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" コレヤ ウラー ! (Корея! Ура!) " パンパンパンパン・・・
それは、数発の銃声と彼の雄叫びから幕は上がる
そして、そのイントロダクションがこれだ! →
この舞台を観るまでずっと勘違いしていた。
昨夏から様々な情報やレビューを目にしながらも、
その根柢のテーマとなるものは、
飽くまでも歴史的事実でしかないと・・・
作品としては、安重根義士を讃え奉るものでもなければ、
歴史劇の再構築でもない。
その息子安俊生の交錯した運命を描く精神劇だ、
と聞き齧ってはいた。
と、いえどもその背景には、国家間で互いに相容れない
問題や譲れない歴史的事実がある。
だから、日本公演など絶対ありえないのだと、
昨夏観劇したブロ友から言われた覚えがある。
そのうえ
歴史的革命家の子孫にその役を演じさせていることも、
尚更重く熨しかかるばかりだった。
しかし、それは杞憂だった。
前回初演時では世界初の立体映像技術
‘ハイパーファサード(建築物をはじめとする各種構造物表面を立体的にスキャニングして映像製作する技法)’を駆使することに注力したが、更に今回は、
舞台上の俳優のデティールにも拘ったという。
「歴史がアナログならば、
歴史を解きほぐす形式はデジタル(立体映像)で
なければならないと考えました。
また、既存英雄伝を踏襲すればとても陳腐だから、
単純に英雄のストーリーではなく、それを通じて
‘この時代を生きる私たちが何を考えなければならないか’
となやみました」
と、演出のユン・ソクファ氏は答えている
そして、無機質なデジタルに、
舞台上の表現者達の生きたボディパフォーマンスを施すことによって、
完全なるステージアートを完成させたのだ。
アートである以上、
創り手側のメッセージを押し付けてはならない。
どこまでも自由に
受け入れ側のキャパシティーを押し拡げられるかだ。
そういった意味ではグローバルに応えた作品だと思う
’この時代を生きる私たちが何を考えなければならないだろうか’
という女史のメッセージは、共通言語を持たない私にも
しかと伝わった何かがあるから…
コレヤ ウラー ! (Корея! Ура!) とはロシア語で韓国万歳の意
パフォーマンスアートとは
芸術家自身の身体が作品を構成し、また、特定の場所や時間における、ある個人や集団の「動き」が作品を構成する美術・視覚芸術の一分野であるが、絵画や彫刻等のような、物体が作品を構成する芸術とは異なったものである。
時間、場所、パフォーマーの身体、パフォーマーと観客との関係という、四つの基本的な要素を含むすべての状態において成立しうる。
普通は、「パフォーマンスアート」という名のある種の芸術表現−視覚芸術の中から誕生した前衛美術やコンセプチュアルアートの表現活動の一部を指すために使われている。
パフォーマンスは大勢の人々に直接訴える方法であり、
同時に人々にショックを与え自分達の芸術観や文化との関係を見直させる方法でもあった。
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