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北久里浜での仕事を午前中に片づけ、今回は坂本龍馬の妻、楢崎龍ことおりょうさんを
追っかけてみた・・・。
 
<おりょう会館>
 
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京急横須賀中央駅から徒歩7,8分でおりょうさん終焉の地がある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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<おりょう会館>にあるおりょうさんの銅像。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
おりょうさんは、龍馬の死後、一時高知の坂本家に身を寄せたが、折り合いがうまくいかず、京都に戻った。その後、東京に出たが、頼るべき海援隊士が洋行中だったこともあり、東京の居心地も悪くなったらしい。やがて横須賀に移って、そこで西村松平衛と暮らすようになる。西村松平衛は、横須賀で回漕業を営んでいたと言われる(別に呉服商との説もある)。おりょうと松平衛の結婚生活は三十年以上に及んだ。明治三十九年(1906)一月、おりょうは六十六歳で横須賀米が浜通一丁目で死去した。
 

<横浜商工会議所>
 
おりょう会館から更に東に歩くと、横須賀商工会議所がある。
玄関正面に、ペリー提督予言の碑とペリー提督日本遠征記が展示してある。
 
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「予言の碑」
下に置かれている石は、ペリー提督ゆかりの地ニューポート市から贈られた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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「ペリー提督日本遠征記」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「予言の碑」にはこう書かれている・・。(一部抜粋)
日本人は卓越した手先の器用さを持っている。彼らの手作業の能力の完全さは驚くべきもののようだ。
ひとたび文明世界の過去及び現在の技能等を手に納めたら、日本人は将来機械工業の成功をめざす
競争に、強力な競争者として加わるであろう・・。
 
ペリーの洞察力には驚くばかりだが、この百十数年後に日本とアメリカが戦争し、敗れはするが、
ジャパンブランドの自動車や家電製品が世界中に溢れることまでは予想出来なかったであろう・・。
 

 
<信楽寺>
 
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再び京急線に乗り、京急大津駅で下車。
駅前におりょうさんの街大津と書いてある
看板の金物屋がある。
 
 
 
 
 
 
 
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7分ほど歩くと信楽寺に着く。
おりょうさんの墓所があるお寺だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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明治39年、66歳で他界。
暫く墓碑を建てることが出来なかったが、
元海援隊の協力などを得て、死の8年後に
この墓碑が建立された。
墓碑には当時の夫、西村松兵衛の名でなく、
「坂本龍馬之妻龍子之墓」と刻まれている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
生前のおりょうさんとだと言われた写真。
 
坂本龍馬の死後、土佐→京都→江戸→神奈川宿→横須賀
と流れたおりょうさん。晩年過ごしたこの横須賀の地で、
アルコール依存症状態で酔っては、「私は坂本龍馬の妻だ!」
夫松兵衛に絡んでいたとのこと。
 
晩年この横須賀の地で、どんな思いで坂本龍馬のことを
考えていたのだろうか・・。
 
 

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おはようございます。おりょうさんの最後が神奈川県だったなんて全然知りませんでした。酔って「坂本竜馬の妻」だとご亭主に絡むなんてイメージを覆すものがありますね。過去の栄光=竜馬の妻にしがみ付いていたかったんでしょうか…旦那さんが可哀そうです。

2012/5/25(金) 午前 10:01 [ 世渡り下手 ] 返信する

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