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海の作業。2017年4月27日

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/わいのにりん\         

 本当は青い水平線をいま駆け抜けてくテーマを流そうと思ったところでこの曇り空。やっぱ青空でないと雰囲気が足らんですね。僕の輝く未来さあ回り始めてって爽やかに言うには晴れやかさが足らんですね。や晴N1
 このスクーターを手に入れた日からかれこれ二週間が経過。50km/h以上の走行にもすっかり慣れました。そして法定速度を守って走ってたらどんどん追い越されますね。皆さんそんなに慌てて何処行くねん。どうせ信号に捕まるんだから気ままに走ればいいのに。ほら追い付いた。大体そんな感じです。

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Perfect!

 わいは学んだのだ。これで恥ずかしくないぞ。相変わらずプロテクターの収納は難儀しており、袋に入れて吊るす方法を取ろうかと考えております。もっと言えば、プロテクターなんかよりもヘルメットを収納する為のリアボックスでも取り付けた方がパーフェクトかもしれませんが。
 プロテクターを盗られただけならかろうじて走れますが、ヘルメットを盗られたら詰み。調べてみると、ヘルメットの盗難って多いみたいですね。顎紐切って盗むとの事ですが、うーん。リアボックス必要かもな。

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フロントはかわいい。

 後ろから見るとただの原付二種スクーターですが、前から見ると少し太いのがPCX。黄色と黒とで蜂さんです。白と黒だと何だろう、白い黒いスクーターかな。
 威圧感の無い後ろ姿と、視認性ばつぐんの正面顔。とりあえず同型同色に乗っているライダーは今のところ未確認。確認できるその日まで、地元ではオンリーワンである。ブンブーン。

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おやつはカップヌードル。

 向こうに居るのはお客さん。期間外でも頻繁に遊びに来てくださる、お得意様…の、お連れ様。写真は撮ってないけど手作りの豚玉をいただきました。
 ここで食べるのが美味いんや。肉体を酷使した後は、おにぎりでもラーメンでも何でも美味しい。体を動かし、遊び、勉強し、食べて寝て稼いで夢を追いかけるからこその健全生活。これらのバランスを保つのが大切なのかもしれませんね。

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 「何事も中途半端」である事を、恥ずかしくも思わず自慢する人がいる。この心理を解き明かすならば「責任は背負えない」と防衛線を張っている事と同じであり、確かにそのような人は、何事も中途半端な人で間違い無い。
 では何故そのような中途半端な状態に仕上がるのか、もし現時点でその有様を嘆いているようであれば、正しいメカニズムを知り、克服する必要がある。

 まず、どのような状態が「中途半端」であるかを知るところから始める。平たく言えば、どっちつかずである。即答が出来ない。決断できない。人を待たせる。悩む時間が長い。質問に答えない。期限を決めない。失敗を生かせない。日和見。etc。
 これらの中途半端な存在は、兎にも角にも害を成す存在である自覚を持たなければならない。存在が有害である。何故なら、当人は人の為だと思い聞かないので、正義の心で中途半端を貫いている。無論そのような存在が居るからこそ保たれる均衡もあるが、果たして、自らが及ぼす「中途半端」は、どれほど社会に貢献しているか。はっきりと断言できる根拠を伴わないならば、その「中途半端」には何の価値も無いと言える。

 では何故、中途半端な自分になり、それを許してしまっているのかを解説する。
 中途半端には「終わり」が無いところに目を向ける必要がある。そして、中途半端に見舞われたその道のりには、終わりが見えず、何処で決着を付けて良いかが見えない。これは、何かしらの理由で「選択」の機会を見逃してしまったか、自らの意思であえて蹴ったかのどちらかにある。微細な変化を恐れ、平凡に甘んじたが為の結末が「中途半端」と言える。
 作家が望まず、存続だけに注力した出版物の引き延ばしは、見るに堪えない。余程の技量を持っていない限り、碌な結末を迎えない。だが、そのような半端な出版にも必ず終わりがある。人で言えば、死に相当する。
 ただ闇雲に話を引き伸ばしているだけの作品は、死ぬまで半端を通す。続けられるだけ凄いという見方も出来るが、人から見向きされなくなれば、ただの自己満足に過ぎない。人は、一度人に貢献し始めたら、一生を通して貢献する事を考え続けなければならない。一度貢献し始めておきながら、後から自己満足に溺れるのは、神が地に落ちたのと何ら変わらない。

 そのような利己主義の繰り返しが、中途半端を招き、驕りがそれを許してしまう。死ねば終わりという自分本位な考えが、次の世代へ受け継がせるものを何も持っていない事を現している。
 「死ねば終わり」は、「よく分からないまま始まり、よく分からないまま終わった」と同義である。つまり、中途半端である。始まりは皆手探りなので、「よく分からない」のが当たり前。だが終わる時くらいは、しっかりと自らの意思でピリオドを打たなければならない。日本の形式なら、いわゆる「完」である。

 小学校に入学したら、生きている限りは「卒業できない」というのは在り得ない。必ず「卒業」という形で終わりを迎える。そして小学校を卒業したら、次に始まるのは中学生活。中学校を卒業したら、多くは高校、そして次は大学。そのように、何かが終われば必ず次に何かが始まる。次に何も始まらないのは、まだ何かに決着が付いていないと考えなければならない。
 きちんと決着が付けば、己の中に秘める蟠(わだかま)りや、心残りが晴れる。

 変わりたいのに変われない。そんな時も、晴らさなければならない「何か」に対する決着がまだ終わってないと思えば、長年の疑問に対する決着が付く。そこまで分かったら、次に考えるのは「決着を付けなければならないもの」の詮索。人に対するものだけでなく、自分だけが知り得る「未解決」を放棄していた事を素直に認める。
 「結果だけが全てではない」と言うならば、目を開いて「原因」を突き詰めなければならない。原因を突き止め、それを解決すれば、初めてその呪縛から解放される。例えるなら「呪い」である。呪いは、自分で自分に掛ける事しか出来ない。人から呪われていると感じるならば、それはただの錯覚である。
 呪いから解放された人は、その呪い自体がただの笑い話になる。解決してしまったのだから、二度と同じ問題に悩まされる心配は無い。心配事が無くなるから、次が始まるのだ。

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海の作業。2017年4月25日

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モズのはやにえ。

仕事終わりに寄った母の実家のレモンの木。お庭で見られるなんて珍しい。どうやらこの辺りにはモズがいるようです。背中の模様を確認するの忘れてた。ニホントカゲ?

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ということで仕事だ。

チェーンブロックと呼ばれる道具で石ころを持ち上げます。とても人力で動かせるものではなく、バールでこじってようやくガタつく重さがある。すごいなあ。ファンタジー的には、こんなのが人体に直撃するんだろう。そりゃ死ぬわ。木っ端みじんの肉塊だわ。
 そんな妄想を爆発させつつ、きりきりと鎖を巻き上げます。
 そんな石が立った、横姿。

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前から。

これが直系10メートル級のサイズで、絶対に転ばない保証があれば名物になるのでしょうね。ただの石はただの石らしく、蹴落としてひっくり返しました。
 石にこびり付いてるのは貝殻。三脚は10cm角材です。

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そしてこの海である。

めっちゃ綺麗ですわー。我ながら言うのも何ですが、綺麗です。遠浅、引き潮、凪いだ海。あいにく空は曇り空。今日一日曇りの予報でしたが、そんな予報に反して晴れ間が長く続きました。気象学的には晴れ。予報的には曇り。現地情報こそリアルやぞ。

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浜辺拡張計画。

おっとこれは極秘情報である。いや別に浜は拡張するものでも何でもなく、自然に発生するものですね。我々はただ実直にごみを拾ったりするごみ清掃業者(?)気取り。
 聞くところによると、浜辺のごみを撤去するための費用として、200億の国家予算があるらしい。それならば、上手い事その旨の申請を出せば、正式にごみ収集業者として予算が降りるかも知れない。これまた情報を収集だ。お金を稼がねば。

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