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私は日本各地の菊を観て来ました。今まで一番感嘆したのは福島県二本松の「大作り」でした、一本の冬芽を丹精して一株から500輪もの大輪を咲かせるモノでした。三溪園の菊花展も鶴岡八幡宮の菊花展も湯島天神の菊花展も二本松に較べると遥かに見劣りしました。私は福島人の我慢強さが二本松の「大作り」を為さしめていると確信しました。大阪時代に枚方の菊人形を観た事がありました。融資先の京阪電鉄さんから切符を戴いて支店から真っ直ぐ枚方に行ったのでした。でも菊人形は邪道で菊作りの匠の仕事とは思いませんでした。菊人形はテレビや映画や演劇のセットの様なモノで大道具の仕事と思っています。蝋人形を観るような気分でした。
これは国民公園「新宿御苑」の案内図。新宿駅南口に近い新宿門、四谷三丁目に近い「大木戸門」千駄ヶ谷駅に近い「千駄ヶ谷門」の三つが入り口ですが出口は新宿三丁目等盛り場方面に幾つもあります。池の周囲に小屋を建てて菊花展を開いていました。
新宿御苑の日本庭園の周回路沿いに一周すれば菊花展の総てを鑑賞できるようにレイアウトされていました。花を観てパネルを読めばもう「菊花の評論家です。
新宿御苑の「菊花展が日本一だ」ネットで観ました。そこで11月7日ワイフを誘って新宿御苑に出かけました。御苑に入るのは久しぶりで昭和天皇の大葬の儀に出かけたこと以来30年ぶりという事になります。新宿御苑は高遠の内藤家の江戸屋敷の庭を御苑としたもので。園内には玉川上水が流れ池水回遊式庭園の水を供給しています。毎年桜の季節に園遊会が開かれるので有名です。
私とワイフは出発が遅かったので、大宗寺(内藤家の菩提寺巨大な閻魔様と釘抜きで有名)をお詣りしてランチを終えていました。新宿門にはインフォメーションセンターがあって、食事や喫茶を取れるようになっていましたし、菊花の説明がしてありました。丁寧に傷んだ菊を取り除いている青年がいました。ぎこちない手つきに気付いて顔を観れば青い眼をしておいででした。訊けばフランスから菊花作りを勉強に来ているとの事でした。何時の日かベルサイユ宮殿やルーブル美術館の芝生に菊が飾られ「日本の菊です」案内されて本家本元の中国が悔しがる事になりそうです。
此れは新宿御苑のインフォメーションセンター催事の案内と軽食喫茶のサービスが在ります。ここで園内案内パンフレットと予備知識を仕入れて入園しました。
インフォメーションセンターの内部。菊花の種類や日本での栽培の歴史嵯峨や伊勢江戸、肥後等の菊の特長を解説yしてありました。3人の職人が菊の手入れをしていますが一番左の青年はフランスの留学生だそうです。
此れは管モノの菊を手入れしているフランスからの留学生です。管モノが済んだら次は「一文字の大菊」です。
新宿御苑は好天気に恵まれて大賑わいです。此処も外国人が目立ちます。芝生の上に薄着で寝転んで秋の陽射しを満喫しています。多分ドイツか北欧の旅行客でしょう。ワイフに
「折角の旅行なのだから寝転んでなくて他の名所にゆけば良いのに」言えば
「あの外国人は東京で働いていて今日は久々の休日なのよ・・・」言います。
フランスでは盆栽が人気と聞きます。東南アジアでは「錦鯉」がブームと聞きます。
菊も錦鯉も日本庭園の小道具です。日本庭園は天国(エデンの園)を地上に表わそうと意匠したものです。欧米の天国は地上にはなくて青空のその彼方にあると信じられて来ました。日本では極楽や天界は地上の彼方にある清浄な世界と説明してきました。だから、立山や白山や恐山の山頂には天国と思って来ました。菊の花は仙界の花に相応しく仏花として尊ばれて来ました。日本庭園の小道具とは云え懸崖作りは深山幽谷に健気に咲く野菊をイメージしました。
此れが懸崖作りです。岩場の上から野菊が垂れ下がっている様な風情を表現しています。
此れは芝生の中央に笊菊を並べ中央に大菊を並べた花壇つくりの菊です。
此れは丁子菊(ちょうじきく」です。オカッパ頭の少女の様な姿と可愛らしさからこの名が付いたと思います。庭に咲かせて桐花にするには最適ですが。専門の匠が育てると7本仕立てで立派なモノです。
此れはご存知嵯峨天皇の離宮「大覚寺」辺りで生育していた雅な菊です。まるで花火のようです。「嵯峨菊が花火のごと咲く立冬かな」
此方は江戸菊です。江戸で発達した古典菊です。咲いてから花弁が様々に変化します。色彩も豊富です。白い菊は葬儀の生花に常用されます。
此れは伊勢菊と呼ばれる古典菊です。縮れた花弁が心なしか垂れさがって咲きます。古典菊と云えば「嵯峨菊」「江戸菊」「伊勢菊」ですがこの他に一重咲きの「肥後菊」がありました。肥後菊だけが武士の修養の為に育てられたそうです。
この大作りの菊が3基も並んだ様は壮観です。二本松の大作りも感心したのですが流石に新宿御苑の大作りに較べられると都と鄙の違いです。この菊の前に来るとお客さんは口を開いて”ワーッ”歓声を漏らします。花の傍には「新宿御苑」の法被を着た職人が誇らしげに説明をしています。幸田露伴が観ていたらこの職人さんと大菊を素材に江戸っ子職人の心意気を一気に書き上げた事でしょう。
私はお礼を申し述べたくなって苦心談と技術の伝承について伺いました。
この後ろ姿の法被を着た植木職人がこの丹精を仕上げた菊匠です。コツは何時枝が折れても大丈夫なようにスペアの芽を保存しておくことだそうです。一株から3本の茎を伸ばし次には一本の茎から3本の茎、更に各々3本の茎を伸ばして最後は花芽を揃えて11月1日の展示を照準に花を揃えるのだそうです。この親方は新宿御苑の植木を世話していて菊つくりは日頃のお礼作業のような雰囲気でした。植木の弟子は育っているものの菊つくりの後継者は未だのようでした。この展示の位置は陽当りが悪ので花は長持ちしても見栄えは良くないそうです。プロのカメラマンが言うには樹木の背が伸びたので日陰で写し難いそうです。法被の絵柄が大菊であるのは粋です。
日本の百合はマリア様の清純を象徴する花として世界中で愛されましたし、ワシントンポトマック公園の桜は何にも劣らない日本の文化施設です。韓国人は日本の贈った桜への羨ましいさが余って「桜の原産地は韓国」主張して世界の蝶笑を浴びてしまいました。菊は中国原産でありながら斯様に美しく仕上げたのは日本人であり、ベースに在るモノは「日本人の自然観」であります。盆栽も植木も錦鯉も金魚も日本人の匠の技は世界中の尊敬を受け愛されるものだと確信して御苑を後にしました。
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花ウォーキング
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ウォーキングしながら、路地裏で、里山でひっそりと咲く花を見つめます。花を愛でた先人の思いや息使いを文学に探します。
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11月7日が立冬です。そう想っていたら玄関に山茶花が活けて在りました。72候では同じ11/7日が、「山茶始開/つばきはじめてひらく」です。「山茶」とは「山茶花/さざんか」の事なのです。でも訓読は「つばき」です。「椿」という漢字を作ったのは日本人なのですから、72候では「椿始開」とすれば良かったのに、と思います。
立冬も近づいて玄関に活けられた山茶花の花。
そもそも、24節季が中国人の作った暦であるのに対し72候は日本人が考え出したもので二十四節気をさらに約5日ずつの3つに分けています。日本人の感覚や日本の風土に一層マッチしたモノです。
「山茶始開」と書いて「つばきはじめてひらく」と読みます。椿と山茶花は違いますから変だな?思っていた処「山茶花」とは「お茶の花の意味」だろうと思いつきました。椿も山茶花も同じ「茶」の仲間です。調べてみると何れも『ツバキ科ツバキ属』となっています。ツバキが一番目立ちますから、茶や山茶花が原種であっても分類上はツバキなのでしょう。学名は山茶花は「Camelia sasanqua Thunb」で、茶は「Camellia sinensis」であるのに対しツバキは「Camellia japonica」です。「Camellia」とはツバキのことで、「 sasanqua 」は茶ですから、照葉樹である茶は中国が原産であるのに対し、ツバキは日本の名が冠されている事からも日本で育種されたと認められているのでしょう。ヴェルディのオペ椿姫(La Dame aux camélias(椿の花の貴婦人)」でも、ツバキの花の美しさが認められています。華やかさの順位をつければ「椿」「山茶花」「茶」の順です。だから、花を観ればこの順で世界の人々に愛されていることになるのでしょう。「侘びしさ」で順を決めれば「茶」(山茶花」「椿」の順でしょう。山茶花が咲き出せば、当然茶も咲き出し、直に寒椿や「藪椿」も咲き出します。家を出ればお隣の農家の生垣に素朴な「茶」が咲き出して、蜂が集まっています。花が少ない季節ですから茶も山茶花も蜂にとっては貴重な花なのです。
生垣の茶の花。
今春訪れた宇治茶の生産地「山城和束町の茶畑季節は4月初めでしたので花は散っていましたが、今頃は花盛りでしょう。
今春行った山城 和束の茶畑も今頃は茶の花が散り敷いていることでしょう。茶好きな日本人ですから、茶葉を提供してくれて一年の締めに咲く可憐なお茶の花には特別な愛情を注いで来ました。ツバキ三兄弟の山茶花は茶室の花にも最適ですが、茶は山茶花以上に侘びた花です。「侘び茶」には最適な花です。我家の山茶花は新築時に鳴海という種を植えたモノ。樹齢は長女と同じ40代に入ろうとしています。いまが盛りのようです。私達の家族を見詰めて来てくれました。
大きな梅の木の樹下でも今年も咲き始めてくれた山茶花です。
家の裏(北」に咲き出した山茶花の花此方も鳴海(なるみ)という園芸種です。鳴海は尾張国(愛知県)の歌枕です。
お茶の木も手入れを怠れば山茶花の様な灌木になってしまいます。
昔「塩の道」に沿って興津から鰍沢に向かった事がありました。鰍沢は北斎の浮世絵で有名な富士川の名所です。山峡の段々畑は昔は茶畑だったのでしょう。ところが過疎化が進んで茶畑は放置されてしまったようで。お茶の木は茫々に伸びてしまってお茶の木の面影は無く、山茶花の様になっていました。再度手入れをするのは大変な重労働になる事でしょう。野生化した飼い犬が何れ流行病で死亡するように放置されたお茶の木は枯れ死にするのが目立っていました。赤松の美林が松くい虫の繁殖で一斉に枯れるのに似ています。お茶が山茶花に戻るのは致し方ないのでしょうが、お茶の木と人間の良い関係は「持ちつ持たれつ」共生関係にあるようです。
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毎日夕方になると庭を見回ります。今年は夕顔が良く咲いてくれるので、観て廻るのです。白州正子さんの随筆に「夕顔」があって、白州さんは夕顔の開花の瞬間を観たいと、[注視していると,夕顔はチットモ咲いてくれない、気難しい花だ!」評しておいでです。
毎夕咲いてくれる夕顔です。
夕方6時頃所謂逢魔が時が一番綺麗に見える夕顔です。「小料理/夕顔」が在れば、今晩も寄道しそうです。逆時計回りの花弁が開く時に衣擦れの音がしないかと期待してしまいます。
此れは月下美人の花です。夜咲く花は白が多いようです。月下美人は花の白さよりも香りの強さで虫を誘うのでしょう。
月下美人は時間をかけてユルユル咲きます。そして芳香を放つのです。白州さんは夕顔が左巻きの捻りん坊ですから花開くときに”パッ”と音がする期待したのかもしれません。私も白州さんを真似て庭先で夕顔の蕾を見詰めているのですが、一度も夕顔の花開く瞬間に出くわす機会はありませんでした。
夕顔の横に烏瓜もあります。烏瓜は3年前に種を採取して庭に播いたものです。
烏瓜は宿根草で、体が充実しなければ花は咲きませんソロソロ咲いてくれそうな様子ですから期待していました。
これは咲き終えた翌朝の烏瓜の花屑。花屑に付いているオレンジ色の虫は瓜葉虫です。もう烏瓜の実が用意されています。
烏瓜の葉っぱは未だ8月なのに黄葉してきました。瓜葉虫の食害かも知れません。瓜葉虫が出現すると厄介なのです。
夕顔と烏瓜とどちらも日陰に咲く花です。朝顔や向日葵が日向が好きな優等生とすれば夕顔や烏瓜は日陰が好みの劣等生です。今年は白粉花も育てました。白粉花も夜に咲くのですから。我が庭は日陰者揃いです。後は月見草で日陰者カルテットが出来上がります。
此れは白粉花です。種を潰すと白粉が出来ますのでこの名が付いたものと思います。この花も夕暮れを待って花開きます。
私は朝顔を観ながら昨夜咲いた花を観て廻ります。夕顔は萎んだ風船のように惨めな姿です。夕顔の隣には烏瓜の花屑が残っていました。という事は昨夜烏瓜が咲いていた事になります。
私は注意散漫で烏瓜の花を観そびれてしまったのです。念の為に烏瓜の花言葉を調べてみました」。
「男嫌い」「誠実」「二面性」と出ていました。
「男嫌い」と「誠実」は真逆です。”夜中に花が咲く”自体が天邪鬼な性格です。でも、その花は真っ白な絹のレース編みのハンカチのようで高貴な感じがします。上の写真は我家の烏瓜ではありませんが屹度こんな花が昨夜咲いていた筈です。我家の烏瓜は花言葉のように「男嫌い」で私に観られないように忍んで咲いていたのでしょう。
白州正子さんが育てた夕顔は女嫌いであったのかもしれませんが我家の烏瓜は「男嫌い」のようです。烏瓜の花屑にはもう瓜葉虫が付いていました。私は祖母の手伝いをしながら胡瓜やまくわ瓜を栽培した事がありました。天敵は瓜葉虫と12星のテントウムシでした。これが付くと瓜が大きく結実しません。少ない中は爪で潰しましたがそのうち手に負えなくなります。するとボルドー液と呼ばれる農薬(緑青)を噴霧して葉っぱを緑青の毒で覆うより仕方なかったのでした。今我が庭は南瓜と隼人瓜の収穫直前です。瓜葉虫が付いたら大変です。烏瓜は「男嫌い」という花言葉が付くのですから。虫も付かないでいて欲しいモノです。ところが虫を誘っているのかもしれません。困ったモノです。諺「男嫌いに虫が付く」の通りです。兎角女は御し難いモノ。とりわけ夜咲く花は御し難いもののようです。
せめて来年は烏瓜は断念して同じ仲間の「蛇瓜」を栽培する事にしましょうか?ソロソロ蛇瓜も収穫期です。大船フラワーセンターに出かけて種をお裾分けしてくれるようお願いする事にしましょう。花も実も楽しめるのは蛇瓜です。
此れは大船フラワーセンターの蛇瓜の棚です。蛇の様な瓜がブル下がっていて気味悪いモノですが。花は烏瓜と全く同じ白いレースのハンカチです。どんな味がするのか興味深々です。前訊いた時にはゴーヤに似て苦いと云われました。蛇瓜のチャンプルなんて行けそうな気がします。
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8/22日の「毎朝ラジオ」で『今日の花は撫子です。撫子の花言葉は”純愛・無邪気・純粋な愛・いつも愛して・思慕・貞節”です」教えてくれました。
此れが川原撫子です。
此れは大井川の蓬莱橋下の川原に群生している「虫取り撫子」です。昨年の夏友人と往訪し。種子を採取今年は我が庭に咲いてくれました。花は違いますが、川原のような痩せ地でも逞しく生きる点では、本来の伊勢撫子の逞しさを持っています。次に書きましたhttps://blogs.yahoo.co.jp/yunitake2000/49811627.html
私は今月観た映画「花戦/はないくさ」での池坊専好(野村萬斎)が鴨川の川原で野垂れ死にした遺体を埋めて川原石を積んで最後に川原に咲いている撫子を供花している場面を想い出しました。
そのうちに川原撫子を是非観たいと思い出しました。撫子が咲いているのは横浜の「三溪園」、川崎の「民家園」、そして、「撫子寺」と云えば長瀞の不動寺に、三浦の「満願寺」に…、アレコレ想いを巡らせました。結局身近な戸塚区役所の屋上庭園に行く事にしました。戸塚区役所は戸塚駅西口再開発の核として新築され。その屋上は温暖化対策として「農園+庭園」となっているのです。撫子の見頃は7月の最終週でした。横浜市長選の期日前投票の折に観に行ったのでしたが屋上は閉まっていて観られませんでした。8月後半では撫子には遅すぎるとは思いましたが、8/28日ヒョコヒョコ昼食序に出かけました。
戸塚区役所屋上庭園に咲いた女郎花の花。女郎花の1月前は主役は川原撫子だった筈です。
此方は同じく吾亦紅の花吾亦紅の足許にある枯れているのが川原撫子で種が一杯です。此処までなれば来年以降手入れをしなくても川原撫子が群生します。
私は屋上庭園の川原撫子の種を採取しました。撫子の種は菜種に似ています。
来年は我が庭でも咲かせたいと思ったのです。
撫子をせめて供えん路傍仏
此れは大船植木の久宝寺さんの裏山にひっそりとある如意輪観音です。撫子のイメージにピッタリと思いました。
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例年相模川流域に座間の向日葵を観に行っていたのですが、今年は行きませんでした。実は初夏に「大紫が羽化している」と報じたので大紫センターに行ったのでしたがその近くが花こそ咲いていなかったものの向日葵の名勝地だったので、もう観た気分になっていました。戸塚駅のロータリーの花壇に植えられていた向日葵は既に花も終わって頭を深く垂れています。
稔るほど頭を垂れる稲穂かな
は17文字の諺です。
諺の意味は大凡次の様なモノでしょう。
『米は実が入れば俯きます。一方人格者も徳が積まれる程頭も腰も低くなります。菩薩も慈悲が深い程俯くモノです。他方小人物は年齢や地位や財産が増えるほど高飛車になるモノです。』
ところで処暑も過ぎると向日葵は一斉に頭を垂れてしまいました。頭が重いので流石の強い茎も種の重みに耐え兼ねているのでしょう。向日葵の種はお酒のおツマミにもなるし油にもなります。勿論インコの大好物です。
昨今はえごま油と亜麻仁油など健康に良い油が流行っていますが、ひまわり油(サンフラワーオイル)も
健康や美容に良いという理由で、最近は人気が上がってきています。 、オレイン酸が多量に含まれているので、次の様な効能があるとされています。
①、体内の酸化や活性酵素を防ぎ脳や体の細胞を健康にする。
② 血液をサラサラにする ③ 悪玉(LDL)コレステロールを減少させる
④ 動脈硬化・心筋梗塞の予防 ⑤便秘解消、 胃酸過多や胃潰瘍の予防。 どれもこれも私の為に在るような効能ばかりです。早速ワイフに頼んで向日葵オイルのドレッシングを自家製して貰いたいものです。
此れは原発事故直後に農林省が発表した除染対策です。汚染土壌の表土を剥いで何処か地中深くに埋める事と向日葵を植える事でした。
此れは政府対策と平仄を合わせたような朝日新聞記事でした。政府発表を検証もせずに垂れ流すだけなら、マスコミとしての役割を果たしていません。今でも福島に行くと真っ黒いコンポストに落ち葉や表土が入れられて道端に積み上がっています。
処で、6年前福島の原発事故の直後です。日本全国で「向日葵プロジェクト」が立ち上がりました。当時の記憶では次のような効果があると信じられていました。
『向日葵簗の花は放射能を除染するので、汚染地域に向日葵と菜の花で一年中真黄色にして早期に放射能を除染しよう・・・・』
そんなものだったと思います日本中のマスコミは何ら検証する事も無く小中学校の生徒さんが向日葵や菜の花を育てる活動を報道しました。
その後5年も経過したのですが向日葵の除染効果は在ったのでしょうか?何の報道も無いところを見ると。際だって除染効果は無かったのかもしれません。それどころか最近になって向日葵にも除染効果が期待できないと報道されています。向日葵の除染効果について政府もマスコミもあれだけ吹聴したのですから。効果が在ったのか全くなかったのか検証するのが責任でしょう。
検証してみて、向日葵の前で”御免なさい”頭を垂れるのが正直者の在るべき姿勢でしょう。勿論向日葵を植えた汚染地域の小中学生にも謝らなくてはなりません。
此れは八王子に在る共立女子中学校の生徒さんが実施した福島支援の「向日葵里親プロジェクト」です。福島えの支援金の募集を呼びかけ支援者には女学生が育てた向日葵の種をプレゼントする仕組みです。こんな素敵な女学生に寄り添われたら、被災地の方々も勇気が出る事でしょう。出典共立第二女子中学校HPhttps://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RivceL.p1Zuz4AzTMdOfx7?p=%E3%81%B2%E3%81%BE%E3%82%8F%E3%82%8A%E9%87%8C%E8%A6%AA%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88%E5%85%B1%E7%AB%8B&aq=-1&oq=&ei=UTF-8
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