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<飛鳥山公園>
 
イメージ 1桜の賦の碑
 
公園内にあるこの碑は佐久間象山の「桜の賦」を刻んだ石碑である。当時、象山は吉田松陰の密出国に連座して蟄居中であったが、「自らの愛国の志操は堅く、この名華の薫香のように遠くまで聞こえる」と結んでいる。石碑は屋根で覆われているが、明治十五年に建てられた石碑はかなり傷んでおり、ほとんど文字は読み取れない。
 
 
 
 
 
イメージ 2日露戦争の戦没記念碑
 
碑の裏側にはこの辺り(当時の豊島群)の従軍した人命が全て記されている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 3船津翁の碑
 
船津翁(船津伝次平)の碑は、小松宮彰仁親王の篆額、文は品川弥二郎による。船津伝次平は明治十年(1877)駒場に農学校農場が開かれると、内務卿大久保利通の懇請を受けて教師となり、継いで農商務省巡回教師として全国を巡って農事改良に努めた。明治三十一年(1898)六十六歳で死去。
 
 
 
 


<渋沢栄一旧宅>
 
飛鳥山公園の一角に渋沢栄一の旧宅がある。
 
イメージ 4正門
 
明治34年から昭和6年に亡くなるまで、
渋沢栄一はここで暮した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 5
青淵文庫
 
大正14年、竜門社(現在の公益財団法人渋沢栄一記念財団)が80歳と子爵への昇格のお祝いを兼ね、贈られた。青淵は栄一の雅号である。論語をはじめとした漢籍が集められ、そのコレクションは6,000冊に及んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 6青淵文庫内部
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 7晩香廬
 
晩香廬は、栄一の喜寿を祝って清水組(現在の清水建設)から贈られた接待館である。大正六年(1917)の竣工。内部には暖炉、薪入れ、火鉢など洋風の家具を備えた洋風茶室である。
(西福寺
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 8
茶席「無心庵」跡
 
この場所に客人をもてなす茶室があった。
かつて栄一は徳川慶喜の名誉回復を図る為、慶喜と伊藤博文をこの茶室で対面させたという逸話が残されている。昭和20年4月13日の空襲で焼失してしまった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 9渋沢栄一像
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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