埼玉県志木市の小学6年の男子児童2人=いずれも11歳=が、爆破予告の手紙を学校の郵便受けに入れて授業を妨害したとして22日、威力業務妨害の非行事実で朝霞署に補導された。
同署によると、2人は21日夜、自分たちが通う小学校のポストに「学校に爆弾を仕掛けた。爆破ボタンを押してほしくなければ、1800万円用意しろ」と書かれた校長あての手紙を入れた疑い。
翌22日朝、教師が手紙に気づき、児童を教室から一時避難させた。同署は午前9時半前から校内を捜索したが、爆弾は見つからなかった。担任が、2人の様子がおかしいことに気づき、警察官が尋ねたところ、「自分たちがやった」と認めた。2人は「1カ月ぐらい前に先生にしかられ、恨んでいたのでやった」と話しているという。
志木市教委学校教育課は「2人について問題行動の報告はこれまでなかったので、驚いている」と話している
2006年06月22日22時34分
この事件を二人の小学生だけの責任にしてはいけない。
二人は警察がやってくるような大事になるとは思ってもなかったのであろうことは、二人の様子がおかしく見つかってしまったところから明らかである。
この子らにとってはいたずらだったのであろう。
ふた昔前ぐらいの子供が先生に叱られたとしても、爆弾を仕掛けたという脅迫で仕返しをしようとは考えなかったであろう。子供同士の間で先生の悪口を言ったりしながら、そのうちに悪口に疲れて遊び始め、遊び終わった後には叱られたことは忘れてしまっていたであろう。
しかし、この子らは一ヶ月も恨みを抱きつづけ、挙句に学校を脅迫をするという考えられない行動をした。これは子どもの行動ではない。大人社会に毒され、そう育つしかなかったのである。この事件は明らかに子供たちを取り巻いている環境を作り出した大人社会の責任である。
この事件を生み出した大人社会の問題点は、情報伝達の進化によりマスメディアがこぞって最新のニュースを流すようになり、TVをつければ、どこかで重大事件や災害のニュースが流れていることである。
先に「ふた昔前には」と述べたが、その頃にはニュースステーションもなければ、フォーカスという雑誌もなかった。TVのニュースか、新聞で事件を知り、週刊誌でもう少し詳しく知るぐらいであった。
子供たちは、大人が話をしているのを漏れ聞いて、すごい事件が起こったというのを離している大人の雰囲気から感じるぐらいであり、社会で育っているというのではなく、子ども達の世界の中で育っていた。
その頃のTV番組は、子供が外で遊んで帰ってくる5時から夕飯を食べ終わるぐらいの8時までの時間帯は子供向けの漫画やクイズ番組が主で、その後にドラマや歌番組あり、深夜に大人向けの番組となっており、時間帯のよって見る世代が違ったのである。
そのため、子供が直接に大人社会に触れることはほとんどなかったのである。
その頃の大人の番組としてウィークエンダーがあった。今思えばちょっとHな報道番組であり、これが報道の走りではなかろうか。
また、歌番組はコンサート会場などのスタジオ以外から生中継がされてできるようになり、見る側が番組内容に新鮮さを求め始めた。
そして、ワンパターンのドラマに飽きてきていたところにニュースステーションが始まった。ニュースステーションは報道と試合以外の野球選手の様子を取り上げたスポーツコーナーで人気を得た。この番組がニュース番組のスタイルを変えてしまい、深夜のちょっとHな大人番組はなくなり、報道とスポーツの番組ばかりとなった。
深夜番組からエッチな番組がなくなりスポーツ番組が増えてくると、子供たちが深夜にもTVを見るようになった。このときに子供たちが大人の情報化社会に飲み込まれたのであろう。
子供が大人の情報化社会に飲み込まれ生活時間帯が大人の生活時間帯と変わらなくなると、時間帯による番組内容の違いが薄れていき、報道番組の時間帯も早い時間になっていった。
そしてワンパターンのドラマに飽きた大人は刺激を求めて報道番組を見るようになり、いつの期間でも報道番組を見ることができるようになり、子ども達が大人社会にさらされる時間が長くなっていった。
一方、情報伝達技術が飛躍的に進歩し、報道番組の最中に海外で重大事故が起これば、その映像を直ちに放送できるまでになった。
大人が求めている刺激を提供できるようになっていたのである。
刺激に慣れると更に大きな刺激を求めるようになり、事件だけを見るのでは満足できなくなり、週刊誌に出ているような内容を同時に流すようになっていった。
今や重大事件が現在進行形のノンフィクションのドラマと錯覚しそうになるぐらいになっている。
こうして、TV番組は次から次に世界中で起こる重大事件や災害をすぐに伝え、TVをつければ世界中で起こっている重大事件を、時間をおかずして見られる。最近は逮捕前の容疑者のインタビューして、容疑者とスターの扱いがかわらないところまできてしまった。
この異常な状況は、事件の重大さよりも刺激を優先したものである。本来、報道は重大事件の背景を考えさせることが大切なのだが、大人がこれに無関心になり、報道も視聴者にこびてしまった結果、このような状況を生んだのである。
恐ろしいことであるが、大人たちは共同で生きていく社会より、社会が自分に与えてくれる刺激を重要視しているのである。
そして大人と同じ生活時間帯を過ごすようになった子供達も大人と同じ環境に置かれているのである。
刺激だらけの報道番組をみている子供たちの中には、善悪の判断を身に付ける以前の幼い子供たちも沢山いる。
そのような子どもは報道されている事件の重大さを分からずに真似てしまうこともある。昔も今も大人の真似をして成長するのが子どもなのである。
毎日毎日同じような事件の報道を見ていれば、報道を真似て事件を起こしてもなんら不思議ではない。
大人から見れば罪であったとしても、分別のつかない子供たちに罪がわからないので、もし同じような事件を起こしても子どもに責任はない。責任は刺激を求め続けている大人、そしてそれを提供してきたマスメディア、それを防げなかった社会にある。
今回の事件の責任は二人の子供にはない。
社会は、この子らを、怒っても、叱っても、ましてや罰を与えてはいけない。
諭すにとどめ、この子らをまっすぐに育てる責任が社会にある。
そして社会は、子のこらから社会の歪を学び、それを修正しなければならない。
それが大人の、そして社会の義務である。
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