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昨日は白妙菊の葉を天麩羅にした事をアップしました。「何か食えそうな草は無いかな?「庭を物色する我が姿は如何なるものか?」自問自答します。でも食い気は何よりも強い欲望ですし、楽しみです。良く「最初にナマコを喰った人は偉い」云われますが、私の様に好奇心の強い人が食材を広げていったのでしょう。その内に「水に晒すと毒が消える」とか「火に焼くと美味しくなるうえに、消化に良いし、寄生虫や細菌が死ぬ」事実を発見したのでしょう。我家の北側には「ドクダミ」が生い茂っています。
我家北側の建物基礎部分を覆い隠すように生えたドクダミ今が花の時期です。
我家の西側に在る今は使われていない道は何時の間にか「ドクダミの花園」に化していました。
ドクダミの花園のアップ写真、ドクダミは笹やセイタカアワダチソウや臭木(くさき)の若木を圧しています。
西側には現在使っていない道が在って(公図上の青道)があって見下ろすと一面ドクダミが生い茂っています。「ドクダミ」は「毒矯み」(毒を抑える)と書くのでしょう。漢方では十薬(じゅうやく、)と呼ばれ、十の病気に効果が在るという意味です。ドクダミの煎液には利尿作用、高血圧動脈硬化の予防作用などがあるとも云われます。漢方薬局はドクダミが幅を利かせています。
此れは富山の漢方薬の老舗「山本漢方製薬」のドクダミ茶です。写真出典同社HPhttp://www.kanpo-yamamoto.com/shop/detail.php?pid=130最近はTバック32包680円で販売されていますので便利になりました。急須が不要になったのです。
私は中高生の時代を通して「蓄膿症」を患いました。通学の帰路鎌倉名越の耳鼻咽喉科医院で洗浄等の治療を受けていましたが、最も期待されていたのがドクダミを煎じて飲んでいました。ドクダミの匂いは家中、時には庭先まで漂う強烈な臭いで嫌なモノでした。居間には常滑焼のドクダミを煎じる専用の急須が在りました。
孫が鼻水を垂れていると私の悪い体質(鼻中隔湾曲症)が隔世遺伝したのではないかと気懸りです。庭や通路のドクダミを視ていると様々な記憶が想い起されます。白い花弁は十字架で中央に黄色い雌蕊が付き出しています。キリストの磔刑を想わせる姿です。
此れは常滑焼(瀬戸)の急須です。私の記憶している形、色です。写真出典ヤフーショップhttp://www.chaichiworks.com/SHOP/teapot_syukei_17000.html18000円
裏庭に自生しているドクダミを摘んで日陰干しして、持病の万能薬にする光景は昭和の家族でした。急須も消えてTバックや粉末薬が幅を効かせて、昭和は遠くなりました。でも、漢方薬には副作用も無いし、持病を完治させるには漢方薬が見直されているのも事実ですし、社会も昭和を懐かしむ以上に「安全で、平和で、元気な社会」として再評価されているのも事実のようです。
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花ウォーキング
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ウォーキングしながら、路地裏で、里山でひっそりと咲く花を見つめます。花を愛でた先人の思いや息使いを文学に探します。
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5月17日横須賀の歯医者に行くために、横須賀線の車窓を視ていました。鎌倉駅の直前の踏切では線路脇に「立葵」が咲き出していました。鎌倉駅を過ぎて「名越の踏切」からは長勝寺の山に泰山木が咲いていました。そこで5月22日ワイフを誘って鎌倉に向かいました。
横須賀線の車窓は文学にも再三登場します。芥川龍之介の「蜜柑」も一般には名越の踏切」が舞台であろう、云われていますし、鎌倉駅のホームから見えるホテルも「鶴は悩みき/岡本かの子」の舞台と云われています。
此れは鎌倉駅の駅舎です。時計塔の印象的な駅舎は1916年(大正5年)に2代目駅舎として竣工したモノ、昨年JRから全面建て替えが発表され「この時計塔が消えるのか?」と惜しまれています。
私達は鎌倉駅西口から線路沿いに北に歩き始めました。私が中学生の頃、ホームから眺めていて、幼友達がこの細道を歩いているのを見つけました。手を振ると幼友達も手を振り替えしてくれました。万葉時代には「手を振る」行為は男性から女性への好意の表現でした。一方女性は手を振られたら「良いわよ!」返事は袖を振りました。現代は「手を振る仕草は”さようなら”を意味し、袖を振る事は”断る”意味です。千年の間に全く逆の意味になってしまいました。
此方は安田 靫彦(やすだ ゆきひこ)画伯に依る額田大女の図/恋人の大海の皇子に手を振られた額田王女は袖を振って応じます。
鎌倉駅西口を出て幼友達が手を振ってくれた細道を北に(雪の下)に向かって歩きます。この細道は何時も賑わっている「小町通り」の抜け道でもありますので意外に通行人が多いのです。加えて工事用の軽トラが追い抜いて行きます。車は北向きの一方通行なのです。「こんな狭い道を!」怪訝に思って観れば喫茶店を新築しているのです。小町通りが満杯になったのでこの細道が開拓の標準になっているのでしょう。
線路脇には桑の木も在って実が熟しています。ラズベリーも美味しい季節です。
線路脇には紫陽花も色ズンできました。
想い出に浸りながら立葵を眺めていると横須賀線が通りました。立葵は風に吹かれて激しく左右に揺れます。立葵の姿を視ていたら額田王女が大海皇子に激しく袖を振る姿を髣髴しました。
電車が行き過ぎると立葵は煌煌と青空に向いて立っていました。観察すれば根元から花が開き始め次第に頂に向いて咲いています。今咲いているのは「一番花」です。キリンビールのCМではありませんが菖蒲も立葵もアヤメも二度咲きします。一番花が一番綺麗です。二番花になると容色は衰え一番花の枯れ花が邪魔するのです。一番花が「下から上に向いて咲くのだから、二番花は逆に上から下に向いて順番に咲くのかな?」疑問に思いました。観察するより他無さそうです。何歳になっても自然は疑問を投げかけてくれるものです。
立葵の一番花は下から開花し始め、頂に向いて順番に咲きます。一番上に行ったら二番花は上から下に順序良く咲くのでしょうか?
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昨日は横浜の「港の見える丘公園」の薔薇の花を書きました。今日はもう一つ見事な薔薇を満喫したので書いてみます。実は5月17日(木)に突然歯茎が痛くなったのでした。そこで、18日(金)に田浦の田沢歯科医院に往きました。医院の前がバス停留所です。バスに乗ったら、横須賀港に行きたくなりました。港で「海軍カレー」を食べる気になったのでした。
これが私の歯医者さん田浦の「田沢医院」さんです。左の入り口の中階段の踊り場に燕の巣が在ります。院内の壁にはカゴメの折り紙が貼られています。田沢院長は50代のサーファーです。
バスで5つも東に行けば横須賀駅のバス停留所です。バス停を降りて横須賀線の踏切を渡れば、軍艦が幾つも停泊しているのが見渡せます。此処が横須賀港で軍港を見渡す高台に海軍学校や司令部が建っていました。横須賀線は明治天皇が海軍を閲兵するために作られた鉄道ですから、横須賀駅を降りたら平面を歩いて軍艦にも乗れるし、海軍司令部建物にも入れるように設計されています。
その軍港と市街地の間は渚ウォークという名の遊歩道が整備されていて「ヴェルニー公園」という名の薔薇の公園が整備されています。ヴェルニーとは幕末に幕府がフランスから招聘した技術者でした。「横須賀造兵廠」や「横須賀海軍施設ドックや」「灯台」その他の近代施設の建設を指導し、日本の近代化を支援した人物です。
右の二つの塔は旧海軍の守衛門です。此処を通らないと旧海軍施設に入れませんでした。
ヴェルニー公園内に在るヴェルニーの胸像 此れは「ヴェルニー記念館」です。右奥の送信塔のある建物が海上自衛隊の司令部でその庭先は戦艦が停泊している埠頭に繋がっています。毎年6月になると市民が見学出来る祭りが開かれます。
ヴェルニー記念館の室内手前は鍛造機械向こうのベンチでは説明を受けているグループが居ました。
左が鍛造機械の足許説明パネルには「スチームハンマー」とされていました。大砲をぶっ放しても大丈夫な製鉄をする為の機会でした。
ヴェルニー記念館を出ると目の前に大砲の筒が出現します。これは此処で作られた「戦艦陸奥」の大砲だそうです。 戦艦「陸奥」を始め「三笠」等日本の近世を演出した軍艦は横須賀で作られました。ヴェルニー記念館にはそうした戦艦の模型を展示してありますし、ヴェルニー公園の園内には「戦艦碑」が幾つも建っていて、時折戦艦碑の前に関係者が集まって慰霊行事が催されていたりします。
これは「戦艦長門の碑」です。 ヴェルニー公園には幾つもモニュメントが在ります。幾つもの「戦艦碑」を巡って一回りすると二人のブロンズ像の前に出ます。一人は前出の技師「ヴェルニー」の像でその右隣りに髷を結った武士が居ます。幕府側の技師であった「小栗上野介」像です。作ったのは朝倉文雄で発注したのは「大倉重信」でした。佐賀藩士だった大隈重信は小栗上野介に共感するところが在ったのでしょう。
戦艦陸奥や長門がどんな最期を遂げたのは私は知りませんが、長銀に採用された頃の役員には海軍ОBが数多く居られました。私が不織布でカレンダーを作った時に常務に呼ばれてアドバイスされた事がありました。「カレンダーの絵柄は歌麿の美人画でしたが。美人が手にしていたのが美濃紙の様な和紙でした。「銀行のカレンダーに和紙を持った美人画は好ましくない」指摘でした。あの常務は黄泉の向こうで現代の世相を嘆いていることでしょう。横綱は立会いで手を付かないで張り手をかましますし。「アメフト」では「相手を壊す危険タックル」を奨励しました。東郷平八郎の様な精神は忘れ去られてしまったようです。
先日行った港の見える丘公園では黄色い薔薇が目立ちました。一方横須賀ヴェルニー公園では赤いバラと白いバラが目立ちます。”矢張り薔薇は紅白だな”思いながら見詰めました。そう想うと「ばら戦争」も紅白の薔薇の戦いでした。
ヴェルニー公園の薔薇。向こうの建物はシュッパーズ・プラザ横須賀です。ダイエーが倒産して今はニチイです。
向こうの建物は横須賀駅です。
JR横須賀駅の水兵さん「海軍カレー」でおもてなしです。どぶ板通りに行けばハンバーグです。
横須賀に出た目的は「海軍カレー」でした。ヴェルニー公園内には昔からレストランが在ります。
ヴェルニー公園内のレストラン名物はハンバーグと海軍カレーです。
レストランでカレーを食べようとして躊躇しました。毎年海上自衛隊は戦艦公開を8月初めに実施しているのです。私はJRのお知らせを注意して戦艦公開に参加します。記念グッズを購入するのも楽しいし、団扇も貰えます。埠頭の屋台ではカレーも食べられます。昨年は女性自衛官が艦長ッでビックリしました。意外に男女の雇用均等は自衛隊の方が進んでいる様に見えましたし、女性艦長は断然格好良いのです。
レストランのカレー(1200円)が高いとは思わなかったのですが。ショッパーズ・プラザ横須賀内のタイレストランはリーズナブルな価格設定だった記憶が蘇りました。 此れはショッパーズ・プラザ横須賀内のタイレストラン、ランチセットはオール880円で+100円でマンゴジュース等に代えられます。
タイ風カレーも美味しかったし、歯痛も治りました。横須賀駅に戻ってJRで帰路に着くと女学生が沢山乗り込んで来ました。女学生の夏服を視ながら想いました。「何故日本の女学生は水兵さんの服を女学生の制服にしたのでしょうか?」ベトナムに行けば白い「アオザイ」を着た女学生が颯爽と自転車で通学しています。韓国に行けばチマチョゴリの制服を期待するのですが。滅多に見ません。大概は「ブレザー+スカート」です。逆に日本に在る朝鮮系学校が頑なに「チマチョゴリ」の制服を着ています。
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パソコンにばかり頼っていると。ドンドン字が書けなくなってしまいます。「毎日が日曜日になってから、敬語が使えなくなってしまったのに似ています。せめて手紙や葉書はワープロを使わずに自筆にしようと思って古い万年筆を取り出した処スペアインクが無くて断念してしまいました。一時は10万円もしたモンブランの万年筆をこの際売却して1万円の国産万年筆を買い替えようかと思ったりします。有隣堂の友人に話して、「古い文房具の買い取り事業を始めないか?」提案したいと思います。勿論、下取り事業の他に買い取った万円筆のオーバーホールをして販売もします。
せめて「薔薇」の漢字を書けたら「格好いいな!」思って薔薇の字をじっと見ました。
薔薇の字は「薔」も「薇」の字も草冠です薔は草冠に「土」「人人」と書いて、口の中に口を書ケバ出来上がりです。一方「薇」の字は草冠に微笑の「微」の字を書けば良いのです。次回の日文研セミナーで私は「厄除けの民俗学」と題して発表の予定です。ホワイトボードに薔薇の漢字をスラスラ書いて「厄除けの真言には護摩を焚きます。『護摩木は香木で古代人は白檀を使いました、現代人なら薔薇でしょう』話してみたいと思います。屹度友人たちは驚く事でしょう。何時も「お前のブログは視ているが誤字はどうにかならないのか?」言われているのですから・・・・。
さて前置きが冗長になってしまいました。薔薇の季節になれば薔薇を観に行きます。ワイフと相談して何処に行こうか?迷いました。薔薇の名所が多いのです。昨秋は氷川丸見学と併せて「山下公園」の冬薔薇を観ました。今春は横浜市民らしく「港の見える丘公園」に行く事にしました。
これは港の見える丘公園バス停留所前にある「ゲーテ座」の壁を這う蔓バラです。
此れは「港の見える丘公園」に隣接した山手111番館の前庭の薔薇。此処では喫茶食事をとれます。
丘の上の建物は1937年に英国総領事公邸として建てられました。ロビーにグランドピアノを置いていますので。ピアノや合唱の発表会場として利用する事も出来ます。
坂の上煉瓦の建物は大仏次郎文学館です。
大仏次郎文学館と港の見える丘公園の薔薇園の境に在る印パチェンスの花壇。
大仏次郎文学館から薔薇園に入る、向こうの丘から港が一望できます。
薔薇園は昔に比べると黄色い薔薇が多くなりました。青が貴重種だったり。薔薇の花にも流行が在るようです。今は黄色が人気なのでしょう。
少女にはピンクの薔薇が似合う様に思います。
午前中はワンちゃんの社交場の様な薔薇園でした。
「赤い靴バス」の発着場にある噴水周りの植え込み。此処で横浜駅行きのバスを待っているのも楽しい時間です。
春に咲く薔薇は色が綺麗です。そして花数も多いし、大輪でもあります。一方秋に咲く薔薇は種子を残すことに懸命で色の鮮明さは劣りますが、香りが素晴らしいのです。冬薔薇と云えば寒風の中霜焼けになりながらも気高く咲く美しさを直感します。屹度香りを取るのは秋咲きの薔薇でしょう。秋咲きの薔薇が良いか春咲きの薔薇が良いかそれは各人の好みでしょう。我家では新築の頃は薔薇を垣根に栽培しましたが樹木が成長して何時の間にか消えてしまいました。今は鉢植のミニ薔薇で慎ましやかに楽しんでいます。大輪の薔薇、立体造形の薔薇は公立の公園で精々楽しむ事にしましょう。
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畑を借り始めて約1箇月が経ちます。現在は胡瓜に茄子にゴーヤを植えてあります。薩摩芋も予定して畝は耕してあるのですが、苗が未だ芽吹いていないのでので未だ植えて在りません。日陰にお芋を横にして何時でも芽吹いたら苗を採取する準備はしてあるのですが・・・・。
私が薩摩芋の苗を採る為日陰に置いたお芋(上が安のう芋下が金時芋)外気温が15度にもなれば芽吹くはずなのですが、この芋は若しかしたら「芽吹かない様にエックス線処理されているのかもしれません?」
友人の話では「コーナン」の花・鉢売場に「芋の苗が売り出された」というので5月21日に出かけてみました。コーナン戸塚店は大阪台に在ります。我家からは不便な立地です。でも芋好きな私ですから、今買い求めないで居られません。今週後半は雨の予想です。雨が降る前に苗を植えるのが成功の秘訣です。
戸塚の大阪台道は旧東海道。2キロ先が戸塚宿です。坂の上が「大坂上」でその先に遊行寺坂になります。昼顔が咲いているので明日(22日)からは天気は下り坂です
私はバスを乗り継いで大坂台に出かけました。大阪台は、戸塚駅前から西に旧東海道を2キロほど行った処に在ります。昔は黒松の松並木が見事な街道でした。何しろ美人画家の「鏑木清方」画伯が態々戸塚駅で下車されてタクシーで鎌倉雪の下のご自宅に向われたそうです。
大坂台にある旧東海道の案内板「松並木」が名物であった事を記しています。現在は横浜新道に続く東海道は往時より10メートルも掘り下げているので坂は低くなっています。高台ですから見晴らしの良いマンションが林立しています。
大坂台に集められた庚申塔群昨年新しい石仏(手前/聖観音)が祀られました
庚申塔は戸塚宿の「上方見附」の位置にあって、正暦年間(左)元禄年間(右)と云った庚申塔の最盛期に造立されています。奉納者は内田・渡辺と云った戸塚宿のリーダーが揃っています。
「大阪台の美しい松を視たくて下車された」そうです。でも、私には大阪台には嫌な記憶しかないのです。誰にも苦手な場所というものが在るようです。私の父は蛇坂が嫌いでした。私が父を車の助手席に乗せて藤沢方面に出かけようとした時でした、我家から最短の道は蛇坂を上って吹上の交差点に出て、左折すれば良いのでその道を行こうとすると「父は蛇坂は通らないで行こう!」云うのです。訳を質すと蛇坂の崖に瀧があって父が未だ小僧の時代に瀧の脇で幽霊に遭遇したというのです。子供時代の記憶がトラウマ(心的外傷)になって老人になっても自由になれないでいたようです。私の兄はお稲荷さんが苦手で兄の言葉では「運動会の弁当にお稲荷さんを食べるまでは順調だったのでしたがお稲荷さんを食べた途端に腹痛、下痢になってしまい、以来油揚げもお稲荷さんも食べられない」というのです。
メンタルには私より撃たれ強い父や兄でしたが、思いもよらない弱点が在ったモノです。
私は大坂台が苦手でした。というのは大坂台に「粉屋」が在ったのでした。小麦や餅米を粉に曳く時はリヤカーに小麦や糯米を乗せて大阪台迄運んだのでした。母がリヤカーの前を引き私はリヤカーの後ろを押しました。と云っても私の出番は大阪下から)大阪台まで本の100m程度で、大半は荷台に乗っていれば良かったのでした。
大坂台のバス停留所からの眺め、マンションの手前の下多屋(トタン屋根の上にブルーシートが載っている)が粉屋でした。寂れているのは兎の命を奪った祟りでしょうか?
大阪下に着くと荷台から降りて)リヤカーを押さなくてはなりません。当時は国道1号線と云っても凸凹の悪路で)リヤカーの後ろは前方が見えません。突然に滑って膝小僧を擦り剝く事が再三ありました。
此れがリヤカーです。現在の軽トラでした。リヤー(後ろ)に動力が在る車の意味ですから、後押し役が重要で大変なのです。写真出典ウキペィアhttps://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RCK_wPTQNbr3EAyQAdOfx7;_ylu=X3oDMTBiaGxjcmduBHZ0aWQDanBjMDAy?p=%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%BC&aq=-1&oq=&ei=UTF-8
粉屋では粉に曳きあがるまで待たなくてはなりません。その間、粉屋の物置に行って時間を潰しました。物置には鶏小屋と兎小屋が在りました。粉屋は出来損ないの粉やフスマを廃物利用してヒヨコや小兎の販売もしていたのでした。私はヒヨコや兎を物色して買ってもらい、家で林檎箱で作った兎小屋やヒヨコ小屋で育てました。愛情をこめて育てた鶏も兎も大きくなると鶏は食肉に兎は毛皮になってしまうのでした。それが悲しくて、粉やは好きになれませんでした。肝心の「」コーナン」ではお芋の苗は売り切れでした。次の入荷は未定だそうです。雨が降ったらお芋は外に出して濡らせてあげましょう。そうしたら発芽するかもしれません。今秋の農作業は南瓜の苗植えだけにしましょう。
此れがプランターに撒いて作った南瓜の苗です。既に畑に地下植えのサイズです。
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