いじめが原因で「11日に自殺する」との手紙が文部科学省に届いた問題で、石原慎太郎都知事(74)が10日、「あんなのは大人の文章だね」と手紙が“偽物”であるとの見方を示した。また石原知事は、いじめを苦にした自殺が相次いでいることについて「甘ったれている」などと指摘。問題解決のために「もうちょっと親がしっかりしたらいい」との持論を述べた。文科省はこの日、自殺を示唆する手紙が新たに5通届いたと発表。自殺の決行日とされる11日、東京都豊島区では、管轄の3警察署が“厳戒態勢”をしくという。 文科省に6日に届けられた「いじめが原因の自殺証明書」について、石原知事が信ぴょう性に疑問を投げかけた。 「あんなのは、大人の文章だね。愉快犯っていうか。今の中学生にあんな文章力はない。理路整然としていて。私は(本物とは)違うと思う」 文書は「11日に学校内で自殺する」と予告している。手紙が投函(とうかん)された可能性が高いとされる東京都豊島区を管轄する警察署は、11日に区内の学校周辺を重点的にパトロールすることを決めている。 「届けられた方は迷惑千万。放っておくわけにもいかないだろうが。(自殺を)予告した日は、あしたですか。今まで文科省は何をやったのか知らんけど、あれだけの騒ぎになって、(文書を送った)当人は満足して、死なないの? 死ぬの?」親にも問題がある 文科省には、同様の自殺予告手紙が相次いでいるが「自殺なんか、予告して死ぬなって。甘ったれているというか」と厳しい言葉を投げかけた石原知事は、独自の“教育哲学”を披露した。 「親はなんで(いじめ問題に)関与してこないのかね。まず親が関与すべきじゃないか。私なんか、子供にけんかの仕方を教えましたよ。そしたら効果があって、たちまち相手を倒して番長になっちゃった。そういうことを親が教えればいい」 実際に、長男の伸晃自民党幹事長代理(49)の小学生時代の“いじめエピソード”を挙げた。 「先生に、私の名前をもじった実にいやらしいあだ名をつけられ、いじめられた。私はそれを聞き、すぐに校長に電話して『僕に劣等感があるか知らんが、もし改めなければ学校に出向いてその先生をぶん殴るからな。あんたの監督責任も問われるぞ』と言ったら、(いじめを)やめさせましたよ」 石原知事自身も、いじめを経験したという。 「僕だって、転校してきた時にいじめられた記憶があるが、やっぱり自分で戦った方がいいと思う。こらえ性がないだけでなく、ファイティングスピリットがないと、一生どこへ行ってもいじめられるんじゃないの」 一方で、いじめを先導する教師に対しては、厳しく批判した。 「陰湿なのは、教師がいじめること。これは本当に子供にとって不幸だ。卑しい、貧しい教師がいる。自分の人生の弱み、ひがみを、教えている弱い子供にぶつけている。生徒もいっしょになっていじめてしまう。そういう教師は許せない」 2006年11月11日08時15分 確かに予告の文書は理路整然としていて、自殺を思い悩んでいる精神的不安定さはなかった。 石原都知事の言われるとおりで、受け取ったほうは迷惑千万だろう。 しかし、もっと迷惑をしているのは本当にいじめで自殺を思い悩んでいる子達ではないのか。
予告をした者は教育関係者の偽善を正そうと考えたのであろうが、考えが甘い。この予告で自殺という最後の手段が軽い行為になったのだ。 いじめを一人で我慢できるほどのやさしい心の子達は、自殺が周りにあたえる影響を十分に知っているはずである。その上での自殺ということを理解しないといけないのではないか。 |
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自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」 |
岐阜県瑞浪市の市立瑞浪中学校2年の女子生徒(14)が自殺した問題で、学校側は30日、午前と午後の2回にわたって佐々木喜三夫校長(58)らが記者会見したが、いじめがあったかどうかについての見解が、二転三転した。 佐々木校長は、午前の会見で、「言葉によるいじめはあった」としたが、午後には「自殺につながるようないじめはなかった」と話し、迷走を繰り返した。 学校側は女子生徒の自殺後、佐々木校長や学年主任らが再三、女子生徒の自宅を訪問。27日夜に訪れた際には、学年主任がいじめがあったことを認める発言をした。ところが、29日午前の会見で佐々木校長は「いじめは確認できていない」とし、30日午前には「(学年主任は)長時間にわたるやりとりで、意識がもうろうとして事実を確認せずにいじめがあるように表現した」と述べた。 (読売新聞) - 10月30日21時20分更新 生徒の将来を考え生きる方向を見出せるように導くのが教師であり、学校である。 それが今回の事件では、生徒よりも教師の不祥事を隠すこと優先すしている。 言語道断である。 言い逃れはできるだろう。
しかし神は見ている。 「天網恢恢疎にしてもらさず」 |
高校での必修科目の未履修問題で、伊吹文明文部科学相は27日の閣議後会見で「卒業証書を渡すまでに、決められた時間の授業はするよう、(全国の教育委員会に)通知する」と述べ、現3年生の卒業に特別の救済措置を取るのは困難との考えを示した。 伊吹文科相は「未履修だった生徒に責任はないが、学習指導要領に従った授業を受けた生徒との不公平が生じてはならない」と指摘。「極端な負担があってはいけないが、3月末までに、集中的に授業すれば(履修は)可能。卒業式の日程などは調整すればいい」と述べた。 また、未履修のまま既に卒業した生徒の扱いについては「悩ましいが慎重に詰める。影響が出ないようにしないといけない」と、取り消しなどには否定的な立場を明らかにし、「教育の基本的な狙いと、大学に入る目先のことを混同している。自分の学校を良く見せたいから隠すのはいじめの問題と同じだ。責任は教育委員会にある」と述べた。 一方、進学校として知られる奈良市の東大寺学園高校(田中満夫校長)で、3年生のうち86人が学習指導要領で必修科目となっている世界史を履修していないことが同日、明らかになった。 奈良県によると、日本史、地理、世界史のうち2科目を選び履修することになっており、日本史と地理を選んだ生徒が履修漏れになった。 また、愛媛県教委もこの日、新たに県立高校と私学の13校で履修漏れが判明したと発表した。 このほか、大阪府教委は同日、全府立高160校を対象に調査した結果、全教科・科目が適切に行われていたと発表した。 【2006/10/27 大阪夕刊から】(10/27 15:22) 私は45歳。大学受験は共通一次試験2回目のときである。 共通一次試験は選択科目によって点数に大きな差が生じていた頃で、生物・化学・物理では生物が点数がとれ、日本史・世界史・倫社・地理では倫社と地理が点数がとれた。 しかし、私のでた高校では理系にいる生徒には、化学と物理、日本史と世界史しか教えてくれなかった。そのため共通一次の点数が伸びず希望大学へ入れなかった友人や大学を変えた友人もいる。中には入学したが辞めて翌年受けなおし希望大学へ行った友人もいる。 教員の横暴は今に始まったわけではない。 模試で他校より成績が悪ければ全員が格技場に呼ばれ1時間以上説教をされた。 教師の関心は他校よりもより良い大学へ何人入学させるかで、生徒の希望など関係なかった。 私も希望大学を受けさせてももらえなかった。学校が内申書を出さないのである。 過去の不公正で人生を変えられた者もいることも考慮して教育を考え直してほしいものである。
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わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません。あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、また、汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。その立派な身なりの人に特別に目を留めて、「あなたは、こちらの席にお掛けください」と言い、貧しい人には、「あなたは、そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい」と言うなら、あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか。 わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか。だが、あなたがたは、貧しい人を辱めた。富んでいる者たちこそ、あなたがたをひどい目に遭わせ、裁判所へ引っ張って行くではありませんか。また彼らこそ、あなたがたに与えられたあの尊い名を、冒涜しているではないですか。もしあなたがたが、聖書に従って、「隣人を自分のように愛しなさい」という最も尊い律法を実行しているのなら、それは結構なことです。しかし、人を分け隔てするなら、あなたがたは罪を犯すことになり、律法によって違犯者と断定されます。律法全体を守ったとしても、一つの点でおちどがあるなら、すべての点について有罪となるからです。「姦淫するな」と言われた方は、「殺すな」とも言われました。そこで、たとえ姦淫はしなくても、人殺しをすれば、あなたは律法の違犯者になるのです。自由をもたらす律法によっていずれは裁かれる者として、語り、またふるまいなさい。人に憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きが下されます。憐れみは裁きに打ち勝つのです。 |




