仮想旅へ

毎日の通勤路を憧れの街道歩きに転換してみたら? あなたを「LOHAS」な世界に誘ってくれます。

花ウォーキング

[ リスト | 詳細 ]

ウォーキングしながら、路地裏で、里山でひっそりと咲く花を見つめます。花を愛でた先人の思いや息使いを文学に探します。
記事検索
検索

全115ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

蓮花と光明皇后


私の通った高校はJR大船駅を降りて西に坂を登った玉縄城跡にありました。歩きはじめる丘の上には大船観音で。その観音様が奈良法華寺の十一面観音のお顔の摸刻でその十一面観音が光明皇后の生き身を写したものである事は大学生になってから知りました。
イメージ 9
これは大船の観音様です。私の父も此処にある黙仙寺の住職と観音像の建立に尽力しました。この像のモデルが奈良法華寺の十一面観音像とは思いも依りませんでした。現実は白衣観音で十一面の密教的な雰囲気はありません。それに蛍光セメントの質感が好きになれませんでした。
ですから、私は朝晩光明皇后の眼差しの下を通学していた事になります。昨日7月25日は鎌倉学園VS慶応高校の試合が保土ヶ谷球場で挙行されましたし、テレビで中継されていました。本来なら鎌倉学園の応援に参じる処ですが、蓮の花を観に三溪園に行きました。梅雨明けの季節には蓮を観ておかないと良くないと確信しているのです。蓮と云えばベトナムの国花です。ベトナムで蓮を観ましたが日本の蓮に較べるとイマイチなのでした。何が違うんだろう?”思いながらベトナムの蓮を観ていて気づきました。日本の蓮は水面から見て高い位置にポツンと咲くのです。較べてベトナムの蓮は水面に近く。毎朝次々に咲きます。咲き終われば花弁は散って蓮台も水中に没しますし、葉っぱは枯れるモノもあります。日本の蓮は一年に一度初夏にしか咲く機会がありません。一年中蓄えたパワーを一気に開花に集中するのです。一年中試合をしているプロ野球がマンネリしているのに較べて。一年に一度の高校野球や社会人野球が感動させるようなものです。
イメージ 1
蘭の展覧会を開催すれば日本の蘭が優勝するのは、日本の園芸技術が秀でているというより、一年中咲くか一度咲くかの違いです。日本の蓮がベトナムの蓮より綺麗なのも同じ理由です。勿論蓮の花に寄せた日本人の2千年の思ひも詰まっています。写真は今年の世界ら蘭展日本大賞NHK)
日本で咲く蘭の花が熱帯のシンガポールやフロリダやハワイの乱の花より綺麗なのは「世界蘭博覧会」で日本の蘭が毎年最優秀賞を獲得するのも同じです。熱帯の蘭は一年中咲いています。一方日本の蘭は博覧会に向けて一度咲くのですから、日本の蘭が勝るのは自然です。
イメージ 2
三溪園に蓮の花を観に行きました。お人形はベトナムの水芸を観に行った時に求めたお人形です。お人形さんも蓮を観たかろうと思って連れて行きました。勿論今話題の「ポケモン・ゴー」を捩った積りです。
イメージ 3
此方は鎌倉光明寺記主庭園の蓮の花です。此方の蓮は中国産の蓮です。中世近世蓮と云えばこうした八重の蓮が珍重されたのでしょう。でも昭和26年千葉の検見川古墳から先史時代の蓮の種が丸木舟と共に発見され大賀博士が花を咲かせました。あの時は一重の大輪の花の美しさに驚きました。炭素化した種を分析した結果弥生時代初期と判断されました。
昭和28年千葉の検見川の遺跡で蓮の種が発見されましたその種を播いて大賀博士が弥生時代の蓮を咲かせました。日本中が大賀蓮に湧き立ちました。大賀蓮は瞬く間に埼玉の遺跡に、公園の池に三溪園の大池にも咲くようになりました。日本人が大賀蓮を観た時の興奮は第一にそのおおらかさ美しさであると同時に2千年以上も前の祖先が残してくれた種を花咲かせた僥倖だったでしょう。
イメージ 4
これは高野山に残された胎蔵界曼荼羅図です。この中央にある正方形が中台八葉院で大賀蓮そのものの図案です。

イメージ 5
これは高野山の根本中堂の内部です。胎蔵界曼荼羅図の中台八葉院を立体曼荼羅にしたように作られています。
イメージ 6
これは羅漢仏です。金剛界曼荼羅は産まれた自分自身が如何にして仏になるか?即身成仏するかを観想させる絵図です。日本人は弘法大師の遍路生活をお手本にして大自然と感応する一体化する道を選択しました。まるで羅漢石仏のように・・・。
でも多くの日本人は大賀蓮は何処かで観たことが在ると思いました。それは弘法大師の残された曼荼羅の図だったのでした。私達は国宝の高野山に残された胎蔵界曼荼羅図を覚えています。胎蔵界とは母親の胎中の意味です。私達がオギャーっと産まれる前の世界観です。
同図は弘法大師が人々に密教を理解させるには言葉で説くよりも絵を見せる方が良いと思われて世界観を絵図にされたものでした。その中心には宇宙の中核大日如来を置きました。そしてその四方に如来を置きました。これを中台八葉院と呼びます。中央の台座には大日如来がお座りです。その周囲には主要な如来菩薩が囲っています。それは大日如来が人間の願に応じて様々な如来に転じ、時には如来になる前の菩薩の姿を示した図で、全体を観ればまるで蓮の花のような姿でした。4体の如来(宝幢−ほうどう、開敷華王−かいふけおう、無量寿−むりょうじゅ、天鼓雷音−てんくらいおん)と4体の菩薩(普賢菩薩、文殊師利菩薩、観自在菩薩、慈氏菩薩)、計8体が表しました。どの仏も大日如来の変化形で変化の原因は人間の願望です。
弘法大師は古代末期に密教を大成させた人です。朝廷は密教の力で綻びの目立ち始めた国家の安寧を図りました。仏教の力で国家の鎮護を祈ったのは、何といっても聖武天皇と光明皇后でした。
その証拠になる仏像は第一に法隆寺に残されている橘夫人念持仏です。橘夫人とは光明皇后の母で軽皇子(文武天王)の乳母も務めた賢母でした。葛城王を出生します。葛城王は臣下に下り橘諸兄の名を賜り野心の無い事を天下に表明します。ところが藤原不比等は橘夫人を見初め後妻に迎えて光明子を産みます。橘諸兄は藤原不比等の策謀に嵌って亡くなります。橘夫人は息子諸兄の死を聖徳太子にダブらせたのでしょう。法隆寺を大切にします。そんな母を観ていた光明皇后が母の菩提を弔って法隆寺に納めたのが橘夫人念持仏だったのでしょう。写真のように泥池から生え育った蓮台の上に阿弥陀三尊が衆生に微笑んでおられる美しい阿弥陀三尊像です。

イメージ 7
この橘夫人念持仏を法隆寺に奉納したのは間違いなく光明皇后だったことでしょう。
この橘夫人念持仏は有名な玉虫の厨子と並列して法隆寺宝物張に記録されています。
法隆寺の釈迦三蔵の光背に記された願文には「聖徳太子上宮太子が彼岸に到達できるよう」と刻まれています。聖徳太子が建てたのが法隆寺です。法隆寺に納められた仏は何れも聖徳太子への共感が動機になったモノのように思います。それだけ聖徳太子のように優れた才分がありながら不幸な一生を終えた人が多かったのでしょう。光明皇后は自邸を法華寺に改め国家の安寧を祈り施薬院等の善行を重ねたと伝えられます。光明皇后への敬愛の想いが法華寺十一面観音を彫らせその後背に蓮の花を荘厳させたのでしょう。
イメージ 8
これが法華寺の十一面観音像(国宝)矢張り日本人は木質の観音像に親しみを覚えます。



ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。




































































もうじきにリオオリンピックです。
日本人選手の活躍が期待されます。総じて男子選手に較べて女子選手撫子の活躍が目立っているようです。
でも、今度は撫子ジャパン(女子サッカー)はアジア最終予選で敗退(オーストラリア、中国が代表になる)してしまい、興味を削がれてしまいました。
撫子ジャパンの名は古来日本女性の美しさひたむきさを「やまとなでしこ」と評したことから名付けたのでしょう。
美しい名を冠されたのですから、その名に恥じない様に復活してほしいモノです。撫子と云えば秋の七草ですが桔梗も撫子も昨今は早く咲いてしまい、先月訪れた大井川の川原ではもう咲き始めていました。
奈良の春日大社にある万葉植物園でも今頃は既に咲きそろって居る事でしょう。
春日大社から南に行けば高円山で大伴家持の屋敷があった処です。屹度あの辺りは万葉の時代も撫子が自生していたのでしょう。万葉集中26種歌われている撫子の歌のうち半分の11種も大伴家持が歌っています。どれも想いを撫子の花に仮託したモノばかりです。
イメージ 1
今日の話題にしたい”川原撫子”です。戸塚区役所ビル8階の屋上庭園のビオトープ脇に咲いています今が見頃です。

「 我がやどの なでしこの花 盛りなり
    手折りて一目 見せむ子もがも 」
                        
巻8−1496 大伴家持

大意は次のような事でしょう。
『 我が家の庭の、なでしこの花が真っ盛りです。手折って一目なりと 見せてやる子がいればいいのになぁ。』 
イメージ 2
川原撫子の中でスット伸びているのは女郎花です。此方は盆に入ってからが見頃になるでしょう。
秋も徐々に深まって来ました。私は独り身の侘しさがますます身に染みてきます庭先の撫子の花を手折ってあの人にプレゼントしたいと思うのだがあの人はまだ子供だから・・・それも出来ない。
ところで問題は撫子の花を贈りたい人が誰であったかと云う事です。
家持の奥様は婚約者大伴大嬢に送った一首で「にもが」は強い願望(反実仮想)を表します。
「撫子を手に取り持ちて」とは「大嬢を掻き抱くことを幻想している?」にも解釈できます。すると極めて官能的な歌といえましょう。家持は26歳で大伴大嬢は未だ10歳でした。10歳の少女を掻き抱いたらもう犯罪でしょう。
もう一種家持には撫子を歌った秀歌がありま
「 秋さらば 見つつ偲(しの)へと 妹が植えし
          やどのなでしこ  咲きにけるかも 」
                      
巻3−464 大伴家持
大意は次のような事でしょう。
”秋になったら、この花を見てはわたしのことをなつかしく思って下さいね”と言いながら植えていた庭先の撫子がもう咲き出した。でも愛しい妻は先立ってしまった。実に寂しい事だ。
撫子は美しい桜色であること痩せ地でもひたむきに花を咲かせる多年草です。それだけに愛情を仮託するには最適な花です。
我が庭も私が病になって以来手入れはワイフが行っています。先月貰って帰った虫取り撫子は無事に発根したようです。でも川原撫子は自生していません。今日庭先に眼を送れば鬼百合が咲き出しています。鬼百合では家持の歌のような情緒はありません。

昨日は川原撫子の花を観に戸塚区役所の屋上庭園に行きました。
イメージ 3
建設途上の戸塚区役所ビル、15階建てビルの8階の屋上庭園にビオトープなどが設えてあります。柏尾川で魚取りをしているのは私が創設したジョギング愛好会もメンバーになって実施していた柏尾川追い込み漁です。
イメージ 10
戸塚区役所8階の農政センター前からは屋上ビオトープに出入りできます。

イメージ 9
戸塚区役所の屋上はもう秋の風情で川原撫子は見頃を迎え女郎花も咲き始めました。
戸塚区役所は3年前に新築移転したもので戸塚駅の西口にあります12階建ての中層ビルの8階屋上に田圃とビオトープを配置した庭園が在るのです。8階は農政関係の器官が集まっていてその眼と鼻の先に田圃と畑が設えてあるのです。無花果やブルーベリーやアケビの蔓が植えてありますから野鳥が遣って来ます。
イメージ 4
戸塚区役所ビル8階の屋上庭園手前に田圃奥が畑でその中間に池状のビオトープがあります。
イメージ 7
ビオトープには昔ながらのメダカ(多分柏尾川で採取して此処に移したものが沢山いて保育所かはたまた、学校状態でした。
落果性をカラスが穿って食べたりしています。1週間前に来た時は区職員がビオトープの底を掬って水生昆虫調査をしていました。驚いたことにアキアカネ(所謂赤蜻蛉)のヤゴが沢山採取されていました
イメージ 5
これは柏尾川で確認されるヤゴなどの水生昆虫と魚です。
職員に訊けばアキアカネは今頃は丹沢の山に居るモノで秋になると戸塚にも飛んでくるのですが昨秋に此処で卵を産み落としていったので今年は区役所のビオトープ生まれビオトープ育ちのアキアカネが飛び回るだろうという事でした。
イメージ 6
アキアカネにしては朱色がまだ浅い赤蜻蛉此処は赤蜻蛉の天国です。
イメージ 8
これは黄色い花を咲かせ始めた落花生。実はもうじきカラスが遣って来て土を掘ってピーナッツを食べ逃げして行きます。”権兵衛が種播きゃカラスが穿るを地に行く光景です。何故なら権田坂は戸塚の名所だからです。
ブルーベリーも無花果もみんあ野鳥の餌になっています。

ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。





梅雨明けの楽しみ

今日は7月7日です。3月3日、5月5日は桃の節句に端午の節句、9月9日は菊の節句ですから奇数月のゾロ目の日は、何れも花が充てられた節句であります。だから7月7日は何の節句なのか調べてみると「七夕」としか答えはありませんでした。内容は「おり姫(織女星)とひこ星(牽牛星)」が天の川の両岸に最接近する日で如何にも中国の伝説です。一方古事記には「棚機つ女(たなばたつめ)」の伝説というのがあって、双方が習合して江戸時代に庶民の行事として「七夕」の節句となって広まったものだそうです。
イメージ 8
今朝のテレビ今日は七夕に加えて大西さんが旅立つのです。
古事記の棚機つ女は7月7日に水の神が天から下りてくると言われ、川、海、池のほとりに棚の構えのある機を用意して、その村で選ばれた穢れ(けがれ)を知らない乙女(棚機津女)が、神聖な織物(神が着る服)を織って、捧げていたそうです。棚機津女は、村の災厄を除いてもらうために、棚にこもって、天から降りてく神の一夜妻になり、神の子を身ごもり、彼女自身も神になると言うお話です。
「鶴の恩返し」や「皇后様の絹織神事」を髣髴させる神話です。
イメージ 4
此方は八幡様の乾坤式角隠しより綿帽子が良いです。

ならば、七夕等と呼ばずに和名が付いて良さそうなモノです。和名では「笹の節句」と呼ばれます。笹は花が付きませんから、花ならば「桔梗」か「笹ユリ」が最適なような気がします。
私の好きな山形県には笹ユリの愛好爺さんがおられて秘密の山中で笹ユリの楽園を手入れしておいでだそうです。
笹ユリを復活させて七夕に飾るようにしたいものです。
イメージ 5
これが笹ユリです。葉っぱが笹の葉に似ているから笹ユリなのでしょうが藪の中二懸命に花を咲かせている風情は如何にも手弱女ぶりです。先日箱根仙石原の湿性花園で咲き始めていました。夕菅同様にこれからが見頃です。
イメージ 6
文月(七月)のの絵は七夕祭りでした土手の上に居るのは山羊さんと小野道風の蛙です。

ところで7月7日は季節の変わり目でもあります。5月は五月雨で雨降り月6月は水無月は水の月の意味で田圃に水を張る月の意味です。因みに7月は「文月」で天の神様にお手紙を書く月(お祈りをする月)の意味でしょう。
今年の7月7日は小暑であり長雨もお終いでこれから本格的に暑くなる日に当たります。今朝の天気予報も今日は暑くなるそうで。暦通りになる気配です。
イメージ 1
これが本興寺のお小堀遠州作の庭園です。昭和40年代は見事な池泉回遊庭園でしたが、庭にも裏山にも松が自生していたので松の雄花が池に流れ込んで池の鯉が死んでしまったそうです。そこでお寺では池の半分を埋めて枯山水にしたのだそうです。池は松だけのモノでも鯉だけが住んでいるモノでも無い。お寺の判断でしょう。

ところで、半夏生には「生水は飲むな」云われ、井戸にも蓋をしました。先月奥浜名湖の本興寺を詣でて小堀遠州のお庭を見学しました。昔観た時は遠州流の池泉回遊式庭園であったのでしたがその半分の池が埋められて枯山水に変わっていましたs。お寺の説明では周囲に松ノ木が茂っているのでその樹脂が池に流れ込んで鯉が死んでしまうので止むを得ず枯山水にしたのだそうです。
イメージ 2
これは浄智寺の井戸です浄智寺の井戸水は鎌倉七井戸の一つ「甘露水」と呼ばれていましたが楠や高野槇等の雄花が流れ込んで池の鯉が死んでしまいました。此処の井戸は飲料水では無く墓参用の井戸ですがしっかりと蓋をしています。
天から降ってくる雨水が悪いのではなく、梅雨の季節に松ノ木の雄花が散るので雄花の樹脂が池の水に溶け込んで池の水を無酸素にするのでしょう。そう想って思い返すと北鎌倉の浄智寺さんの池でも鯉が大量死してしまう事がありました。鯉はお寺の貴重な蛋白源です。
と云って松の木を伐採する訳にもなりません。池を枯山水にチェンジするのは賢明な策です。
ところで私の生家の本堂の前天水桶の脇に母が鎌倉の友人から戴いた凌霄花(のうぜんかずら)を植えました。5年もすると見上げる高さに生育して隣の金木犀の樹に絡みつきました。その後凌霄花は金木犀を絞め殺してしまうのでしたが・・・。
イメージ 3
これは鎌倉の妙本寺の凌霄花です以前次にブログしました。http://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/folder/893299.html?m=lc&sv=%CE%BF%F0%BC%B2%D6&sk=0
イメージ 7
梅雨明けの頃はゲリラ的に雨が降るようになりました。写真はそのゲリラ豪雨に負けずに咲く凌霄花です。この年は妙本寺のご住職が遷化されました。その涙雨だったのかもしれません。この凌霄花も桜の大木に絡んで桜を絞め殺して咲いているものです。

私が凌霄花の花を見上げていると母から忠告されました。
「凌霄花を見上げてはいけませんよ。この花には毒があって花粉が眼に入ると失明しまあすよ”わたしは梅雨明けの頃鎌倉比企谷の妙本寺の祖師堂前に凌霄花を観に行くのを習慣にしていました。
凌霄花に舞う黒揚羽蝶を観ながら”なぜ母は危険な花を本堂の前に植えたのだろうか?”考えました。
「松の雄花」も「凌霄花の花粉」も自身の子孫を残す大切な役割を担っています。『子孫を残す』その大義の前には他の生命を損ねても致し方ないという事でしょう。か?
五月雨も穀雨と呼ばれて歓迎される季節もあります。しかし。小暑の季節を過ぎれば雨はゲリラ豪雨にもなるし毒の水にも転じます。
この地球は人間だけのモノではありません。ノアの方舟の神話にあるように人間と沢山の生命が同じ船に乗り合わせたようなモノです。人間の都合だけで「善悪」「用・.不用」の判断をせず。お互いに連関して相生していると考える事の様です。

ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。


白雲洞の岩カラミ

岩カラミは紫陽花に似た花をつける蔦です。名前の通り大岩に絡んで花を咲かせるのでその名があります。今年も鎌倉の東慶寺に岩カラミを観に行きました。その時の記事は次にアップしました。http://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/49326315.html
イメージ 1
これが東慶寺の本堂裏の大岩に咲く岩カラミです。花は白い花弁の鍔紫陽花のようで。緑の葉っぱとのコントラストが爽やかです。
先日書いたように強羅公園は三井財閥の大番頭だった益田鈍翁が強羅公園を開発して自らもその園内にサロンを造営しました。サロンの中核は新タイプの茶室で、田舎家を移築しその大部屋でグループで抹茶を戴くと云ったスタイルでした。利休の茶室は4畳半で主人と客を合計しても精々3人の小部屋でしたが。鈍翁の茶席は
利休以来の芸能から脱し政財界の巨人同士のサロンとなっていたようです。強羅に入ったらまず一風呂浴びて大部屋に三々五々集合します。大部屋では主人の益田鈍翁がコレクションした美術品が置かれています、利休の時代だったら床の間の軸は高僧の書だったり決まっていたものが、鈍翁の茶席には色恋の和歌や絵巻物の断が懸っていたりしました。時代も既に明治でしたから基本的な制約は無く自由がベースであったのでしょう。その茶室を鈍翁は白雲洞と名f付ました。
イメージ 3
此処が強羅公園内にある白雲洞茶苑の入り口、此処の入場料は無料です。入ってすぐに待屋があってその奥に温泉に入れる建屋があって、そこで一風呂浴びてからお茶席に集うスタイルになっています。日本橋で鈍翁さんから”君今度の週末箱根に来ないか?”誘われたら登山鉄道を乗り継いで強羅に入り、一風呂浴びてサッパリしてから白雲洞茶席に入ると思いもよらなかった政財界の大物と同席出来たりして感動したものでしょう。鈍翁はそんなビジネスの一期一会の場所として茶席を活用したものと推測します。
お茶室の縁側に出れば外輪山(明神ヶ岳)にかかる白い雲が見渡せたのでしょう鈍翁は白い雲が好きだったのかもの知れません。そして茶室の目の前の大岩に岩カラミ植えたのでしょう。大岩に絡む白い花が峯に懸る白い雲のように思えたのでしょう。思惑は別として白雲洞のシンボルは大きな岩カラミになったのでした。今年は東慶寺の岩カラミも観たし本家本元の鈍翁の岩カラミも観たいと思って足元が不確かな中白雲洞に登ってみました。でも修理工事中でした。お蔭で強羅公園側に出た蔓の先には岩カラミが見事に咲いていたにもかかわらず、肝心要の白雲洞の前の大岩には全く咲いていませんでした。今年から数年は修理工事の影響で我慢してくださいそんな風です。
イメージ 4
6月30日の白雲洞縁側から観た岩カラミ。花は全く残っていませんでした。
イメージ 5
岩カラミの向こうが白雲洞の茶席です。

イメージ 8
白雲洞の茶席此は一服お点前を戴けます。500円(菓子付)です農家を移築した質実な建物が如何にも鈍翁好みです。

イメージ 2
これが白雲洞の岩カラミでした。修理工事の為に今年はこの本体部分は眺められませんでした、この蔦の一部分は強羅公園にはみ出して咲いていました。左上は強羅公園になります。
イメージ 6
これは強羅公園内の遊歩道白い紫陽花は「柏葉紫陽花で岩カラミではありません。この道の右下に大岩があって其処に岩カラミが自生していて白雲洞があります。
イメージ 7
この白い花が白雲洞に自生している岩カラミの一部です。陽当りの良い強羅公園に這い出している部分は見事に白い花をつけていました。
強羅公園は薔薇が咲いて夏椿も咲き始めていました。薔薇が日向の花なら岩カラミは日陰の花です。幸い地震も静まって観光客も戻って来ています。強羅公園をはじめ伊豆箱根鉄道の施設内では紫陽花の鉢植えを販売しています。今年はダンシングパーティーが人気のようです。
紫陽花は花が終われば強めに選定をします。伐採枝はそのまま火山灰土に挿し木すれば発根して来年は販売できます。鈍翁さんの商才は伊豆箱根鉄道の企業文化に根差して日本最初のホームセンター(ビーバートザン)になりました。東急ハンズよりズット先行しましたが。ドミナントエリアが狭いのが不幸でした。
でも紫陽花の伐採枝を挿し木にして鉢植えを販売するそんな姿勢に共感を覚えます。
イメージ 9
これが今年人気だったダンシングパーティーです。もうお終いなので半額の1500円で廉売していました


ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。
6月30日箱根登山鉄道に乗って強羅まで登りました。強羅でバスに乗り換えて仙石原の箱根湿性花園に向かいました梅雨明けが待たれるこの季節仙石原は黄菅が彩るのです。テレビでは日光の戦場ヶ原や尾瀬の日光黄菅が映し出され、ハイカーは黄色の絨毯に誘われて高原の湿原に向かいます。我家からでは日光も尾瀬も遠いのですが、箱根の仙石原は手頃な距離にあるのです。
仙石原は近い事に加えて黄菅の種類が違います。仙石原は夕菅が自生しているのです、日光黄菅に較べれば色が淡くて儚げなのが夕菅です。萱草(ワスレグサ)夢も日光黄菅も夕菅も同じユリ科の植物ですが萱草、日光黄菅、夕菅の順に色が淡くなります。この黄菅三姉妹はどれも一日花です、でも少しだけ咲く時刻がズレています。陽が昇るのを待って咲き出すのが萱草や黄菅ですが。夕菅だけは陽が沈み月が顔を出す時刻に咲き出します。
昔藤圭子が「夢は夜開く」を唄ってスターダムに上りましたがこの流行歌を夕菅を髣髴しながら聴いたものでした。
『赤く咲くのは芥子の花
白く咲くのは百合の花
如何さきゃ良いのかこの私
夢は夜開くの』
歌詞でしたが
朝に咲くのは百合の花」
夕べに咲くのがを夕菅で
夢と同じで夜開く
過去はどんなに暗くても
夕菅は夜に咲く。
そんな次第で強羅から仙石原に向かいました。強羅からケーブルカーで早雲台、早雲台からはロープウエーで湖尻に向かうのが小田急グループの観光ルートなのですが大涌谷の噴火以来ロープウエーに代わってバス便がメインのようで強羅にはバス待ちのお客が多くいました。
イメージ 1
これが六月末の仙石原湿性花園です。遠くで光っているのがススキの原で手前が湿性花園です。紫の花は菖蒲でもうじき一面に夕菅が咲き出します。今回も少し早すぎたようでした。
大きな期待をもって夕菅を観に来たのでしたが夕菅は未だ咲き出したばかりでした。それでも樹の下闇にはササユリが咲いていましたから満足でした昨年の今頃は沼田の弥勒寺でササユリを見つけましたし。木の下闇でササユリを見つけるとかぐや姫に会ったような感動が在るものです。
イメージ 2
夕菅には時期尚早でしたが期せずして笹ユリを観る事が出来ました。


笹ユリも立ち擬宝 珠も松本仙翁も咲いている山野草と案内板を見比べて覚えました。
花は名を覚えると急に親しくなったような気になるもので不思議です。山野草の名を知るのはクラブやお座敷でお姉さまに名刺や千者札を貰ったような気になるものです。クラブのお姉さまの名前は直ぐに忘れてしまうのに山野草の名は覚えてしまう、モノです。屹度名前の謂れを考えて自分なりに納得するからでしょう。
イメージ 3
これは立ち擬宝 珠の花です。名は擬宝 珠の仲間で背が高いからでしょう。
イメージ 4
これは松本仙翁です。「仙翁」の名は京都府嵯峨の仙翁寺に伝わったことに由来して松本は長野の松本では無くて花の形が歌舞伎役者の松本幸四郎の紋所(撫子)に似ているからでしょう。
ところで肝心の夕菅は湿地よりは少し高い位置に咲き始めていました。夜に咲く夕菅でも陽当りの良い所から咲き出すのは少し天邪鬼な性格なのかもしれません。
イメージ 7
湿性花園の中でも陽当りや水捌けの良い高い場所に夕菅は咲き始めていました。
帰りの電車は平塚に停まります。期末試験を終えた高校生が大挙電車に乗り込んできました。もうじきこの街も七夕祭りで大賑わいすることでしょう。其処頃には高校生も浴衣に着替えて街に繰り出すことでしょう。家ではワイフが笹竹を伐って来ました。「今年も笹飾りをしましょう!」言っているようです。去年の短冊を出してきました『独立歩行』と書いてあります。私は未だぎこちなくても一応は独立歩行も可能な状況です。今年は天の皇帝に何を祈願しようか?考えて「来年も仲間と旅行を楽しみたい」思って短冊を作ってみました。来年は富山の八尾に風の盆を観に行く予定です。そこで”。”来年も共に行きたい風の盆”と添えてみました。風の盆で踊り手の被る傘が菅笠であることに気付いてもう一句”菅笠に秘めたる女風の盆”と加えてみました。
イメージ 5
風の盆2句が今年の短冊です。独立歩行は去年の短冊でした。
イメージ 6
キンカンは湿性花園で足を虫に刺されたので出したものです


ブログランキングに参加しています。
応援クリックお願いします。

全115ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
yun**ake200*
yun**ake200*
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

ブログバナー

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事