ここから本文です

雑記。平成31年4月24日

 ちょっと読書に集中するから今日のブログはこの辺で。と言いたいところだが、最近の雑感を少しばかり。

 この頃は「見られている」という事に関して敢えて無頓着で過ごしてみたが、やっぱある程度は見られ方を気にした方が良いかもなと思うに至りました。全裸にコートだけでは駄目なのだ。

 先日の父によるうんこみたいな指示は、後から「鏡の法則」に従った演出であるとの情報を耳にした。つまりその法則を用いた事が事実であれば、僕の指導の仕方はうんこみたいだという解釈になるが、本当かよ。時々優しい事があるだけで昔から大差無い様に見えるぞ。無垢な幼子に対して鏡もクソも無いだろ。
 まあ、たまたま僕が理屈に従って動く事が出来る特技を持っているだけの事で、腹が立つのは事実である。坊主憎くとも袈裟はそうでもない的な感じ方。何はともあれうんこみたいな指示は腹が立つ事だから戒めろと言いたい訳か。そりゃ改める必要があるわな。これ僕相手だから通じるやり方であって、僕以外が相手だったら捻くれてお仕舞いだろ。解っててやっとるんかね。

 僕は効率重視が大事だと思っているので、どんな言い方であれ良し悪しに納得すれば速やかに行動を切り替えられます。ところが殆どの人が効率度外視の慣れ合いを大事にしたいと考えるので、だからこそ優しい言い方とか『人を動かす』に書かれてある様な情動を誘うやり方とかが大事なものだとされている訳です。
 理動を極め続けた結果、理屈で動きやすくなり、理屈で解釈する癖が付き、引き換え純粋な感動が鈍くなった。たぶん環境の所為があると思うが、決して感動する感性が失われた訳では無い。
 例えば僕は知識欲があるので色んな事を知りたい人間です。そんな知識と、他所から仕入れた別の知識に共通点を見出せた時の感動は代えがたいものがありますね。更に例を挙げると、竹。「竹はイネ科」。この事実を知った時の僕の感動が解るか。きっと中々分かって貰えない。「ふーんそうなんだ」「へー」「なるほどー」ここらが関の山だろう。だが僕は感動した。「そうだったのか」「だからか」「どうりで」という、求めるべくして知った、新事実を得た時の様な感動があるのだ。

 そんな僕が感動するポイントに共感が貰えないという事は、ズレているのは僕の方であると推察する事が出来る。もしかして僕って生物学者とかが向いてたんじゃね?とも思うがまあそれは置いといて、感動する部分がズレているという事は、相手の立場では何故それがそう言えるのかという理解が中々生じない原因となる。
 ともなれば、「言い方」なんか如何でもいいとして、事実「言い方」に惑わされず行動を移す事に成功したとする僕の観点は、傍から見ればクソ如何でもいいただの個性且つ一例に過ぎず、『人を動かす』に書かれてある事を正しいものとするならば、人は基本的に仲良しこよし本意で在りたいと考えている事に帰結する。

 あのさあ、これつまりコミュ障なだけじゃん。コミュ障の父とコミュ障の母、そしてなんと僕自身もコミュ障だっただけの事である。コミュニケーションを碌に取って貰えないままいきなり「お前はコミュ障だ」なんて言われてもねえ。そりゃ苦労だってしますわ。とーちゃん曰く『人を動かす』は22、23歳でマスターしたそうだ。だったら僕達お子様諸君をコミュニケーションの達人に育ててくれたって良かったじゃねえか。子育てサボってんじゃねえぞクソオヤジ。
 とりあえず『人を動かす』に書かれてある理屈に従って行動すれば、脱コミュ障も夢じゃない事が判りました。人を動かせる人間として見て貰えば、そんな大物感溢れる人間に憧れた人達が付いて来てくれて、「君に紹介したい人が居る」と言って貰える人間になれる訳です。これは人脈だって広がるわ。

 少しばかりのつもりで書き始めた記事が1500文字を超える事例?まあよくある。雨がよく降るそんな水曜日でした。

雑記。平成31年4月23日

イメージ 2
炒り米。

 大きなフライパンを使えば、IHでも楽に炒れるのを覚えた。うっかり「炒られる」と言いそうになるけど、ここは「炒れる」が正しい日本語。特に語る事はありませんが、大きな器から小さな器へ移す際にはちょっとコツが要ります。まあ匙でがさがさ掻き入れたら楽ですが。
 ところで先月購入したプロテインドリンクの粉を一袋使い果たしました。僕が飲めばおよそ一ヶ月といったところである。筋肉育てる目的ならばともかく、メシ+ドリンクじゃ痩せないぞ。ていうか痩せたきゃ飯食う量減らせばいい。あとは運動や。基礎代謝高めないとリバウンドするっつってんだろ!

 乳清プロテインは腹を下すと思い込んでた昔は、大豆プロテインが主でした。大豆は体温を下げる作用がある為摂り方には注意が必要ですが、ダイエットは豆の方が良いと見做される事がありますね。フィットネス通う前は60kgくらい体重があり、その時はダイエットの知識が差ほど無かったので一般論を信じて大豆プロテインを服用しておりました。まあその方法でも痩せられたという事で結果オーライなのですが。
 大食い止めて運動しろ。これ以外言う事は無いです。基礎代謝とかカロリー計算とかありますが、僕の経験則では殆ど役に立たないので倒れない程度に腹を空かせ続けるのがベストです。後は目的を忘れずに継続する事ですね。なおダイエット中に炒り米を食べた事はありません。完全に後付けですが、ダイエット食には向いていると思います。

イメージ 3
五右衛門風呂。

 写っているのは愛すべきクソオヤジと姉。二人共フリー素材なので遠慮なく撮影して遠慮なくアップロードする。一見すると姉の顔がはっきり写っている様にも見えるが、画像を拡大して見てみると思いっきりモザイク状態である。でも最近の画像認識AI凄いからな。縮小画像やモザイク画像から推定人相を描き出すので侮れない。
 五右衛門風呂も大浴槽も父主導で組み上げて行っております。僕の仕事は主に場内に転がっている石を拾って来る係。二人掛かりでも難儀するクソ重たい石を運ぶだけの簡単なお仕事である。腕力なら任せとけ。ご覧の通り完成も近付いて来たし、資材も既に揃ったのか最近は呼ばれない。

 今日は管理清掃という名目で仕事をしましたが、父からうんこみてえな野次を入れられたし時間も過ぎたので終了。僕の掃除に対し「何あんな馬鹿な事をしているのかね」とか「すぐ汚れる場所の掃除は無意味」とか「もっと他にすべき事を優先させろ」とか黙れハゲ。
 まあ言ってる事は正しいし、僕は正論が好きだから問題無い。仲良しクラブでも無いのだから効率重視で良いのだ。次回は有意義に仕事を進めます。『人を動かす』の理に反してる癖してちゃっかり動かせてんじゃねえよ。物分かりが良い息子で良かったな。あほー。はげー。

イメージ 5
ナナホシテントウ。

 テントウムシってかわいいよね。走り回って、勝手に転げて、上り詰めて、最後は気ままに飛んで行く。皆同じ動きをするから、その法則を用いてあらゆる生態観察が捗りとても楽しいです。食べちゃいたいくらい可愛い。苦いぞ。食べるなよ。
 何処かで「テントウムシはカメムシと同じ仲間」と聞いた事があるのですが、結論から言えば嘘っぱちでした。確かに集団で越冬したり、死んだふりをしたり、悪臭を放ったりと似たところがありますが、テントウムシは甲虫目テントウムシ科、カメムシはカメムシ目カメムシ科です。全然種類が違う。まあ見た目も違うしな。

 ところでカメムシって完全変態だっけ?不完全変態だっけ?そこが気になり、仕事中ずっと気になっておりました。あ、はとっくに上がりこちらはバイトの草毟りです。当然と言えば当然かもしれませんが、カメムシは臭くてあまり刺激したくないのでじっくり観察した事がありません。故に幼生から成虫に掛けてどの様に変態するのか色々と想像しました。
 結論、不完全変態です。バッタやセミと同じである事が判りました。つまり卵から生まれた瞬間から成虫に掛けて基本的な形は変わらず、脱皮を繰り返して大きくなる。まあそんな感じの見た目してるわな。弟にはうっかり「完全変態だった」と言ってしまった。次会った時に訂正しておこう。

 テントウムシの幼虫をホタルの幼虫と思い込み、川に放り捨てたのはつい最近やらかしたクッソ恥ずかしいお話。「なんで陸にホタルの幼虫が居るんやろ」って。いや確かにほんの少しだけ似てるけどさ、何故テントウムシの幼虫であるとは微塵にも思わなかったのか。あれだけ共に成長した昆虫達の知識が綺麗さっぱりぶっ飛んでいたのか。
 うーんこれが認知症か。困ったな。まあ知らぬは一生の恥と言うし、気付けて良かったです。生物や植物の生態をまるで勘違いする人結構居るしさ。うん。

イメージ 4
蛹。

 大人になってから田畑を練り歩く事が無くなっていたので、子供時代にあれほど見たテントウムシがとても珍しく見える。多過ぎて潰してしまいそうになる。ナナホシテントウは益虫です。忌まわしきアブラムシを餌にするので、目障りだからと簡単に追い払ったり殺したりしない様に。
 あと単純にかわいいだろ。生かせ。愛でろ。ただし触るな。臭い。

イメージ 1
うま辛とんこつ。

 「ラーメン食うた蕎麦食うたとか如何でもええ」ってうるせえハゲ。今回は何も無意味にラーメン写真を掲げる為だけに掲載したのではない。見て見て美味しそうでしょとかいう女子力を振り回す気も無い。これは「百聞は一見に如かず」を説く為の参考材料である。
 噂話というものに本質は伴わず、嘘か本当かも曖昧になった真偽を問えない概念であります。例えばこのラーメンの場合、姉の知人が食べに来て腹を下したとかいうえげつないエピソードがあり、うろ覚えだが味も大した事は無いといった評価だった様に思う。ところが僕にとっては好みに合う味で、この様なエンターテイメントや美食に関わる事は、やっぱ人の話って参考になんねーなと改めて思い知りました。

 他にも、地元で昔ながらの郷土料理があり、その発祥たる本店の味が「昔に比べて落ちた」「美味しくない」と評するのが我が祖母と父の二人。その話を度々聞かされた僕は、てっきりその本店の味が今では「美味しくないもの」と思い込まされて来ました。
 でも大人になって実際に食べてみたところ、なーにが「美味しくない」だ。滅茶苦茶美味いじゃないか。昔の味なんて知らねえよ。今の味を先に味わわせろ。そうすれば「昔の味はこれよりも美味しかったのか」という実体験からの推察が出来るんだよ。実態が無い情報だけを頼りに判断していたら、折角の趣ある体験を知らない内に蹴飛ばしてしまう事になりかねない。

 人の話は鵜呑みにしてはならない。あくまで「参考」である。噂話なんか基本無視しても良い。精々参考。全ては根拠が必要である。生の情報でないと肝心な部分を履き違える。ていうかそもそも祖母と父は甘党なので、きっと「出汁が甘くなくなった」とかそんな理由やろ。僕は甘党ではないから丁度良かったのだろう。たぶん。
 この様に、各々の好みと実際に食べた味から推測が立つ。後は他の事例と照らし合わせ、共通性を持たせるのだ。

 例えば他にも、隣国に対する批判とか人間性を疑う声とかが凄まじいが、それもまた一つの情報や偏った思想を拡大解釈してネガティブキャンペーンやらその逆やらを繰り返すから、集団心理で「そんなもの」と思い込む様になるのであり、実際に赴いてみた僕としてはそんな噂話なんか何の参考にもならないくらい平和でした。
 勿論、被害に遭う人は現れるだろう。それは如何なる国でも変わらない。だがそれを理由に引き籠っていては冒険が出来ない。時には死ぬし、身ぐるみを剥がされる事もある。そんな危険を覚悟の上で行う旅も、一つの物語である。それを覚悟した人が覚悟を決めて望むのだ。時々平和ボケして何も考えてない人も居るけど。

 まあ、命の危険に曝される可能性があるシーンは噂話や皆の意見を参考にする事は大いに必要ですが、命の危険が無い様な事を勝手に評価したただの他人の一意見を鵜呑みにしてはならないという事です。それもたかだか飯屋なら尚更。行きたきゃ行けばええんや。腹下す奴が悪い。でも腹下すという事は、体に不要なものを受け付けないというプロテクション機能でもあるので、むしろ美食を嗜めて体にも優しいと考えればいいと思うよ。

 良い評価も悪い評価も鵜呑みにしてはならない。食べログとかAmazonの評価とかも同様です。今回のラーメン屋は出来たばかりの店でしたが、なんかもう潰れそうな雰囲気が漂っておりました。味が良くてもビジネススキルが無ければ駄目ですね。
 「百聞は一見に如かず」という言葉を基に、父は「百見は一体験に如かず」という造語を言いました。そりゃそうだが、紛れも無く味は見るものである。味見と言うじゃん。味を見る行為そのものが体験となり、体験はすなわち味わいである。この場合は「百聞は一見に如かず」をそのまま用いて何も問題ない。好きな方を使えば良いです。そんな火曜日でした。


私は自分が正しい等とは思っていない。
百年早いわボケ ――by ぼく

 親の教育のお陰もありまして、僕には自分自身の動向を客観的に眺める癖が培われております。正しい事も間違っている事も、とりあえず自我に委ねてお任せプレイしてみて、その結果から上手く行ったか否かを判断。尤も、その能力がきちんと確立されたのは大人になってからですけどね。
 するとしょっちゅう出て来ますね、「俺こそが正しい」と言いたがるアホな自分が。うるせえ、蛙の癖に喋んな。そんな自分vs自分が頭の中でバトルを繰り広げる事が多々あり、大抵はエゴに打ち勝てますね。しかし問題は、エゴをエゴと認識できないケースの場合となる。つまり、自分にとってはエゴだからそれを忌避するべきだといった提案を第三者に強いるというエゴの存在を認識する事が結構ある。ちなみに正論は大好きです。

 早い話、僕は既に強者なので、いつの間にか大きく開いていた弱者との差をより注意深く観察する必要があるという事だ。そんな強者たる僕の周りの人は、僕と同じく精神を鍛え上げたがっている人達が溢れているので、てっきり僕と同じ強者であろうと勝手に思い込む訳です。だから僕が出来て当たり前の事を提案するものの、何故か足取りの鈍さを儘見るケースが多い。
 分かりやすく言えば僕がせっかちというだけの話ですが、そんな己の慌ただしい思考を正常化してくれる素晴らしい本があるのでご紹介しよう。ところで冒頭の名言すっごく良くね?僕が考えた言葉であり、昔から教訓として使っている。最近は特に持ち出す事が多くなりました。使ってもいいぞ。

イメージ 2
ああ。

 これまですっかり忘れていたけども、僕はデール・カーネギー著の『人を動かす』を読みたいと思っていたのだった。まあたぶん、読みたいと思ったその時はほぼ思い付きみたいなもんだと思いますが、思い付きであれ何であれ万人に認められたバイブルともあれば読まない他の選択は無い。
 ていうか既に読んだ事がある前提で聞いて来てんな。目に見えて前後に問題を抱えたこのタイミングで提示して来るとか、やっぱ父は僕のブログ見ているのか?どっちでもええわ。元より僕専用に一冊持っておく事は決めていたのだ。備忘録を果たしてくれた父に敬意を払い、早速『人を動かす』をDL購入。

イメージ 1
Kindle版。

 『人を動かす』はいくつかバージョンがあるのですね。文庫版、新装版、超訳、コミック等々、好みに応じた形式を選ぶ事が出来ます。探せば音声版とかもあるかもね。僕は新装版を電子書籍で購入しました。これは完全に好みの問題ですが、最早紙媒体なんか要らんわな。会議の資料とかもPDFやらで十分だと告げるのですが、毎度紙切れを貰います。
 逆に、電子書籍をオーダーメイドで紙の本に仕上げる猛者も居たりするので、自らが最も没入できる手段が相応しいでしょう。僕はスマホで持ち歩く。

 僕にとって『人を動かす』は今回が初読です。紙の本も我が家にあったりしますが、それは父の私物だったり事務所の物だったりして僕が自由に読む為の物では無いから、それなら自分用買ったろと思ったまま忘れ去っておりました。早速読書開始である。

 読んでみると、「なるほどそうだったのか」と言うより「なるほどやっぱりか」と言った感動の方が強いですね。まず目次を眺めて、十分くらい掛けて内容をイメージ。僕の想像力は比較的ポジティブに傾いているので、まず目次だけで感動。内容を読み進めて更に感動。僕は天才なので、早速今から実践を始めました。完了形。クッソ面白いわこの本。
 一つ、読んでて思った事ですが、過去にこれを読んだという人達からは、同じくして「言い方」を指摘されていたのですよね。「人を動かしたかったらうんたらかんたら」って、ちょっと待った。おまいう*っていう。『人を動かす』のうんちくで説法垂れる為の「人を動かす」となる。お前にとっての「人を動かす」は『人を動かす』についてお喋りする事?体現してない様では、その程度の本かと見做されるのが落ちである。本末転倒だわな。

 この場合『人を動かす』的に言えば「鋭い事に気が付いたんだね」と言えば良いのかな。双方共に骨身に染みてるなら素直な称賛となり得るが、お互い上辺だけだと嫌味っぽいぞ。つまりこれは単なるお世辞である。「教えてくれてありがとう」も同様だ。骨身に染みた回答とは言えない。
 あそうだ、「内容語れるんだ、先生じゃん」とか如何よ。凄く褒めてるっぽくない?

 結局、『人を動かす』を読んだところで、人を動かせない人は動かせないままである事が実情でしょう。それは速やかに実践に移さず、机上で弁論を垂れるだけの題材にしかならなかったという事です。この本に限らず、嘘吐きな人間や不誠実な人間にスキルは習得不可です。正しく知恵を働かせる為には、パチッとスイッチを切り替えられる潔さが大事なのだ。根暗は潔さが無いから無理です。
 僕は素直だから全く問題ない。これでようやく更なるパワーアップが望める様になったのだ。僕は素直ではあるが、自分こそ正しい人間だとかは思っていない。いくらでも間違いを仕出かす事があるのを知っている。だからこそ、何が正しいかを的確に選んで着実にパワーアップして行ける余裕を持っているのだ。

 あとこれ正に米運び兼玉ねぎバイトの親方の人間像でもあるじゃねえか。もしかして親方『人を動かす』読んだの?全くそんなキャラには見えないが、人は見掛けに依らないものである。強者こそが「見掛けに依らない」のでしょうね。人を「見掛け通り」と判断出来る様になった僕は、強者目線から弱者を相手に見ていたからその様に感じたのでしょう。
 「人は見掛けに依らない」と思えた事は、何故その人を尊敬できるかの訳が判明した事でもある。田舎のおっちゃんみたいな人が人を動かせるスキルを持っているからこそ感心するのだ。そりゃ憧れるわな。OK問題無い。この本があれば僕も間もなくそっち側や。

 こういうのって「云回読みました」がお約束の文句だが、まずは一回読みます。きっとね、人ってすぐに変われないから「ふんふんなるほど」と他人事の様に読むから何回も読まなきゃ身にならんと思うのですよ。
 一字一句の要点を確と掴み、よしやろうと即座に決意すれば、そんな何回も読まなくたっていいんです。己に条件を課し、その条件に従いスキルを発動すれば正しく働くのである。ゲームと同じです。求めるのだ。

 という事で、反省しました。今に見てろよ〜。
関連記事


イメージ 3
(´・ω・)わいのにりん

 何だかいつにも増して輝かしく見えるのは光加減によるものか。

 PCXって兎角「リアが貧相」と言われるが、ひょっとしてタイヤの種類って割と影響するんじゃない?大人気ミシュランが如何かは知らないが、少なくともデフォより現タイヤの方がご立派に見えるのは間違いない。着実な性能アップを兼ねたドレスアップ。ただしよく煽られるのは変わらない。おうさっさと前行けや。
 黄色い車体は田舎の風景によく馴染む。このサイズだから馴染むのであって、これが普通自動車の大きさになるとむしろ浮くかも知れない。困った時は白黒銀である。

イメージ 4
7777km。

 ラッキーセブンは是非とも収めておきたい。とても天気が良い日だったので撮影には難儀しました。これが精一杯。午後から曇る予報だったが、そんな事はありませんでした。

 アレだよ。基本的に話し相手が居ないし、それほど強く求めている訳でも無いので、僕は自己対話特化型人間になっているのだと言えます。毎日ブログ書いてる訳だしな。自分自身と話し合って自分の方向性を正しく決められる人間が、勝手に強くなって行ける出来る強者なのだと思います。
 ごちゃごちゃ言うから弱いままなんだよ。よしやるか。これでいいのだ。

[ すべて表示 ]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事