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コスモスが、明け方の空に向かって咲いている。
収穫が終わった縁先のミニトマトの棚を片付けたら、急に背丈を伸ばして軒を越え、たちまち大きくなった。朝日にむかってピンクの花弁を精一杯開いてゆれている。
記録破りの猛暑が続き、熱中症で死者もでた夏の日のことは、いったいなんだったのだろう。天地自然は人智をこえて、ゆっくりと静かに確かな足取りでめぐっている。あれやこれやと目先のことで右往左往しているうちに、季節は逞しく新しいステージを開いてくれている。すべてが過ぎ去り、あたらしい世界がひろがっている。
何とはなしに、このブログにも二ヶ月あまりご無沙汰してしまった。久しく記事の更新がないので、どうかしたのかと心配してくださった方もいた。季節の変わり目に体調が順応できず、気力も体力も萎えたのではないかと自問自答しているが、寝ても起きても、いつものように湧き上がってくる意欲がでてこないのはどうしたことか。
朝の光の中でゆれているコスモスの花びらを眺めている。
知らず知らずに溜まったこころの垢のようなもの、わだかまりや、心を締め付けているこだわり、妄想や執着のもやもやを打ち払い、胸の中を空っぽにして、清々しくこの秋空を見上げることはできないものか。
菩提寺の入り口の掲示板に「一期一会。ただこの一時に生きる」と達筆で墨書してあった。ひとときたりともも留まることなく移ろいでいくこの世に、生かされて生きてやがて老いて死んでいくわが身ならば,実体のない妄想などに振り回されている余裕なんぞないはずである。意欲が湧かないなどと愚痴っている場合ではない。暁の光を受けて、コスモスは無心にゆれている。
山崎豊子の「不毛地帯」を読んだ。
終戦と同時に侵攻してきたソ連軍の捕虜となり、零下30度をこえる極寒のシベリアの凍土に放り出され、明日のない極限状態のなかで、鉄道敷設や鉱山採掘に駆り出された。奴隷さながらの待遇と監視の中で、飢えと寒さと、生死を分かつ体力の消耗に耐えながら、強制労働の日々を生き抜いた将兵の思いが克明に記されている。「生きて故国の土を踏むまでは」。「こんなところで死んでたまるか」。呪文のようにくりかえされる描写が胸をえぐる。抑留者56万1千人。死者5万3千人。生きるとはこういうことなのか。
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