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私が中学時代理科の時間に次のような講義を受けました。場所はサッカーのグランドでした。私が卒業した中学・高校は栄光学園で、理科の講義はクラス担任でもあった山本先生でした。サッカーのグランデに出て、
「各自1メートル四方に根を張っている植物を観察して、絵にして、その植物の名前を調べなさい!」私達は好き勝手に広いグランドで適当に場所を選んでに生えている植物を絵に描き、名を調べて書き記しました。
今では小学校でも5年生になると、校庭の植物群落を観察する授業をしています。最近は小学校も進んでいるようです。私は植物の根も観たいと思って引き抜いて絵に描いた処大変に誉められました。今想い起すと先輩の養老孟司さんも山本先生の薫陶を受けられて「大の虫好き」が一層助長されたのでしょう。「虫が居るから人生が楽しい」言われています。
此れは常磐線車窓の風景水田に放射能を多く含んだ土壌が流れ込んだ疑いが高いので、多くが耕作放棄地になっていました。耕作放棄された田圃はイネ科の葦や蘆やススキや群落を為し、時間が経つと柳の樹が生えるようです。向こうの山は阿武隈山系になります。手前は線路の土手には葛が生えていました。
田圃の脇には水路があります。汚染土は未だこの水路に沈殿しているので2018年にはこの水路の土も撤去して新しい土に入れ替えるのでしょう。赤いリボンで標が立っていました。
豊岡町の水田、稲は花が咲いていました。株は太く、シッカリしているので豊作間違いないでしょう。問題は放射能レベルが低い事です。
私は今春迄帰宅困難地域であった「富岡町」から「大熊町」更に「浪江町」の耕作放棄された水田を観ていました。今年は「除染特別地域」となっている7町村(楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村及び飯館村の除染を完了する計画です。隣りの田圃は稲の花が咲いているのに、除染を待っている田圃が多くありました。
汚染土壌の為に耕作放棄されていた田圃も汚染土壌の撤去と綺麗な土を客土することに依って除染工事は完了する事になります。
耕作放棄された田圃は矢張りイネ科の植物の生育に適して居るのでしょう。
ススキや蒲や葦や蘆が生育していました1万年前も屹度こうした植物が繁茂していた低湿地に水路を設えて米を栽培したのでしょう電車が鉄橋を渡ると津波が駆け登った川岸に縄文人が「柳葉魚」や「鮭」を狩漁しているように思えました。人間さえ居なければ地球は美しく永遠に持続して来たでしょうに・・・・。
向こうの橋は国道6号線、川原には葦や蘆や蒲のイネ科植物が生育しています。耕作放棄の水田は一度人間の手が加わっていない時の植物相に戻るようです。そして柳の様に湿地でも生育する樹木が生えます。
こんもりした樹木は柳です。
原発に近い広野駅周辺は住人が戻っているものの、少し距離のある、豊岡駅周辺浪江駅周辺は、田圃も休耕田が多く、南相馬市小高駅周辺の民家は多くが空き家状態でした。屹度3.11日の南風によって少し距離のある、南相馬市や飯館村に放射能が降ったのでしょう。その為に『帰宅困難地域』『居住制限地域』『避難制限解除準備地域』の指定区分が為されたのでしょう。
「帰宅困難地域」指定図、出典ハフポスト日本版編集部
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花ウォーキング
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ウォーキングしながら、路地裏で、里山でひっそりと咲く花を見つめます。花を愛でた先人の思いや息使いを文学に探します。
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庭の紫陽花の花も疲れて来ました。街に出れば凌霄花の花が眼に付きます。檜扇の花も咲き出しました。夏が近づくに従いオレンジ色の花が目立ち始めたような気がします。オレンジの花と云えば「野萱草」や「藪萱草」です。昔は三浦半島に行って西瓜畑の端に咲く野萱草と石仏を一緒の写真を撮っていました。このブログでも何度もアップした私の好きなテーマです。でも、脳梗塞で車の運手は禁じられていますので観に行けません。
此れは私の好きなテーマの「野萱草+石仏」です撮影したのは鎌倉12社の「来迎寺」です。
此れも「野萱草+石仏」で撮影場所は鎌倉岡本の「貞宗寺」です。
そこで、川崎の民家園に行って「馬頭観音+野萱草」の写真を撮れないかと、期待して出かけました。萱草は和名を「わすれくさ」と云います。万葉集でも良く歌われています。歌われるパターンには『失恋の傷みを癒やす、忘れる』時に使われます。
此れは川崎民家園の江向家住宅(合掌造り国重文)の庭先垣に咲いた野萱草の花です。
忘れ草 垣も繁みに植えたれど 醜(しこ)の醜草(しこくさ) なお恋にけり
(万葉集巻12)
歌意は次のようなモノでしょう。
『忘れ草を垣のところまでたくさん植えたのに、この草ったら、ちっとも効き目が無くって・・・・・余計にあの人の事が恋しくて仕方ないじゃないの・・・・・。』
此れは川崎生田緑地の土手に咲いた藪萱草です。ススキに負けないで逞しく花を咲かせます。
此方は川崎民家園内の三沢家住宅(国重文)の土手に咲いた山百合の花です。藪萱草も山百合もユリ科の多年草です。
萱草には石仏にも似た感傷が在ります。石仏を建立し拝む人は『故人の事が懐かしくて早く忘れたい』と思って祀るのでしょうが、故人は何年経っても忘れられるモノではありません。そんな意味で路傍の石仏と萱草は似ているのです。「忘れ草」の名は石仏を拝む人の気持ちに沿っています。昨年の秋「塩の道/糸魚川街道」を友人4人で石仏巡りをしました。あの道の石仏群にも今頃は「忘れ草」が咲いている事でしょう。
川崎民家園には馬頭観音も多く展示されていますし、忘れ草も良く咲いています。私はそんなことを想い出してワイフを誘って向ヶ丘遊園の民家園に出かけました。
何度も出かけている民家園です。野萱草の咲く場所も石仏を置いている場所も良く覚えています。その一つ一つを確認して廻ります。
民家園に置かれている馬頭観音では一番に美しい信州の馬頭観音です。羽衣の様な衣文が23夜塔(勢至菩薩)と見まごうてしまいます。柊の垣根の根元です。石仏の足許に野萱草が咲いていることを期待したのでした。
双体道祖神の足許には擬宝珠が咲いていました。この花もユリ科の多年草です。
此れは五個荘の合掌民家「江向家住宅/重文」の庭先に咲いていた野萱草です。
万葉人は失恋の痛みを野萱草の美しさで癒やして忘れようとしました。私は既に失恋を体験出来るような歳ではありません。でも「嫌な事」や「憂う事」を忘れるには野萱草は充分な美しさです。
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前回の奈良旅行は奈良から奈良交通の深夜バスで横浜駅東口に出て帰宅しました。今回は試に京都駅八条口から出る南海バスで帰る事にしました。何しろ京都発戸塚行きの深夜バスなのです。奈良旅行で疲れていますから寝付は良く眼が醒めれば自宅の筈です。問題は京都発の時刻が遅い事、奈良京都間で未だ参詣していない寺社を探すと三室戸寺(西国10番札所)がありました。奈良観光案内所で訊けば「JRで宇治駅に出てそこで調べれば臨時バスも出ていることでしょう」云う事でした。旅行の始まりは矢田寺の紫陽花で、旅行のお終いは三室戸寺の紫陽花と紫陽花尽くしの旅になりそうで、。それも良さそうです。木津川を渡れば車窓の左に川が流れています。
木津川の橋を渡れば大和から山城になります。木津川の川沿いは上流の笠置から下流の石清水八幡まで文化財が連担しています。
宇治橋からの眺望、宇治川の右端に在るのが平等院で橋の向かいに宇治上神社があって。その上流に興聖寺(道元の最初の道場)が在ります。その北(左)の山無向こうに三室戸寺が在ります。
一昨年友人と参詣した「蟹満寺」や「加茂の観音寺」のある辺りを見渡します。鈍行はアッチコッチの駅で急行の「通過待ち」や「すれ違い待ち」をします。奈良から宇治迄1時間余りも要しましたが急ぐ旅ではないし、景色も良いので少しも苦痛になりません。食いしん坊の私ですので「宇治では何処で何を食べようか?」頭を巡ぐらします。前回は友人と4人で伊藤久右衛門で「茶そば+火薬ご飯」を頂きました。今回は1人ですから、人気店は気が引けます。宇治も京都も意外に美味しいパン屋やコロッケ店が多いのですし、コロッケを食べ歩くのも楽しみです。先ずは真っ直ぐ三室戸寺を詣で、帰路宇治の街中を散策してランチを決める事にしました。JR宇治駅を降りると人波がバス停に続いています。この日は日曜日、沢山のお客さんが紫陽花の三室戸寺に向かっているのでした。満員バスに揺られて急勾配を登ります、方角は宇治神社の裏(北)の谷戸です。
終点の三室戸寺門前の駐車場は大混雑、自家用車の他大型観光バスで駐車場は満杯です。此処まで来るのにも大変でしたが、境内は大混雑で石段下まで行列が出来ています。門前には檜の林が在って、その下闇を紫陽花が埋め尽くしています。紫陽花の周囲は躑躅の刈込で、この寺は「躑躅」「紫陽花」1年の最後に紅葉で賑わうのでしょう。本堂前の前庭が大混雑だった理由は直ぐに解りました。朱印帳を持って御朱印を貰おうとしている人が列をなしているのです。朱印してくれる窓口は本堂横に1箇所、庫裏に4箇所もあるのにお客が多いので対応出来ていないのです。朱印を貰うには炎天下1時間も待たなくてはならないようです。みんな大人しく順番を待っていました。改めて現代は御朱印ブームのようです。若い人もお年寄りも皆御朱印集めをしているようです。何しろ三室戸寺は西国10番ですから、計画した人はどうせ詣でるなら紫陽花の季節を選ぶのでしょう。石段を登り切って本堂前に出ると石造の宇賀神が鎮座しています。「爺さんが”よう登って来た”笑って出迎えて下さったようです。宇賀神は日本の穀神で仏教では弁財天です。此処は三室戸寺、お寺ですが神道の方が信仰を集めているのでしょう。若い女性が宇賀神のお髭を触っています。案内では蛇の尻尾を触ると御利益が在ります。案内されているのですが、女性はお髭に魅力を感じているようです。宇賀神様は”こそばゆい”言っておいでのようでした。
三室戸寺の参道、行灯が用意されていました。夜はライトアップされて一層綺麗なのでしょう。
三室戸寺の境内は左側通行です。本堂前の境内地に上る石段は行列でした。本堂前が大混雑していたのです。
三室戸寺の本堂前の庭の大混雑。理由は蓮鉢が沢山置かれているうえに朱印帳を持った人が窓口で行列していたのです。朱印帳でこの行列ですkらトイレの行列は気が遠くなるほどでした。
三室戸寺の本堂に登ったら、いよいよ紫陽花の道を散策です。桧林の下に細道が在って、その両側を紫陽花が埋めています。案内では紫陽花1万本とありますから、花は1本30輪としても、30万輪の紫陽花を鑑賞できる事になります。三室戸寺の紫陽花は良く見るブルーや鍔紫陽花は少なく、昨今人気の「墨田の花火」等新種が多き様ですし、加えて青よりも赤色系の花が目立ちます。
道は細い上に、皆見所で立ち止まって写真を写しますから渋滞してしまいます。仕方なしに、「自分撮り」に夢中なお嬢さんを眺めて、順番を待ちます。
渋滞していた場所に着いて判りました。其処は紫陽花がハート型に植え込みしてあるので、ハートの中心に自分を置いて「自己撮り」出来るのです。ハートの数を見つけただけ幸福になれるそうなので「ハート型の紫陽花を探しています。何のことは無い紫陽花は丸い形をしていますから一箇所鋏を入れればハートになります。どの紫陽花も観方次第で丸にもハートにも見えます。
JRの車内広告のハートの紫陽花。集約花の紫陽花ですから鋏を入れればハートは恣意的に出来そうです。
桧の林の中に紫陽花小道が在って、此処を巡ります。大渋滞でした。
三室戸寺の紫陽花は綺麗でした。まるで植物園のようでした。「石仏+紫陽花」の矢田寺も良かったのでしたが赤い紫陽花の三室戸寺は別の良さがありました。宇治駅に戻るバスは一層混雑していました加えて京阪バスの運転手が急ハンドルブレーキなので立っている私は難儀しました。宇治の町に戻って愈々ランチです。有名茶舗の店が軒を連ねています。何処の店も一人では入り難いので、御手洗団子を食べながら日照りの中歩きました。コロッケ屋も見当たらず、まだ腹半分でしたが、致仕方ありません。ブラブラ歩いていると燕が”邪魔だ!邪魔だ!”言わんばかりに私を追い越して行きました。
燕は子育てに忙しくしていました。撮影場所は平等院通りのラーメン店の軒先です。
さて、これから何処に行こうか?JRの案内板を観ればお隣が「黄檗山万福寺」です。万福寺に行こうか?八坂神社と平安神宮に行こうか迷いましたが、電車に坐ってユックリ考える事にしました。
今日のランチは御手洗団子にしました。東京の団子は3個ですが、京都の団子は5個です。
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「花菖蒲」を視て廻る為、二宮のせせらぎ公園から大磯の吉田茂邸に向かいました。
吉田茂邸は大磯の細石海岸を見下ろす城山丘陵の東端に在ります。大磯プリンスホテルから見れば北側の丘陵に吉田茂の銅像が真向かいに見えました。
大磯の吉田茂別邸2階の寝室からの眺め、南側に見えるのは大磯プリンスホテルとその先が天城・箱根・富士の山々です。
これは「銀の間」と呼ばれる吉田茂さんのベッドです。このベッドで1967年(昭和42年)10月20日(89歳)で没息を引き取られました。
此れは吉田茂別邸の寝室のクローゼットに設えられた脱出口です。暴漢に襲撃されたら此処から庭に脱出する積りだったのでしょう。5・15事件の犬養毅首相を想い起しました。でも再建したのは大磯町、羽目板が合板である事実から、財政の逼迫を知りました。
再建途上で放火焼失してしまった吉田茂別邸ですが見事に再建できました。駐車場と兜門『日米講和条約締結記念に建築されたので講話門とも云うそうです)の間に立派な薔薇園もあるし、先日アップしたように和風庭園に接して菖蒲田も在りますが、場所柄目に付くのは山野草です。昨年はお盆の頃に来たので野萱草が咲いていましたが、今回(6月7日)はドクダミに蛍袋が咲いていました。
これが吉田茂別邸の正門です(兜に似ているので兜門とも、日米和親条約締結を記念しているので講話門とも呼ぶそうです。
蛍袋は子供が戯れに蛍を捉えてこの桔梗の様な花の袋の中に入れて提灯の様にして遊んだのでその名が付いたのでしょう。可愛らしい上にネーミングも妙です。 若しかしたら70年前『吉田茂さんもこの花の愛らしさに眼を細められたかも』想いながら見詰めました。すると一層重そうに花を下げました、その先には蜘蛛が巣を張って獲物を待ち構えています。穏やかではありません。蛍袋が咲き出したという事は親種の桔梗も直に咲き出すと云う事です。そう想えば桔梗は秋の七草、季節の巡りは実に早いモノです。
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今年は花菖蒲の咲き出すのも早いようでした。昨年は佐倉、潮来の菖蒲を観て廻りました。今年は山梨に「サクランボ狩り」や「足利の藤」を観に行ったので、菖蒲は近場で済ませる事にしました。新聞の神奈川版には近場の名所が出ています。アソコも観た此処も観たと云った中で観た事が無い「二宮ささらぎ公園http://www.town.ninomiya.kanagawa.jp/soshiki/toshi/toshiseibi/koenryokuchi/r01/r02/1441762056280.html」に出かけました。欲張りプランはささらぎ公園で菖蒲を観て、帰路は大磯城山にある吉田茂邸の庭の菖蒲に回るモノです。
JR二宮駅から秦野に向かう丘陵道の峠に谷戸に「せせらぎ公園」があって渓谷の谷川沿いに菖蒲田が在ります。中央に木道が在って。一番高い所まで登ってから、細道を下りて行きます。
せせらぎ公園には蛍が舞うそうです。6月初めに始まり6/6日で今年は終了したそうです。写真出典二宮町HPhttp://www.town.ninomiya.kanagawa.jp/soshiki/toshi/toshiseibi/koenryokuchi/r01/r02/1441762056280.html
手前の菖蒲は移植して1年目その奥の菖蒲が2年目その奥の段からは3年目だそうです。菖蒲は根付いてから数年経たないと大きく綺麗な花を付けないようです。
二宮駅北口からバスに乗って終点の「二宮団地中央」を降りて山側に川に沿って5分も歩くと「せせらぎ公園」の案内板が出て来ます。昨日6/6日まで「蛍の鑑賞会」が催されていて連日千人ものお客さんで賑わったそうです二宮町は「鴫立庵/150円」もあるし、藤村邸(無料)に此処「せせらぎ公園」と観光資源に恵まれています。
国道を左折(南」して、坂道を登ります。屹度減反前は棚田だったと思われる谷戸が奥に奥に伸びています。谷戸の出口は比較的広い棚田で蓮が茂っています。奥に行くに従って棚田は小さく常緑照葉樹の木陰に入って行きます。その狭い棚田の中央に木道が続いています。お客さんは木道に沿って棚田の最深部まで行き、そこから細い渓流に沿って坂道を下って行きます。
菖蒲田に下りて花柄摘みをする二宮町の職員。沢山のカメラマンが菖蒲と娘さんのツーショットを狙います。
10時過ぎ、棚田の下の方が突然賑やかになりました。見れば紺の絣を着て菅笠をかぶった女性が菖蒲田に入って一番花の摘み取りをしているのです。菖蒲は一夏に二度咲きます。先に咲く花が「一番花」です。キリンビールではありませんが一番花が綺麗なのです。昨年一年蓄えた命を一気に花に込めるのですから、綺麗です。二番花は一番花の脇から蕾が開きます。枯れた一番花が邪魔して美しさに欠けてしまいます。一番花の摘み取りは病虫害対策であり、二番花を美しく咲かせるために欠かせない重労働なのです。賑やかなのは菖蒲娘の摘み取り風景をレンズに収めようとするカメラマンが群がっているのです。係員に訊きました。
菖蒲の根元に白い小花を咲かせているのはクレソンです。クレソンは蛍の食べ物になるカワニナの幼虫を育てます。
「菖蒲の根元に咲いている白い小花はクレソンですか?」
係員は答えてくれます。
「クレソンです。お肉料理に添えるクレソンです。クレソンを自制させているのは蛍を育てる為です。蛍の食べ物はカワニナの幼虫です。カワニナはタニシの様な貝類ですがその幼虫はクレソンを食べます。蛍を自生させるには先ずクレソンを育てカワニナを呼びます。クレソンもカワニナもこのような清流が好きなのです。」
この写真は「せせらぎ公園」の管理センターに展示してあった素人カメラマンが撮影した「花摘み娘」です。昨年観た潮来の花摘み娘は見事なほどお婆さん揃いでした。
私は納得しました。蛍は全国的に復活してきました。私の生家の池にも蛍が飛びました。大広間に蚊帳を張ると、海の底に寝ているような気になりました。蚊帳の中に蛍を放して、寝ました。蚊帳が無くなったのは生活環境が進歩したからですが蛍が居なくなったのは環境が劣化したからです。
せせらぎ公園の紫陽花も見事でした。7月になれば蓮も咲き出すようです。
「せせらぎ公園」の目玉は菖蒲ですが、紫陽花も山法師も紅葉も植えられています。さながら、昼は菖蒲で夜は蛍、秋は紅葉を愛でられるのでしょう。
バスで二宮駅に戻りバスを乗り換えて大磯城山に在る「吉田茂邸」に行く事にしました。ランチは城山に在る瀟洒なレストランにしようと思ったのです。昨年公開しはじめた吉田茂邸の庭には「薔薇」や「檜扇」の他に日本庭園の脇に「藪萱草」や「花菖蒲」が自生していた記憶があったのです。花菖蒲を視ておこうズット思っていました。
吉田茂邸の日本庭園には菖蒲田も在ります。
吉田茂の名を貶めない立派な江戸系の花菖蒲でした。
もう一つ、鎌倉の菖蒲を観ました。ワイフは「女学生時代からの友人4人で、明月院に行く」言って居ました。わたしは「岩かずら」と「岩煙草」を観たいと思って東慶寺に行きました。ここ数年東慶寺では菖蒲田の上に簀子を組んで夕顔を成育させていたのでしたが、「夕顔が花菖蒲の生育を邪魔している」判断したのでしょう。今年は夕顔は止めたようです。花菖蒲は昔の様に見事に咲いていました。お茶室の縁台にはご婦人が腰掛けて花菖蒲を眺めています。
これは今年の東慶寺の花菖蒲です。夕顔の栽培を止めたので見事に復活したようです。
菖蒲田の東はお茶室でその縁側に縁台を出して「抹茶+菓子/500円」を楽しみながら菖蒲を眺められます。
最後は大船フラワーセンターです。6/10日日曜日にワイフと出かけました。大船フラワーセンターの前身は「神奈川県立農林試験場」です。芍薬の桜も菖蒲も此処で作られた新種は「大船系」と呼ばれ、最新の成果を確認できるのです。
此れは大船フラワーセンターの花菖蒲です。大船系と呼ばれる新種の花菖蒲と江戸系が多く植えられています。
流石に県立農業試験場菖蒲と「アヤメ」の違いを説明してありました。菖蒲もカキツバタもアヤメも漢字では「菖蒲」と書きます。アヤメが一番和的で花弁の元部分に組紐状の網目が出来ています。一方菖蒲は内側の花弁が立っていて外側の花弁が垂れ下がっていて箱根の外輪山内輪山の様に見えます。要するに豪華なのが菖蒲で嫋やかなのが「アヤメ」です。漢字にすれば「手弱女+女」です。
此れは鳥居言人(大正時代の浮世絵師」の「あやめ」です。手にしているのはスマホでしょうか?
此方は歌川広重の「江戸名所百景」の堀切菖蒲園です。菖蒲園と云っても絵は「アヤメ」のように思えます。
平安時代以来何時の時代も日本人は杜若(伊勢物語」も菖蒲もアヤメも大好きで特段見分けの必要も無かったのでしょう。嫋やかに重力に任せて垂れる風情が美し九艶やかな女性を思わせたようです。うなじが綺麗で二の腕が絶妙な色香を漂わせる女性は稀になってしまいました。ソロソロ浅草寺のホウズキ市や朝顔市が開かれます。「綾女」を探しに出かける事にしましょう。
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