|
幾つの別れ
出会いを、繰り返してきたんだろう あなたとともに 誰と出会うにしても、1人ではなかった。 いつでもあなたと共に出会い、泣き、笑い、過ごした。 あなたと共に愛した。 愛してくれた。 私たちは、あなたのもと(懐)で、愛で一つになった。 永遠にあなたと共にあるために |
全体表示
[ リスト | 詳細 ]
|
久しぶりに、書いています。
最近。あまり書きたいなと、思うことがなくて、書いていませんでした。m(_ _)m 今日は、亡くなった父親の誕生日でした。一歳のとき、事故で亡くなったので、記憶は全くありません。 でも、知らないはずなのに、様々な、映像が、心に蘇ります。 神様が、見せてくださってるのでしょうか? 記憶にないはずなのに、その時のことが、つい昨日のことのように、 感じられました。 全然、知らない、記憶にないのに、ただ、懐かしくて、温かい。 私が、神様と出会えたのは、父がいなかったこの環境が、あるからだと、つくづく思う。 もし、父がいたら、会いたくても会えない、切なさや、苦しさ、呼び続ける思い、わからなかったと思う。 結局、人生って、神様を知る為にあるんだよね、 皆が、神様を知るように、計画されて、人生を歩んでる。気付くか、気づかないかは、別として、神様は、全ての人類に対して、そのようにプランしてる。 プランは、それぞれ、その人に応じて違うけれど、目的は、ひとつ。 神様のもとへ、父の懐にかえるため |
|
私は、こうして神様が、どのように、子を愛される方なのかを、知るようになっていった。
神様には、自分というものが、全くない。 愛する子の為には、全てを惜しみなく、捧げる方であるのを、その後の体験を通して痛感し、感動する。 私は、祈り、神様に体を貸します。私が媒介になります。そう、決意して出発したけれど、その後、自分の祈った内容の重さ、責任、神様の愛を全く知らないで、約束をしてしまっていたことに、気付き、後悔したこともありました。 神様は、姉妹を赤ちゃんのように抱きしめおられたので、私も同様にしなければなりませんでした。何故、赤ちゃんに接するように神様が、されるのかは、また、後日書きます。重要な内容があります。 赤ちゃんの時は、親は何も子に要求せず、泣けばあやし、お腹がすけば、乳を与え、オムツが汚れたら、黙って替える。 そこにあるのは、我が子可愛い真の愛 見返りや、要求など何もない。 ただ、愛したい、愛していることに喜びをかんじ、ただ、愛するためだけに自分は存在している、神様でした。 その神様の愛を表示するための身体なので、 私、自身もその愛を成就する目的のためにある、それは、自分という存在を、自我を無くすという、私の闘いにそのままなりました。 神様の愛を成就することは、=私の愛の訓練、 信仰、み言葉の実践に繋がりました。 神様の真の愛を知らないで、堕落してから産まれた、私たち人間は、真の愛を知らないために、愛に対して、また、人間に対して不信感をもっています。この、不信こそが、神様の敵であり、怨讐です。親である神様は、私たちに蔓延るこの不信を取り去るのに、とても苦労されています。 誰も不信したいとは、思ってはいないけれど、今までの体験や生活の中で、裏切られることが、続き、自然に警戒心が生まれ、不信に変わる。信用したいけれど、安易に信用したら、身に危険が及ぶ。だから、まず、人間は疑いから始める。悲しいことだけれど、仕方ない。 サタンが、そのように、世を操り、人々に、不信感を与えているからだ。 長い間、不信に苛まれてきた人が、本心から心を開き、信用することが、どれほど難題なのか、やってみて、初めてわかる。 とても私たち人間だけでは、不可能、 神様の真の愛なくしては、絶対に出来ない。 その扉は硬く、重く、私が開けられる扉ではないからだ。 また、真なる父神が近づくことを、何より恐れるサタンが、神様が愛そうとされる姉妹に働くために、姉妹を愛すると同時に、姉妹の背後にあるサタンとも闘わなければならない。姉妹の背後のサタンとの闘うということは、まず、自分、我、自己中という内なるサタンと闘わなければならない。 自己中では、神様に遣われるものにはなれない。神様の本質が、正反対、為に生きる方だから。自己中では、神様の身体にも、遣われるものにもなれない。だから、宗教は、奉仕を教えるのだと思う。 つまり神様の身体になるということは、サタンから離れなければ出来ない。神様が愛することを、お手伝いするというのは、そのまま、私がサタンから解放されることになる。 神様が、全知全能であり、愛であることの証明になる。神様の救いは、兄弟姉妹の救いであり、私自身の救いに繋がっていく。 愛が循環すれば、全てが成就する これが、父神が初めに創ろうとされた理想の世界なんだと、、私は教えられてきた。実体験をもって。 だから、神様の愛を確信できた。 そして、私は、神様が私を通し愛された姉妹が、どれだけ神様に愛されているかを、明かせる証人になりました。 一緒に愛したから、よくわかる 一緒に愛したから、私が明かせる あなたは、確かに神様に愛されてるよ! あなたを思う一途な神様の思いをずっとかんじてきたんだから 私の生活も、目も、耳も、口も、全て、あなたの為に用いられたといってもいいくらい。 家族よりも、一緒にいた時間が長い。 あなたが、泣くとき、私の胸は締め付けられた あなたが、笑うとき、私は幸せになった あなたが、笑えるように、幸せになるように そのために、私はいた あなたが、何かトラブルになったときは、我知らず、心配で、電話した。 悲しい、落ち込んだ姿で現れたときは、 事情を聞かずにはいられなかった。 あなたの心が平安であることが、私の平安だった。 この私は、神様の心情なのか、私の思いなのか、すでにわかりません。 一緒に愛してきたので、 私にとっても愛する姉妹です。 神様に、言いたいときも、あった。 私は?私の存在は?私という存在、 忘れてませんか? 私の存在は、まるで無視されているかのような日々でした。 神様が愛する姉妹に、やきもちやく時もありました。 今は、もうありませんが(^◇^;) それが、当り前になってしまいましたし、 少し成長したみたいです。 普通、このような生活をしていたら、家庭が崩壊しますが、全くなく、返って家族の絆は、深くなりました。神様が護ってくれていましたから、 神様は、ただ、私を犠牲にするような方ではありませんでした。 愛においても、何においても、平等であり、 公平な方である。 聖書、み言葉の通りです。 |
|
姉妹たちは、霊的に北風の中にさらされている状態であり、傷つくことを、恐れ
コートのボタンをしっかり閉めるように 心をしっかりととじていた。 信仰とは、忍耐や、犠牲を要求される そして、愚痴ることも、怒ることも、泣くことさえ、許されなくなる。誰が許さないのか? 神様か? 許さないのは、他者の目であり、己自身である 教えに逆らうような、行動や、言動は慎まなければならない。そうやって、自身を縛り、心に鍵をかけて、生きるしかなくなってしまう。 北風吹き荒む中で、コートを脱ぐまいと、必死な旅人と同じである コートを脱ぐようにと、諭しても、叱っても、 正当論を唱えても、脱ぐことはしない。 年々、コートを必死に掴む力が強まっていく。 旅人は、どうしたらコートを脱いだのか 簡単である。暖かくなれば、自然に脱ぐ その道理を、神様はよくよく知っておられる。 知らないのは、誰⁈ 信仰者の位置にありながら、 神様の愛を感じることなく、 信仰生活を続けるのは、無理に等しい。 何故なら今までには、なかったものを、沢山強いられる 重荷を、背負う立場におかれ、サタンからの、執拗な攻撃も、始まる。 愛なくして、それらを越えていくのは、不可能なことを、 父なる神、天のお父さんは、 知っている。 それから、身を護る盾も剣も、ただ、神様の愛のみである。み言葉、聖書と言われるかもしれないが、真理も、み言葉も、聖書も、全てが、神様の愛であるから、同じである、 しかし、愛がどんなにあったとしても、 絵に描いた餅では、意味がない。 味わってこそ、それがどんなものか、味や感触がわかる。 餅の絵をどんなに眺めても、満足できないのと同じ。 神様の愛も、聞いて、説明されても、心から、満たされないので、何処か寂しい。 その寂しい気持ちを誰よりも、知り、慰めたい父が神様です。 神様の愛は、太陽のように温かいから、愛を素直に受ければ、心のボタンを外しはじめ、重たいコートを背負っている自分に気づき、それを脱ぎたくなります。 |






