いちご畑よ永遠に

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平成19年5月12日、高知県南国市。

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土佐国衙跡。早朝、紀貫之邸跡に駐車し、周辺の史跡を徒歩で回ろうとしたら、犬を連れた男性から声をかけられた。国衙跡へ行くと言うと、場所を教えてくれるという。地元で周辺を整備しているとのこと。ビニールハウスの脇を通り、あぜ道を辿ると田んぼの真ん中に国庁跡の看板のある空き地が現れた。まだ、政庁などは確定されていないらしい。退職してすぐの男性は、牧野植物園は金食い虫だとか、カシオの創業者樫尾兄弟はこの近くの出身(日経の私の履歴書で読んだ覚えがあった)ことを話してくれた。

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乾(いぬい)の大墓(おおばか)。山内一豊の重臣乾和三(かずみつ)は一豊の土佐入国後、土佐藩家老となり、国分・比江一帯を所領とし、永源寺を菩提寺とした。永源寺は土佐国衙跡から北の山すそにあり、門前には池がある。石段を上がると、寺の後ろの台地には乾の大墓といわれる卵塔群が林立している。乾氏は岐阜県池田町を本拠にした土岐一族で、乾和三が武田の家臣板垣信形の子・正信を預かり、正信は別系統ではあるが乾氏を称したという。その正信の子孫が乾退助で、戊辰戦争のとき甲斐に進軍するさい、旧姓に復し板垣退助と名乗った。

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比江廃寺塔跡。永源寺から南へ紀貫之邸跡へ戻る途中の小公園内にある。高知県最古の寺といわれる。白鳳時代の瓦が出土した。塔の心礎のみ残るが、案内板の絵を見ると、往時の法隆寺式伽藍がしのばれる。


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紀貫之邸跡。土佐日記で有名な紀貫之の住居跡。ただし、確認された遺構はない。紀貫之は延長8(930)年から約4年間国司を務めた。紀伊水道には海賊が跋扈し海路は危険に満ちていたという。高浜虚子の句碑など4基の碑が並ぶ小公園になっている。

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高知城。高知県庁内の駐車場が無料なので、満車状態を20分ほど待つと空いた。堀沿いに追手門へ向かい、28年ぶり2回目となる高知城へ登る。山上はかなり高く感じる。本丸御殿が残っているのは珍しい。1749年の再建天守ながら木造の天守閣は久し振りに登った。築城時の様子の展示がある。

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天守から追手門方向を見下ろす。石垣の修理工事中であった。慶長年間の築城であり、切石積ほど整然ではない。帰路は追手門側からではなく、県庁西側へ下りた。高知城見学後、土佐山内家宝物資料館を見学。古今和歌集高野切を所蔵とは素晴らしい。当日は無料の土曜講座があり、本日は古文書講座という。その後、せっかくなので坂本龍馬誕生地を訪れた。病院前に確かにあったが雰囲気はない。

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5月13日、日曜市。有名なので、ホテルのチェックアウト前に歩いた。人気の天ぷらが安くて手軽なので買って食べた。他に昼食用としてばら寿司を購入。

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5月14日、四万十川源流点から梼原町の途中に、愛媛県境の四国カルストを見学。二輪のツーリングも多い。天狗高原の駐車場から見下ろす高知県方向の展望は雄大だった。カルスト学習館を見学後、天狗の森へトレッキング。

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五段高原、地芳峠を越え、大野ヶ原へ向かった。典型的なカルストで、白い石灰岩と草原の緑が美しい。ワインディングロード続きのドライブは楽しい。大野ヶ原は戦後開拓の村で、寒冷地。牧場のミルクとアイスクリームがおいしかった。

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高知は一泊しただけで、見所が多そうですね。民権博物館、牧野植物園等を機会があれば、見学したいと思います。
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2008/8/19(火) 午前 9:51 [ 博光 ] 返信する

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