「ただし」のブログ 「 あの日、そのとき」。

自分探しの旅路。お付き合いいただき、ありがとうございます。

街角の風景

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日々、通リ過ぎていく出来事を書き留めています。

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自分探しの旅路。

 
 
 
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 いつものように図書館の書架の谷間をブラついていたら、池田晶子さんの「人生は愉快だ」という背表紙を見つけた。48歳で死んだ才媛である。哲学評論家のキャッチコピーがついて、存在の謎としての生死の大切さを語り続けたとある。
 
 
 午睡の合間に、いただきものの豆菓子をつまみながらページをくくっていたら、いつの間にか幻想の眠りに誘い込まれていった。生と死。すなはち存在と無についての考察などという文言を眺めていたら、その昔、頬を紅潮させながら論理を組み立てようと熱心にに語りかけていた女子学生の姿態を思い出した。端正な顔立ちに黒いベレーが似合っていたっけ。
 
 あなたは自分のブログに「自分探しの旅路」などとタイトルをつけているが、「自分」というものがどんなものかわかっているのですか。「自分」などというものは、本当は、何ものでもないのです。そんなものはあるようで、ないのです。本気で考えれば、あるんだかないんだかわからないようなそんなものが、なんか確固として「ある」ように思い込んでいるから、実はないものを「探す」という徒労に走ることになるのです。ナルホド。
 
 この世の悩みや苦しみというものは、人生には先があるとする錯覚的時間認識が作り出す一種の気の迷いです。あなた聞いているんですか。はい。いや、ナルホド。ゴモットモ。目を瞑って思い巡らしていたら、そのまま本当に眠ってしまった。
 
 日中温度38度を超える盆地の城下町でも、やがて、陽は西山の稜線を染めて落ちはじめると、どこからか、炎暑の空に冷気が降りてくる。
 裏山に沿って谷川を抜けてくる風が、百日紅の梢を揺らしながら、戸障子を開け放った座敷の中を通り過ぎていく。
生きている醍醐味。
                  
 
 縁側に植えたミニトマトが今年もよく実ってくれた。
毎朝の食卓に色どりを添えてくれた。ご近所におすそ分けしてもまだあまった。太陽と水と風が織りなす、ルビーのように赤く輝く天然の宝石。果てしない宇宙にいきづくいのちの営み。
 ありがたいなぁ。
 
 人生は愉快だ。池田晶子さん。私もそう思います。イメージ 4
 
 
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春風の中で。

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 公園の芝生が青くなった。
咲き誇った桜は散り果てて、やわらかな若葉が風にそよいでいる。
山が笑っている。
ベンチにひとり新緑に染まった稜線をを眺めている。日課になった散歩コースのひとときを楽しんでいる。
 
 菩提寺で春の法話の会があった。若い和尚さんが黒板にお釈迦さまのお悟りの定理を示して丁寧に語りかけてくれた。
 諸行無常 諸法無我 涅槃寂静。
 
 およそこの世のことで、自分の思い通りにことが運ぶことなど何もない。歩きながらもさまざまな想念が湧いてくる。智に働けば角が立ち、情に棹させば流される。とかくこの世は住みにくい、などと草枕の一節を口ずさんでみる。高校の女教師の顔と教室の一場面が浮かんでは消えた。足慣らしにはじめた散歩も間もなく半年になる。
  朝夕の決まった時間になると、いそいそと仕度をして戸間口を出る。家人はいつまで続くものかと多寡をくくっていたが、最近ではどうやら呆れ顔で見送っている。1回でおよそ1時間半のコースである。時速3キロのペースでゆっくり歩く。途中、垣根越しに家々の庭を覗き込んだり、顔馴染みになった人々と立ち話などをしたりする。平々凡々の暮らしの風も時々刻々と移り変わり、川の流れのようにいつまでも留まることはない。
 
 生きているうち、日の暮れぬうちという言葉を反芻している。
 
 
 
 

幻影。

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 所用があって久しぶりに新宿に出かけた。さすがに東京の西の玄関口だけあって、いつもながら相変わらずの雑踏である。群集と言ってしまえばそれまでだが、その一人一人はそれぞれにかけ替えのない日々の暮らしを抱え、過去の桎梏を背負って歩いている。ことさらに明るい駅の構内の電飾看板の前を、もの言わぬ人々が黒い影となって急ぎ足で通り過ぎていく。二度とふたたび出会うことのない人々の後姿を目で追っている。
 
 夜更けに、三枝和子の短編集「雨の中」を読んだ。あの世とこの世の境界が曖昧になっていく。窓の外は春の嵐。 
 
 

風が流れている。

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 いつの間にか歳が改まり、七草が過ぎて新しい年も十日あまりが経った。木枯らしが吹き雪が降り、晴れたり曇ったりしながら、生まれては消えていった暮らしの日々は、すべてが遠く乳色のカーテンの向こうにゆれているように見える。
 
 庭先の小鳥の餌場に今朝も早くから小雀たちが群れている。寒風に洗われた見渡すかぎりの空は、どこまでも透明に深く青くひろがっている。
 公園の欅の梢を風が渡っていく。
 
 建設中の図書館が駅の北口にオープンした。思いつくままに高樹のぶこの作品集を幾冊か借り出してきた。ベット脇の小机に積み重ねて少しづつページをくくっている。使い古した刊行当時の単行本だ。主人公のこころの襞を映し出す情景描写は、さすがに芥川作家の手馴れた筆遣いである。
ゆっくりと「彩雲の峰」を読み返している。エロスに激しく感応する女の、ぬくもった体温と息遣いが波立ちながら立ち昇ってってくる。凍てつく空の彼方から木枯らしが雨戸を叩く音が聞こえる。なんでこんなにも人恋しいのだろう。
 
 
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/ed/ea/samarino501/folder/1446650/img_1446650_47817502_3?1182583242.gif
  
 散歩がてらに朝夕に立ち寄る公園にも人影が少なくなった。みんなどこでどうしているのだろう。このところ古い友人の訃報に接する機会が多くなった。人は生まれて、やがて死ぬ。そのことになんの不思議もないのだが、折々の仕草や表情がおもいだされて切なく淋しい。風に吹かれながら公園のベンチに座って遠く山を見ている。
 
 
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乗り越えていく。

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 人々の暮らしを襲う一瞬の亀裂。
国内史上最大の巨大地震が三陸沖に発生した。
大津波が沿岸の町々を飲み込み、逃げまどう人々を泥流に巻き込んだ。
昨日と今日の、この救いようのない断絶と落差。
 
 
 すべてを失って、泥の廃墟に立ちすくむ人々の姿に、心をを掻き毟られるような痛ましさが胸を突き上げる。どう生きていったらいいのか。
 
 
 子供を失った若い母親の横顔から涙が失せていた。
それでも人は、生きていかなければならない。現実を見据えて、ありのままを受け入れて、生きていくしか道はない。生きる気力を取り戻すにはどうしたらいいのか。涙が涸れるまで泣けばいい。苦しみに身を苛んで怒号すればいい運命を呪い、天を恨めばいい。 
 
 強く、生きていかなければならない。耐えきれない苦しみや悲しみなどはない。時がすべてを洗い流し、日はまた昇る。人間はそのようにして生きてきたし、これからも、そのようにして生きていく。さまざまな悲哀や苦難や挫折を乗り越えて人間は生き抜き、階段を一歩一歩登って、ほんとの自分になっていく。自己を完成させていく。
やがて訪れる死を静かに受け入れるために。
                                         
太陽が輝き、風が流れている。山に、森に、林に。
ゆるぎなく、変わらず、新しい時が生まれていく。
 
 

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