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【産経抄】
4月28日
2012.4.28 03:23 [産経抄]
江戸時代の初期、文武に長じていた後光明天皇(1633〜54年)が若くして崩御され、それまでの慣習通り荼毘(だび)に付されようとしたとき、猛然と反対した人物がいる。御所に出入りしていた魚屋の奥八兵衛である。
▼八兵衛は、御所の人々に「火葬は人の道ではないと、帝(みかど)は説いておられた」と涙ながらに訴えて回ったという。まさに至誠天に通ずで、後光明帝は土葬されることになり、昭和天皇まで続いている。
▼360年近くたったいま、その歴史が変わろうとしている。大震災や少子高齢化によって国の財政事情が逼迫(ひっぱく)する中、御陵建設などで多額の税金が使われるであろうことに胸を痛め、天皇陛下自ら火葬を申し出られたという。
▼人民が飢えているのに祖父の誕生日にあわせてミサイルをぶっ放し、派手で下品な行事を連発して恥じないどこかの国の三代目には思いもつかないだろう。消費税増税を国民に押しつけながら、豪華な赤坂宿舎の家賃をこっそり値下げした国会議員の連中も陛下に頭があがるまい。
▼天皇、皇后両陛下の合葬も天武天皇と持統天皇の先例があり、お二人の思いを尊重すべきであろう。ただし、行き過ぎた簡素化には反対だ。葬儀は、亡くなった人を弔うだけでなく、故人と縁ある人々の絆を確かめるためにあるからだ。
▼昭和天皇の「大喪の礼」では、平安朝風の装束をつけた男たちが、柩(ひつぎ)を「葱華輦(そうかれん)」と呼ばれる古式ゆかしい輿(こし)で葬場殿に運んだが、海外の特派員たちは「わたしたちは歴史の特等席に招待されている」と驚嘆気味に打電した。陛下は国民生活への影響を気にされているが、この国の象徴としての威厳を保ち、伝統を守る方が大切だ、と八兵衛なら訴えるはずだ。
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