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防空識別圏??
尖閣諸島は日本の領土
確固たる「証拠資料」が存在する
尖閣諸島を中国の船が領海侵犯しているだけでなく、今度は勝手に「防空識別圏」を敷いて来た。だが、尖閣は日本人が開発し、所有して来た歴史的な史実がある。その開拓者は古賀辰四郎氏と息子の善治氏であり、善治氏の妻が島を守ってきた。
その証拠になる書類が残されている。その資料によると、沖縄県が設置された明治12年の5月、古賀辰四郎氏は沖縄県に渡り、海産物を扱う店を構えた後、前人未踏の沖縄周辺海域の調査に乗り出したと書かれている。
息子の善治氏が言うには、尖閣の久場島は、貴重な羽毛が採れるアホウドリが生息する島で、明治18年、開発に興味を持った辰四郎氏が明治政府に開拓の申請をしたところ、当時この島がどの国に帰属するのか分からない為受理されなかった。
その後、中国や台湾からも領土主張が無いことを確認して、日本政府は尖閣列島を日本領と宣言した。明治28年のことである。満を持していた辰四郎氏は、時の明治政府に「官有地拝借お願」を提出し、魚釣島と久場島の貸与を受けた。
許可が下りるや、島に開墾者が住む事が出来るように家屋を建設し、井戸を掘り、魚介類の加工工場や、羽毛製造所を建設した。そして明治33年のパリ博では、工場で作った真珠や貝殻の美術品が、見事銅賞を受賞するまでに至ったのである。
出品した二点は、皇太子がお買い上げになったと言う栄誉も頂くことになっただけではなく、古賀辰四郎は尖閣諸島開拓の栄誉を称えられ、明治44年に「藍綬褒章」を下賜され、大正7年63才で一生を終わったのである。
この壮大な事業は長男の善治氏が受け継ぐことになった。そして、昭和6年政府から払い下げの許可を受け、善治氏の個人所有となったのである。この尖閣が日本の領土である重大な証拠が、中国漁船難破事件で残されている。
大正8年、中国の漁船が尖閣沖で座礁したことがあった。その時、善治氏の船が偶々発見し、難破船と31人の乗組員を助けて石垣島で手厚く保護し、その後船を修理した上で、漁船員を中国に帰したことがあった。
すると、その翌年、中国政府から「日本帝国沖縄県八重山群島尖閣列島」と宛てた感謝状が届けられて来た。間違いなく、中国政府が今主張している中国名の「魚釣台」ではなく、「尖閣列島」と書いて来たのである。
この中国政府の感謝状は、現在でも保存されている。つまり、90年以上前から中国は、尖閣諸島は日本の領土であることを認識していた決定的な証拠に他ならない。
この様に、尖閣諸島は、古賀辰四郎氏親子が開拓した日本の領土なのである。この事実を覆す資料を中国政府が持っていると言うのなら、国際社会に示すべきであろう。中国の脅し行為には、徹底的に排除する日本の姿勢が今必要である。
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本当に厄介な隣人・隣国ですね。
俺の物は俺の物、お前の物も俺の物、何かで頭を打たなければ分からない人種です。
2013/12/2(月) 午後 7:42 [ 行雲流水 ]
行雲さん おはようございます。
次にコメントをしてくれたmanaさんが言われる通り、追い込まれた中国は何をするか分かりません。
本気を示す…流行語ではありませんが、それは今でしょう!
2013/12/3(火) 午前 8:45 [ 夕日の丘 ]
おはようございます。
manaさんらしい書き込みを見て、元気でおられること何よりです。
仰るとおり、追い込まれている支那が「防空識別圏」を敷き、仕掛けるタイミングを狙っている…だから周近平は本気であり、事態は危機的状況なのだと言う指摘、全く同感です。
ここに書かれたmanaさんのコメントを転載したいくらいです。
2013/12/3(火) 午前 9:00 [ 夕日の丘 ]