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総合病院でこんなことが!vol.4<蘇生会総合病院の実態> 
 
※vol.3からの続きです。
 
京都市伏見区にある蘇生会総合病院に、本年(2013年)3月11日から4月8日までの約1カ月間、私の父が入院しました。
 
その間、人の命をあずかる総合病院内で、信じられないことが起こりました。
 
以下にその出来事を、記事にしていきたいと思います。
 
前回の記事はvol.3を
 
前々回の記事はvol.2を、参照して下さい。
 
なお、入院の経緯については前科の記事、vol.1を、参照して下さい。
 
★ ★ ★
 
蘇生会総合病院で起こった信じられない出来事として、今までの記事で
病室を、家族の者に相談・連絡なく勝手に変更
申し渡し事項が、看護師にほとんど通じない
看護師が薬の量を2回間違う
患者の訴えを、看護師が妄想と決めつけて無視する
病院の連携ミスで、検査入院の予約がとれておらず、看護師長は一言の謝罪すらしない
の、五点を書いてきました。
 
これらは母の記憶をもとに記事にしたものですので、看護師との言葉のやりとりなどは、当然ながら実際と必ずしも一致するわけではありません。
 
当事者にしてみれば「私はこんな言い方はしていない」とか「そんなつもりで言ったのではない」という批判もあるでしょう。
 
しかしながら
・付き添いの母に連絡なく父の病室を変更し
・看護師には申し渡し事項が伝わりにくく
・薬を2回間違い
・患者の訴えを「妄想」と決めつけて無視し
・入院の予定がミスでとれていなかった
ということは、全て動かしようのない事実であり、そこにいささかのウソやでっちあげはありません!
 
もし蘇生会総合病院が私の記事に対して「名誉毀損」「営業妨害」などといって、上記の事実を否定するようなことがあったとしたら、私は絶対に許しません。
 
なんなら、第三者のしかるべき機関が、徹底的に病院の記録を調べ、真実を究明してもらっても、いっこうにかまいません。
 
いやむしろ、私が母の又聞きで記事にするよりも、専門家が行った方が、もっと正確に蘇生会総合病院の実情を、明らかにしてくれるのではないでしょうか。
 
いずれにせよ、記事にしたことは、本当にあったことなのです!
 
★ ★ ★
 
医療というものが、人間の幸福に重要な役割を果たすことは、いうまでもありません。
 
医師、看護師をはじめ、医療にたずさわる方々は、その専門知識や技術、経験の上から、病める人を助け、励まし、その回復を大きく支えていくことができる、かけがえのない存在です。
 
そこで問題なのは、医療にたずさわる方達の「患者に対する思い」ではないでしょうか。
 
私が今まで書いてきた蘇生会総合病院の問題点は、その根底に「患者への思いやり」が、決定的に欠けていることに、起因するのではないかと私は思います。
 
直射日光を浴びて、苦しそうにしている姿を目にしても、カーテンをしめてあげられない。
 
お腹の不調を必死に訴えても、妄想と決めつけて無視する。
 
この二つなど、まさにそのことを象徴しているのではないでしょうか。
 
どんなに医療が発達し、技術的に優れた医師や看護師がいたとしても、「患者への思いやり」がなければ、絶対に満足いく治療などできはしないでしょう。
 
★ ★ ★
 
蘇生会総合病院に決定的に欠けている「患者への思いやり」。
 
ところがおかしなことに、この病院の理念は、
「思いやりの気持ちで 心とからだの蘇生を」
だというのです。
 
病院のホームページで、長澤史朗院長の挨拶が掲載されているのですが、そこには
>当院の理念は「思いやりの気持ちで 心とからだの蘇生を」です。この「思いやりの気持ち」、誰もが持ち合わせているものですが、忙しさ、慣れ、配慮不足などのために充分に伝わらないことが少なくありません。当院職員は常に患者様を中心とした医療を心がけるという決意をこめて、「思いやりの気持ち」 を理念の前面に掲げました。
と、あります。
 
当院職員は常に患者様を中心とした医療を心がけるって・・・・・・
 
患者中心の看護師たちが、薬の間違いを指摘されても「そんなはずはない」と言い切り、患者の症状の訴えを「妄想」と決めつけ、病院側のミスに対して「一言の謝罪もない」とは、どういうことなのでしょうか。
 
この長澤院長は、いったい職員たちに、どのような指導・教育をしているのか?
 
必死に「思いやりの看護」を訴えても、院長には人望がなく、だれもいうことを聞こうとしないのか、それともそんな指導・教育などまったく行っておらず、ホームページ上だけ、リップサービスできれい事を並べているだけなのか。
 
私の勝手な想像では、後者ではではないかと思っています。
 
なぜなら、ホームページに掲載されている長澤医院長の顔写真を見ると、とても「思いやり」があるような顔をしていないからです。
※現在撮り直して、別の写真になっています。
 
顔で判断して申し訳ないのですが、とてもではありませんが人命を尊ぶ医者がする表情ではありません。
 
どうみても悪徳政治家か、チンピラです。
 
とにかく人相が悪い。よくこのような顔写真を堂々と載せられたものです。
 
ここまで言われれば腹立たしいかもしれませんが、看護師に思いやりのカケラもなく扱われた私の父や母の気持ちと比べれば、なんでもないでしょう。
 
グッとこらえて反省すべきです。
 
むしろ、これからはその悔しさをバネにして、「思いやりのある看護」を目指して、しっかり指導に励めと、私はいいたいと思います。
 
★ ★ ★
 
人生は矛盾だらけで、社会も不公平がまかり通っています。
 
表向きはきれいごとを並べても、その実態は、動物的な“弱肉強食”の原則に支配されており、強いものは弱者を見下していじめ、弱い者は強者にへつらいながら、より弱いものを苦しめようとします。
 
本来は、悩める人を守り、救うべき立場の人間も、反対に、その立場を使用して、人々を傲慢に見おろし、搾取し、その犠牲の上に、利己的な保身を貪っているのが現実です。
 
悲しいことですが、むしろ社会の大半がそうであるのかもしれません。
 
医療に関わる人々のあり方は、病気やケガなどで、病める人の味方となり、「思いやり」を根本にして患者に尽くしていくことであるはずです。
 
なのに患者を「弱者」として、自分より「下に見る」かのような態度は、まさに本末転倒といわざるをえません。
 
それは自分でも気づかないうちに、「治療してやってる」という傲慢さが、心の奥底に、巣食っているからではないでしょうか。
 
その傲慢な心は、結局は自分自身の人間性を踏みにじっていくに違いありません。
 
もし医療にたずさわる方が、私の記事を読んでも、看護師や病院に対して憤りを感じないようなら、間違いなく傲慢な心に支配されている結果であると思います。
 
それはもはや人間としての「敗者」の証となっていることを知らねばならないでしょう。
 
人に差別をつけるわけではありませんが、困っている人、苦しんでいる人など「弱者」に対しては、特に力を屈して守り、大切にしていく人が「人格者」であり「正義の人」なのではないでしょうか。
 
弱者が軽んじられ、さらに苦しまなければならない。そこに現代社会の、根本的な不幸があります。
 
私の父や母に対する、病院側の心ない対応は、社会のひずみの縮図なのです。
 
この転倒を、正さなくてはなりません!
 
どうか蘇生会総合病院の心ない職員達が、これからは「患者に対する思いやりの心」を持ち、温かな治療と看護に徹していくことを、私は強くお願いしたいと思います。
 
このことを訴え、蘇生会総合病院で起きた信じられないことの最後の一つを、以下に記して終わりたいと思います。
 
<医者に渡すよう頼んだ手紙を、看護師が紛失させる>
4月8日、やっと父の退院の日がやってきました。
 
あいにくこの日は、父を担当した医師が出勤していなかったので、母は先生にあてて手紙を書きました。
 
そこには、いままでの治療と、母の手術日に合わせて、父の検査入院を配慮してくれた事へのお礼や、父の入院の部屋は、個室ではなく相部屋でもかまわないことなど、細々とした伝達事項が書かれていたようです。
 
「この手紙を、○○先生に渡して下さい」
 
母は看護師にその手紙をあずけました。
 
しかしその手紙は、医師に届くことはありませんでした。
 
なんと蘇生会総合病院は、母が預けた手紙を、紛失させてしまったのです!
 
ちなみに現在も、その手紙はみつかっておりません。
総合病院でこんなことが!vol.3<蘇生会総合病院の実態> 
 
※vol.2からの続きです。
 
京都市伏見区にある蘇生会総合病院に、本年(2013年)3月11日から4月8日までの約1カ月間、私の父が入院しました。
 
その間、人の命をあずかる総合病院内で、信じられないことが起こりました。
 
以下にその出来事を、記事にしていきたいと思います。
 
前回の分はvol.2を、参照して下さい。
 
なお、入院の経緯については前科の記事、vol.1を、参照して下さい。
 
<患者が訴える不調を無視し、看護師が妄想と決めつける>
夜中、父がお腹の不調を訴えたことがあり、付き添っている母はすぐに看護師を呼び、みてもらった時のことです。
 
父は必死にお腹の不調を看護師に伝えるのですが、しばらくやりとりした末に、なんとその看護師は「それはただの妄想です!」と言ったのです。
 
看護師は父の訴えは完全に無視し、眠らすために睡眠剤を注射しました。
 
それでも父はお腹が痛くて眠れず、母は「やっぱりお腹の調子悪いようです」と、再び看護師を呼びました。
 
しかし看護師はあくまでも患者の訴えは無視し、よほど早く寝て欲しいのか、驚くことに別の睡眠導入剤を飲ませたのです!
 
当然父のお腹の不調がおさまるはずはなく、二回にわたる睡眠薬の効果も空しく、ほとんど眠れずに朝を迎えることになりました。
 
結局翌朝、別の看護師がビニール手袋をはめ、カチカチに固まった便を父の肛門から取り出し、やっとお腹の不調が治まったのです。
 
なんのことはない、お腹の不調は便がつまっていただけなのです!
 
実は父が服用していた薬は、便が出にくくなるという副作用があるもので、退院の時に「用意されていた浣腸です」と、渡されました。
 
副作用を考慮し、ちゃんと浣腸が用意されていたわけです!
 
もし、駆けつけてきた看護師が真剣に父の話を聞き、薬の副作用の便秘を疑って浣腸をしていれば、すんだことです。
 
なのに訴えをまったく無視して、「妄想です」とは何ごとか!
 
当直の深夜に呼び出されたのが腹立たしく、うるさい患者ははやく寝てもらおうとでもいうのでしょうか!
 
どうやら蘇生会総合病院の看護師は、患者の訴えより、自分の気分で薬を投与するようです。
 
おまけに、まったく必要の無い退院時に浣腸を買わせるという、悪徳商法も付いているのですから、開いた口がふさがりません。
 
<退院後、検査のため再入院の予約をするが、病院の手違いでとれず>
父の付き添いで長い時間病院にいる母は、たまたま院内に張ってあった「足の血管病」のポスターを目にし、普段痛い自分の足も「もしかしたら、血管のせいかも」と思い、診察をしてもらいました。
 
すると、やはり疑った通りで、母は動脈瘤の手術をすることになったのです。
 
手術の日程は、父の退院後の4月19日と決まりました。
 
しかし手術をした日、母は一日だけ入院しなければならず、その日は父が家に一人ですごさなければなりません。
 
認知症(当時は精神疾患を疑っていましたが)が始まっている父を、とても一人で家においておくことはでず、その日だけは、息子の私が実家に泊まって父の面倒をみるよう、母からお願いされました。
 
当然、私は了承しました。
 
ところが父を担当していた医者が、息子さんも大変で、母も心配だろうから、父を退院後の一日だけの検査入院というかたちで、母の手術の日と合わせてMRIの予約をとってくれたのです。
 
私に父の面倒を見られるか少々不安のあった母は、先生の厚意に感謝し、「先生の配慮で、その日に実家に泊まらなくてよくなったよ」と、嬉しそうな声で私に連絡が入りました。
 
しかし母の喜びは、ぬか喜びだったのです!
 
父の退院後、両親は家に戻って生活していましたが、手術前の検査で、母が一回だけ病院に行った時のことです。
 
検査は無事に終わり、顔見知りになった看護師がいたので、「手術の19日は夫婦で入院しますので、またお世話になります」と声を掛けたところ「えっ?夫婦で?」と、看護師が驚くではないですか。
 
 
なんと、母は入院の予約はできていたのですが、父の入院の予約はできていなかったのです!
 
あわてた母はすぐに先生に問い合わせると、「なんで予約できていないの?」と、先生も驚いています。
 
結局看護師と事務の連絡ミスで、父のMRIの予定はとれていたものの、入院の予定はできていなかったことが判明しました。
 
「私が入院している日、夫をどうしよう!!」
 
軽いパニックに陥った母は、いまさら息子に頼めないと思ったのか、あちこちに電話をし、やっと市からケアマネージャーを紹介してもらい、なんとか滑り込みでショートステイを予約できたのです。
 
日にちも直前だったので、19日にたまたま泊まりの空きがあったのは、奇跡でした。
 
病院のあまりのずさんさに、母は後日、看護師の責任者である看護師長に文句を言いにいったそうです。
 
するとその看護師長からは、信じられない言葉が出てきました
「MRIは、近くの病院でもできるでしょう」
 
母の怒りは爆発しました。
「夫はこの病院で検査するなってことですか!!」
 
師長は母の剣幕に
「いえ・・・ここまで来るのが大変なら、もっと近くでもできるのではという意味で・・・・」
と、しどろもどろ。
 
言い逃れはするものの、病院側の落ち度については、最後まで一言の謝罪もなかったといいます。
 
「落ち度に対して謝る」という、基本的なことすらできない人間が看護師の責任者を勤めている。
 
これで蘇生会総合病院の看護師たちが、なぜこんないい加減な対応で、人間らしい温かみがないのかがわかりました!
 
このような責任者が毎日看護師達に、どういう指導・教育をしているのでしょうか。
 
「うるさい患者は、他の病院に行ってもらいなさい!」
「病院にどんな落ち度があったとしても、絶対に謝ってはいけません!」
「いいですか、患者は人ではなく、物ですよ!物と思いなさい!」
そんな声が聞こえてきそうです。
 
考えただけで恐ろしくなってきます・・・・・
 
★ ★ ★
 
今回の記事で、
患者の訴えを、看護師が妄想と決めつけて聞こうとしない
病院の連携ミスで、検査入院の予約がとれておらず、看護師長は一言の謝罪すらしない
の二点を書かせていただきました。
 
母は、特に入院の予定がとれていなかったことが信じられず、「こんなことって、あっていいのか!」と、かなりの怒りようでした。
 
看護師長の心ない対応が、拍車をかけているようです。
 
そもそも父の検査入院は、母が頼んだことではありません。
 
病院の先生の方が気を利かせて、配慮してくれたことです。
 
もし手術前の検査の時、母が看護師に「19日は夫婦で入院しますので、またお世話になります」との一言がなかったとしたら。
 
当然父の入院の予約ができていないことを知らず、当日は夫婦で入院の準備をして病院に行っていたでしょう。
 
そうなった時、病院側はいったいどんな対応をしたのでしょうか?
 
きっと例の看護師長が出てきて、「入院はできませんので、MRI検査はいたしますが、終わればお引き取り下さい」と、認知症の父を放り出したのではないでしょうか。
 
もちろん、「一言の謝罪もなく」です。
 
入院中に受けた信じられない出来事は、最後のとどめが残っていますので、続きは次の記事で書きたいとおもいます。
 
※vol.4に続きます。
総合病院でこんなことが!vol.2<蘇生会総合病院の実態> 
 
※vol.1からの続きです。
 
京都市伏見区にある蘇生会総合病院に、本年(2013年)3月11日から4月8日までの約1カ月間、私の父が入院しました。
 
その間、人の命をあずかる総合病院内で、信じられないことが起こりました。
 
以下にその出来事を、記事にしていきたいと思います。
 
なお、入院の経緯については前科の記事、vol.1を、参照して下さい。
 
<病室を、家族の者に相談・連絡なく勝手に変更>
3月11日の入院初日から父の個室に泊まり込んだ母は、次の日、昼前に汚れ物の洗濯や、自分の入浴などのため、自宅に帰りました。
 
用事を終えて夕方病院に戻ると、なんと部屋に父がいないのです。
 
は一人で動けないはずなので、母は病室を間違えたのかとウロウロとフロアを探し回ったのですが、何度確認しても間違っていません。
 
さんざん探し回った結果、母に相談どころか、連絡すらせずに、病院が勝手に父の病室を変更していたのです。
 
父は肺炎で、転院前は酸素吸入器をつけていたほど呼吸が困難で、普通の会話さえままならない状態です。
 
当然ながら、父から母に病室を変更したことを連絡できないことは、誰にでもわかります。
 
なのに付き添いをしている母に一切相談なく、連絡さえせずに蘇生会総合病院は病室を勝手に変更したのです。
 
ここでの入院生活は、初日から病院のいいかげんな対応でスタートしました。
 
<申し渡し事項が、看護師にほとんど通じない>
父に付き添っている母は、午前中に家に戻って用事をし、夕方に着替えなどを持ってまた病院に戻るという日々だったのですが、病室に戻った時、いつも部屋がとても暑いのです。
 
ある日病室に戻ると、窓から西日が入っており、窓の真横で寝ている父が、西日をまともに受けていました。
 
病室が暑かったのは、西日のせいだったのです。
 
母がいない間、当然ながら看護師達はこの状況を目にしているはずです。
 
暑さとまぶしさで苦しそうな父をみながら母は、「カーテンをひいてあげようと、なぜだれも思わないのか!」と、怒りがこみ上げてきたといいます。
 
母はすぐに看護師をよび「自分がこの直射日光が当たるベッドで寝ていられるのか!」と思わず怒鳴ってしまったようです。
 
そして、「私がいない時に西日が入ってきたら、カーテンをひいてください」と、きつくお願いをしました。
 
24時間勤務の看護師は、とうぜんながらシフト勤務で、その日や時間によって担当の看護師以外に、いろんな人が父の病室をまわります。
 
「西日が入ったら、カーテンをしめてほしい」という母の申し出は、看護師が変われば伝わらず、何度も徹底をお願いしても、しめたりしめなかったり。
 
看護師同士の引き継ぎは、あまりにもずさんでした。
 
しかしながら、こんなことは徹底されるまでもなく、直射日光を受け、暑くて苦しそうな姿を見れば、誰にいわれるでもなくカーテンを引いてあげるのは当たり前ではないでしょうか。
 
患者のことを本当に考えているならば、看護師は直射日光が入る時間帯と病室くらいは把握していて、気にして病室をのぞくという配慮くらい、あってもいいのではないか。
 
しかしこの病院の看護師は、そんな人間的な温かな思いなど全くなく、付き添いの家族がお願いした「カーテンをひく」ことすら、徹底することができませんでした・・・・
 
<看護師が薬の量を2回間違う>
これはかなり深刻ですが、看護師が薬の量を間違えて持ってくることがありました。
 
薬は付き添っていた母が毎回飲ませていたので、母は医者が処方した薬の内容と量は、ちゃんとメモをとって、確認しながら行っていました。
 
ある日、一つの薬が医師から増量の指示があったのですが、看護師が持ってきたのは、いつもの量だったのです。
 
母はすぐさま「薬の量が違います!」と、看護師に指摘すると、なんとその看護師は「そんなはずはない!」と完全に否定したのです。
 
「いいえ、先生は薬の量を増やすといってました。もう一度確認して下さい!」
 
母は一歩も譲らず言い切り、看護師はその剣幕におされたのか、しぶしぶ確認しに戻りました。
 
すると・・・・
 
「やっぱりありました」
と、薬を持って来るではないか。
 
結局母の言った通り、足りない分が残っていたのです。
 
薬の間違いは、その薬の内容によっては、病状を悪化させたり、時に最悪の事態も起こしかねないものです。
 
病院にとって、絶対にあってはならないことです!
 
そんな大事なことを、付き添いの者が指摘しているのですから、たとえ間違いがなかったとしても、「念のため確認してきます」とまず言うのが、当たり前ではないでしょうか。
 
それを「そんなはずはない」と言い切るとは、いったいこの病院は、看護師にどういう教育をしているのか!
 
しかも母の言う通り間違っていたのですから、あきれて言葉がありません。
 
薬の間違いは、別の看護師も一度やっており、母が指摘すると「そうですか、確認してきます」と、その方は素直に対応し、足りない分をすぐに持ってきました。
 
どうやらこの病院は、薬の間違いなど日常茶飯事のことのようです。
 
なんとも恐ろしいことです・・・・・
 
★ ★ ★
 
今回の記事で、
病室を、家族の者に相談・連絡なく勝手に変更
申し渡し事項が、看護師にほとんど通じない
看護師が薬の量を2回間違う
の三点を書かせていただきました。
 
これだけで蘇生会総合病院の看護師が、いかにいいかげんな仕事をしているのかが分かりますが、当然看護師を指導している病院にも問題があるでしょう。
 
入院中に受けた信じられない出来事は、まだ他にもありますので、続きは次の記事で明らかにしたいとおもいます。
 
※vol.3に続きます。
総合病院でこんなことが!vol.1<蘇生会総合病院の実態> 
 
「自分のためでなく、他の人のために生きること、これが医師という職業の使命であります」
文豪ゲーテの家庭医も務めた名医フーフェラントの言葉です。
 
医師から見ると、患者は1対100かもしれませんが、患者にとって医師は自分と1対1です。
 
「医師」の存在が、時に自分の命さえ左右することすらあります。
 
病気になって気弱になれば、診断から治療、処方される薬に至るまで、「本当にこれで大丈夫なのだろうか」と、不安になるものではないでしょうか。
 
その不安を緩和させるものこそ、名医フーフェラントが言う、医師の「患者のため」という気持なのではないでしょうか。
 
特に総合病院となると、医師だけではなく、看護師や、医療器具を扱う技師など、大勢の人が患者に関わるので、病院全体として患者にどのような思いを持ち、どのように接するかが大切になります。
 
果たして私たちの周りにある病院は、安心して自分の命を預けられるでしょうか。
 
実は私は、とても不安なのです・・・・・・
 
★ ★ ★
 
現在、私の父は認知症との診断を受けてある病院に入院していますが、その前に京都市伏見区にある蘇生会総合病院」に入院しています。
 
父は今年に入ってから、簡単な計算や、日付、自分の歳などが、正確に答えられないという症状が発生しました。
 
さらに、深夜にお風呂に入ろうとしたり、トイレに頻繁にいくようになり、その度に起きなければならない母の疲労がピークに達してしまいました。
 
当初精神疾患を疑った母は、精神科の病院に父を入院させることにしたのです。
 
ところが入院したとたん肺炎との診断をうけ、急遽他の総合病院に移ることになり、本年(2013年)3月11日、「蘇生会総合病院」に入院することになりました。
 
しかし精神科からの転院ということで、個室入院で母が泊まり込みで付き添うことを余儀なくされました。
 
入院から4月8日の退院まで約1カ月。母は病院内で、「こんなことを病院がして、いいのか!」というような事態を、幾度も経験したといいます。
 
病院に苦情をいっても、言い逃ればかりして、一言の謝罪すらなかったと、怒りながら、悔しみの涙を流していました。
 
人命を左右するような病院で、母が涙を流すほどの実態とは、いったいどういうものなのか。
 
私は事が事だけに、絶対にうやむやにしてはいけないと思い、私が母と同行して、もう一度蘇生会総合病院に問題点を追及することにしました。
 
そこでもし病院が一切非をみとめず、知らぬ存ぜぬを決め込むなら、「ありのままの事実を、公表しよう」そう決意して、私は会話を記録するためにビデオカメラを用意し、4月19日に病院に行ってきました。
 
幸いその時は病院の方が真摯に対応していただき、病院側の非も認めたうえで、改めて後日回答することを約束してくれました。
 
そして数日後、母が病院と話し合いをもった時に、母が指摘したことは事実であったことを認め、「大変申し訳なかった」と謝罪があったようです。
 
本当は謝ってすむことではないものの、心身共に疲れていた母は、これ以上追求する気力もなく、「反省の意を表して、詫び状を自宅に送って下さい」といって、病院をあとにしました。
 
私はそのことを母から聞いて、果たして病院が「詫び状」を書くかどうか、大いに疑問でした。
 
内容的には、「医療ミス」となりかねないことも含んでいます。
 
それを病院側が、文章を持って認めるようなことは、したがらないのではないか。
 
「企業化」してしまった最近の病院は、「患者のため」という、人道的理念より、「社会的な批判を避けたい」という、世間的メンツを優先するでしょう。
 
案の定、3カ月以上たった今、ついに蘇生会総合病院から詫び状が届くことがありませんでした。
 
た母は、「詫び状はどうなっているのですか?」と、病院に電話を入れました。
 
すると病院の返答は、
「もう謝罪は済んでいます。詫び状は書けません」
とのこと
 
・・・・・
 
まぁ、この対応は蘇生会総合病院に限ったことではないのかも知れませんが、私は「世の中こういうものさ」と、クールに認めることが、大人であるとは思えません。
 
かといって病院を相手取ってどうこうする気はなく、せめて蘇生会総合病院の入院中に起こった出来事を、これからの記事で明らかにし蘇生会総合病院の実情を知って頂きたいと思います。
 
vol.2に続きます
悪趣味雑誌「週刊新潮」は斎藤イズム! その特徴。
 
上品な表紙で身を飾り、文学全集を出版している新潮社の名を冠し、さも高尚な雰囲気を漂わせている雑誌に「週刊新潮」があります。
 
女性のヌードがグラピアを飾ることも無いので、本屋ではいわゆる眉ツバなゴシップ雑誌とは別コーナーに配置され、病院の待合室のような、そういう類の本を敬遠するような場所でも、何食わぬ顔で並んでいた入りします。
 
しかし、ひとたびページをめくると、偏見と悪意に満ちた記事のオンパレードで、人権侵害や中傷はあたり前で、時にはウソをデッチあげてでも、人を陥れるような記事を書きなぐります。
 
「どのように聖人ぶっていても、一枚めくれば金、女・・・・・それが人間なのですよ」
 
週刊新潮の生みの親である斎藤十一氏の言葉ですが、まさに聖人ぶった装いをして、一枚めくれば醜い人間性を基にした記事が並ぶ、この雑誌の本質を言い表しています。
 
そしてこの雑誌の基本理念は、斎藤十一氏の人間性そのものであり、今回は「斎藤イズム」の特質を、記事にしたいとおもいます。
 
        ★ ★
 
まず、斎藤イズムの特色として第一に挙げられるのは、徹底した「俗物主義」です。
 
斎藤氏は岩川氏のインタビューにこたえて次のように語っています。
 
「うちの基本姿勢は“俗物”主義でした。人間という存在自体がそうでしょう」
「俗物が興味をもつのは決まっています。金と女と事件」
そして結論として先述したように
「どのように聖人ぶっていても、一枚めくれば金、女・・・・・それが人間なのですよ。そういう“人間”を扱った週刊誌を作ろう・・・・あっさりいえばただそれだけです」(潮19775月)
と、自ら週刊新潮の基本姿勢が俗物主義であることを明言しています。
 
人間はどんなに立派なことを言っても、金欲・色欲・権力欲には勝てっこない。
斎藤氏はそう信じて疑わなかったのです。
 
だからそういう人間が喜びそうな他人の恥部を、好んで記事にします。
 
そしてそういう恥部をささして「そらみろ、みんな俺と同じじゃないか」と、安心し、嘲笑って程度の低い満足感に浸ろうとするのです。
 
たちが悪いのは、記事の内容が本当であろうがウソであろうが、面白おかしくまとめてしまうことです。
 
結論を先に設定して、あとはそれにあうように関係者のコメントをつなぎあわせ記事にする。
 
それは記事に都合の良い部分だけをひろい、ひどい時には出所不明の「匿名コメント」だけで構成されています。
 
取材が行われる前から、記事のタイトルが決まっているのです。
そのタイトルにそって取材が行われるのですから、これでデマがないことの方が考えられません。
 
まさにこの基本姿勢によって、被害者が加害者になって報道され、社会的に抹殺されかねない窮地に陥れられてしまうという、あまりにも理不尽な悲劇が繰り返されているのです。
 
        ★ ★
 
斎藤イズムの第二の特徴は、「商業主義」です。
 
つまり「売れる」ために、俗物である人間が好むものなら、何でも記事にしてしまうのです。
 
それがデマであろうと、人権侵害であろうと関係なく、ただ「売れれば」それでいいのです。
 
そのことを端的にあらわしているのが、1997年に神戸少年殺人事件が起こったとき、少年容疑者の顔写真をフォーカスと週刊新潮に掲載したしたことです(週刊新潮は目線入り)。
 
その時、「写真を掲載したのは商業主義ではないのか」という週刊文春のインタビューで、
「もちろん、ぼくらは商業です」
「要するに売らんかななんだよ」
「人権? たしかに大事なものかもしれないね。でも、それに拘泥していたんじゃぼくらは出版できない。人権よりももっと大事なものがある」
(週刊文春19977月)
と、答えています。
 
だからその記事によって書かれた人間の人権が侵害されようが、プライバシーが暴かれようが、社会的に抹殺されようが、お構い無しなのです。
 
そしてその横暴を支える信念こそ、第一の特徴である「俗物はみんなこういう記事を求めている」という、卑小でゆがんだ哲学なのです。
 
        ★ ★
 
そして第三の特徴は「感情のなすがままに憎む」という、記事に込められた人に対する憎悪です。
 
斎藤氏はパッシング記事を連発する理由について、こう語っています。
「相手を憎むからです。良い悪いではなく、感情のなすがままに憎む、あとの細かいことは編集部がやってくれます」
(平成72月朝日新聞)
 
「良い悪い」ではない「感情のなすがまま」。
 
つまり、斎藤氏の「好き嫌い」によって、記事が書かれるというのです。
 
まさにフォーカスや週刊新潮は、斎藤氏の個人的な「憎悪」を、ひたすら記事にし続けてきたのです。
 
こんな例があります
フォーカスで横須賀線の電車で高校生達がタバコを吸ったりして、野放し状態だという写真と記事を掲載されたことがありますが、それは、斎藤氏が通勤途中に目撃して、頭に来た氏の至上命令でやったといわれています。
 
また、雪の日に鎌倉の街で転んだ時は、鎌倉の除雪対策を取材させたり、散歩途中で豪邸を目にすれば「どこの誰があんな豪邸をつくったのか調べろ」といって、個人を攻撃する記事が生まれます。
 
あるいは、「あのアナウンサーは、何であんな偉そうな態度なんだ」といって私憤の記事か翌週の記事になったこともあります。
 
さらに、自分が好むものを軽く扱うことも許せないらしく、斎藤氏が個人的に好きな作家、三島由紀夫氏の葬儀をNHKが報道しなかったことに腹を立て、「三島葬儀を報道しなかったNHKに見識に料金不払いの声」なる記事が作られました。
 
まったく意味不明というか、八つ当たりというか、ようするに葬儀を報道しなかったことに、多くの国民は怒っているといいたかったのでしょうか。
 
それにしても、その抗議として「料金不払い」とは、なんともみみちい話ですが・・・・
 
いずれにせよ、斎藤氏が作ったフォーカスと週刊新潮は、氏の好き勝手、やりたい放題です。
 
まさに感情のおもむくまま、週刊誌を私物化し、氏が嫌ったものは、世間に悪口をさらされ続けました。
 
これでは個人的な憎悪の槍玉にあげられた側はたまったものではなく、それもこれも雑誌が売れる限り、この悲劇は繰り返し起こってしまうのです。
 
        ★ ★
 
200012月に斎藤氏が死亡するまで、氏が週刊新潮の一切を牛耳ってきましたが、さてその後、この基本姿勢は変わったのでしょうか。
 
いいえ、2000年以降も、人権侵害の記事は後を絶たず、未だ「斎藤イズム」は健在といわざるをえません。
 
新潮社に入社し、斎藤氏の下で「人間を憎む」ことを教えられ、「人権を侵害」しつづけることに慣れてしまった氏の後継者は、「立派な人権侵害の記者」として、育っているようです。
 
金欲・色欲・権力欲。
 
確かに、人間誰しもそういう欲望を持っています。
 
しかし、絶対に忘れてはならないのは、他人の幸福を願う、優しい心も、誰もがあわせ持っているという事実です!
 
要は、人間が持つ醜い感情をむき出しにし、おもむくままに吐き出すのではなく、そういった感情をコントロールしつつ、自分の持っている人間らしい優しい心を、引き出してく努力をしていくことではないでしょうか。
 
そのためには、自分を卑しくしていくような文書は遠ざけ、自身の善性に呼びかけるような文に接し続けることだと思います。
 
週刊新潮は、出版社系の週刊誌としては最も古い歴史を持つ存在になっています。
 
未だに、「俗物主義」をかかげて「感情のなすがままに人を憎み」、「売れるためには何でもあり」の雑誌が販売され続けている日本。
 
このままでいいのでしょうか?
 
そろそろそれを許さないような国民性に、変革するべきだと強く思います。
 
※この記事は佐倉敏明氏の「冤罪報道」・坂口義弘氏の「捏造報道」・山本栄一氏の「言論のテロリズムⅡ」などの本を参照しています。

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