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<沖田総司終焉の地>
大京町29番地辺りが新選組沖田総司終焉の地に当たる。
石碑も案内表示も何も建っていないが、子母沢寛の「新選組始末期」に「池尻橋の際にあった植木屋平五郎というものの納屋」と記述されている、池尻橋の欄干がかろうじて残されている。
沖田総司の終焉の地については、今戸説と千駄ヶ谷説の二説があるが、どうやら今戸の松本良順邸で治療を受けていたが、慶應四年(1868)二月末に千駄ヶ谷に移ったというのが真相のようである(近藤勇五郎聞き書きより)。
池尻橋の欄干が残されている。
この橋際に植木屋平五朗宅が
あったとされる。
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東京都渋谷区
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<薩摩藩渋谷下屋敷跡>
江戸時代に島津家がこの地を買い取り、
この場所に藩邸があった。有名な篤姫も
この屋敷から将軍家に嫁いたとのこと。
ちなみにこの時の支度係りが西郷隆盛
だとか・・。
常磐松の碑。
江戸時代に薩摩藩士が建てた碑。
<西郷山公園>
明治時代に西郷隆盛の弟、西郷従道が約6haあるこの地を買い占めた。
理由は兄の西郷隆盛が征韓論で敗れ、
鹿児島に戻っており、いつの日か兄の隆盛
が東京に戻った時に住めるようにと購入したの
だが、願い空しく西南戦争が起こり、兄隆盛は
城山の地で自刀した。
従道は別邸としてこの地を使用していた。
やがて国が管理するようになり、昔からこの
山を付近の住民が西郷山と呼んでいたこと
から、西郷山公園となった。
鹿児島県寄贈の溶岩
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<東郷神社>
日露戦争で活躍した東郷平八郎を祀っている神社。
東郷平八郎は弘化4年生まれの薩摩藩士。
明治時代に勃発した日清及び日露戦争で海軍司令官として勝利に大きく貢献。
特に絶対的不利と言われた日露戦争で当時世界屈指のロシア帝国海軍バルチック艦隊を
完膚なきまでに打ちのめし、アドミラル・トーゴーとしてその名は世界に広く知られることになり、
「東洋のネルソン提督」とも言われている。
明治通り沿いある東郷神社入口。
竹下通りからも入口がある。
第一駆逐艦灯篭。
日露戦争当時の第一駆逐隊は、野風、沼風、波風、神風で編成された。太平洋戦争まで540名の方々が国に殉じられた。
これらの遺族らで作った駆逐艦神風会が鎮魂、平和を願い建立した。
東郷記念館。
結婚式などで使われる東郷記念館の裏に東郷神社はある。
水交神社の鳥居。
この鳥居は築地にあった海軍用地の水交社
敷地内にあった神社の鳥居である。
水交社は海軍省の外郭団体として日本海軍将校の親睦、研究の為に創立された。
水交社は先の戦争で進駐軍に接収 され、
この鳥居のみが東郷神社に移築された。
皇族、海軍大臣以下多くの武官や文官が
この鳥居をくぐった。
本殿。
左側にはZ旗が掲げられている。
砲弾のオブジェ。
本物なのかはよく分からない。
海軍経理学校正門敷石。
海軍系経理学校は海軍の庶務、会計、被服、
糧食を受け持つ主計科の育成学校。
築地にあった敷石を移設させた。
海軍特年兵の碑
海軍特別年少兵は14歳以下で編成された。
昭和16年に特年兵の募集が始まり、
昭和20年までに17200名が応募し、
5000余名が戦死した。
犠牲的精神をたたえる為に昭和46年に
建立された。
潜水艦殉職之碑。
太平洋戦争中、120余の潜水艦と一万余名
の乗組員が殉じられた。
長いポール状のものは実物の望遠鏡で、
訓練中に事故で沈没した潜水艦伊33のもの
である。
東郷が亡くなると、全国から海軍省に東郷を顕彰する神社の創建の要望と献金が相次いだ。
海軍出身者で財団法人東郷元帥記念会を設立し、寄せられた献金によって創建された。
ただし、神社の建設は東郷の生前から計画されていた。東郷自身は計画を聞き、死後自分が神として祭られることを嫌悪し、自身を祭る神社設立の計画の話を聞いて激怒したとされる。しかし懇願むなしく東郷の死後建設されたものである。
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