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自語り雑記。

 姉より借りたWiMAXのお陰で事なきを得ていた自宅ネット環境でしたが、通信の上限を突破した事により激重ネットライフへと早変わりしました。たかがEメールの送信さえタイムアウト起こす程激重で、代わりに電話を掛けるものの相変わらず出てくれません。参ったなこりゃ。まあ折り返して来ない方に問題あるわな。
 なんかもうここまで露骨に応じませんアピールされ続けると腹立つばかりで存在が損に思えて来たわこのケータイ電話とかいうヘイト端末。次回こっちから用がある日まで電源切っとこ。メール寄越せメール。文章はいいぞ、脊椎反射でモノ言う自身を顧みて冷静な状態で言葉を交わし合えるからな。受信できるか知らんけど。

 という事で一旦投稿します。何とか執筆画面は表示できたものの、投稿できず0時過ぎたらシャレにならない。(23時52分)できた!しかしまたこの編集画面に戻って来られたのは0時7分の事であった。やっぱ定額ネットって有り難かったんやな。ここからオムニバスに色々な事を書いてたけど役に立たない文消して一点に絞る。

 僕は何事も呑み込みが早いと自負しており、いち早く法則を掴み、モノにして活かす癖があります。一度失敗した事は二度繰り返さないと決意を固められます。それでもやっぱり失敗する時はしますが、その時は反省し、原因を突き止め、次こそ成功させる。そんな風に意識してます。
 一方で、いつまで経っても呑み込めない人や反省しない人、性根が入らない人は何故そうなのか。何故意識が足りないのか。何故求めようと思わないのか。その理由が最近ようやく判明しました。懲りないからです。改善を求めずとも現状に甘んじる事が出来るし、その自堕落を許容してくれる環境がある。文字通り追い詰められてない訳です。あと少しで観念する!という一歩手前で、何某かの邪魔が入り、逃げても良い口実に踊らされて、まんまと乗る。そんな懲りない己を許して貰える環境に旨みを見出してしまったから、懲りなくても問題ないと錯覚してしまったという事です。

 知ってか知らずか、いつの間にか僕は「一発で懲りる習慣」が身に付いていただけの事で、何も難しい問題ではありませんでした。まず初めに「失敗とは何か」の定義を無意識的に己に課す。そこからはなるべく失敗に触れない様にして、いざ触れてしまった時は酷い火傷を負った時の如し反省を誓う。それでもやっぱり失敗する時はするから、失敗は失敗で認め、次こそはと常に心機一転で挑み続ける。
 要は無意識のまま挑戦し続けていただけの事ですね。一向に懲りないという事は、逃げてるだけの事。一発で懲りるという事は、速やかに立ち向かっただけの事。ともなると、同じ人種と言えど全くの別人種の思想の如し乖離が生じるのも無理はありません。親子や兄弟と言えど、まるで話が通じなくなる訳です。

 だから僕が正しいんだとか言いたい訳じゃない。常識というのは多数決で決まるのだから、多数が「正しくない」と見なせば僕が悪である。ただ一つ、そんな真理に気付いたからには、気付いた側なりの責任が生じるというだけの事だ。真理に気付く度に人は責任を背負う。その責任から逃れたがる人が何時まで経っても真理に目覚めないだけである。
 一発で懲りる、すなわち立ち向かう、要は認めるという事です。己が抱くあらゆる感覚を「認める」と決め続けたからここに来てパワフルになり始めた。するとパワーが足りない周囲が異様に見え出しただけの事で、周囲は昔から何も変わってません。変わったのは僕です。だから変容した僕の方が周りへの理解に身を寄せるべき側となった訳だ。自身は認めたものの、他者を認めないままで居たのだ。
 まだ気が付くに至らない幼子だと思って、温かい目で接してやる必要があった。これを「上から目線だ」とか言われるが、言葉にしてるか否かの違いで、先行く者が後ろを振り返って眺望するのは世の常である。勝手に下に潜り込んで来ただけであって、上から見たつもりなど更々無い。後は分野と程度の問題であり、如何なるジャンルにおいても皆が同じ事をしている。

 しかし僕は、相手を責め立てる様な事を言わない。質問して回答を貰い、また質問をして回答を求めると、最後は相手が怒り出す。その勢いで話が逸れたまま中断してしまい、何とも不完全燃焼に終わる。強引に話の軸を戻せば、あからさまに不貞腐れて無視し出す。質問から逃げ切った時の相手は、ひたすら安堵していた。
 質問を「責め」と感じ取るらしい。つまり僕は質問する事が許されない。または質問の仕方が間違っているのかと相手に質問してみるが、具体的な理由を教えてくれない。全てが不明のまま過ごさなきゃならんくらいならもうこれ可能な限り考えない方がマシだわな。つまり不可知です。知る事が出来ない、または許されてない領域。
 僕は現実主義なので、不可知に思いを馳せる程の事はしません。磁場は何で発生してんのとか考えるだけ無駄です。想像はいくらでも出来るけども、唯一無二の回答が得られない事には無意味という事です。僕は全て法則通りと認識しているが、大抵はあたかもそれは違うと言わんばかりに食って掛かられます。物事は常に表裏一体です。「勝手に決めるな」というのなら「自分で考えろ」という手の平返しはあんまりでしょ。

 まあ僕が先に変わってしまった以上、再び僕が変わって理解を示せる男になる必要があるみたいなので、今度は弱者を理解できる強者に成ってみようと思います。人間常に修行である。その方が女の子にモテるからな。

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玉ねぎ定植機。

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玉ねぎ定植機。

 違う定食ではない。臨時でアルバイトする事になった玉ねぎ定植である。ちなみに本日は母の誕生日でした。誕生日おめでとう。歳は秘密らしい。女性って兎角歳を隠したがるよね。
 理屈としては玉ねぎ以外にも植えられると思います。こういう形の農機具がある事は知ってました。今までずっとどうやって使うんやろと思ってましたが、この仕事を始めて一発解決。このビニール貼った畝にガションガションと爪を突き刺してそこに苗を流し込む。その苗は上にある回転ずしカップに入れる。そんなカップに苗を入れる係が椅子に座って作業するんですね。座席は左右に一脚ずつあります。このタイプの椅子の数え方って「脚」で合ってるんですかね。

 実に効率的な機械ですが、まあ人の手で泥を除けたりコースアウトしない様コントロールし続けたりと行く先を制御し続ける必要があるので、上に座る人以外にもう数人必要なんですね。どんなに少なくとも三人は必要。勿論進路確保してまったり畝ライフという訳にも行かない。せっかく突き刺した苗が飛び出て来る事はあるし、苗を綺麗に挿し込む為には水も欠かせないので給水も必要。苗床を手渡す係も必要。畝の縁を掘り起こすタイヤ君の尻拭いをする為の泥掛けも必要。快適に扱おうと思ったら五人は欲しいところです。
 土がぬかるんでいたり畝に水が溜まっていたりすると一気に効率が落ちます。しかも寒い。鼻水止まらねえ。そんな寒さを乗り越えて玉ねぎを植える農家さんが居るお陰で美味しい玉ねぎが食べられるのだ。感謝して食べようじゃない。玉ねぎなんてあっても無くてもどっちでもいい野菜ですけどね。でも玉ねぎの炙り焼き好きです。

 これ玉ねぎの収穫もアルバイト依頼されるんやろうか。それなら是非ともお仕事肖りたいですね。農業おもろいわ。来年の五〜六月くらいだろうか。訳あり玉ねぎとか貰えるだろうか。楽しみですね。
 農業は何かに付けて煙たがられるが、それなりに営む能力があれば儲かると思うぞ。何たって自給自足できるのが最大の強みで、食費の多くが浮く事実を大抵忘れ去られている。他所の農家さんと友達になれば物々交換も出来る。ついでに漁師や猟師とも友達になろう。年間の最も大きな出費である食費が浮く分、仮に儲けが悪くてもとりあえず餓死する事は無い。でも農業もっと優遇した方がいいと思いますね。こんだけ土地が余ってて自給率100%を下回ってる国とか情けないわ。

 ところで、色んな農家を見たところ鬱は無さそうだなと思いました。会社勤めで鬱になった人は農家を始めたり手伝ったりすればいいんじゃないの。
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体を若くする方法。

 結論から言うと筋肉である。伸び縮みする筋肉こそが若さの秘訣だ。

 人の体を観察し続ける中で、若い体と若くない体の見た目の違いって何なんだろうとずっと見定め続けた結果、体型年齢という言葉を作り出した。ちなみにこの「体型年齢」という言葉を検索してみた結果、面白い記述がいっぱいヒット。なんや既にある言葉なら作ったというより発見だな。
 若さへの執着や嫉妬ほどの見苦しい物はありませんが、かと言って若く在ろうとする事への努力を怠って良い理由とはならない。いわゆる「若々しさ」は死ぬまで磨き続けて行くべきお作法と言えよう。清潔感あるファッションやスーツで正装したりお化粧したりする身形の整頓は第三者に対する心遣いそのものであって、身勝手でずぼらなままの己であっては心遣いもクソも無い。若々しさとは溌剌さである。溌剌に見える条件であれば手段は何でも良い。その手段の一つが体型である。

 僕が見たとこの答えを言うならば、全てにおいて筋肉ですね。筋肉筋肉。もう筋肉こそが全てである。ぷりっぷりの肌は筋肉に覆い被さる組織である。その皮膚ばかりをゴチャゴチャ弄り回したって意味が無い。クソ高いケア用品に馬鹿みたいにお金を掛けてアホみたいに時間掛けてケアするくらいなら筋肉を鍛えるのだ。フィットネスクラブだ。いっぺん死ぬ気で鍛えてみろ。
 まあ、そこらのおじさんおばさんを見てても分かるよね。なんやあのメタボ腹。だらしなく垂れ下がった二の腕。全部引き締めろ。筋肉である。筋肉こそ大事なのだ。

 さて本題。脂肪は落とした。筋も鍛え直した。だが何故か体型が若くならない。そんな悩みを僕は抱えてました。言ってしまえばやっぱり筋肉なのですが、その筋肉に施すべき重要なポイントを完全に見落としていたのである。それが柔軟体操だ。
 歳を取ると筋が縮こまり、伸びなくなる。僕はまだ年ではないが、生まれ付き全身がガチガチに凝り固まっていた異常児で、親の尽力あってとりあえず生きられる程度には改善しました。だが改善したからと言って油断したのが運の尽きである。その後もずっと継続すれば良かったものを途中で止めてしまったので、主に運動面、体力面で悲惨な子供時代を送る事となったがそれはまた別のお話。そんな時期を過ごした自分の体型なんて大して興味が無かったので覚えてませんが、少なくとも美しくは無かった。

 二年ほど前からかね。体型を美しくするには如何すれば良いか、色々と調べる。何処もかしこも「鍛えろ」とばかりで話になんねえ。もう見飽きたんだよ「鍛えろ」は。
 そこで僕は閃いた。「この硬い筋を柔らかくしたらいいんじゃね?」。こうして柔軟体操に本腰を入れ出すのであった。結果は大正解である。筋がしっかりと伸びる様になった部分は、若さを感じさせる部位へと移って行った。少なくとも僕は「柔軟が大事」という記述を見た事が無い。何故何処にも書いてないのか不思議でたまらないが、とりあえず筋を柔軟にして行けば若い体付きを取り戻せる事が判りました。僕には若い頃の体付きに相当する時期が無かったのでこれからが青春ボディの始まりである。

 という事で、蓋を開ければ何事も単純なんですよね。ただ方法を知らないだけで、または誰も興味が無いか求めてないだけです。求めててもまるで関係無い事チャレンジして効果出ないと嘆いてる様では世話が焼けますよ。「効果がある方法は何か」を常に求め続ける行為が挑戦である。若く在りたければよく縮み、そしてよく伸びるしなやかな節々にして行けば良いのだ。顔も全く同じ。ほうれい線とかシワとかの原因の殆どが筋肉である。ガチガチに凝り固まってるんだよ。摩擦とかシミとか恐れずいっぺん死ぬ気で解してみろ。
 また柔軟な体は痩せやすいですね。代謝が良いのでしょう。柔軟なのに痩せない人は筋力が弱いか、食べる量が多いだけです。単に脂肪を落とすだけなら「食べる」という手間の掛かる動作を控えるだけで事足りるので、これ程楽な事はありませんね。一般人は何故か難しいと感じるみたいですけどね。筋は伸ばしたり縮めたりしなくてはならないから少し面倒ですが、その面倒な事をするだけで若々しく在れるのはお得なのではないでしょうか。

 僕の場合を言うと、若さとか何とかは割と如何でもええんや。昔から腰が弱くてね。ずっと体操を続けた事で慢性的な腰痛は無くなり、生まれ持った筋硬結もだいぶ解消に向かっている。やり過ぎてむしろ傷めない様にセーブしつつ、そして時には豪快にねじったりして、このどうしようもない体を何処まで良くして行けるかを考えると楽しいのだ。楽しさこそが全てである。

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