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法堂の甍の上に星が瞬いていた。朝靄に灯篭の明りが丸く輪を描いて、静まり返った境内に清冽な冷気が流れていく。
先輩に手を引かれ朝の勤行に参禅した。
法堂には、すでに150人ばかりの人々が集まっていた。和尚の先導で般若心経を奉誦し、やがて拍子木が打たれ座禅に入る。
教えられたままに、姿勢を正し、ゆっくりと呼吸を整えながら放心していると、なぜか研ぎ澄まされていく耳に、朝の刻を告げる梵鐘が、重いしじまを伝わって響いてくる。鐘の響きに身をまかせながら、ただひたすらに座っている。からだから力が抜けて、頭の中が空っぽになっていく。堂内は人の気配がまったく消えうせて、透明で、それでいて温かく、静謐な空気に包まれている。
再び、鐘楼の鐘の音が心の奥底を揺り動かすようにして通り過ぎていく。 実にいい気分だ。どのくらい時間が経ったのだろう。合図の拍子木が高く打たれ、堂内の空気が動き、勤行が終わった。
庫裏に案内され粥座をご馳走になった。大ぶりのお椀一杯の芋粥にたくわん二切れ、梅干一個、それに切干大根の煮付けが一皿。当番の若い修行僧が給仕をしてくれた。食事五観文の一節に「己が徳行の全けつをはかって供に応ず」とある。
すがすがしく明けはじめた群青色の空に、有明の月が白く輝いている。
なんと、ちっぽけな自分なんだろうと思う。それにしても、このゆったりと満ち足りた安心感は、いったいどうしたことなのだろう。 東の空に向かい、両手をあげて大きく息を吸い込む。堂頭の伽藍を照らして、旭日が空を染めている。新しい、今日一日。
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智慧の扉
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新聞の切抜きをしていたら、「草木国土、悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)」という言葉に出会った。
哲学者の梅原猛さんが、コラムに書いている。講演の中で、虐げられた民の苦しみを描いた「能楽」と対比させながら、「近代文明を導いてきた西洋哲学にかわり、「悉皆成仏」を思想の中心に据えた、新しい哲学をつくりたい述べている。
人間を宇宙の中心に置き、より豊かで快適な暮らしを求めて突き進んできた近代化という物質文明が、世界中のあちらこちらに暗い影を落としている。地球の温暖化はもとより、海水の汚染と乱獲で海の生態系に異変が生まれ、熱帯雨林の乱開発で気象環境が狂いだしている。地球の生態系をかたちづくってきた数千万に及ぶ多様な生物が淘汰され、年を追って死滅していく。
国連の「世界人口白書」によれば、人類は、これからも年間1千万人づつ増えていき、2025年には、現在より約22億4、130万人多い、91億5千万人になると推計した。果たして、ひとり人間だけが、この地球上で、これまでの繁栄を持続していくことができるのか。
森羅万象の中に生かされ、太陽と水と空気と大地の恵みを享受しながら、すべての生き物と共に生きていくという、日本仏教の根本思想と重なりあいながら、いま、「草木国土、悉皆成仏」という言葉が、新鮮で重い意味をこめてこころに響いてくる。
天空に、満月が煌々と冴え渡っている。
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かって夢見た郊外の一戸建て住宅に、夫と子供と一緒に住み、外見ではなにもかも満ち足りているように見える人でも、心のどこかに満たされないものを抱えている。そしてその不満を口に出していい、悩み、そして愚痴る。まるで、こころの奥底に毒矢が突き刺さっていて息苦しく、抜くこともできずに苦しんでいるかのようだ。
あれもしたい、これもしたい、ああなりたい、こうなりたい。汗水たらして働いている亭主の給料にも物足りなさを感じている。不倫だってやりかねない危うさも燻っている。バーゲンセールの広告に目を通し、スーパーの食品売り場の品定めも慎重だ。髪型や服装にも気をつかい、いつまでも若くありたいと願う。あの人がこういった、ああいった。パートの職場でも人間関係にこころを砕く。ああしよう、こうしよう。こうしてくれそうなものだ。
いま暮らしているこの娑婆は、市場経済に支配された大量消費、カネ万能の社会である。テレビをつければ、あの手この手の商品の宣伝合戦が連綿と続いていて、果てしない妄想を掻き立てている。あふれでる物と欲望の洪水である。「今すぐ、あなたもこれを手に入れることができる」などとのたまう。あれも欲しいこれも欲しい。これは便利だ。あれもいいな。
この文明社会では、人間の価値はその人の支払い能力で評価される。カネがないのは首がないのと同じで人格まで否定されかねない。「カネで買えないモノはない」と嘯いた若者がいたが、人間のこころまでカネで買えると思い込んでいる風潮がある。
カネを目当ての詐欺、横領、虐待、嫌がらせ、人殺しまでする。ノイローゼになって自殺する人が年間3万人。この10年間で30万人以上の人が追い詰められて死んだ。「格差」という言葉が生まれ、夜も昼もそれに追いかけられている。「落ちこぼれるのはいやだ」「あの人には負けられない」「人並みのことをしなければ」という強迫観念に苛まれてる。身の程を忘れて、他人のレベルという幻想に自分を合わせようともがく。
政府のお偉いさんたちは自立と自己責任を口にする。一握りの金持ちが支配する近代資本主義社会では、競争に耐えられない弱いものは必ず落ちこぼれ、見捨てられていく。「他人の不幸などに構ってはいられない」。高齢者医療制度なんという法律まで登場した。優勝劣敗の思想が国全体を覆っている。頼りにする政治はまことにお粗末で無力だ。 どこかが間違っているとみんな感じているが、どうしていいかわからない。たとえば水の中にて、喉の渇きに苦しみもがいている地獄絵の亡者のようなものだ。
不満ってなんだろう。何が不足なんだろう。いつからこんなことになってしまったんだ。
かってこの国には、清貧の思想があった。 煩悩の矢を抜き去った人々の、静かで人間味豊かな暮らしがあった。
牛飼いダニヤがいった。
「わたしはもう飯を炊き、乳を搾ってしまった。マヒー河の岸のほとりに、わたしは妻と子とともに住んでいます。わが小屋の屋根は葺かれ、火はともされている。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」わたしはいま、満ち足りている。
悪魔パーピマンがいつた。
「子のあるものは、子について喜び、また牛のあるものは牛について喜ぶ。人間の執着するもとのものは喜びである。執着するもとのもののない人は、実に喜ぶことがない」。欲望や執着は生きるもとの力である。欲望を満たし享楽を手にいれることこそ、生き甲斐であり価値あるものの全てである。人の命は短い。生きている内に、全てを満たせ。
ブッダは答えた。
「子のあるものは、子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。執着するもとのもののない人は、憂うることがない。」こころに沸き起こってくる執着や欲望は胸に突き刺さった矢のようなものである。およそこの世のことで、いつまでも変わらず、壊れないものなにもない。欲望や執着の矢は次々と襲い掛かり尽きることはない。突き刺さった矢を抜き去って、みんなと一緒に彼岸に渡ろう。
宵闇の窓に雨が降りかかっている。
明日の朝まで降り続くのか。
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南天のひと叢が朝の光を浴びて、根方に据えてある水甕の水面に、新緑の葉陰を落としている。筧の先から、水滴が絶え間なくゆっくりと落ちている。
日に何度か、玄関先の打ち水に使ったりして汲み上げるのだが、気がつくといつも満々と水を湛えていて、甕の縁から滑るように伝って流れている。
その昔、おばあさんが梅の紫蘇漬けを造るのに使っていた甕である。
「どんなことがあっても、梅の漬物と味噌とお米さえあれば・・・・・・」が口癖だった。
味噌は年の暮れに四斗樽にいっぱい造り、梅雨の初めごろ庭先の梅をもいで、ひと抱えもあるこの甕に漬けていた。米は田舎の実家から俵で届けられて、おばあさんは幸せだった。台所の物置は、小窓から漏れる薄明かりの中で、ひんやりとした甘酢っぽい麹の匂いがしていた。
子供の頃、いつも手を引かれて菩提寺に連れて行ってもらった。新緑の風が流れる境内のたたずまいが、庫裏の薄暗い部屋に掲げられた地獄絵の記憶と重なっている。筧の先から思い出の雫が零れ落ちてくる。
「ひとのこころの中にはひとつずつ、汲めども尽きない無尽蔵という宝の蔵がある」と教えてくれた。「見渡す限りの野も山も空行くく雲も、花も小鳥も風の音も、足りないものは何もない・・・・・」。
「無尽蔵」。いい言葉だなぁ。
ひろく、ひろく、もっとひろく。
満足とは、人のこころのありようをいうと菩提寺の和尚が言っていた。
水がめの縁に、青蛙がじっと座ってこっちを見ている。
この世のなかの全てを、ありのままに受け入れて、いのちのままに生きている。
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幼さな子の寝顔を見ている。 静かにじっと見ていると、だんだんこころが澄んでくる。 温かさがあふれでてくる。 優しさがあふれでてくる。 遠く深い青い空を眺めているような。 銀河系宇宙の彼方から風が流れてくるような。 芽吹きはじめた林の中から大地のぬくもりが立ち上っている。 ゆっくりと呼吸している。 山のてっぺんに白い雲が浮かんでいる。 色即是空、空即是色。 なんと素直な寝顔だろう。 手を合わせ、じっと見ている。 ここには、一切のの苦も楽も争いも怖れもない。 |







