が身重なのです。「何処で出産するのですか?」訊けば炬燵の横に置かれている段ボールのボックスです。ボックスの中には毛布が敷かれていました。
|
|
今晩の宿泊地は山形県置賜郡の飯豊町です。飯豊の現役マタギ猟師の家に民泊の予定です。熊料理のオーダーもしておきました。昨秋に味を覚えてしまった私はもう熊さんの味の虜です。同行の親友もジビエは嫌いではなさそうです。
喜多方ラーメンも食して気分は飯豊に飛んでしまいました。
夏場ならスーパー林道も通れますから、飯豊はそんなに遠くはないのですが、まだ、飯豊山は冠雪して神々しく人を寄せ付ける気配は無さそうです。
立木観音からは会津坂下に出て国道121号線を米沢に向けて北上します。途中会津縦貫道を通り大峠を越して米沢の田沢に出ます。向かいの山脈が朝日連峰で左が新潟県境になります。主峰が飯豊山です。飯豊山や朝日岳を中心とした2000m級の山脈を東北アルプスと呼ぶのだそうです。横浜では28度と云うのにこの辺りは14度程度で肌寒く感じられました。
喜多方の郊外は田起しの作業中でした。15日には田植えでしょう。
道は唯一喜多方河東線(国道121号線愛称田島街道日光の田島が起点で米沢まで繋がる)です。田島は桧枝岐の入り口ですから今秋は桧枝岐のマタギ集落に泊まって桧枝岐農村歌舞伎を観る予定です。私達は北の米沢に向けて走りますが後ろの南をを向けば会津若松を挟んで南に日光の山脈が見渡せます。喜多方から見れば北は飯豊連山、南は日光連山で東は阿武隈連山の南端(三春が有名)西は新潟県境の山脈で東北アルプス(飯豊山大日岳朝日岳が主峰でイザべラバードの探検した街道)です。
喜多方の郊外(南)から西を観る低い山の手前を只見川が流れていて西会津の柳津があります。この辺りは田圃も広いのですがお墓(埋め墓)も広いようです。田圃を潰してお墓にするのはパールバックの大地のようです。それだけ祖先を大切にする土地なのでしょう。
大型トラクターで田起ししています。正面の低い山が有名な虚空蔵菩薩の山で向こうの冠雪しているのが朝日岳だと思います。あの山の北側がイザべラバードが探検(日本奥地行)の道でアルカディアと激賞された処です。
三方を山に囲まれている意味では諏訪に似ています。今ツアーでは都合があって同行できませんでしたが友人のМ君が観たら屹度大好きになる地勢です。あの山裾は日本で唯一の笹ユリの群生地ですから何時の日にか尋ねてみたいものです。
ドライバーの親友T君がカーナビを観ながら云います。
「この道はレインボーラインとも云うようだよ!何でレインボウなのかな?」
彼の疑問は暫く走ると直ぐに判りました。
121号線は登って次第に残雪が確認出来る様になりました。鶯色の樹木はブナで澤の赤い新芽は山楓だと思います。次第に桜が混じるようになりました。
峠の名は「大峠」でその手前に7つものトンネルが連続しているのです。東北地建の技術者が7つのトンネル工事を竣工させて思いついたのが「レインボーライン」だったのでしょう。峠の大峠のトンネルは一直線で4キロもありました。峠を越した米沢側に道の駅「田沢」があります。此処で一服、先刻から気になっていた山容の景色を堪能しました。
峠を登るとトンネルが連続して桜の花も未だ残っていました。向こうのトンネルは不動トンネルです。不動の次に地蔵トンネルその次に薬師トンネルが在って、順番に仏のランクアップしているのでした。
これが7番目のトンネルの御手窪トンネルです。トンネルを越えると雨が降っていました。
これが大峠トンネル直線で4キロもありました。このトンネルの中に福島県と山形県の県境がありました
澤には点々と鹿の子斑に残雪があります。白い筈の雪の表面にはブナの葉先が散っています。ブナは一斉に鶯色の若葉を萌え出させています。ブナの新緑の間に未だ桜が咲いていますし、澤には楓の新芽が朱色です。
曇天ですが時折雲が切れて初夏の日差しが山容に差し込みます。まるで天照大神が山の美しさを知らしめる為にライトアップしているようです。鈿女の巫女のストリップショーに惹かれて天岩戸を開いて覗き見したような。邪気を感じさせる陽の光です。若しかしたら東北地建の技師もこの天照大神の邪気で虹を観てその通り「レインボーラインとネーミングしたのかも知れません。
山肌に斑に雪が残っています。
高校の授業の伊勢物語で次の歌を想い出しました。
時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらん 業平が東下りして富士山を見上げた時の歌です。
雪が降って鹿の子斑に新雪が積もっていたのでしょう。季節は屹度秋だったのでしょう。でも歳時記では「鹿の子斑」は3月です。此処飯豊町辺りは山深いので2か月遅れで鹿の子斑を確認できるのです。
桜のピンクと山楓の朱色とブナの鶯色が競い合って綺麗です。
大峠トンネルを越えて山形県米沢市に入ると直に「道の駅」田沢があって愛称「和みの郷」と呼ばれ山菜などが並んでいました。121号線を走っている車は殆どが軽トラの4輪駆動車です。皆、山菜取りに峠に来ているようです。
道の駅には「草木塔の案内」と木村武雄氏の銅像が立っていました。珍しい草木塔は別の機会に説明します。武雄氏は米沢の政治家で大峠の開通に尽力された人のようです。説明には大正15年生まれ明大卒となっていますから米沢の田中角栄の様な人物のようです。
これが国道121号線大峠の開通に功績のあった木村武雄氏の顕彰碑向こうが大峠
「道の駅田沢」から大峠方面を見返す。
これは玉庭集落の光景桜が残っていて未だ桜があるうちに田植えを終える必要があるようです。紅い屋根の家は典型的な山形置賜の曲屋です。曲屋は別の機会に書く予定です。
これは飯豊村中津川です。斑雪が残っていて漸く猫柳が芽吹いていました。朝には残雪から靄が湧いて幻想的でした。
|



