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あれから一年後。

 歯列矯正マウスピースを使い始めた一年前の今日、いつの間にやらその日から一年が経過。回りくどくなったがつまり丸一年使ったところのレビューをします。前置きなど不要!順を追って振り返ってみましょう。

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三ヶ月間。

 一年と少し前、前歯のズレが気になり出した僕は、自力で矯正できないものか調べてみた。すると見つけたのが冒頭に挙げた「歯列矯正アライメントGrocia」という器具。一ヶ月間ほど使ってみたところで大きな変化を確認し、更に二ヶ月重ねてみたら益々良くなっていた。
 確かなる効果が実感できたので、身の回りの人に薦め始める。

 が、誰も興味を示してくれなかった。何故だ。ほんのニ〜三人ほど試してくれたが、各々わけの分からない理由で瞬く間に使わなくなって行った。何故だ。僕の周りの人達は、歯列が乱れていても気にならないようだ。信じられない。

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半年。

 三ヶ月間使用したところからの目覚ましい変化を目の当たりにした僕は、半年も使えばさぞかしすんごい事になっているだろうと思った。しかし現実は甘かった。
 変わってねえ!そう。事実上、僕の歯の矯正は三ヶ月で終了した。これが市販2500円相当の可能性という事である。まあ十分といえば十分ですが、もう少し頑張って欲しかった。続きは医者で!って事ですかね。

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更に半年後、本日。

 うーん、これは変化無し!w
 という事で、相変わらず「三ヶ月後」が完成形です。ちなみに毎晩欠かさず装着しておりました。今では朝起きて歯が痛い事はほぼありません。炒り米食べようとした時にあふぅん♡となるくらいです。起きてしばらくしたら完全に正常化します。
 つまりまだ歯が動く余地があるという事で、装具の嵌め方を工夫すればまだまだいけるかも?噛み癖の問題でしょうか、前述に「ほぼ」と挙げたように、時々結構な圧力が加わったであろう事も確認できます。

 どうやら僕には歯軋り癖があるようですし、歯軋り防止にはとても役立っていると思います。何かを食べる夢を見た時、口が夢と連動してもぐもぐした時に口の中でごろごろ転がそうとしている様子が分かる。そんな時、何故かふと正気に戻るよね。またすぐ寝るけど。

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記録だったもの。

 もう昨年九月初頭に記録付けるの止めました。変化無くなって面白くないんだもの。むしろ変化が無くなるまで続けた僕すごい。殆ど皆興味を持たないか、またはやってみても続かないから。
 これまでは、ほぼ毎日感想を記入。変化を感じる日があれば、全く感じない日もあり、感じた変化が実は気のせいだったり、実は変化がありながら無いと感じたり。後からざっと読み返してみると、そんな事が分かって面白いんですよね。

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一年の変遷。

 まあ実質三ヶ月で終わったも同然ですが、一応。おまけ画像。

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今朝の写真。

 それとひとつ気になったことがある。この画像を見ていただくと分かりますが、前述の比較に挙げた「一年後」とは見え方が少し異なります。と言うのも、これは今朝撮影した口内であるのに対し、比較に使った画像はついさっき撮影したばかりのもの。理由はわかるやろ。
 こんなピンボケ画像使えるか!!でも撮影し直した後で悩む二段構えの罠が待つ。おかげで執筆開始時間が遅れる。何が言いたいかというと、朝の歯列と、夜の歯列とではやや違う。少し動いているように感じたのです。

 つまりこれ、せっかく矯正した歯が圧迫されて戻ろうとしている事による。もっと詳しく見てみます。次の報告は半年後か、来年の今日。それでは皆さんごきげんよう。

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雑記。平成30年1月22日

 世の中は全てが「イメージ」で決まります。イメージが伝わらなきゃ何の意味もありません。学者の論文のつもりなら、難しい言葉でまくし立ててもいいと思います。やれ無知だの、やれ凡人だの、やれ無教養だの、なじったところで己のコンテンツの魅力の語り口にはならない。「分かる人にだけ分かれば良い」と言うのは、分かる人が現れなければ永遠に無価値であると自ら宣言したのと同じです。
 価値はアピールしなくてはならない。最も簡単にアピールする方法は、自分と同じような人の興味を引く方法。単に自分が興味惹かれる宣伝文句であれば良し。それを読んでも興味が持てない気がしたら、それは駄文。たった一言、こんな宣伝されたら手を出さずには居られないコピーが書ければ、後は全てが応用です。狙った層の気持ちになって考える。狙った層の心に成り切ってみる。作者の気持ちを考える。
 結局のところ、自ら何かを生み出して、それを人に広めたいとするならば決して独り善がりに終わらせる訳には行かないのです。自分さえ楽しめればそれでいいとかほざいてた創作活動家は悉く消え去りました。商品さえ売れればアフターなど知ったこっちゃない的な態度の商売人は悉く消え去りました。毎日ブログ書きます宣言したブロガーは悉く消え去りました。一方ワイは生き残った。

 生き残りたければ自己中やめろってだけです。人は優しくされたがっているし、うずうずさせてくれるのを期待してます。煙草嫌いの人を相手に「美味しいものを持って帰る」と告げて期待させておきつつ、自分の好きな銘柄のヤニを持って帰ったらまずガッカリされる。もう信用されなくなる。
 イメージを壊したが最後、元のイメージを取り戻すのに途方もない労力を要します。どんなに駄文でもいいから、見て欲しいがままのイメージを確実に伝える努力が必要。見て欲しい人達の周波数に、自らを合わせる。ラジオのチャンネルと同じで、周波数がズレるとまともに送受信は出来ません。どんなに喚いたところで、周波数を合わせられない自分の責任で、送受信が出来ない環境=電波が届かない=過疎地で甘んじる己の責任です。
 ここまで書きゃ宣伝の仕方とかもう分かるやろ。「自分自身を売りたい」というのは実に楽です。人身売買じゃねえよ。まずはプロフィールを書きます。開けっ広げに自分の個性を綴ります。人物像をイメージして貰いやすくする。可能なら自画像を使ったり本人写真を掲載する。くどくなり過ぎないように注意。

 人物像をイメージして貰えたなら勝ったも同然。後は、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるスタンスであっちこっち出回り、そんな中で仲良くなった人と信頼を深め合う。すると「良いイメージ」が独り歩きし始め、類は友を呼び、次第に「個性」が確立され行く。自分で自分の事を個性的だなんて言いたきゃ勝手に言えば良いですが、それは第三者が決める事であって自分で決める事じゃないです。自分は至って常識人のつもりで居た方が、むしろより一層個性的に見えるのではないか?僕はそう思います。
 つまり僕は常識人。好きなものはおっぱいとロボットと味噌汁です。クソ真面目にアホな事言う人って面白いなあ。

 以下つらつらと続けてたけどいつか墓穴掘りそうなので消した。何も嘘書いてたとか慢心とか矛盾を孕むとかそんなものではないです。むしろ本心や事実、期待を込めたつもりでも、然るべき視点からはそうは行かない。
 包み隠さず話すのは大事ですが、余計な火種をばら撒くのは駄目です。その辺の判断をより素早く細かに特定して行けるのも、自らに課すべきイメージ力。未来を想像する力ですね。積極的だからと必ず評価される訳じゃない。ルールを犯せば違反者のレッテルが貼られます。
 ルール違反がなんぼのもんじゃ。郷に入っては郷に従え。ルールはきちんと守りましょう。

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 あんな事があった!こんな事があった!というものは多くありますが、それを記事にするか否かはまた別の話。特に「自分はこれを経てこういう気付きに至った」といった説明が上手く出来ないもの、後に続く記事や生活体験に上手く繋げられなさそうな話は省いております。愚痴とか自慢話とかね。
 愚痴は自分でも分かりやすいもので、端から書こうとしない事があれば、つらつらと長文書いてる内にやっぱ止めたと文章消したりといった事がよくあります。ところが自慢話なのか、そうでないかの線引きが意外と難しいのです。どうや凄いやろ!って事を書くことは当然あるし、それまでの努力の上に成り立った!という説明が上手く付く場合は堂々と表明しますが、たまたまの運で成り立ったものでドヤ顔ってはっきり言ってウザいので、僕がそうならない様に気を付けたいと努める。無論、綴っている内に「これただの自慢話やんけ」と気付いたら即削除。
 特に意味の無い自慢が許されるのはお子様の特権なのだ。大人たる自覚を持つ以上、何の為の自慢なのか、その自慢を経て己以外の誰が得するか迄をきちんと明らかにする必要がある。説明が付かないならチラ裏で満足しとけ。それでも如何しても自慢話を繰り広げたいならば、お子様に成り切れ!突き抜けろ!半端を許すな!そういう事です。

 読者を楽しませるべく日常ネタの選別も、こんな基本的な部分から考えます。文章化すると随分と長い説明になりますが、判別そのものはパッと「感じる」だけで済ませるので、頭に浮かんだネタを起用するか否かの判断はほんの一瞬です。「感じる」という事は、面白いか否かを直観的に判断。いわば「特に考えない」とも言えるので、それ故に後からマズった!となり、書き直す事があったりします。
 それでも何も思う事が無ければ「あれした」「これした」というただの日記となる。

 という事で、本日の日記を始めます。ここまでの話?前書きだよ。

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五徳という部分。

 母実家のキッチンの汚さは僕が認めるところにあり、見るたびに掃除してえなあという思いが湧き起こりながらも全く気が乗らないので普段は放置。皿洗いすら他人任せ。本日出向いた際にようやく気が乗ったので、これまで掃除したくて堪らなかったガスコンロを磨く事にしました。
 ガスコンロという調理器具の名は知るところにあるが、パーツの名称まで詳しく知る筈もない。弟に教えて貰って初めて知った「五徳」というこの部分。この真っ黒なごつごつ、全部汚れなんだぜ?かれこれ十数年、または数十年間まともに掃除されていないであろう汚れが積み重なり、炭となり、まるで石の様にこびり付いてしまった。
 この真っ黒をこそぎ落としました。かなたわし(金属たわし)程度では、まず落ちません。お薬を処方すれば良いかもしれませんが、余程強力なものでないと石化した炭は中々落ちないし時間が掛かる。ということで力技である。引き出しの中に入ってたマイナスドライバーを用いてこそぎ落とし、とても硬い部分はそれを鑿(のみ)にしてトンカチで叩き割る。誰もやらんで放置してるので僕一人でやろうと思ってたところ、弟が手伝ってくれたおかげで捗りました。それでも三時間以上は経ったかな。とにかく時間が掛かりました。

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掃除完了。

 五徳だけでなく、バーナーキャップから受け皿まで全てが石化した炭に覆われておりました。ビフォー撮り損ねた。まあ十年以上掃除されてないガスコンロと言ったら大体想像付きますよね。五徳の周り(天板という)は時々拭き掃除が成されていたようですが、肝心の五徳並びに部品のひとつひとつは放置、といったところでしょう。
 本当は中もクッソ汚くて掃除機で埃を吸い出したり雑巾忍ばせたりしたかったのですが、これ以上手を酷使すると怪我しそうに思ったので切り上げ。こんなもん怪我負ってまでするもんじゃない。専業主婦の仕事か、または気になった人が気が済むまでやれば良いだけの仕事である。誰も気にしないから誰も掃除しなかった。僕が気になったから僕が掃除した。それで良いのである。
 誰々の為に頑張ったのに!とか言う人が後悔し、見返りが欲しくて身を粉にしようと考えるから痛い目を見る。こういう事こそ「自分」が基準で良い。己自身が気持ち良い思いをする為だけに掃除すれば良いのだ。どうせ放置しときゃ勝手にまた汚れて行く訳ですし。「良い事をした」等と考えるよりも、自分のした事を良いと思ってくれる人がついでに居たら尚好し程度に捉えておくくらいが丁度楽しめます。

 ああ〜さすがに疲れた。水仕事をした後は、塩を手で掬い取って両手を揉みしだきましょう。手の皮膚に吸収された水気や要らん洗剤などが浸透圧で塩に吸い出されます。おまけに手荒れ防止にもなる。
 掃除終了後に着火したところ、掃除する前とは火の美しさが違った。美しいものには美しいものがよく似合う。男の男気は火のように強く。女の女気は火のように美しく。フィットネス行こうと思ったけど、ガスコンロ掃除する日となりました。そんな感じの日曜日です。

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