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2回目。 初めて視たのは、2、3年前か?長男の紹介でふたりで視に行った🎥👦👩 今日は2回目なので、更によく理解できた😋 広島に生まれ、呉へ嫁いだすずさん。 すずさんのように、風に流されるように生きたら、どんなに楽だろう…😌 すずさんは姪のはるみちゃんを戦争で失い、自分の右手も失った🥺 私ならその時点でアウトだ😔💧 絵を描くのが好きなすずさんが、右手を失うなんて😭 普通の日常だから、空襲のシーンはとてもこわかった😫💦 全編を通して、淡々とどこにでもある生活が流れる。だからこそ、平和の貴重さを痛感した😌🍀 昔の人は、こういう世界で生きて来たのだ。今の私なら何ができただろう?🥺 美しい絵とともに、とても感慨深い時間を過ごした🛳⚓ 戦争…と言えば、私の祖母を思い出す…😌 祖母は戦争中、奈良市の南にある大安寺という村(当時)へ、食料の買い出しに行った帰りに、路上で艦載機の機銃照射を受けた🛩昭和20年8月、終戦の直前だった🇯🇵 空襲警報もなく、いきなりだった。 祖母は白い日傘をさして、農家で譲ってもらった野菜をいっぱい詰めた袋を抱えて、炎天下の地道を歩いていた。 そこへいきなり爆音が轟いて、艦載機の襲撃が!🛬💥 道に倒れた祖母の目の前の道に、バラバラと弾の嵐。転がって逃げた先にまた集中攻撃が💥💥 祖母が見上げる視界に、超低空の艦載機の赤い腹が見えて、操縦する兵隊の顔は笑っていた👨🏽🚀 祖母は腹が立った😤 「お前らに、こんな所で殺されてたまるか!」 祖母は叫んだという👩買った野菜は道に転がり、畔を転がり田んぼの中へ落ちた🍅🍆日傘も吹っ飛んだ。 艦載機は去って行った✈ 灼熱の道に倒れた祖母👩 情けなくて涙が流れる😭 「奥さん、大丈夫!?💦」 近くにいたらしい人が、助け起こしてくれた👵 「おもしろ半分に撃ちよったんや?!💢」 人たちは怒った😤 「せやけど、助かってよかった…!」 この時の日傘は、私の小さい頃まだ家にあった⛱弾の跡が黒く残っていた。 ある時は建物疎開に遭い、「家つぶすんやったら、うちを殺してからにせえ!」と、柱にしがみついたと言う祖母👩 こんな力ない女たちが、日本を支えたんだ😌❤ ※建物疎開 = 空襲が激しくなり、延焼を防ぐために、家が密集している町の家を壊して家の間引きをすること。 |

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ナイスポチ👍
2019/8/4(日) 午前 5:00 [ RGM-122 ]
RGM-122さんへ
ナイスをありがとうございます!😋❤
2019/8/4(日) 午前 7:04 [ dokinchan ]
ナイス
2019/8/4(日) 午後 10:00 [ 釣りキチおやじ ]
釣りキチおやじさんへ
ナイス!をありがとうございます!😋❤
2019/8/5(月) 午前 0:17 [ dokinchan ]