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政治

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老夫の勇気

先日、福田康夫氏が自民党の総裁選に立候補しました。

僕は彼が記者会見の場でおっしゃった「勇気を持って挑んでいく」という言葉に感銘を受けました。

僕のような二十歳そこそこのガキではなく、71歳の老人が勇気を持って新しいものへ挑戦する。それはすばらしいことだと思っています。



子供がもし「僕は将来総理大臣になりたい」と言えば、人は「何とぼけたことを言ってるんだ」と笑うものです。それほど、人にとって一国の主というのは高い頂だということです。

でもまさに今、71歳の老夫が総理大臣の椅子に挑戦しようとしているんです。

「勇気を持って挑んでいく」と言って。

それは賞賛に値するものなのじゃないかと思います。




よく人はこう言います。人はさまざまなことを諦めて大人になっていく。その通りだと思います。

でも、もし、福田氏がその通りの大人なのならば、総理大臣に挑戦することはなかったと思っています。


総理という職業は、どれだけ国民のためにがんばっても、国民から常に無責任な非難を浴び、重い重責を背負い、激務な職業です。

決して、利にかなう職業ではありません。


もし、彼が大人なのなら、人生を悟っているなら、総理大臣に挑戦することはなかったのではないかと思います。



人生を悟り、人生を知り尽くした顔で、死んだような眼をしている静かな大人よりも、諦めることに抵抗し、いつまでも青年のような眼で、情熱的に生きている大人のほうがいい。


悟っても、悟らなくても、たいして変わらないのなら、悟らずに生きて生きたい。


何歳になっても……70歳になっても、80歳になっても、大きな夢を持って生きていけたら幸せだなと思います。

安倍総理の眼

以前コメントでも少し触れましたが、テレビで安倍総理の眼をみると僕は不安になります。

会見時、かすかに涙を浮かべたような、弱弱しい、きょろきょろした眼を見ると国民としてとても不安になります。


常に大きな不安を感じ、何かを考え、常に混乱しているように見える。きっと毎日、多量で多種の職務に追われ、常に混乱しているのでしょう。しかも、国民のために必死で働いているのに、常に誰よりも多くの無責任な非難にさらされる。

一人の人間として考えれば、総理という職業はとても大変な職業です。

僕は、総理であろうと一人の人間なのだから、大きな不安を持っていようが、混乱していようが、別にいいと思っています。


でも、国民の前に立つときだけは、凛々しい強い総理大臣を演じていてほしい。


10分だけ……10分だけ……




僕は、総理は別に裏で何をしていてもいいと思っています。


総理の一日の激職に疲れ果て寝室に戻ったら、夫人の膝に顔をうずめてすすり泣いていてもいい。赤ちゃん言葉を使っていてもいい。ベッドに横たわり泣き叫び足をバタつかせていてもいい。アダルトビデオを見ながらマスタベーションをしていてもいい。ストレス発散で、夫人とセックスしていてもいい。


だから、国民の前に出る時だけは、常に凛としていて欲しい。


総理の眼は、外交の一つの戦略です。

NHKのニュースは世界各国に放送されます。外国人が、外国の首脳たちが、あの弱弱しい総理の眼を見て何を思うでしょうか?

我が日本は、武力を恐れず、テロにも屈せず、何も恐れていない。そんなメッセージを、総理の眼によって伝えて欲しいと思います。


だから、常に、強く凛とした総理を演じていて欲しい。



かの名画家サルバドール・ダリは、若き日、己の才能の限界に絶望し、それでも、画家としての道を開く手段として天才を演じました。奇抜にひげをのばし、奇抜に振舞ったのです。

そして、演じることで、本当の天才にのし上がったのです。


読者には若い男女もいます。恋愛への欲望と悩みもあるでしょう。

モテるための最上の手段は、モテる人間を演じることだそうです。演じることで、本当にモテる人間になっていくそうです。


虚像が現実と離れているなら、演じればいい。

総理大臣であろうが、誰であろうが。

演じることは恥じるべきことではない。誇るべきことだと僕は思っています。

安倍総理

僕は個人的に彼を支持しています。

教育は国の根幹であり、方向性はどうであれ、教育改革に熱心な安倍首相を支持しています。



今回の選挙、彼は負けました。


政治と金の問題が一番の大きな問題になりました。



彼が負けた理由、彼に足りない物、それは非情さとずるがしこさだと思います。


1億の国民を統治している総理大臣に必要な資質、それは非情さとずるがしこさです。



松岡大臣の問題、赤城大臣の問題が発覚したとき、すばやく罷免するべきだった。


そして会見でこう言うのです。

「私は彼を大臣にした任命責任がある。しかし、私は政治家の金銭問題に対しては断固としてクリーンにしなければいけないと考えています。私は本日、赤城農林水産大臣を罷免しました。これからも、政治と金の問題は断固とした態度で臨んでいきます」



そうすれば、支持率も上がっただろうし、選挙の争点を憲法9条にひっくり返せた。


人は人の心の中には入れない…もう少し踏み込んで言うと、僕を含め人はみんなバカなんだから、何かを「悪」に仕立て上げて目的を達成しようとしているのか、本当に悪を糾弾しているのかなんてわかる分けがない。

赤城大臣一人悪者にしとけば、自民党自体は正義になれた。

一人をかばったせいで、多くの同士が路頭に迷った。


僕には彼の信じる日本の未来が良い未来なのかどうかはわかりません。でも少なくとも彼は自分の信じる日本の未来は、良い未来だと信じている。

なら、非情に、もっとずるがしこく行動するべきだった。


自分のためにずるがしこく振舞うのは悪いことかもしれない。でも、一億の国民の幸せのために、ずるがしこく振舞うのはけっして悪い行為じゃない。


ピンチをチャンスに変えることができた。でもしなかった。これは総理として大きな問題だと思います。


ただ、以前の彼の発言を聞くと、総理には時には非情さやずるがしこさが必要なのは十分に理解しているようでした。理解していたけどしなかった。自分の信念を貫いて負けた。

今回の選挙、自民党は立派に負け、民主党は立派に勝った。そんな選挙なのではないかな、と思いました。

選挙

明日、選挙です。僕は選挙へは行きません。今までも一度も行ったことはないし、これからも行かないだろうと思います。


理由は、行っても意味が無いと、個人的に思っているからです。



僕は リアリストです。


選挙へ行く暇があるなら、勤勉に働いて偉くなり、多く納税しようと思ったほうがはるかに価値があると思っています。


一人の人間が選挙へ行って投票しても、選挙の結果が変わることはありません。

民主主義が生まれてから、星の数ほどの国政選挙が行われてきましたが、一度たりとも一票によって結果が変わったことはありません。

僕はわがままな人間です。そして、自分の価値観と考え方に誇りをもっています。自分の一票で結果が変わらなきゃ嫌です。


選挙へ行かなきゃいけない、と言われたことがあります。僕はその人になぜ行かなきゃいけないのか問いました。するとその人はこう答えました。「当たり前じゃないか」

僕は苦笑いしました。



選挙へ行かなきゃいけないということは論理的に説明できません。

だから、選挙は義務でなく権利なのです。権利を放棄する権利もあるのです。


かと言って、僕は選挙へ行くことに価値を持ってる人たちを、馬鹿にする気もないし、冷笑する気もありません。

逆に、すばらしいことだと思いますし、選挙へ積極的に行ってほしいと思っています。


全員が僕と同じ価値観を持っていたら、民主主義は成り立ちません。

自分と違う価値観を持った人間というのは必ず必要なのです。


たとえば、節約を重んじ、お金の無駄使いはしないという価値観を持っている人はすばらしいと思います。でも、全員が同じ価値観を持っていたら、日本経済は個人消費が落ち込み、不況になり、お金が回らなくなり、みんな不幸になります。


人間の多様性というのは、種の保存のためだと言われています。地球を揺るがす大災害が起きたときに、みんな同じだと、みんな死んでしまう可能性があるからです。違いがあれば、一部が生き残りまた繁栄の道を歩めます。

しかし、それだけではないのです。現在においても、自分と違う価値観の人間によって、人々は守られているのです。自分と違う価値観の人がいるおかげで、自分は生きていられるのです。


節約を重んじる人は、無駄づかいに価値を感じる人たちによって、豊かな生活が守られています。


「みんな選挙に行かなきゃだめだ」とことさらに主張している人たちは、選挙へ行かない勤勉なリアリストたちに豊かな生活を守られています。


選挙に行きたい人は行けばいいのです。行きたくない人は行かなくていいのです。


自分と違う価値観の人というのは、迫害すべき存在ではなく、敬うべき存在です。


自分と違う価値観の人を認めてあげてください。そして、自分と違う価値観の人を優しく包んであげてください。


明日の選挙によって、日本が良い方向へ進む事を願い、今日は終わります。

逃げろ

「人生は、最後に一回勝てば十分だ」

莫大な資産を築いた経営者の言葉です。


人生で最終的な勝者になる方法を知っていますか?

それは、困難や障害から逃げることです。

逃げる。それは卑怯なこと、情けないこと。そんな風にとらえがちです。

でも、逃げることは未来の勝利や幸せに大きく繋がるのです。

それに、逃げるということはとても優れた戦略です。宮本武蔵の『五輪の書』にも、「勝てないと思ったら、すぐに逃げろ」と書いてあります。

そもそも、逃げるということは人間の歴史そのものなのです。

人は現在あらゆる生物の頂点に君臨しています。唯一知性があり、生物の中の絶対王者です。しかし、人類の歴史は、いつも困難から逃げてきた歴史なんです。

数千万年前。まだ陸地に生物が存在していない時代。海の中には後に人間となる小さな魚が生活していました。しかし、海には板皮類というアゴが発達した巨大魚が王者として君臨していました。小さな魚だった人類は板皮類と戦って勝者の地位を勝ち得ることなく淡水(川)へ逃げたのです。そして、手足を手に入れ、陸地へ生息の場を変えました。

数万年後、小さなねずみほどの哺乳類に姿を変えた人類。しかしそこには、恐竜という王者が君臨していました。人類は恐竜から逃げ、闇(夜)へ生きる場を変え、耳を発達させ、脳を発達させ、勝者への道を歩み始めたのです。


逃げれば逃げた場所に新たな可能性が存在するということです。

困難から逃げることは悪いことではないです。新たな可能性を見つけるということです。

困難に立ち向かうことはすばらしいことです。でも、超えられないと感じた壁なら逃げればいいのです。

そこで新たな可能性を見つけ、また勝者へチャレンジすればいいんです。



昨今、イジメ自殺の話題が取り出されます。

死にたいほど辛いのなら、学校へ行く必要はないと思います。無理に立ち向かう必要はないです。逃げればいいのです。学校は大切な場所です。でも、命と引き換えにして行くような場所ではないです。

もし、母親の方や、父親の方、もしくは、未来の母親、父親の方がこの記事を見ていたのなら、大きなお願いがあります。

お子さんに、逃げて帰れる「家族」という暖かい居場所を作ってあげてください。

「早く学校へ行きなさい」と言うのではなく、「辛いときはいつでも帰ってきなさい」と言ってあげてください。

よくテレビで子供のSOSを親が察知していち早く気付いてあげなければいけない、という話を聞きますが、子供はいじめられているという事実を悲観的にとらえ、親に気付かれないよう努力します。
子供が気付かれないよう努力してるのに、親が気付くはずがないのです。

数年前は、気が強く暴力的な子供が加害者になる時代でした。しかし最近は携帯やメールなどのツールが普及し、心無いメールなど誰でも送れます。

2チャンネルなどの掲示板を見てわかるように、普段おとなしい子供であっても、心の奥に暴力性を秘めている人はいっぱいいます。いや、全ての人間の心に暴力性は備わってるものです。

誰もが加害者にも被害者にもなりうる時代です。今日の加害者が明日の被害者になる時代です。

親さんには子供がいつ辛い思いを抱えていても大丈夫なよう、家族という逃げ場所を作ってあげてほしいと思ってます。

そして、自分の子供が被害者ではなく、加害者になっているかもしれないという事実を常に頭の中に持っていてもらいたいと思います。


「逃げろ。だから死ぬな」この言葉で今日は終わりたいと思います。

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