いちご畑よ永遠に

山とロックを愛する自由人・・旅・歴史・音楽

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イメージ 1平成22年5月30日(日)。道の駅久留米で起床後、福岡方面へ。筑紫野市原田の五郎山古墳へ。6世紀後半の円墳で、直径約32m。装飾古墳。5日前までに予約すれば石室を見学できるが、知らなかったので、五郎山古墳のレプリカを見学。近くには、式内社筑紫神社もあり、被葬者は筑紫君と関わりのある豪族と推測される。道に迷いながら古墳館横に駐車。壁画の絵の解説を見てから、白人青年とレプリカの石室に入るよう案内された。

イメージ 2五郎山古墳のレプリカ石室壁画。石室全長は11m。羨道は長さ3,6m、高さ0.9〜1.4mで屈んで中を進み、前室の先に高さ3.5m、幅3m、奥行き4.2mの玄室がある。壁画の朱色が印象的。上下2面で下の腰石には右側に弓や鞆などの道具、中央部には鳥・船、動物、鎧・兜を身につけ太刀を持った騎馬人物、左には祈るような人物、騎馬人物、切妻造りの家などが描かれている。上の石には同心円文、力士のポーズをとる人物、旗をなびかせ矢をつがえた騎馬人物などが描かれている。死者への鎮魂の意味が込められ、船は魂を運び、弓道具は魂を守り、人物や動物は死者の生前の姿を示すという。

イメージ 3レプリカ石室は電動で内部が割れ、壁が移動する仕組みになっており、体の不自由な人も見学可能。

イメージ 4大宰府政庁跡。ほぼ30年ぶりの再訪。大野城・大宰府・基肄城・鞠智城が南北に連なっているとは、知らなかった。現存遺構は10世紀中頃、藤原純友の乱以降とされる。その再建意図は在地有力者が任命された府官層の、管内支配・日宋貿易の利権と関係がある。律令体制の崩壊、荘園制と在地領主の台頭。

イメージ 5観世音寺の国宝梵鐘。白鳳時代の日本最古の梵鐘。大宰府展示館の解説員が国宝が警戒心もなく置かれているというので見にいった。観世音寺の境内の佇まいは奈良の古寺に似ていた。

イメージ 6大宰府学校院跡から望む大野城方面。学生は郡司など在地豪族の子弟に限定。

イメージ 7水城跡。高さ13m、基底幅80m、全長1.2km。大宰府側に内濠、博多湾側に外濠を湛えた大きな土提。県道沿いに駐車場がある。

イメージ 8水城跡展望台から西を望む。森が連続しているように見える。博多湾側の外濠は幅60m、深さ4m。

イメージ 9春日市奴国の丘歴史公園と歴史資料館。須玖岡本遺跡周辺地区は奴国の中心地であった。漢委奴国王の金印を授かった王より数世代前の王の墓が発見され、この地区が弥生時代中期から後期の奴国の中心地であったとされる。王墓群は春日市のほぼ中央を南北に伸びる春日丘陵の先端にあり、北側の低地には青銅器・鉄器・ガラス製品の生産工房が発見され、弥生時代のテクノポリスであった。資料館では、解説員がいて詳しく展示資料を解説してくれた。弥生時代前期から中期には早良平野に吉武高木遺跡地区を中心とした早良の国があり奴国に滅ぼされたと考えられ、百余国の分立が20国程度に集約された過程を示している。なお、春日市にも水城があり、木樋が出土している。

イメージ 10公園に移設された奴国王墓の上石。花崗岩製で、長さ3.3m、幅1.8m、厚さ0.3m、重さ4t。明治32年岡本地区の民家新築の際、甕棺墓が偶然発見され、30面前後の中国鏡、ガラス壁などが出土した。この甕棺墓はほかの墓から離れ、手厚く葬られていることから、奴国王墓とされる。

イメージ 11奴国王墓跡地。岡本地区の民家の間にある。説明板は路地の入り口にある。墓域は一辺20mを超すとされる。

イメージ 12公園丘上・覆屋Aの中の甕棺墓と祭祀遺構。弥生時代中期中頃(BC1世紀)。成人棺が深く埋められた後に、6基の小児用甕棺が埋められた。祭祀遺構からは土器が出土した。

イメージ 13公園丘上・覆屋Bの中の甕棺墓、土壙墓、木棺墓。弥生時代中期後半(1世紀初頭)。大型の甕棺墓は木蓋をしていた。木棺墓からは鉄剣が出土し、他より古いとみられる。その後、奴国展示館があるという文化センターへ行ったが、展示館は廃館になっていた。

イメージ 14福岡市埋蔵文化財センター。比恵・那珂遺跡群は弥生時代中期から100ha前後の規模で推移した。集落は、現在の博多駅南を北端としている。後期は奴国の王都が須玖岡本地区であったのに対し、商都・交易センターであったという存在。古墳時代前期後半から遺構が激減し、政治的動向の変化が読み取れるという。磐井の乱ののち、比恵遺跡の一角に那津官家が置かれたことはこの地区の立地の重要性を物語る。水環境の悪化により衰退したという説もある。

イメージ 15板付遺跡。福岡平野の中核的農耕遺跡。御笠川左岸の標高12mの低い台地上に造られた縄文時代晩期後半から弥生時代前期の環濠をもつ水稲集落。我が国最古級の稲作遺跡。

イメージ 16板付遺跡のジオラマ。付設の弥生館の展示。台地の東西の低地に水田を営み、台地の中央に、深さ3m、幅6mの溝で囲まれた内環濠、台地の縁に東西170m、南北80mの用水路兼用の外環濠をもち2重の環濠集落。16時頃に弥生館に入館したが、入館は16時30分までだった。

イメージ 17博多ラーメン一蘭。17時30分に大宰府店へ入店。半個室の造りは面白い。秘伝のたれという真ん中の赤いたれは唐辛子を基本にした熟成のたれということで、さすがに美味い。福岡と関東が同じ店数で、名古屋にもあるというのは出店し過ぎでは。

イメージ 18二日市温泉・御前湯。二日市温泉は万葉の歌人大伴旅人から夏目漱石まで多くの人に愛された。御前湯は歴代黒田藩主も利用した由緒ある温泉だが、現在は単なる公衆浴場。入浴料は200円。裏の病院の駐車場100円を利用するようアドバイスされた。翌日は向かい側の博多湯300円に入浴、こちらの湯質は100円高いが良好だった。翌日月曜日の山歩きに備え、道の駅うすいへ移動、車中泊。

イメージ 195月31日(月)。篠栗新四国霊場1番札所・南蔵院本堂。7年前に四国遍路のバスツアーでここの住職の説法録音をバスで聞き、面白かったので、若杉山と併せ立ち寄った。険しい山の北斜面に寺の建物が立ち並んでいる。東駐車場から入山。韓国人青年男女のツアー20人ほどがいた。正門からではなかったので、境内の配置がよく分からず。トンネルを越えると本堂があった。知多新四国や本場の四国より伽藍は賑やかだが、俗臭がする。住職はジャンボ宝くじで一等を当てたそうだ。世界一のブロンズ製涅槃像は見る気が起きなかった。若杉山へ向かう。

イメージ 20米の山山頂から博多湾・福岡方面を望む。標高593mの米の山山頂はハンググライダーの発進基地でもあり、車で行ける。若杉山の奥の院遥拝所駐車場に着き、若杉山へ行く前に、立ち寄った。手前の丘陵は須恵・宇美辺りか。

イメージ 21米の山山頂から立花山方面を望む。5月8日に今回の旅の始めとして立花山に登ったので感慨も一入。

イメージ 22若杉山山頂。標高681m。奥の院遥拝所から裏の舗装路を辿れば行けるが、左の尾根縦走路に入ってしまい、最初から数分のロス。山頂には無線中継所の鉄塔が並んでいる。南西の方向の山系には展望があった。篠栗駅から狭い車道を迷いながら奥の院遥拝所までたどり着いた。

イメージ 23はさみ岩。有名な岩で善人しか通れないといわれている。若杉山から太祖神社上宮へ行き、左下の奥の院へ下る途中にある。鎖を頼りに岩の間を下るが、靴の下の岩は通った多くの善男善女に磨かれてつるつるであった。振り返ると、若い男女6人ほどが降りてきた。奥の院手前の太い輪鎖を登り岩窟を覗いて上へ上がってみた。1時間ほど若杉山に滞在すると昼になっていた。

イメージ 24光正寺古墳後円部頂上から博多湾方面を望む。光正寺古墳は宇美町にある全長54mの前方後円墳。3世紀中頃または後半の築造で、県内でも最古期の古墳で、糟屋郡最大の前方後円墳であることから、魏志倭人伝の不弥国の王墓との説がある。

イメージ 25宝満山山頂。標高829m。頂上の大岩。上に登れる。登山口竃門神社の駐車場は有料と書いてあるが、平日のせいか管理人もおらず誰も料金箱にも入れない。14時01分出発。神社の境内を左に抜け、林道から山の中に入り、池を過ぎると、また林道で、林道の終点に駐車スペースがあり、数台いて、拍子抜けした。一の鳥居から石段を含むジグザグの坂道が続き、ようやく中宮跡の広場に出て、頂上尾根への広い道に出る。ここで、分県登山ガイドの記事があいまいなため、道を間違え右の山腹巻き道へ行ったが、左上から話し声が聞こえ、間違いに気づいて戻った。分岐中央の男道を登ると、しばらくして羅漢道が左にあった。ガイドには3分岐とあるので間違えた。岩の間を登ると、間もなく15時30分頂上に着いた。旅の疲れが後半に出たらしく、ひどく遅いペースになった。

イメージ 26宝満山山頂。竃門神社上宮の下には筑紫平野が横たわり、その先には基山周辺の山が見える。宝満山は古くから霊峰と崇められ、伝教大師、弘法大師も入山し、遣唐使の航海安全や雨乞い祈願が行われたという。修験道の残影が残る山だ。竃門神社上宮横の大岩に登ると、左下に赤い屋根のキャンプセンターが見えた。その先に、宝満山より高い三郡山が見えるのは、気分がいいものではない。

イメージ 27宝満山山頂から大野城を望む。四王子盆地がよく見える。晴天が曇天に変わっていた。15時55分に下山開始、17時5分に帰着。登山者におばさんは少ないが、若い男女グループ、単独男性が多く、幼児連れの母子と、変わった傾向があった。
有智山城跡を探すが不明のため諦めて、都久志の湯も不明のため、二日市温泉・博多湯へ入浴。道の駅久留米へ移動、車中泊。

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今回の見学地、数箇所は数年前、ツアー幹事として行き、印象深し。大宰府、観世音寺、奴国王墓、水城等は変わっていない様であった。装飾古墳、三つの山等北部九州の古代史の謎の解明に、意義があると思う。渡来人の移動の痕跡もあるのでは。 削除

2010/8/1(日) 午前 11:19 [ 博光 ] 返信する

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