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花ウォーキング

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ウォーキングしながら、路地裏で、里山でひっそりと咲く花を見つめます。花を愛でた先人の思いや息使いを文学に探します。
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突然に暖かい日が続きます。NHKのお天気予報士がこんな好天気を「一円天気」と云う解説していました。
根拠は「崩れようが無い好天気」だという事だそうです。でもそんなお天気な予報をしていると、突然に「春の嵐」に見舞われるものです。天気予報氏の言葉に誘われて4月12日(火」は相模原市郊外の城山に「片栗」を観に出かけました。
我家から地下鉄で湘南台、湘南台から小田急で町田、町田からJRで橋本、橋本からバスで城山に向かいます。処が小田急車内で読書に夢中になってしまい、新百合ヶ丘で多摩線に乗り換え多摩ニュータウンの永山で京王帝都に乗り換え漸くの思いで、城山の片栗自生地に着きました。
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城山の片栗自生地の風景です。写真出典相模原市公式HPhttps://www.katakurinosato.com/

カタクリは、「片栗」と書き、かつては片栗粉の原料でしたが、今では富山県と石川県では準絶滅危惧に指定されています。
地上に姿を現す期間は4〜5週間程度で、花が見られるのは2週間ほどです。森の樹木の葉が茂り、地面に日差しが届く迄の瞬時に子孫維持の活動を終えなくてはなりません。種子が地上に落ちて花を咲かせるようになるまで6、7年は懸ると云います。その儚さから、二輪草等と共に「スプリング・エフェメラル」(春の妖精)とも呼ばれます。
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此れが今年の「城山片栗自生地」のチラシです。
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此れが上掲チラシの裏の交通案内です。神奈中の橋本バス停留所に設置してあります。
冬が寒ければ寒い程早く「春の妖精」を観たい、欲求は昂じます。「未だ早い」懸念しながらも相模原市の城山に出かけました。
「片栗自生地」入り口には「片栗は咲き始めたばかりです。今日の入山料金は百円です(本来は五百円)記されて、募金箱が設置されていました。
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此れは相模原市川尻に在る八幡社の鳥居横にある白樫の巨木です。この裏(西)に片栗の自生地があります。
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饂飩屋さんの梅林竹林の脇を西に7分歩けば片栗の自生地です。
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以前は田畑の向こうに自生地が見えたのでしたが、相模原郊外の戸建て住宅が連担して屋根の向こうに片栗自生地の杉山が見えました。
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片栗自生地入り口入園料百円の案内と募金箱その奥に園内案内図が置かれています。
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漸く咲き出した片栗の花、花の脇には「名」の起源になった片栗の実が落ちていました。
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この片栗の花も栗のイガの横に咲いていました。
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片栗の脇に栗のイガを見つけて上を観れば大きな栗の木の根元でした。片栗はこの栗の木が葉を茂らせる前に花を咲かせ、種を散らし、大きな葉っぱで炭酸同化作用を営み球根に栄養を蓄えるのでしょう。
「片栗」は片栗粉が普及した近世以降の呼び名で古代は「 堅香子」と呼ばれていました。香りが良い事と、百合に較べて屹度堅かったのでしょう。 堅香子の呼び名を一般にさせたのは家持の和歌です。

750年(天平勝宝2年)、越中の国司だった大伴家持は、任地の寺の共同井戸に水汲みに集まった乙女を眺めて次の様に歌ったのでした。
もののふの 八十乙女らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子の花」(万葉集・巻18)と、カタクリを詠みました(堅香子《かたかご》はカタクリの古語)。
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れは高岡の万葉博物館に展示されていた大伴家持と坂上郎女夫婦の像、昨秋行次にアップしました。https://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=%CB%FC%CD%D5&sk=0
この時の展示テーマは「万葉の薬草」でしたから。メインは堅香子でした。
片栗は越中では「里山に春の到来を告げる花」であり、その神秘性や儚さから絶大な人気があります。森の地面(林床)が一面紫色に染まり、この時期だけしか見られない岐阜蝶がひらひらと舞う風景を求めて、群生地は多くの人で賑わいます。
2010年、紀子妃殿下は歌会始で次の歌を披露されました。
早春の光さやけく木々の間に 咲きそめにけるかたかごの花
皇居内か赤坂の赤坂御用地内に堅香子が自生しているのかもしれません。この年のお題は「光」でした。春の到来は先ず光りのさやかさに感じます。乙女は紀子妃殿下に似た「眞子様」「佳子様」を思い浮べます。娘達とご一緒に御用地内のお庭を散策されて春の陽射しが射していて、娘の指す指先の向こうに「堅香子」が可憐な花を咲かせていたのでしょう。その眞子様の御結婚も昨年、突然黒雲に遮られてしまいました。私が学生の頃木曾の奈良井宿の茶店で「学生姿の秋篠宮ご夫妻が寄られた写真」が壁に架っていました。
大學こそち違っても同じように学窓で知り合った娘の幸運です。屹度達成させてやりたい親心でしょう。眞子様はICU(国際基督教大学)です。家持の歌は「八十乙女ら」と歌っていますが、八十は「耶蘇」でもあります。偶然ですが。親ごころは何時も春の陽射しのように優しいモノです。眞子様が堅香子の花であれば、陽の光は秋篠宮ご夫妻の眼差しで、大きな栗の木は秋篠宮ご夫妻の傘(庇護)でしょう。



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曽我梅林の「瑞雲寺」

3月弥生に入って首都圏は一気に春らしくなってきました。3月3日庭の冬至梅もハラハラ散っています。ワイフが「今日はどうしますか?」訊きます。どうも予測していた娘親子は来ないようです。そこで、今年の観梅の締めくくりを曽我の梅林ですることにしました。ワイフの記憶では最後に曽我の梅林に行ったのは5年前の節分の頃、その年の年末に私が脳梗塞を発症したので、曽我梅林の記憶が薄らいでいるようです。あの頃は元気に車を運転していたので、景色の記憶も薄いのでしょう。
9時過ぎ東海道線に乗って、国府津に行き、御殿場線に乗り換えれば最初の駅が「下曽我駅」です。駅から「県道松田線」を西に行けば10分余りで「瑞雲寺」があって、その周囲が「中川原梅林」です。下曽我駅を降りて駅前の和菓子店で「草餅団子」を求めます。団子さえあれば梅林の何処に腰掛けても一服できます。奈良長谷寺でも当麻寺でも草餅さえ腰にぶら下げて置けば「桃太郎の犬状態で幾らでも前進できます。
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下曽我駅前の和菓子屋曽我乃正栄堂 本店で草餅団子を買い求めてイザ観梅ウォーキングの開始です。
懸念していた通り白梅はもう散り始めていました。でも「思いの儘」をはじめとした杏系の梅は見頃になっていました。
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私のイメージは白梅の彼方に冠雪した富士山が見渡せるはずだったのでしたが。この日は昼には春霞が立って冨士は霞んでしまいました。白梅も散り始めて居ました。写真は看板を写したものです。
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私の足では下曽我駅から瑞雲寺迄徒歩10分の案内でも坂道は多いし、景色を眺めながら行くので到底10分では行けませんでした。道端の石に腰を下ろしてお団子とお茶を飲みます。脚下には「オオイヌノフグリ」が青い小花を一斉に咲かせています。向こうからは逆コースを辿るウォーキンググループが遣って来ます。曽我の梅林の梅の樹も相当に年老いて来ました。其処ここで老木を倒し、若木に植え替えています。老木は畑で燃やされて灰は若木の栄養になるのでしょう。でも、若木が伸びるまでの間は野菜畑として活用されるようです。大根や菜の花が目立ちます。
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老木の目立つ梅林は一度野菜畑に戻され、若木を植え替えるようです。
瑞雲寺は随分綺麗になっていました。門前の畑は一面の梅林に変容し、植えられた紅梅や杏梅も成長し、見事な樹勢です。境内に小川軒『地元の和菓子屋」が店を出し、「つみれ汁」や「粽」を商っています。私達も求めて赤い毛氈が敷かれた簀子に坐って戴きました。梅の梢には俳句が書かれた短冊が吊るされています。良く見れば「ハコベ」や「ペンペン草」の生えた地面に短冊が落ちています。一昨日の春一番で飛ばされたのでしょう。
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此れが瑞雲寺の参道入口です。参道左は畑でしたが、花梅が見事な梅園になりました。
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向こうに見えるのが瑞雲寺の本堂子の梅園の下に簀子が置かれていますので、座ってお茶を飲んだり食べたり出来ます。入山料は無料なのは申し訳ないような景色です。
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瑞雲寺周辺の野の道には石仏が多く祀られています。石仏も曽我を歩く楽しみです。
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ポスターのアングル、霞が立っていなければ梢の隙間から秀麗な富士山が遠望できたはずでしたが。
午後1時下曽我駅に戻って来ました。時刻表を見れば1時間近く待たなくてはなりません。御殿場線の土日の時刻表では1本/1時間しか電車は走らないのです。
電車に乗ると、松田の河津桜を見物して来た人が大勢乗っていました。松田で桜を見て曽我で観梅して、欲張りなお客さんが多いのです。


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龍口寺の「五弁の椿」は銘木でした。私が小学生の頃,街中に松竹映画「五弁の椿」のポスターが氾濫していました。主演は「岩下志麻」さん、子供心にも匂うが如き色香でした。原作は「山本周五郎氏」話は大凡次の通りです。
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龍口寺の五弁の椿(2000年の頃)は囲碁の崖に岩牢があって日蓮上人が閉じ込められた洞窟です。この椿は江の島動物園から逃げ出た「台湾リス」の食害にあって、枯れてしまいました。椿の左にあるのは「淨行菩薩」像です。この写真は五弁椿が伐採された折書いたものですhttps://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%BE%8D%E5%8F%A3%E5%AF%BA%E3%81%AE%E3%80%8C%E4%BA%94%E5%BC%81%E3%81%AE%E6%A4%BF%E3%80%8D&search.x=1&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=-1&oq=%E9%BE%8D%E5%8F%A3%E5%AF%BA%E3%81%AE%E3%80%8C%E4%BA%94%E5%BC%81%E3%81%AE%E6%A4%BF%E3%80%8D&ai=8sqhdFB1QfqQXO3sIk6f1A&ts=2260&fr=top_ga1_sa
【五弁の椿】の話。
純潔な娘”おしの”は最愛の父”喜兵衛”を失います。
喜兵衛は精根尽き果たして働き・・・、労咳を患った末でした。
一方母”おその”は病気の夫を嫌って移り住み、遊興に耽けり次々に男を取り替え、色欲に身を崩していました。おしのはそんな母を嫌い、母の情夫に殺意を持ちます。
おしのは母の遊び相手をその白い肌を武器にして・・・・、殺めます。
死体の傍には・・・・、椿の花弁が1枚置かれていました。
その椿は喜兵衛が丹精していた五弁の白椿でした。
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これは元気だった頃の龍口寺の五弁の椿
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此方は奈良の百毫寺の五色の椿
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淨行菩薩の背後に在った五弁の椿でしたので、切り株からは無数の 蘖(ひこ映え)が育っていました。淨行菩薩の腰に回している手はワイフで眼をお拭きして、自身の腰が悪い事も想い出して急遽腰もお拭きしたのです。
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龍口寺の寒椿を食べる台湾リス。口の周りに黄色い花粉をつけて憎たらしいばかりです。これが五弁の椿の樹皮を剥いで枯らしてしまったのです。罪は動物園の監理が不適切であった江ノ電にあります。この3月には大阪や岐阜の水族館から、「カワウソ」を譲って貰って江の島水族館で展示飼育するそうですが。同じような過ちを犯さないよう願っています。
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これはシンガポールで群れを為して棲息しているカワウソです。江ノ電は台湾リスで湘南の生態系を傷つけ、日本カワウソなら良いのですが、得体の知れない外来種のカワウソを買いとって飼育展示してシンガポールの河川や下水道や公園の池を跋扈しているような状況を再現させては困ります。写真出典(NHKBSⅢ)
私は淨行菩薩の頭ををタワシで浄めてその奥の五弁の椿の切株を見やりました。切株からは沢山の 蘖(ひこばえ)が芽吹いて背丈を伸ばし蕾が沢山用意されています。3月になれば花を咲かせる事でしょう。嬉しくなった私は境内を視て廻りました。銘木五弁の椿の子株が境内にあると確信したのです。案の定大書院の玄関脇と本山の手前、日蓮上人像の前にもう一本ありました。前者はもう一輪花を咲かせていました。私の記憶と同じで白椿で花弁に細く赤い縞が入って居るように見えました。
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大書院の前山門脇の五弁の椿。
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日蓮上人像の西側にある五弁の椿の実生の子沢山蕾が用意されていました。人が多いのは豆撒きの開始を待っているからです。


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春は黄色から

路傍に黄色い小花が目立つ季節になりました。もうじき「利休忌/3月27日」です。「冬知らず」の花も咲き始めた事でしょう。私が健康な時は三浦半島の丘の上に咲く冬知らずの群落を観に行くのですが、運転を控えさせられているので、到底出かけられません。昔撮影した写真を視て我慢しましょう。
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此れは三浦丘陵の畑の土手に自生している「冬知らずの花」です。
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浄智寺山門横の民家に咲いた蝋梅の花
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これは浄智寺お茶室の蝋梅です。
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蝋梅は香りと触れば割れそうな儚い感触と年明け最初に咲く黄色い花である事が魅力です。太陰暦であれば今日の様に愛されなかったでしょ言う。正月が太陽暦に成って得をしました。
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これは1月23日の大雪にも負けずに咲いた私の生家盛徳寺の境内の蝋梅です。
でもバスに乗れば街中に蝋梅の花も目立つようになりました。花屋の店先もピンクの桜草か、黄色いフリージアが目立つ位置に置かれています。
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福寿草も 迎春花(春を知らせる花)の必須アイテムです。食いしん坊の私は蕗の薹と同じように「天麩羅」で食べたくなりますが、これは有毒です。
成虫で越冬した虫も蝶も黄色が好きなのでしょう。人間も同じで黄色が好きです。私には淡い思い出が黄色に在ります。
御成小学校の6年生の時でした。母が高島屋の特売場で黄色いポロシャツを買って来てくれたのでした。私は喜んで翌朝黄色いシャツを着て学校に行きました。教室で驚きました。クラスで一番美しく聡明な女生徒が私と同じ黄色いシャツを着ていたのでした。私達二人はクラス中の皆に冷やかされました。その翌日私は黄色いシャツが好きなのにも拘らず、汚れた何時ものシャツで登校しました。彼女も黄色いシャツは着ていませんでした。当時同じクラスで最も学業優秀だった男子生徒は式場君(精神科医の式場隆三郎博士の子)で、映画の「黄色い烏」が有名でした。赤には呪力があるのに対し、黄色には愛があると思うのです。『寒い冬に暖かい春を待ち焦がれるように、愛情が欲しい人は黄色に染まりたい』と思うのでしょう。
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二宮駅の西側にある吾妻山の山頂には吾妻神社が祀られてその上は一面の菜の花畑です。眼下は東海道の国府津の街です。
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吾妻山の山頂から見て東側は相模湾西側は大山丹沢と富士山が眺望できます。
”菜の花畑に入日薄れ”そんな季節はもうすぐです。神奈川県には二宮があります。駅前の吾妻山の山頂に吾妻神社が祀られています。御祭神は日本武尊橘姫命 です。山頂は菜の花の名所です。観椿の森を汗を流しながら登りきると。一面の名の花と西には雄大な富士山を眺める事が出来ます。橘姫命は可愛そうですが、先史時代の愛の姿です。
蝋梅も観た菜の花も観た、さすれば次に観たいのは「三俣」に「満作」の花です。
どちらも必見のスポットがあります。黄色い花を巡って徐徐に春の盛りの「桜」の見頃が近づいて来ます。今年は何処の桜を観ようか今から慌ただしい気持ちです。去年は醍醐から三笠を廻りました。
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鎌倉柄柄天神社の三俣の花。中学の受験日辺りに満開になります。
  
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舞岡公園の万作の花

私の友人で俳句の師匠の家は八王子です。
大寒に入ってから咲く花を「迎春花」と呼びます。
迎春花として想い出すのは瑞香(沈丁花)であり、福寿草であり、蝋梅です。どれも黄色です。八王子の大雪は難儀だったようです。坂道で滑っているマイカーを視て友人を想い出しました。友人の家は八木重吉の生家の近くにあります。友人らと観桜旅行に行く序に寄った事がありました。旧家らしく梅の木が自生していました。友人が私に教えてくれた重吉の詩を想い出しました。友人は屹度俳句ノート代わりに携帯しているスマートフォンに俳句を記録して迎春の思わぬ大雪を吟じていることでしょう。
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  ひとつの気持ちをもっていて 暖かく なったので 梅の花がさいた その気持ちが
  そのままよい香りにもなるのだろう。
重吉は茅ヶ崎の肺病専門病棟で息を引き取ります。 今では肺病も国民病ではなくなりましたので、病院は老人施設になりました。茅ヶ崎駅の海岸口から徒歩圏内に八木重吉の記念公園もあれば肺病病棟も残されています。この記事は以前次に書きました。https://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/30702793.html?__ysp=6YeN5ZCJ44Gu6Kmp5qKF44Gu6Iqx
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東慶寺の素心蝋梅の花
東慶寺は梅でも有名な花の寺ですが「素心蝋梅」が自生しています。「素心」とは素直な心の意味でしょう。良く視る蝋梅は八重なのに較べて一重の蝋梅です。「素心蝋梅」を開発した園芸家は屹度重吉の梅の詩を想い出して「一重の蝋梅」とは云わずに「「素心」と呼んだのでしょう。


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12月も中旬になれば、気分はクリスマスです。札幌時代に長女が生まれて、飾った「クリスマスツリー」を出してきて。ワイフは孫(長女の娘)の目の前でツリーを飾りました。今はLEDですから電飾も変化するし。コードも無いので安心です。飾り物も随分増えたし変わりました。最後に玄関ドアにリーフを飾りました。
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我家のクリスマスリースは貰い物ばかりです。
「小学生から、お手紙が届きました」
小学生と云っても7組の生徒です。私が評議員を務めているマンモス小学校は1学年6組ですが、所謂「発達障害児だけが学年縦断的に編成され6学年共通で1クラスあります。それが7組で1年生から6年生まで15人が仲良く勉強しています。10月の「授業参観」では学校の畑で収穫した芋の弦でリースを作っていたのでした。
リースは一人では作れません。芋弦をリングにしてお友達に抑えて貰っている中にシールで固定して、1週間陰干しすれば頑丈なリングになるのです。
『お友達が押えてくれたので上手にリングが出来たので”有難う”言って今度は自分が抑え役をしました』発表する生徒を観て教えられました。私はこの授業参観を忘れ難く、「塩の道」を歩いていて松ぼっくりや団栗を拾って7組に届けたのでした。
お手紙の内容は10月に届けた「松ぼっくりや団栗」の礼状でした。
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此れが戴いたお手紙のファイルです。ファイルにしてくれたのがFさんで、ファイルの絵はこのクラスの名が「7組」で、クラスのマスコットが「7色鯨」なのです。鯨は一等夫々に大きく立派ですが7組の鯨は夫々に個性的で、仲良しだからだそうです。鯨はグループで活動します。
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此れは手紙の一つです。差出人の字が読めないのでお返事は学校に行って確認しました。7組とは所謂「発達障害」のある子供のクラスです。手紙の差出人は最近自分の名を漢字で書けるようになったのだそうです。私は先生にお名前を確認して、お返事を完成させました。
処で、生徒達が私に手紙を出してくれたのは。クリスマスリースを飾る松ぼっくりや団栗を届けたからでした。完成したリースは下の写真の通りです。
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此れが7組の教室の廊下に吊るされたクリスマスリースです。リースの弦は芋の弦です。学校の中庭の畑で栽培したお芋を収穫して、お芋は焼いて食べたのでしたが弦は未だ若いうちに丸めてリースにしたのでした。私は授業参観でリースを作っている子供達に感動して、偶々「塩の道」の石仏巡りをした時に山道に落ちていた団栗や松ぼっくりを届けたのでした。赤いのは「烏瓜」で小さい赤い実は「弦梅もどき」です。
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此れは私が生徒に出した手紙です。
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全部お返事を手書きするのは少し骨折りでしたが。宛名が書かれていない手紙は生徒の名を先生に確認する必要があったからです。
先週は氷川丸でリースを観ました。流石にデザイナーのオリジナル作品でしたから溜息が出るほど素敵でした。
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此れは氷川丸の船長室に飾られたプロの作ったリースです。
お金を出せば素敵なリースが出来ます。でも7組のリース程、リース本来の意味に近いモノはありません。
リースは日本の門松(歳神の依り代)に近いモノです。
文化人類学の創始者フレーザーの名著「金枝編」があります。金枝とは「宿木/やどりき」の事です宿木は冬でも常緑です。クリスマスには宿木をリングに飾ってリースを作り、来年の『豊穣・平安』を祈願するモノです。金枝編は命や民俗の伝統を伝える秘密を「宿木」に擬えて著した論文です。
宿木の葉っぱ一枚一枚バラバラでも根や茎をリングにしているから強く逞しいのです。民俗も同じで個人個人バラバラでは人間は弱いものの習慣や伝統で助け合い集団生活して来たので、霊長類に進化して現代があるとした論文です。
宿木は常緑でその実は冬の食糧になります。野鳥もリスも宿木の実で厳しい冬を越せるのです。


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