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<成願寺>
1438年創建の寺院。この寺院にかつて近藤勇の妻子や沖田総司が居住していた。
子母澤寛の「新選組遺聞」の中に新選組局長近藤勇の甥で、のちに勇の一人娘瓊子の婿になる宮川勇五郎の遺談が、たくさん記載されている。
その中に、中野村本郷成願寺の名が出てくる。それによると、 「勇の家族、つまり私にとりまして母(姑)に当たるつねと、後に私の妻となりました瓊子は勇が甲州へ出発して間もなく、牛込の二十騎町の家を引き払って、江戸郊外中野村本郷の成願寺という寺の座敷を借りて住んでいました。私もたいていはこの寺に一緒に暮らし、沖田総司もしばらくは居たこともあります。大きな寺で、勇の門人で江戸の与力だった福田平馬という人が世話してくれたものです」と後述している。
山手通り沿いにある成願寺入口。
肥前佐賀藩主鍋島家にゆかりの少女を
供養している地蔵がある。
ことなどの案内板やそれらしい史跡は
見当たらない。
この頃の沖田総司は病で伏せており、池尻橋の隠れ家に住んでいたが、時々駕篭で一里程離れた成願寺にやってきた。そして、幾日も幾日も泊まり込んでいたとのことだ。この頃はもう不治の病魔にとりつかれ、死期が迫りつつあるのを彼自身一番良く知っていたと言われている。
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東京都中野区
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