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ユタホン 東京散歩&さいたま散歩&パソコン絵画
歴史、文化など面白く奥の深い東京・埼玉。勝手きままなひとり旅&パソコンによる絵画制作。

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良い人に会って感動!! 良い本に会って感動!! うまい料理を食べて感動!!等々心を動かされることが多々ありますが、「いせ辰」さんにも感動させられました。
 
「いせ辰」さんは江戸千代紙という日本の文化を伝承している老舗です。
 
初代辰五郎は、鷺沼村(習志野市)の農家から江戸日本橋、堀江町の団扇問屋、伊勢屋惣右衛門に奉公し刻苦便励の結果のれん分けをしてもらい、同じ堀江町の団扇河岸に錦絵と団扇制作の問屋を開いたのが元治元年(1864年)。
 
その後、文明開化という日本文化を捨てて西洋文明を受け入れる運動に晒されて最初の危機を迎え、浮世絵などの出版物が急速に衰えていく中、二代目辰五郎は発想の転換をして錦絵、千代紙を築地居留地や開港の横浜外国商館に売り込み見事存続の危機を乗り切ったそうです。
 
その時に海を渡った花の絵柄がゴッホの絵の中に描かれていると店員さんが教えてくれましたので調べてみると。
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白い○で囲んだ部分がそれのようです。よくみると朝顔の花のようにみえます。
 
1880年代に描かれたゴッホの作品「タンギー爺さん」の背景として描かれていました。
 
フランス、イギリス画壇でジャポニズムの影響を多くの画家が受けた中で特に憧れが強かったのがこのゴッホで何点もの浮世絵をキャンパスに描いています。
 
二度目の危機は大正十二年の関東大震災で、今まで集めたおびただしい紙芸に関する蒐集品をはじめ、命綱である千代紙の版木をことごとく失いましたが、三代目辰五郎は約一千種の千代紙版木を復活したそうです。このおかげで江戸千代紙が東京に残ったようです。
 
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            関東大震災
 
三度目の危機は第二次世界大戦によりほぼ全財産を失ったが、四代目は疎開してあった版木をもとに復活し震災被害の少ない谷中に店を移したそうです。
 
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東京メトロ千代田線「千駄木」駅から団子坂下交差点から三崎坂(さんさきと読む)をのぼっていくと右手に花魁の絵の看板が掲げてあるのが、菊寿堂「いせ辰」谷中本店。
 
ちなみに左の「フレール」は本格的なチーズフォンデューのお店。
 
 
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  店自体は小さい。この小ささが谷中には良く似合う。
 
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ショウウインドウの中はカラフルだ。最初は猫の張子だと思っていたが、犬の張子で犬は安産にあずかり縁起物として江戸時代よりあるそうだ。
 
そういえば水天宮も安産祈願として犬関連のものが多く売られていましたね。
 
この犬張子は結構な値段でしたが、型に一枚一枚と紙を張り付けて乾燥して固めてから型を抜き、絵付をするなど手間のかかる作業を江戸時代と同じ方法で行っているとのことで納得しました。
 
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           犬張子の千代紙
 
 
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              店内へ
 
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     店内撮影禁止なのでHPから転載しました。
 
店内は女性が喜びそうなあでやかな雰囲気で、京都千代紙、江戸千代紙とも当初は上流階級の婦女子のものであったことが忍ばれます。
女性客が次々と入ってくるが、男は私がひとり。
女性トイレに間違って入ったときの気持ちに近い。
おもわず、店の人に「男が使うものはありますか」と聞いて見た
花柄の中で申し訳そうに隅で息をしている数点を出してくれた。
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巾着袋と小物入れと小銭入れの3点。あとは男が身に着けると「おねえ」と間違われそうなので即決購入。
 
右端の手ぬぐいは「いせ辰」千駄木店で購入(徒歩2分のところに支店を出しているのがなぜか知りたい)
 
値段はそれぞれ800円、800円、600円、1000円でした。
二週間ほど財布、携帯、小銭、カメラ入れとして使用してみましたが、型崩れせず非常に使勝手がよく、裏地になにかコーティングしてあり、これが型崩れを防いでいるようです。また防水の役目もしているかもしれません。
縫製も丁寧で好感がもてます。これが老舗のプライドなのでしょうか。
柄も飽きが来ない柄でわざと人に見せたくなるほど感動ものです。
 
江戸千代紙は幾多の消滅の危機を乗り切った「いせ辰」のご主人達がいなければ、博物館でしか見慣れなかっただろうと思います。
伝承される日本文化の陰に人ありですね。
 
 
 

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