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追悼!岡部ちゃんへ

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 昨日18時から行われた友人の通夜に参列してきました。

 彼の名前は岡部信二君と言い、制作会社「上・JOE」の代表取締役社長を勤めていた人です。

 私が彼と初めて知り合ったのは、彼がまだオフィス・トゥー・ワンに所属していた頃。テレビ東京の「地球まるかじり」を通じてでした。
知っている方も多いかと思いますが、オフィス・トゥー・ワンには所属の構成作家も多く、外部の作家として参加するのはそんなに多くなかったのです。

 フとした縁から、私がオフィス・トゥー・ワンと仕事をすることになり、彼と知り合う事になったのです・

 初めて会った時の彼の印象は、正に芸能界を生きるディレクター。
 話し方や所作、そして押し出しの強さなど、全てがバリバリのディレクターという雰囲気を醸し出していました。
 強引とも言える様な押しの強さではあったのですが、私と同世代と言う事もあり、何故か気の合う仲でもありました。
 それに、彼がチーフディレクターとしてテーマを決めてその週のVTRを創った時には平均的に視聴率が高く、“口はうるさいけれどやる時にはやる”という、見かけの派手さと実力を兼ね備えた名物ディレクターだったんですよね。

 その彼が会社を独立し、仲間と共に(株)「上・JOE」を立ち上げ、苦労しながらもやがて名物プロデューサーとして業界でも名を挙げ、社員全員を連れてラスベガス旅行をするほど繁盛したのは、他人事ながら何とも誇らしかったことを覚えています。
 私にラスベガスの楽しさを教えてくれたのは岡部君で、テレビ朝日近くにあった会社に遊びに行ってはラスベガスの事やテレビ作りの事を熱く語っていたものです。

 とにかく、熱い男でした。そして夢と理想を追い続ける男でした。

 彼がリンパ腫で入院した事は本人からの電話連絡で知り、決して病院に見舞いに来るなとも強く言われ、この1年は電話連絡だけの付き合いだったのです。

 そんな彼から8月のはじめに電話があり、ラスベガス談義をしたのです。我が家では7月に妻の母が亡くなった事。妻の気分転換の為にも一度中止したラスベガス旅行を再度予約した事など語りました。
彼とは家庭の事情や仕事の事など忌憚なく話せたのです。

 そして、来年こそ一緒にラスベガスに行こうと語り、また番組を一緒にやろうやなど、相変わらず熱く語り合いました。

 余りにも突然の死でした。

 私が彼の思い出で最も印象深いのは、彼が私の書いた台本に対して最大の敬意を払ってくれたことです。それは私だけという意味ではなく、放送作家が一生懸命書いたロケ台本を修正する際、ディレクターが自分勝手に書き直すのではなく、必ず「こうこう変えるよ」と断りを入れてくれ、台本には改訂した部分を貼り付けていてくれたのです。

 若いディレクターはほとんどが自分勝手に台本を書き換え、改悪する事が多くあります。放送作家とは言え、それほどの人間ではないのですからろくな文章もセリフも書けないかも知れません。
 しかし、一生懸命書いた台本に敬意を払い、書き換えた文言を貼り付けて完成台本にしていたディレクターを私は岡部君しか知りません。

 以来、私が彼を信用していた事は言うまでもありません。

 人生は短い。そして一度だけ。
 だからこそ出来る限り全力を尽くして仕事をしたら、つかの間であっても休みは心ゆくまで楽しむ。私が岡部君から教えられた信条です。

 彼は60才という若さで病に倒れましたが、最後の最後まで夢を語り理想を追い求めていたと私は信じています。

 だから、彼が老いる事は永遠にありませんし、彼の信条は私を含め多くのテレビ屋たちに受け継がれて行くに違いありません・

 岡部信二君。君の事は忘れません。

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