|
横須賀線の車窓から鎌倉の街並みを視ていて確認しました。今年も泰山木の花が咲き始めました。長勝寺の甍の遥か上に泰山木が咲いていました。我が生家にも泰山木が在ったのですが、台風で幹が折れてしまいました。成長が早く大きな白い花はお寺を荘厳するには適当なのですが、幹が折れやすのは困ります。以前から気になっていた大木が在ります。それは上野の国立博物館の玄関横にある「百合の木」です。国立博物館内のレストイランは「ゆりのき」ですし、博物館のマスコット『ユルキャラ」は「ゆりのきちゃん」と「埴輪君」ですから、「百合の木」は国立博物館のシンボルです。再三出掛ける国立博物館ですから、楽しみの一つは「百合の木」の壮大な姿を眺める事です。
上野国立博物館で展示された(名作誕生」を見学に出かけました。
「名作誕生」の最大の展示は唐招提寺の木彫立像群でした。写真は朝日新聞
上野の国立博物館の玄関左に在る巨木が「百合の木」です。池の手前に在るユルキャラが「ゆりのきちゃんと埴輪君です。
「百合の木」の下にはベンチが在りますので緑陰を楽しむ事が出来ます。
この「百合の木」は誰が何時植えたのだろうか?何時も考えていました。江戸時代の浮世絵で寛永寺を視るとこんな巨木はありません。国立博物館は明治5年に万国博覧会会場として設立されたものですから、設計した「ジョサイアコンドル」が植えたと考えるのが自然でしょう。という事は英国には百合の木が自生していたのでしょうか?そう想って「百合の木」を視ると樹形は菩提樹に似ていますし、葉っぱはプラタナスと同じようです。インターネットで調べると幹回り6メートル樹高24m樹齢140年と出ています。http://senshoan.main.jp/koboku/tohaku-yurunoki.html明治8〜9年頃渡来した30粒の種子から育った1本を、が明治14年にこの地に植えたものと案内されています。
上野国立博物館を訪れるのは晩秋から早春が多いので、肝心の「百合の木」の花は未だ観た事がありません。名前からして「百合」の様な花が咲くのでしょう。色は?香りは?気になる事が沢山あります。一度は見てみたいと思っていたら、「名作誕生」展が開催されていましたので、出かけると幸運なことに「百合の木」の花が咲いていました。
百合の木を見上げると梢の先に百合に似た黄色い花が咲いていました。百合の木は町田の「国際版画美術館」の並木にも使われていますので、菖蒲の咲く頃出駆けてみようと思います。
百合よりもチューリップに似た花です。
上野の国立博物館は日本人が歴史を重ねて製作した珠玉の美術品を展示しています。その玄関に「百合の木」を植えたのは賢明な事だと思います。明治の初め日本人の外貨獲得の第一は生糸であり、第二は百合の花でした。そして、明治政府は日本の匠の超絶技巧を奨励しました。ジャポニズの人気が在った事に加えて伝統技巧が外貨獲得の武器になったのでしょう。博物館もそんな外貨獲得の施設として建設されました。百合の木が大き過ぎて日陰になってしまった桜は枯れてしまいました。枯れた桜の跡には萩を植えました。萩も良いのですが私は矢張り「百合の木」の根元の花壇には「百合の花」が適当だと思います。勿論外貨獲得をしてくれた「山百合」も良いのですが日陰でも健気に咲く「笹百合」を育てて欲しいのです。6月17日には奈良の卒川神社(いさかわじんじゃ)で三枝祭が営まれます。主役は美しい巫女さんですが、巫女さんが手にして舞うのは三輪山の山中に咲く笹百合です。
友人に相談して一緒に行きたいと思っています。
|
花ウォーキング
[ リスト | 詳細 ]
ウォーキングしながら、路地裏で、里山でひっそりと咲く花を見つめます。花を愛でた先人の思いや息使いを文学に探します。
|
福島の相馬では藤が咲き始めていました。福島の帰路車窓には小山駅を通過しました。この小山駅で下りて両毛線で暫く高崎方面に行けば足利です。人気の「フラワーパークの大藤」は今年も見事に咲いたでしょうか?功績のあった女性園長は引退されて故郷の静岡l浜名湖の岸辺にフラワーパークを建設しているそうです。
そんなことを考えながら帰宅すると4月27日の朝刊に「足利フラワーパークのチラシ」が入っていました。藤の花房のカーテンを視ていると。もう行かずばなりません。ワイフを口説いてイソイソとお出かけです。チラシを熟読すると入園料が日によって変わるようです「変動入場料は藤の花の開花状況によって変るようです。藤の花の盛りは1800円ですが、4月28日は1400円だそうです。もう盛りは過ぎたのでしょう。変動入園料と云うと富士急の河口湖湖畔高台にある「ホテルマウント富士」を想い出します。富士山が見えないと宿泊料の一部が無料になるのです。変動入場料を導入した園長の主婦感覚がこうしたソフトな経営手法を導入させたのでしょう。勿論”「一番綺麗な時」に観て欲しい”と云った親心が在ってのことでしょう。
車窓からは一面の麦畑が観られます。栃木県は麦と米の二毛作地帯です。麦秋の収穫を終えたら、すぐに田に水を引き入れ田植えをしなければなりません。農家は麦の収穫と田植えに忙しいのです。
栃木県小山周辺の田圃は麦秋を迎えた上の準備に忙しいのでした。麦畑に降りれば雲雀が啼いているのでしょう。
「足利フラワーパーク」は元々は栃木県足利市堀込町に 在った河川敷きで「早川農園」 として1968年に開園した 「250畳の大藤」を看板とする「藤の花園」でした。都市開発の為 1997年に現在の足利市迫間町に移設し、「あしかがフラワーパーク」 としてオープンしました。
小山駅の乗り換え通路に貼られていた足利フラワーパークの案内。「大藤や紅藤は終わってしまいましたが白藤や黄藤は盛りであると」、伝えていました。
元々湿地帯だった場所に移設した為、園内には 250トン を超える量の炭を敷き詰め、土壌の浄化、活力を高め、すべての生命体の活性化を図りました。園内の拡張整備も進み、現在は 94,000㎡ の敷地面積となっています。
現在の 園のシンボルである大藤は日本の女性樹木医第一号である「塚本こなみ氏」によって静岡から移植され、大藤(当時樹齢130年)の移植は前例がなく常識を超えた移植プロジェクトに全国から注目を集め、日本で初めての成功例となりました。 名物の250畳の大藤に祀られた祠はこの場所が渡良瀬川の河川敷であった事を留める「水神様」です。
足利フラワーパークの周辺地は開発前の河川敷で湿地帯であった時代の面影を残しています。河川敷きは長岡の「千秋が原」もそうですが「ツツガムシ病」の宿主である鼠の棲息する危険地域でした。渡良瀬川河川敷は「足尾鉱毒事件)の被災地でもあって栃木県民の辛い想い出の地ですがフラワーパークの成功で、負のイメージが一変しました。メタンガスの発生していそうな湿地で鴨の夫婦が遊んでました。
6年も前に観に行った時偶々塚本氏が案内していましたが、良い仕事をした人は良いお顔をされていました。静岡県は小堀遠州を始め庭園や樹木に関して長い伝統がある事から、塚本氏のような人物を輩出したのでしょう。
大藤は盛りを過ぎていましたが1mも在る花房の下半分は未だ綺麗でした。
八重の藤は未だ見頃でした。観ていると山梨の「巨峰」を食べたくなりました。池の向こうの赤い花は「マロニエ」です、和名は「栃の樹」ですから栃木県の樹です。マロニエも桐の木も上に向いて花房が出来ますが、日本人には藤の様に下に垂れている方が好みのようです。
大藤 4本 ( 野田九尺藤 3本、八重黒龍藤 1本 ) と 80m におよぶ白藤のトンネルは栃木県天然記念物に指定されています。 四季折々、数多くの花々で彩られており年間で 150万人 以上の来園者が訪れているそうです。私達の行った日も、平日と云うのに大変な混雑で、外国人観光客が多いのに驚きました。 両毛線に新駅「足利フラワーパーク」が出来たので首都圏からは格好の日帰り旅行のターゲットになりました。
足利フラワーパーク駅の真ん前がフラワーパークです。向こうのテントは入園者を足利市街に向けようとする観光案内所です。テントの横に「足利学校」行のバスでもあれば、良いのですが。私達は桐生に向かって食事をし、旧市街地を見学しました。「佐川急便」は「小荷物一時預かり」と花木の販売をしていました。
薔薇も盛りでした。薔薇の向こうの大木は桐の木です。桐の花はマロニエに似ていると思いました。
黄藤が盛りでした。
マロニエに黄藤の花
これは白藤が屋根になった橋です。橋の上で皆が池を観ているのは睡蓮を視ているのかと思ったら違いました。明日は皆が観ていたモノを書きます。
池の淵に咲いていた黄色いキスゲの花。向こうは黄花菖蒲です。手前の黄色い花は「夕菅かな?」思いましたが。屹度西洋の花なのでしょう。花の名を教えてくれると良いのですが。
|
|
鎌倉の海蔵寺は花の寺です。桜が終われば「海棠」が咲きます。秋には石段を瀧のよう名萩の花が埋めます。その石段の階に菫が咲きます。剃刀の刃も通らない隙間の無い石積みです。初めて観た時には「こんな隙間に良く菫の種が発根したモノだ」不思議に思いました。
此れは池袋にある熊谷守一美術館のコンクリート外壁に使われた守一氏の蟻のデザインです。此処は守一氏の「終の棲家」で欅の樹の下に筵を敷いて一日中蟻を観察していたそうです。
でも深夜ラジオで山野草は知恵があって菫の種は蜜が付いているのだそうです。蟻が甘い菫の種を探して巣に持ち帰った結果、石積みの僅かな隙間から発芽したのでしょう。
此れは海蔵寺の石積みに咲いた菫です。以前次に書きましたhttps://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/17926434.html
菫の花を思いがけない処で探すのは楽しい事です。山道で見かけるのは普通な事、石積みの隙間やコンクリートの割れ目で見つけた時には「良くぞこんなところに!」誉めてあげたい気になります。私は目線を下げて歩きます。舗道のアスファルトの割れ目に一列今年も匂い菫が咲きました。
我庭にも菫が今年も咲き出しました。引っ越しした頃は庭中に菫が咲いていたのでしたが樹木が成長するにつけて菫は消えてしまいました。菫は日向が好きで日陰になった途端に他の雑草に負けてしまったようです。其処で3年前生家の裏山に行って立壺菫を採取して菊鉢に植えました。菊蜂を菫を植えたい処に移動させる作戦です。鉢で咲いて種が散れば、其処に菫が発根する事でしょう。
これは野原で採取してきた「立壺菫です。鉢をアッチコッチ移すことで種が散って置いておいたところから新しい芽が吹いて来ます。
此方の匂い菫も採取してきてプランターに植えたモノです。陽向に置いておけばドンドン株が増えます。ワイフも良く水遣りしていますが・・・・。
菫と云えば「三色すみれ」やビオラを想い出します。「パンジー/三色菫」と「ビオラ」は良く似ています。花の大きいのがパンジーで小さいのがビオラです。菫の園芸種が「パンジー」で花数を増やしたのが「ビオラかと思っていました。でも庭でワイフが咲かせた「パンジー」と野生種の「匂い菫」や「立壺菫」を視ていると明らかな違いがあります。野生種は俯きに咲いているのに対し、パンジーは上向きに太陽に向いて咲いています。野生種は地面を這いつくばって生きている蟻さんにアッピールしているように見えますそれに野生種の菫は多年草です。一方パンジーは一年草ですから毎年秋になると苗を買わなくてはなりません。私の習い性で両者の違いが無いか?花弁の数を数えてみました。期待に反してパンジーも菫も花弁の数は5枚でした。唯パンジーの花弁は5枚でも、夫々大きいのに対し、菫の花弁は下の2枚が大きくて(舌弁)あるのに対し他の3枚は(側弁)は小振りなのです。そして全体として筒状に見えます。下向きである事に加えて筒状である事から控えめでお淑やかに見えます。宝塚のお嬢さんの袴姿を想わせる女性美です。
日本女性の美しさや強さは「撫子」に譬えられますが、撫子よりも「菫」に譬えた方が良い様に思えます。こんなに可愛い菫ですから、万葉人が恋を託すには最適です。
先輩に戴いた「万葉花」のページを括ってみました。屹度「大伴家持」「坂上郎女」の歌に在りそうだと思っていた処、意外にも「山辺赤人」の歌が載っていました。
此れは矢富巌夫著「万葉花」の菫のページです、注書きによると壮大な歌が多い赤人が可憐は菫を4首も歌っているのだそうです。
春の野に すみれ採(つ)みにと 来(こ)しわれそ
野をなつかしみ 一夜宿(ね)にける 大意は次のようなものでしょう。
春の野にすみれを摘みに来たのだけれど、懐かしさのあまり、つい一夜を明かしてしまった
万葉人も現代人も菫を愛しています。菫も環境こそ激変してもしなやかに生き抜いています。
|
|
2.26事件の日は都心は大雪だったそうです。政商と政治家の癒着を危惧した近衛師団の青年将校は、1936年(昭和11年)2月26日クーデターを遂行しました。3月21日は都心は寒くて降雪しました。近衛師団司令部庁舎(現近代美術館工芸館)を出て私達は北の丸公園の淵を歩いて千鳥ヶ淵を見下ろす皇居内堀を歩きました。平川門前には紅枝垂れが咲き始めました。紅枝垂れは屹度私と同じ年齢でしょう。少し疲れて来たようですが矍鑠として濃い桃色の花を咲かし始めました。
向こうの門が平川門です。手前が紅枝垂れ霞んでいるビルは大手町の三井物産でしょう。
左の建物が衛師団司令部庁舎(現近代美術館工芸館)でその裏(西)に北の丸公園が広がります。濃いピンクの桜は何という種か解りませんが今が盛りでした。通路の左は首都高速の出入口です。皇居は桜の右側に広がっています。手前に坂を下ると千鳥ヶ淵を見下ろす高台に続きます。
内堀の東側の土手は辛夷の巨木が根を張っています。皇居の堅牢地神のような存在です。
辛夷の根元には馬酔木も咲いていました。皇居のランドプランナーは白い花が好きなようです。私なら山吹を植えさせるのですが・・・。
小路の上から西を観れば首都高の向こうに千鳥ヶ淵の桜が見渡されます。
小路の上から左を観れば辛夷の大木です。右を観れば内堀に影を映す桜です。桜は未だ二分咲きと云うところ、来週は屹度写真で視る千鳥ヶ淵の桜が見渡せることでしょう。来週再訪する事にしましょう。
|
|
昨年の6月、私は友人と三人で甲府を旅しました。目的は高遠石工の[貞次の石仏]
を観に韮山の奥の「海岸寺」を詣でました。https://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/49857029.html?__ysp=6auY6YGg55%2Bz5bel44Gu6LKe5qyh44Gu55%2Bz5LuPIOeUsuW6nA%3D%3D
此れが韮崎の海岸寺に祀られている貞次の33観音です。守屋貞次と云うと高遠の建福寺や桂泉院駒ヶ根の光前寺が有名ですが、海岸寺の石仏群の方が迫力も在るし、腕も冴えていると感じました。
もう2週間も経てば石仏の脇に山百合が咲いて一層美しかろうと思いました。次にアップしました。
フルーツ公園の街路樹には杏が植えてあって、その杏の果実を誰も収穫しないので、舗道に歩けないほど転がっていました。早成りの桃狩りをしようと目論んでいた私達は杏狩りをしました。街路樹の杏子は李(すもも)よりは遥かに堅く、梅の実に似ているものの酸味は少なく野生の林檎に似ていました。実に美味しく私の体は嬉々としていました。杏林伝説(薬品メーカーのCМで有名)を実感しました。杏も李も自己受粉では結実しないので、街路樹の様に前後左右に同種異株の花が咲くと沢山結実するのでしょう。
私の住む戸塚の倉田には昔から杏の樹がありました。倉田小学校の南門にも初代校長先生が杏の樹を植えたので、見事に花が咲きます。でも一本だけですから実は生りません。この欠点の為に,杏子は桜や梅程に普及しなかったのでしょう。今では殆ど見かけなくなってしまいました。代わりに良く見かけるのは「豊後梅」です。豊後梅はその名の通り大分で新種改良された花梅で梅の雌蕊に杏を受粉させて出来たモノです。花は梅よりも大きく華やかですが、実は生りません。「思いの儘」という種が最人気です。
彼岸の入りの3月18日杏の花を観に遊行寺に出かけました。一遍上人像を見下ろす高見に杏の樹が一本あるのです。以前は中雀門(重文)の横にも杏が植わってい駐車場を広くする為に伐採されてしまいました。遊行寺茶店の前にも鉢植の杏子があります。
此れが杏の花です。正面が遊行寺本堂で杏の樹は遊行寺茶屋の簀子の前に鉢植されています。本堂の手前右に一遍上人像があってその背後に杏の高木があります。
此れが一遍上人像の背後(東側)の杏の高木です。根元の社は「俣野権現」です。俣野権現は遊行寺創建に尽力した「俣野五郎景平」が祀られている社です。
遊行寺の開山の「呑海」は景平の弟になります。
遊行寺は「花の寺」です。「花の寺関東百寺」には白木蓮で上げられていますが、杏に花桃、桜に八重桜次いで山吹に八重桜、更に春牡丹と続きます。総本山ですから若いお坊さんが沢山修行されていて「一遍上人の教えに従っていますので、花を大事にしています。
本堂前の散り椿
放生池の畔に咲く白木蓮
寺務所前の花桃は蕾を膨らませていました。遊行寺は「小栗判官・照手姫物語」で著名ですからこの新種の花桃は「大船フラワーセンター(旧県立農業試験場)」で開発され「照手姫」とネーミングされ、照手姫の墓所にもう得られています。その右の梅の大木は「思いの儘」です。
放生池の築山の頂上に彼岸桜があって築山の下には何故か「キリシタン灯篭」が建っています。私は遊行寺のお坊さんに訊いたのでしたが解りませんでした。時宗のお寺にはキリシタンの文化財が多く残されているモノです。阿弥陀様とマリア様が似ているか、他力本願のメンタルな処に共通性があるのかもしてません。その右の枝垂れ桜の樹下にはに歌人「静雲」の碑があります。
|




