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石仏ウォーキング

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街道に佇み、また結界を守護する石仏を行脚します。忘れられた石仏の気持ちになって、信仰を忘れた現代人に語りかける、そんな積りです。
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自殺する大杉

江口きちさんのお墓を詣でて、私達は又石仏巡礼に戻りました。此処川場村からお隣の片品村は果樹の産地で果樹園農家が目立ちます。もう林檎の花も終わって、青く硬い果実が目につきます。西向き道祖神を見て、更に林檎の樹の下にマリア観音を見て隠れキリシタンの墓を廻ろう…、思っていたのでしたが、腹も減って来ました。そこで果樹園のレストラン「ティア・ツリーhttp://www.tiatree.com/に入りました。
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これが林檎園の中に祀られている西向き道祖神この近くにマリア観音が有名なのですが見つかりませんでした、次のブログをご参照くださいhttp://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=%E5%B7%9D%E5%A0%B4%E6%9D%91%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E8%A6%B3%E9%9F%B3
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これが果樹園レストランのティアツリー。白い花が付いている果ブルーベリー後ろの杉の森は「厄神社」この鬱蒼と茂った杉の大木に自殺したとしか思えない杉が在ったのです。
私はズット「江口きち」さんの自殺が頭から消えません。26歳の若さで才能が消されてしまったのは残念でなりません。青酸カリをコップに溶いて死の淵に臨んでいたのでしした。しらしら夜が明けて庭の桐(この桐は母が娘の誕生を祝って植樹したもの)の樹の梢では雀が囀りはじめました。また天地が廻り始めて昨日と同じ一日が始まります。きちさんの自殺願望は美しい自然の誘いも在って。もう押しとどめられなかったのでした。時代の空気も自殺を肯定していました。太宰治も有島 武郎も自殺しました。文学の行きづまり「筆を折る」自覚が自殺に短絡したのでしょう。美しく優しい川場村の自然に包まれていると早く土に還って再生したいと思ったのかもしれません。社会思想史学者「丸山真男」氏は世界の神話を基本考察して、「造る」「生む」「なる」の三つの動詞があるとがあると指摘されました。「造る」とは神が人間をつくる」の「造る」です。「生む」は神々が結婚して性行為を営み宇宙が生まれたとする生殖行為です。そして「なる」は自然に内在する神秘の霊力によって宇宙が出来たとするするのが「なる」神話です。日本の神話は「なる」によって出来ています。一方キリスト教は「造る」神話に依っています。丸山氏は「なる神話」が日本人の消極的な姿勢の根本にあると指摘して評価が低いのです。「なる」は「林檎がなる」「桃がなる」のナルであり。林檎を造る」「葡萄を造る」のそれとは自ずと違います。営々とした大自然の活動の成果が林檎や桃が「なる」になるのです。江口きちさんの育った川場村は「なる」文化の地です。時として林檎の樹も枯れてしまいます。林檎の樹に水分が無くなって萎れてしまう事を「死」と呼びます。人間も年齢と共に萎れて行きます。そして死んでしまえば枯れ木になってしまい最後は土に還ってしまいます。更に種が発芽するように、外部環境が揃えば命が生まれます。
私達戦後世代はキリスト教文化の洗礼を受けていますから造る神話の考えが入っています。江口きちさんは「なる神話」に生きた人でしたから自殺を押し留める力が無かったのでしょう。
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レストランのテラス席からは正面に厄神社が見え大杉の森が鬱蒼と茂っています。
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でも大杉の森の田圃寄りの一本が枯れてしまって茶化してしまっています(写真右寄り)筆者はこの大杉は病虫害で枯れ始めたのでも落雷でもなく自殺したものと思っています。
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これで800円のピザランチセットです。

そんなことを考えながら果樹園レストランのティアツリーのテラス席に座りました。 武尊山からやまおろしが吹いてきます。春ゼミと雨蛙の合唱がけたたましく五月蠅く感じます。向こうの厄神社の杉の森が鬱蒼と生い茂っています。
でも大杉の一本田圃寄りの一本だけが赤茶けて枯れています。私は不思議に思ったので主人に訊いて見ました
「神社の大杉が一本だけ枯れているようですが?何故あの一本だけ枯れてしまったのですか?」
でも主人の答えは
「解りませんねえ!杉に寄生虫がついたのでしょうかね?それとも農薬の薬害でもあったのでしょうかね?そんなはずないのですが…)要するに杉の森で一本だけ枯れる理由は思い当たらないようです。
昔植木屋さんから聞いたことがありました。人間だけが自殺する自由があると言いますがそんなことは無い。樹も気が喰わないと自殺してしまうんだよ。移植した先の新しい土が体に合わないと枯れてしまうし、植木の手入れを怠って野放図に伸ばしておいても枯れてしまいます。勿論ヤシや竹は何十年に一度花を咲かせてそのあと集団自殺してしまいます。龍舌蘭も70年に一度花を咲かせると母体は枯れてしまいます。これらは自身は枯れても子孫を残すそんな大義というか大きな目的があるのですが。外部の環境が気に食わないと樹は自死してしまうのです。間伐を怠っても自死してしまうので樹は時々幹を触って下肥をしてやらないといけません。
人間が庇ってやらないと樹は拗ねて自死してしまうというのでした。
その通りだとすると厄神社の大杉は川場村の村民が見向かなくなったので自死してしまったのかもしれません。
栩木屋の庭に植えられた桐も主人の江口きちさんが自殺したので自死してしまったのかもしれません。栩木屋の跡地に建っている星野商店(コンビニ風)には既に桐の樹はありませんでした。
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川場村谷地の交差点左側2軒目が(黄色い建物)星野商店で、此処が栃木屋のあった処でした。、江口きちさんはこのお店の店番をしていました。栃木屋は酒うどんを商うお店で日中は子供達相手に駄菓子を商っていました。バス停に赤い布巾を巻いておくとバスの運転手は栃木屋の店内にバス待ちの生徒が居るので停車したと言われます。きちは母が恋しくなると庭に出て桐の幹を抱いて泣いたと謡っています。
私は川場小学校の田村晴子先生の教室を想い起こししました。生徒は良い子ばかりでオルガンにあわせて「お山の杉の子」を唱和しています。でも学級委員のきちだけは冴えない顔をしています。この子だけは自殺願望という病にかかっているのです



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私達は川場村歴史民俗資料館に向かいました。川場村の尋常小学校を博物館に転用したものです。(建物は国の有形文化財)
同施設自体トラス構造の素晴らしい建物なのですがその東端に地域の歌人「江口きち」の展示コーナーがあったのでした。私は昔「水上に上州の啄木が居る」訊いた記憶がありました。北上川に石川啄木が産まれたのならば利根川の上流にも啄木が産まれて自然です。
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これが川場村の尋常小学校建物です現在右側が川場村歴史民俗資料館に左端に江口きち展示コーナーがあります。
川場村歴史民俗資料館の展示は充実していました。此処が縄文式弥生式遺跡が出土し、武尊神社や榛名じんじゃが熱く信仰されている事。天狗さんが信じられている事興味深く学びました。でも長い廊下の逆の位置に立っている江口きちさんの写真に招かれて同女の展示コーナーに入り強い衝撃を受けたのでした。其処で。急遽変更してこの後は江口きちさんの墓参りをすることに決めたのでした。
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この写真に引っ張られて私達は江口きちを学びました。
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廊下の展示された農機具や養蚕の道具右手が事務室建物の1階はコンクリート造りでその上部に木造トラス構造の学校が乗っています。
【江口きちの生涯】
江口きち略歴 大正2年(1913)−昭和13年(1938) 
 上州武尊山の麓、利根郡川場村谷地に、父熊吉、母ユワの長女として出生。両親は共に他県の出身で、各地を放浪の果て川場に住み着いたもの。「きち」には流れ者の血筋の疎外感が根強く、きちの厭世観の原因と思われる。兄弘寿は幼時の脳膜炎の後遺症で障害が残り、家族の心配の種であった。きちは表情の無い兄に優しさを見出し、常に面倒を看る一方,下っ端博徒の父は失踪を繰り返し、暴力をふるう。母ユウは三人の子供を抱えて川場尋常小学校の門前に駄菓子屋・飲食店「栃木屋」を一人で切り盛りする。きちは母の苦労を見て、店番をする。潔癖なきちは父を生涯憎悪する。孤独だが負けず嫌いで学業成績は優秀。小学校の担任田村晴子や林卓爾の影響を受け文学に目を開かれる。17歳で沼田に出て郵便局に勤めるが、僅か4ヵ月後に母が脳溢血で急逝。家族を養うため家業を継ぐことになる。母を亡くして直後から厭世観は強まり死を願望するようになり、当時頻発した太宰治や有島育郎芥川龍之介ら文学者の自殺を観察するとりわけ大磯で起きた「坂田山心中事件/慶応の大学生と令嬢の心中事件「天国に結ぶ恋」として話題になった」に少なからず影響を受けたと思われる。文学的には、田村晴子の勧めで河井酔茗・島本久恵夫妻の主宰する文芸誌「女性時代」誌友となり短歌を発表する。双木恵、飯田章子や涼子の筆名で7年足らずの間に1000余首の歌を作る。母の死後、きちの厭世は深まり、25歳で兄を道連れに服毒自殺。死装束は自分で縫った純白のドレスに赤いカーネーションを付けて、辞世の短歌は
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江口きち展示のクライマックスはこの自分で縫った死装束です。胸に飾った赤いカーネーションが少女の純潔を示していじらしいばかりです。
大いなるこの寂けさや天地の時刻あやまたず夜は明けにけ
睡たらいて夜は明けにけりうつそみに、聽きをさめなる雀鳴き初むを残し、自ら26歳の短い生涯に幕を閉じました辞世の歌二首を便箋に書き残す。後に島本久恵等により遺稿集「武尊の麓」などが刊行されている。
【司修著幽霊】
私は前記死装束に強い感銘を覚えて先人の「江口きち」の調査を確認しました。その中でなるほどと思ったのは前橋出身の小説家「司修氏の幽霊でした。作者は川場村青年に扮し江口きちの良き相談相手幼馴染として自殺願望のあるきちの理解者になってきちの自殺までの揺れ動く心を見詰めて行きます。幼馴染には桂昌寺の娘や旅の芸人に騙されて駆け落ちしてきちに助けを求めた少女(がいたりします。当時の川場村は貧乏で死が生活の隣りあわせであった事が美しい自然の中に描かれています。桂昌寺には最愛の母「ユウ」が眠っていますのできちは度々寺に行きます。そして母の墓の傍に在る「奪衣婆」を眺めます。
慧ちゃん(桂昌寺の娘」のお家にはとっても怖い顔をした奪衣婆がいるでしょう。彼の世の門番よ。幼いころは怖くて近寄れなかったのだけれども母が桂昌寺の墓地に埋まってから願ことをしたり花を奉げたりしていたの不思議なものねえ。墓地に行くと幽霊もお化けも蛇も奪衣婆も怖くなくなってしまっているの…」ときちに云わせていました。
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きち女そして最愛の母ユウのお墓の傍に祀られている奪衣婆像

【桂昌寺の墓】 
私達は川場歴史民俗資料館の江口きちコーナーを出てきちさんのお墓を詣でたいと思い桂昌寺に向かいました。桂昌寺は田圃の中に在りました。私達がお寺の駐車場に入ると直ぐに自転車が走って来ました。自転車は桂昌寺の大黒様【奥様】が乗っておられて
貴方たちは短歌の愛好家ですか?」尋ねられました。私達は「今江口きちさんの展示を見て感動したのでお墓参りをしたいと思ってまいりました。石仏とりわけ当地の奪衣婆を見て回っています」
大黒様は親切な方でお墓にも奪衣婆にも案内してくださいました。大黒様ご自身も短歌をされるようでノートをお持ちでした。
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これが江口きち女が眠っている桂昌寺本堂の裏左手に同女のお墓があります。
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これが江口家の墓手前がきち女の墓で側面に辞世の短歌が刻まれています。中央が父熊吉と母ゆうの墓です。奥は妹たきの墓です。江口きちが世に知られるようになったのは妹夫婦の尽力河井酔茗・島本久恵夫妻の主宰する文芸誌「女性時代」の同人の理解があったからでした。
【恩師の嘆き】
後に私の一番に感銘を受けた事を紹介します。それはきち女の自殺を聞いた恩師の悲みでした。展示コーナーにはきちの才能を早くに見つけだし指導を惜しまなかった先生の寄稿がありました。厭世感が角って自殺願望が制御できなくなったきちでしたが先生方の血涙を流す姿を見た時には後悔しても後悔し尽くせなかったことでしょう。最後にきちの担任だった田村晴子先生の詩を紹介します。
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詩と云い書と云い才色兼備で居られた田村晴子先生の寄稿
きっちゃんの霊前に捧ぐ 田村晴子

あなたの死を知った時の驚き
そして悲しみ惜しさ
涙がとめどなく流れ
三目も四目も泣き通しだった
通勤のゆき帰りに涙をふきふき歩き
電軍にの加ぱ窓に頬を押しつけて泣いた
わたしのわたしのだいじなだいじな
掌中の珠は一瞬に砕け去ってしまった

きっちゃんは清純を愛した
きっちやんは情熟の人だった
きっちゃんはやさしく情深かつた
きっちやんは努力家だった
きっちやんはっっましやかな人だった
きっちゃんは真実ひとすじに生き通した
だからだからだから“
きれいなまま死んでしまった
きっちゃんには死は恵みだつたのか
死は一つだけゆるされた自由であり
歓ぴであり最後のわがままだったのか

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昔は立派な先生が日本中に居たのでした。でも田村先生、一箇所だけ誤りがあります。自殺はキリスト教も仏教も否定しています。人間は動物と同じで一度生を受けたら生を全うしなくては死ねません。それは先生の悲しみが証明しているではありませんか?「あなたの可愛い生徒もあの世で悔やんでいますよ・・・・、奪衣婆の優しさに騙されて私の大切な先生に悲しい想いをさせてしまった・・・。」と「近々自殺する自由」について書きたいと思います。実は川場村で自殺したとしか思えない杉の大木を見つけたのです。


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奪衣婆に急ぐ高橋お伝

昨日は磔茂左衛門地の史蹟を千日堂に訪ねて事を記しました。もう一つ沼田には有名な故事が残されています。此処は明治の毒婦「高橋おでん」の出身地なのです。市内を走ると「高橋」姓が目立ちます。焼き鳥屋さんも時計屋さんも蒲団屋さんも看板は高橋です。橋が多い街です「から高橋」が多いの納得です。千日堂の集会場の壁にも「高橋お伝」と「白小屋駒子」の絵が懸っていました。沼田の小学生が此処に来て磔茂左衛門地の記憶を学んで、その隣に罹っている「高橋おでん」や「白小屋駒子」の絵も見れば興味は毒婦に集中する事でしょう。子供も大人も偉人の伝説より「悪人」「毒婦」の話の方に惹かれるものです。お伝も駒子も美女です。美女が曳きたてられ.惨殺の刑が執行されたとなると「何で美しいのに悪い事をしたの?」「何で惨い惨殺されたの?」興味が湧くものです。
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千日堂の集会場に貼られた明治の毒婦「高橋お伝」の図。オ伝の脇に居るのはヤクザ者の市太郎イメージ 2
此方は「白小屋お駒」の図。沼田は江戸中期の「お駒」明治維新の「お伝」二人の悪女を輩出した訳で、何れも人気の浄瑠璃等戯曲になっています。享保11年(1726年)江戸市中を震撼させたに発生した「白子屋事件」が発生しました。大岡忠助は審議の上主犯として「お駒」を市中引き回しの上獄門に処した。絵は「引廻しの光景で、江戸市民は評判の美貌の悪女を一目見ようと沿道に押し掛けました。裸馬に乗せられた「お駒/享年23歳」は白無垢の襦袢に黄八丈の小袖を着て水晶の数珠を首に懸けています。そして静かに経文を唱えていたという事でした(河竹黙阿弥歌舞伎『梅雨小袖昔八丈』お駒は日本橋随一の美女として有名でありましたが。事件の経過は次の通りです。
日本橋の材木商白小屋の主(伝七郎/妻お駒)は下女の菊に頸部を切られてしまいます。その真相が調べられます。結果は伝七郎とお駒の夫婦仲が悪かった事から「お駒が菊に犯行を教唆されたと自白します。お駒は主人の伝八郎を嫌い手代の「忠八」と結ばれたいと計画して伝八郎の毒殺なども計画したと自白したのでした。この絵を見ているとふと「天国の駅/吉永小百合主演」を想いだしました。

【高橋お伝の事件】
オ伝は嘉永3年7月に利根郡下牧村【現水上町」に産まれ生後すぐに養子に出されました。慶応2年【1867年】同郷の高橋浪之助と結婚して横浜に転居します。ところが明治5年(1872年)浪之助がらい病が発覚。オ伝は厚く看病に明け暮れます。その後やくざ者の小川市太郎と恋仲になる。市太郎との生活で借財が重なり、古物商の後藤吉蔵に借金の相談をしたところ、愛人になるなら金を貸すと言われる。
明治9年(1876年)8月 吉蔵の申し出を受け入れ、東京・浅草蔵前片町の旅籠屋「丸竹」で同衾した。しかし、翌日になって吉蔵が突然翻意し、金は貸せないと言い出したため、怒ったお伝は剃刀で喉を切って殺害。財布の中の金を奪って逃走する。
9月9日 強盗殺人容疑で逮捕される。 明治12年(1879年)東京裁判所で死刑判決。市ヶ谷監獄でで死刑執行。8代目山田浅右衛門の弟の弟吉亮により、斬首刑に処された(お伝は日本で最後の斬首) その遺体の一部(性器)は東大医学部に保存されたと言い伝えられるが詳細は不明)墓は小塚原回向院で隣は片岡直次郎鼠小僧次郎吉腕の喜三郎となっています。 処刑の翌日から新聞に掲載され評判になりました。これが後の「毒婦物」の契機となる。明治14年、お伝3回忌のおりに仮名垣魯文の世話で谷中霊園にもお伝の墓が建立された。お伝を素材にした芝居は大当たりが続き有名俳優の墓参りが絶えませんでした。
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錦絵新聞の高橋お伝獄中の図出典:東京大学ライブラリーhttp://www.meitan.j.u-tokyo.ac.jp/detail/13558蕉窓(三島蕉窓)画
映画でも歌舞伎でも高橋お伝の辞世は次と云われていますし。上記の錦絵新聞にも載っています。
     しばらく望みなき世にあらむより渡し いそぐや三津の河守
この辞世はお伝の哀れを想って仮名垣魯文が作ったものと云われています。
三津の河守(みとのかわもり)とは三途の川の番人の意味で奪衣婆の事でしょう。
今回見てきたように水上川場には奪衣婆が数多く祀られていますし、今はまだしも幕末維新には未だ強い信仰が在った事でしょう。
お伝の斬首は上手に行かず凄惨を極めたそうです。お伝は死刑執行人の腕も鈍っていることを知っていたのかもしれません。現世で長い間苦しむより早く来世に行きたい、奪衣婆さんにあって優しい声を掛けて戴きたいと思っていたことでしょう。
「善人尚もて往生を遂ぐいわんや悪人おば」とは歎異抄に出てくる親鸞聖人の教えのエッセンスです。少しばかりの善人は善行を量ねてその功徳で往生したいと思うものです。自力往生を願う癖は他力本願の神髄が解らないものです。この意味で逆説的に親鸞の教えを説いたものが「悪人正機の説」だったのでしょう。「少しでも早く奪衣婆に逢いたいと」急ぐ気持ちは宗教の正道を行くもののように思えます。
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人を憎まず罪を憎む図/悪人の衣服に剣を立てて怨みを想い留めた教え/江の島龍の口龍口寺山門欄間)
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川場村天桂寺の脱衣婆像高橋お伝の故郷は奪衣婆信仰が強いのです。

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奪衣婆を探しして私達は川場村の吉祥寺を詣でました。
春セミが時雨の様に鳴きやみません。石畳に「落し文」を見つけて梢を見上げました。雨蛙と春ゼミの啼き声を圧するかのように時鳥が啼き出しました。今夏初めて聞く時鳥です。流石に吉祥寺吉祥が重なって迎えてくれました。
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地面に散らされた「落し文」ポケットに入れてワイフへのお土産に持ち帰りました。
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川場村吉祥寺山門(重文)建長寺の末寺のこ古刹は花の寺としても有名で、期待した水芭蕉や座禅草の花は既に終わっていましたが九輪草が盛りでした。「花と石仏」が絶妙のバランスで眺められました。
池の水芭蕉は既に終わっていましたが九輪草は今が盛りで菖蒲も咲き始めていました。総じて樹木も大きく建物も大きいので反日蔭の植物が多いようです。九輪草さんの次は私よ云わんばかりに時鳥や萩が芽吹いていました。この古刹は和の花を育てて石仏の美しさを顕正しているのです。
釈迦堂の前に如意輪観音が物思いに沈んでおいでです。観音様の目の前には露草の花が咲いて居ます。でも如意輪さんのお肩に何かが蠢いています。そう褐色の肌で鱗が無気味な蜥蜴です。
私は傍らの富田君に指さしして蜥蜴を示しました。未だ早朝なので蜥蜴は観音様の肩で暖を取っているのでしょう。充分に体が温まったら朝の狩猟に出かけるのです。蜥蜴君の食べ物は春ゼミや雨蛙で古刹は蜥蜴の餌場としては絶好です。
私は榎本其角の句を想いだしました。
その声で蜥蜴食らうか時鳥
声裳姿も美しい時鳥が蜥蜴を食らうのか?と吟じたもので「人や動物は見かけによらないもので、外見と中身が異なり驚かされる」と喩えられています。「蛇食うと聞けば恐ろし雉子の声」 も同じ趣旨の句です。『外見は菩薩でも心(真実)は夜叉である』という指摘は人間世界でも一面の真実です。
しかし、私は『外見夜叉でも心(真実)は菩薩(聖女)』を奪衣婆にみてきました。『鬼面仏心」こそ奪衣婆の真骨頂です。不細工な女性ほど心優しい事は浅薄な私の女性遍歴の中で得た知識です。
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水芭蕉の池の畔に珊瑚草が咲いて道祖神が夢見ておいででした。
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九輪草の向こうには如意輪観音が
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紅色の中で一株白い九輪草が咲いて居ました。九輪草は桜草の仲間なので交雑が進み易くピンクこそありませんでしたが紅白斑の九輪草も多く楽しめました。
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紫露草の花陰で物思いに沈んだような如意輪様その左のお肩の上に蜥蜴が現われました。
私達は蜥蜴を確認してから方丈庭園に廻りました。約一時間方丈庭園を鑑賞して又この場所に戻ると蜥蜴君は未だ如意輪さんの肩の上で暖を取っていました。蜥蜴君は耳が無いので時鳥の啼き声に気付かないのでしょう。安心しきって日向に居ると命を粗末にすることになりますよ。教えてあげようと思うのですが此処が好きで離れ難いようです。
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レンズを近づけても一向に動じない蜥蜴君。擬宝珠の葉陰が棲家なのでしょう。
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菖蒲が咲き始めていました。新しい五〇〇羅漢さんが池の菖蒲を眺めて居ました。山門上には五〇〇羅漢が祀られているのですが私は麻痺しているので重文の山門楼上には。登れませんでした。「また来いや!次回は奥さん同伴で」羅漢さんから声を掛けられた気がしました。家に帰るとワイフが私の汚したズボンをチェックしてポケットの「落し文」をみつけました。萎れた葉の筒を見つけてワイフは「何よこれ?」言います。
私は「この葉っぱは、私のラブレター」言えば「もう少しいいものを下さいな!」注文を付けられました。
処で吉祥寺の方丈庭園では久々に笹ユリを視ました。笹ユリが自生するお寺は魅力です。


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群馬県の吾妻川に沿って石仏巡礼をした記憶は軽井沢のマリア観音に始まり中之条町の抱擁道祖神、更に片品川川場村の味噌舐め奪衣婆に辿り着きました。今日は旅の最初に戻って軽井沢の馬頭観音を紹介します。
上州は明治維新になって群馬県と名付けられます。上野とか赤城とか榛名とか名づけずに馬が群れているという名は思い切ったものでした。馬が付きそうな県とすれば古代の馬の産地だった長野県や騎馬軍団で怖れられた山梨やチャグチャグ馬っ子で有名な岩手県等が考えられますが、それらには馬も牧場を想わす一字もありません。
群馬県に入るには碓氷峠(中山道)か三国峠(三国街道)を越えなくてはなりません。馬が重要な手段であったのでした。その為でしょう。群馬県には馬頭観音が目立つのです。江戸時代馬は流通手段であると同時に、田圃の土起こしを行う、生産手段でした。中世500万人程度だった人口を近世3000万人まで増やせられた要因は馬を活用した事に在ると思うのです。
優秀な馬の存在は一家の貧富を決定する程重要だったのでしょう。従って馬は大切にされ馬の守護神馬頭観音は篤く祀られたのでした。
今回一緒に旅した仲間とは2年前も馬頭観音巡りをしました中山道海野宿東御村を越えて湯の丸高原に向かう街道には百観音が祀られています。百観音は湯の丸を越えて鹿沢温泉にむかう湯治客の安全を祈願して祀られた「村おこし石仏群」でした。地蔵峠を越せばもう群馬県の妻恋村ですから日本武尊もこの道を通って東征に及んだものでしょう。
その50番目が巨大な馬頭観音でした。2年前もオレンジ色の蓮華躑躅が馬頭観音像を彩っていました。
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これが海野宿から鹿沢音声ンに行く街道に祀られた百観音中の50番観音馬頭観音像。左の大樹は槐の大木で弘法大師の杖が根を出して自生した言い伝えがあります。
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これは鹿沢温泉街道の馬頭観音の上半身です。大作だと思います。

伊藤君は私達を案内してくれます。場所は中軽井沢駅の東側別荘地の中です。樹の梢越しには軽井沢の目印「離れ山」の頂が見えます。別荘地は野澤組のもののようです。案内板には野澤組が篤信で「碓氷峠の群馬県側にあった馬頭観音を此処に遷座してお祀りしている」書かれていました。
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これが中軽井沢馬頭観音像です。全身丸彫りの強大な力作です。野澤組軽井沢山荘の門前に遷座して在ります。
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馬頭観音の頭部正面憤怒相は意外と穏やかです。左右のお顔は野風僧を思わす餓鬼大将のようなお顔です。イチイの樹を背景に立っておいでです。
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馬頭観音像は野澤組の軽井沢山荘の門に在ります。野澤組とは?私は地元の土建屋と直感しました、工事受託地に馬頭観音があったので仕方なく自社地に遷座して祀ったのだろうと想像したのでしたがネットで調べると群馬県にある畜産会社と判明しました。畜産会社だから馬の守護神を祀っているのでしょうがhttp://www.nosawa.co.jp/blog/2011/08/post-1.htmlhttp:。//www.nosawa.co.jp/company/。冷静に考えるとこれは窃盗行為です。本来この馬頭観音像は碓氷峠の寒村の所有でありましょう。それを自分の庭に持ち去るとは言語道断です。ところでこの山荘ですが桂太郎氏の軽井沢別荘を移築したものだそうです。
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馬頭観音の見事なたてがみ人間の三面の上に立派な馬顔が乗っています。

ところで軽井沢町の教育委員会作成の案内板にはこの立派な馬頭観音像は碓氷峠の北側の二手箸の袂に祀られていたと在ります。それが現在野澤組の自社地の門に在るのです。本来石仏は祀られていた場所に在るのが自然であるのに幾ら言い訳しても自社地に在っては不自然ですし、美しいとは思えません。野澤組が如何に言い訳してもこうした行為は神仏に唾する行為です。早期に本来祀られていた場所に返還して祠でも建てるべきであります。野澤組が現在も畜産業で業績を上げているのならば。罰を受ける前に馬頭観音は遷座すべきだと思います。今回の石仏巡礼ツアーでも本来あるべき道祖神が無くなっていました。多分盗難されたのでしょう。


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これが馬頭観音の案内本来群馬県に在った馬頭観音が現在は長野県軽井沢町に在るのは不可思議です。

石仏が一番美しいのは現在も信仰する人がいる事です。共同体が存続していて共同体の成員が今日も朝晩お詣りしている、そんな光景が一番美しいし、石仏も快い事でしょう。
昨日迄書いていた味噌舐め奪衣婆もそうですし。京都の地蔵盆のお地蔵様も子供達に囲まれていてこそ美しいし、お地蔵様もお喜びでしょう。
2年前足助を旅した時偶然見つけた馬頭観音は見事でした。私の生活圏では江の島道の馬頭観音にはいつも人参が供えられています。一遍遊行堂の近くです。
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愛知県足助の馬頭観音像善光寺道を見下ろす位置に巨大な馬頭観音が祀られていました。この村の人は柿の実も鳥や獣の為に残してあげる優しい一揃いでした。バス停には文庫本の貸し出しや新聞ポストが集まっていまあした。まだ共同体がワークしている事が察せられたのでした。

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