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名古屋

<名古屋城>
 
名古屋城は、御三家尾張徳川家の居城である。藩祖は徳川家康の第九子である義直。義直の家系は六代継友で絶え、以下の藩主は遠戚である高須家や大久保家、川田久保家或いは将軍家より養子を入れている。 幕末の藩主は徳川慶勝である。慶勝は美濃高須藩松平家から尾張藩に養子に入った人で、有名な会津の松平容保、桑名の松平定敬と兄弟である。同じ環境で育った兄弟であったが、養子に入った家の性格により、それぞれが幕末に取った行動は際立って異なるものであった。容保、定敬が最期まで徹底して佐幕を貫いたのに対し、慶勝は第一次征長軍の総督に任じられたが、一橋慶喜の意に反して穏便な方向で鉾を収め、新政府が樹立すると早々に議定に就任、二条城、大坂城の引き取りにも尽力した。
 
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名古屋城正門
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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復元された本丸殿。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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名古屋城天守閣。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


<藩訓秘伝の碑>
 
尾張徳川藩は、同じ御三家でも水戸家のようなイデオロギーの発信基地になっていたわけではないが、やはり熱心な勤王藩であった。藩祖義直は家康の九男であり、4歳違いの将軍家嫡男家光に対抗意識を燃やしたと言われる。その義直が秘伝の家訓として残したのが「王命に依り催さるる事」で表される勤王思想であった。現在、名古屋城二の丸御殿跡に藩訓秘伝の碑が建てられている。
 
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<尾張勤皇 青松葉事件の碑>
 
藩訓秘伝の碑の近くに青松葉事件の碑が建つ。青松葉事件というのは、慶應四年(1868)一月、鳥羽伏見の戦争直後に起きた事件である。国許から佐幕派のクーデターの動きがあるという注進を受けた慶勝は京都から帰城するや、渡辺新左衛門在綱、榊原勘解由(かげゆ)正帰、石川内蔵允(くらのじょう)照英の三重臣を「朝命によって死を賜るものなり」
と告げただたでその理由を言うことも無く、また何の抗弁の機会を与えることなく、斬首に処した。その後も藩内佐幕派の十一人を斬刑としたという事件である。青松葉というのは、渡辺新左衛門家のことで、藩内に多数ある同族一門と区別するために青松葉家と称したものらしい。その後、尾張藩は官軍の主力として中仙道から東北で転戦した。藩論を短期間に勤王に統一するために、更には新政府での保身のためにも、藩内の佐幕派勢力を一掃しておく必要があったのであろうが、政治の生んだ過酷な悲劇といえる。
 
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<乃木倉庫>
 
乃木希典が名古屋鎮台に在住していた明治初期に建てられた伝えられ、だれいうとなく「乃木倉庫」と呼ぶようになった。昭和25年5月14日の名古屋の空襲の際、天守閣、御殿等が焼失したが、本丸御殿の障壁画や天井絵類の大半を取り外してここに保管していた為火災を免れた。
 
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