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鹿児島市武にある西郷屋敷跡です。
現在は公園になっています。
現地資料によると・・・
征韓論争に敗れた参議西郷隆盛が、決然と辞表を提出、東京を退去したのは1873年(明治6)10月23日のことでした。
鹿児島に帰った西郷は武村の自邸にひきこもり、自らを「武村の吉」と称して農業を始めたのです。肥桶をかつぎ、鋤鍬をとり、時には犬13匹をひきつれて狩りや湯治に出かけました。
多くの功臣が維新の目的を忘れ、贅沢に溺れるなかにあって、西郷は少しもおごることなく、質素なつくりの屋敷に巨大な松の木だけが自慢だったといいます。また屋敷内には、大島時代に知り合った書家・川口雪蓬を同居させ近隣の若者に教育の機会を与えました。
ところがそんな西郷を神のように敬う時の声は、のんびりとした余生を許さず、西郷を慕って続々と帰郷する若者たちに担ぎ出されます。求められるまま吉野開墾社や私学校を設立。西南戦争は西郷がこの武村に戻って4年後、夢をかけた私学校徒の暴走によって始まるのです。
写真に西郷隆盛と菅実秀の銅像がありますが、ここ西郷屋敷にて両者が親睦を深め「徳の交わり」をちかいあったのです。菅は庄内藩(現在の山形県)の有力な家老でした。
庄内藩は戊辰戦争で官軍に激しく対抗したため厳しい処分を覚悟していたが、西郷の温かい取り計らいにより処分は極めて寛大なものとなりました。
この西郷の人徳に感服した菅は明治8年自ら7名の旧庄内藩士とともに鹿児島に来て、西郷の教えを受けました。
のちに菅はこれらの人々の手記を集め「南州翁遺訓」を発刊し全国に頒布しました。
西郷の偉大さが全国に知れ渡ったのは実に菅の人徳がその一翼を担ったものといえます。
政治の中心で幕末・明治の日本を動かしてきた西郷隆盛が帰ってきた時にここの屋敷に住んでいたと考えると感慨深いですね。
きっと坂本龍馬や小松帯刀もこの屋敷に訪れているかもしれません。
また、西郷が帰郷してきたのは1873年11月らしいので、136年前のちょうど今頃ですね。
今日はたまたま近くを通ったので寄ってみました。
〜写真紹介〜
1枚目:西郷屋敷の記念碑
2枚目:西郷が使ったとされる井戸
3枚目:西郷隆盛と菅実秀の銅像
4枚目:西郷隆盛と九州新幹線つばめ(かなり見にくいですが、高架線の上に車両の上部が見えます・・・)
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