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昨夜来の雨が上がって、しっとりと濡れた椿の葉の上に、陽の光りが映っている。 裏山の雑木林の丘陵が暖められて、生き物のぬくもりが立ち昇っていく。 青い空の上を、南の海を越えてきた風が音をたてて渡っていくのが見える。 湿ったやわらかい土を持ち上げて、淡い緑色に膨らんだふきのとうが顔を出している。 いつものところに福寿草が黄金色のは花弁を開き、クロッカスが目を覚ました。 土曜日の午後。 机の上に、やり残した仕事が乱雑に積み重なっているが、なぜか手をつける気が起こらない。 「春日(じゅんじつ)や、身の閂(かんぬき)をみなはずし」・・・などという句が浮かんでくる。 所在無く、書棚から文庫本を引き抜いてパラパラとめくってみたりする。 からだの芯に、けだるさが残っている。 日あたりの座敷にひとり寝転んで、新聞を隅から隅まで、広告欄まで丹念に読む。 ことさらに、麻生首相の迷走振りが書きたてられている。「信」を失った政権が行き詰まっている。 ハローワークの相談所に詰め掛けて、順番を待つ人たちの後姿が大きく報道されている。 暗い紙面を打ち消すように「春を告げる厄地蔵尊」の記事が、街の風物詩をカラー判で載せている。 目覚しく、おびただしい情報が目の前を通り過ぎていく。 今という現実は、しかし、常にとどまることもなく、刻々と時間とともに流れ去っていく。 喧騒と閉塞の時代の先に、なにか見えてくるものはあるのか。 時代は常に、繰り返し、大転換の激動の道程を潜り抜けてきた。 いま、かって経験したことのない、とてつもない大変動が起こりつつあるのではないか。 漠然と思いをめぐらせている。 いま、地獄への扉が開く音が聞こえている。しかし、私たちの耳に伝わってくるその音に、気付こうとし ない私たちがいる。世の中がひっくり返るようなことは、よもやあるまい、なんとか政治の力で切り抜け ることができるだろう、と、思ってはいないか。 私たちは、目の前の光景を見ても見えないことがある。私たち人間は、期待するイメージに当てはめて世 界を見るのだ。・・・・五木寛之「いまを生きる力」 陽が落ちて、オレンジ色に染まった夕空に西山の稜線がくっきりと浮かび上がった。 風も途絶えて、地蔵岳の真上に宵の明星が輝きを増していく。 幼馴染の友人から病気見舞いをいただいた。「元気を出してください」との言葉を添えて・・・・。 凍てついた干からびた大地から、春の息吹が甦ってくる。 早春の土手の匂いと、一緒に歌った「春の小川」の光景が甦ってくる。 情愛って、天地を潤おす春の女神の、息吹きのようだ。 |
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初めまして 関連記事できました。
おはようございます。
福寿草が黄金色のは花弁を開き、クロッカスの
写真をTBします。
2009/2/19(木) 午前 6:35