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学園祭のひととき。ここにあるのは遥か遠く続く未来への時間と衝動。
山峡の城下町の梅雨が開けた。
日輪は高く紺碧の空に輝き、気温は一気に32度を越えた。
今日は七夕。いよいよ本番の夏がやってきた。
いまから68年前のこの日。先の戦争が終結するひと月半前の深夜、アメリカ空軍の重爆撃機の編隊がこの街を襲った。わずか四時間余りの間に、市街地のほとんどが灰燼に帰し、千百余名の人が焼け死んだ。その多くは子供と女姓と老人だった。若者や大人は戦場か軍需工場に駆り出されていた。サイパンも沖縄も落されて戦況は日々厳しさを増し、街のあちこちに、いよいよ本土決戦の時が来たという悲壮感が漂っていた。決死隊、玉砕、大和魂、などという言葉が日常の紙面に躍り、連日、特攻隊の華々しい戦果が報じられていた。こころのどこかで、いつかやってくる「殉国の死」を覚悟していたにしろ、絵空事でない阿鼻叫喚が渦巻くこの夜のありさまを、いったい誰が予想できたであろう。
まさに一木一草もなく焼け尽くされたガレキの原野に黒煙と異臭が漂い、路上には黒焦げになった遺体が断末魔の姿のまま転がっていた。幼な子をしっかり胸に抱きかかえたままの姿で焼け死んでいる母親を見た。焼夷弾の直撃を受けた遺体は見るも無残だった。
東日本大震災に合わせて思う少年の日の記憶は、いつまでも手のひらの中にある。戦後68年。過ぎ去った時間は、なんと儚く短いものなのであろうか。この国の明日を占う参議院選挙が始まっている。これからの未来へ続く時間の、途方もない重く長い道のりを思う。
遠い昔に忘れ去られた一枚の写真がある。
少年は焦土となった市街の道をここまで歩いてきた。焼け跡には余燼がくすぶり、アスファルトの道は溶けて波打っていた。町中から集められた遺体は公園の広場に積み上げられて、近郊の警防団の手にによって次々に荼毘に付されていった。
少年は、すでに冷たくなった背中の妹を弔うためにここにやってきた。
燃え盛る紅蓮の炎を前にして、いつまでも直立不動の姿勢を崩さずに立ち続けている。見かねた大人が、こどもを背中からおろし、荼毘の火の中にそっと重ねた。それでも少年は直立不動の姿勢を崩さなかった。
あれから68年。裸足の少年はどこにいったのか。
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