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ユタホン 東京散歩&さいたま散歩&パソコン絵画
歴史、文化など面白く奥の深い東京・埼玉。勝手きままなひとり旅&パソコンによる絵画制作。

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渋沢 栄一(しぶさわ えいいち、天保112月1318403月16 - 昭和6年(193111月11)は、幕末から大正初期に活躍した日本武士幕臣)、官僚実業家第一国立銀行東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、日本資本主義
の父といわれる。
理化学研究所の創設者でもある。
 
この明治、大正の巨人が過ごした北区の旧飛鳥山邸を3月下旬に花見を兼ねて訪れた。
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JR王子駅から見た飛鳥山。写真奥の線路を跨ぐ橋を渡るり旧飛鳥山邸跡へ
 
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         鉄橋の突き当りに案内板が見える。
 
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     黄色の矢印で示した赤い点線内が旧曖依村荘のようだ。
 
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模型の俯瞰図と比べてみるとかなりの広い土地であったようだ。
 
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階段を登り左に折れて休屋を通り過ごすと旧曖依村荘を囲う鉄格子のフェンスが見えてくる。
 
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鉄柵の中の庭園跡には無料で入れるが、桜の樹ほどんどなく、柵の外の喧噪をよそに閑散としていた
 
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。        入口脇には小高い丘の古墳がある。
 
 
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行先を転じて進んでいくと井戸と手水鉢のある場所にでました。ここには茶室と和室で構成される「無心庵」がありましたが1945年4月の東京大空襲で焼失してしまい、いまでは井戸、手水鉢、敷石が往時の様子をうかがわせるのみです。
 
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さらに進んでいくと周りが開けて、よく手入れされた芝生の先に瀟洒な四角い建物が現れました。これが重要文化財の「青淵文庫」でした。
資料によると
青淵文庫は,渋沢栄一の傘寿と子爵への陞爵を祝して贈呈された小図書館で,大正14年に竣工した。煉瓦及び鉄筋コンクリート造2階建で,1階は露台,閲覧室,記念品陳列室などで,2階は書庫になる。
 旧渋沢家飛鳥山邸の晩香廬及び青淵文庫は,大正期を代表する建築家のひとりである田辺淳吉の作風がよく示された作品である。
 
 
 
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青淵文庫の斜め前にこれも戦災から守られた重要文化財の「晩香廬」がある。
資料によると
晩香廬は,渋沢栄一の喜寿を記念して贈呈された小亭(談話室)で,大正7年に竣工した。木造平屋建,寄棟造,赤色桟瓦葺である。洗練された意匠と精緻な造形により,工芸品ともいうべき建築作品に仕上げられている。
 
 
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   誰も訪れないような奥まったところに寂しそうに栄一像が立っていました。
 
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近くに渋沢栄一財団が運営する「渋沢栄一資料館」があるので寄ってみることをお勧めします。また、青淵文庫と晩香廬の内部を観たい方はこの資料館で入場券を購入することになります。なお内部見学をしない日もあるので注意が必要です。
 
 
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大正時代も終わりのころ、アメリカへの移民をめぐって日米関係に亀裂が入り始めていました。関係悪化をなんとか防ぎたいと立ち上がった人がいました。シドニー・ギューリックという、日本に25年間も滞在した宣教師です。彼は愛する日本とアメリカの関係改善を心から願い、アメリカで募金を集め日本へ親善の人形を送るという運動を思いつきました。それで「世界児童親善会」を組織し、教会を通じてボーイスカウトやガールスカウトなどに呼びかけ、これにこたえ、なんと270万人もの人々がかかわり、実際に12739体もの人形が日本に来たのでした。人形は手縫いの衣装を着て、手書きの手紙、パスポートや乗船チケットまで持っていてまるで一人前の人間のようでした。
 日本からお礼の人形をアメリカへ、という運動がおきました。この人形交流の日本側の中心には日本資本主義の父といわれ、数多くの企業を起こし、社会活動にも熱心だった渋沢栄一がいました。天保11年(1840)生まれの彼は80を越える年齢をものともせずに精力的に活動するのです。各県1体ずつ、6大都市代表、植民地が4体そして日本代表1体の計58体の豪華な大型市松人形を、アメリカのクリスマスに間に合うように大急ぎで製作しました。人形には送り出す子どもたちの手紙も一緒だったのです。

 
後記
渋沢栄一の旧曖依村荘を訪れるにあたり、資料を読むうちに日本の大変な変革期に偉大な人物が現れ今日まで続く日本の基礎が創られたことは歴史の幸運だったと思いました。
渋沢栄一は天保11年に埼玉県深谷の豪農の家に生まれ、勤王の志士を経て一橋慶喜の家来となり、一橋慶喜が将軍となると幕臣となった。
フランスのパリの万国博覧会に慶喜の弟の昭武が名代として行くときに随行してヨーロッパ各国の実情を見聞してきた。
その後、新政府になってから、500の企業と600の公益福祉事業に関与して日本の基礎を築いた。
 
渋沢栄一の凄いところは、論語をもとに企業経営等をおこない、その中核をなす考えは自分に利益がなくても社会、国家にとって必要なものであればこれを行うとの思想です。
それを成し遂げた事実が今日の歴史評価として定着しております。また、財閥が自分たちの利益だけを追求することを見越してあえて財閥を作らなかった人物でもありました。
昨今の国内外の状況を考えると現代の渋沢栄一が出てきて欲しいと考えるのは私だけでしょうか。

 

パソコン絵画の個展

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セッティングが終わり、ほっとしたところで店員さんがピース!!

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23区内で唯一の渓谷。
世田谷区内の東急大井町線「等々力駅」から5分ほどで渓谷の入口に至る。

両岸が20メートルほどの絶壁になっており、武蔵野の樹木が生い茂っており、深山幽谷の雰囲気がある。

この絶壁の環境が宅地化を防いだため保存されたそうだ。

現在は都の名勝指定を受けており、今後ともこの環境が保存されるのは喜ばしい。

途中には横穴住居の遺跡があり、また 昔から枯れずに湧いてる滝があり、行者が滝に打たれて修行している姿も見られることがある。

この渓谷には以前、高校生の頃に来たことがあるが雰囲気は深山幽谷であったが、上流に流れ込むドブ水のため、どぶ川となり、臭いがきつくてほうほうのていで退散したことがあった。

その後、行政の努力で水が浄化され臭いはなくなっていた。

駅から近いので夏などに涼みがてら訪れてみてはいかがだろうか。

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