いちご畑よ永遠に

山とロックを愛する自由人・・旅・歴史・音楽

全体表示

[ リスト ]


イメージ 1展望台から望む奄美大島南部の大島海峡。奄美大島と加計呂麻島の旅行記録。2003年2月8〜11日。奄美は画家田中一村が晩年を過ごした島、20年近くの念願。また、ヤポネシア論を唱えた作家島尾敏雄、彼が特攻隊長だった魚雷艇震洋の基地があり、寅さんシリーズのロケ地である加計呂麻島が主テーマ。2月を選択したのはハブ対策。2月8日名古屋空港から鹿児島空港へ、鹿児島港から名瀬までフェリーで9日朝に着き、レンタカーで島内と加計呂麻島へ出発。住用のマングローブ林を見学後、奄美大島と加計呂麻島を隔てる大島海峡を望む展望台へ。

イメージ 2加計呂麻島の瀬相港へ向かうフェリー。古仁屋港からレンタカーごと船に乗る。加計呂麻島滞在時間は2時間程度であった。

イメージ 3加計呂麻島の呑之浦にある特攻艇格納庫と復元された震洋。公園には島尾敏雄文学碑があり、湾の遊歩道沿いに特攻艇格納庫がある。1980年代半ばに作家島尾敏雄の「ヤポネシア序説」を読み、感銘を受けた。横浜に生まれ神戸で育った島尾敏雄は昭和18年九州大学法文学部を卒業、海軍予備学生に志願。19年10月第18震洋隊の指揮官として加計呂麻島呑之浦に赴任、昭和20年8月13日出撃命令を受けたが、発進命令はなく終戦を迎えた様子は「魚雷艇学生」「出発は遂に訪れず」に描かれた。島の集落の長の娘でノロの家系に生まれた妻のミホとの恋愛が生まれ、結婚。敏雄の浮気から精神を病んだミホとの葛藤が「死の棘」を残した。

イメージ 4加計呂麻島諸鈍長浜のデイゴ並木。南に面した湾にある諸鈍集落は中世まで奄美の玄関であった。海岸に沿って立ち並ぶデイゴは樹齢300年といわれ、真っ赤な花が咲く。昼下がり、地元の人が三線を奏でていた。潮騒とのアンサンブルである。

イメージ 5加計呂麻島諸鈍の映画「男はつらいよ」最終作のロケ記念地。近くにリリーの家がある。

イメージ 6加計呂麻島諸鈍徳浜の映画「男はつらいよ」のロケ記念地。海岸。2月とは思えないほどの熱気があった。急いで、フェリーに乗り、古仁屋港へ帰る。

イメージ 7マテリアの滝。宇検村の湯湾岳を登頂したのち、大和村の山中にあるマテリアの滝へ。マテリアとは、本当に美しい太陽の滝壺という意味らしい。撮影のため、滝壺の先にある流れを渡ろうとして、川の中にある岩で滑り仰向けに倒れたため半身ずぶぬれになった。湯湾岳登頂記はhttp://blogs.yahoo.co.jp/yuuutunarutouha/18081860.html

イメージ 8画家田中一村の絵。1984年12月9日に放映されたNHK教育テレビの日曜美術館「黒潮の画譜 異端の画家 田中一村」を見て魅了され、直後に名古屋のデパートで開催された展覧会で実際に鑑賞する機会を得た。一村の実物画は個人蔵が多く、一堂に鑑賞することは困難である。日曜美術館で別途もう一度特集があり、旅行前にも数冊関連本を読んだ。東京美術学校では東山魁夷と同級生であった。孤高の画家とも言われる。私はアンリ・ルソーなどの素朴派が好きで、ルソーの代表作の熱帯画のテイストと、同様な一村の画風にまず感動した。伊藤若冲の生まれ変わりともいえる、格調ある日本画の筆で亜熱帯の動植物を描いた点に価値がある。

イメージ 9田中一村終焉の家。名瀬の東の丘陵地にある。実際に建っていた場所からは少し移動されている。昭和33年に奄美大島へ渡り、大島紬の染色工として生計を立てて、昭和52年この家で死んでいたのを発見された。彼は、給料をもらうと漁港へ魚を買出しに行き、画題とした。この地区の東の高台への道にはアカショウビンなどの野鳥や植物があり、一村は楽しみに散策して歩いていたというので、その道を歩いてみたが、今は単なる車道で面影はなかった。

イメージ 10田中一村終焉の家。畑がある。日本画の高価な原料を購入するため、野菜を庭で自給し、野菜に群がる虫を取るのが日課であった。

イメージ 11田中一村終焉の家。画題にもなるような亜熱帯の葉。17時30分になり、暗くなりかけた。

イメージ 12有屋ノロのトネヤ跡・復元家屋。田中一村終焉の家の近くにある。昭和の初めまではこの地区にノロがいて祀りをしていた。宿屋へ帰る途中に、名瀬港近くの大熊漁港の直売所に寄り、生カツオの刺身を購入。レンタカーを返し、民宿たつや旅館へ。当時個室素泊まり朝食パン付き1泊で2500円。

イメージ 13奄美パーク・田中一村記念美術館。2月10日、早朝からレンタカーで奄美大島中北部へ。田中一村記念美術館はほとんど複製の展示。承知はしていたが、やはり本物は見たい。周囲には奄美大島の植物を鑑賞する遊歩道があった。

イメージ 14あやまる岬。こんもりと丸い地形が綾織りなす毬のように美しいことから名付けられた。

イメージ 15あやまる岬。

イメージ 16あやまる岬。サンゴ礁の広がる海岸。

イメージ 17みなとや。鶏飯を食べた。室内は広い。

イメージ 18西郷南洲流謫地。風光明媚な笠利湾の西岸を北上した龍郷にある。安政の大獄後、西郷隆盛が3年余り生活した家が復元修築されている。

イメージ 19西郷南洲流謫屋敷の内部。島の龍家の娘・愛佳那を妻とし、菊次郎らをもうけた。

イメージ 20西郷隆盛お手植えのヒカンザクラ。

イメージ 21金作原原生林。ヒカゲヘゴの群生。ジュラシックパークのような亜熱帯の森。映画「ゴジラ」のロケ地として有名。軽のレンタカーで昼なお暗い森の中の小道を進む。中央の交差点らしき地点で駐車し、適当に歩いた。

イメージ 22金作原原生林。巨大なツクシンボのような幼樹が印象的。

イメージ 23名瀬港・名瀬市街を一望するおがみ山公園展望台からの風景。湾口には名瀬湾の立神が見られる。

イメージ 24日本復帰記念碑。おがみ山公園の一角にある。奄美群島は昭和21年2月アメリカの施政権下に入り、昭和28年本土復帰が実現した。奄美博物館を見学して、奄美大島の旅を終え、鹿児島港行のフェリーへ乗船。

イメージ 25桜島を背景に鹿児島港へ入るフェリー。往復2泊は船中泊なので、宿泊費は節約できる。2月11日鹿児島入港後は、桜島に渡り、古里観光ホテルにある龍神露天風呂に浴衣を着て入浴。波打ち際にある温泉は野趣満点、1050円。林芙美子の文学碑も見学後、鹿児島市内へ。

イメージ 26鹿児島・ぢゃんぼ餅。磯庭園の近くに異人館とよばれる旧鹿児島紡績所技師館があり、見学後、映画「男はつらいよ」のロケ地になった中川両棒餅家で両棒餅を食べた。

イメージ 27中川両棒餅家にあった映画「男はつらいよ」のサイン入り暖簾。
14時を過ぎたので、鹿児島空港へ行き、名古屋空港へ帰った。

この記事に

閉じる コメント(3)

顔アイコン

田中画伯と、島尾敏雄ゆかりの土地の旅行記、興味あり。とらさんの映画も記憶あり。 削除

2010/8/28(土) 午後 0:31 [ 博光 ] 返信する

顔アイコン

サラリーマンの時代、20代後半から5年ほど、島尾部隊の方々の「一魚会」を手伝ったことがあります。
7年ほど前ですが奄美名瀬の病院で通院していた島尾ミホさんをお見かけしました。
中村一村の絵画は血と汗と叫びですね。
大好きな作家です。

2010/9/8(水) 午前 4:54 [ pok**hino*324 ] 返信する

顔アイコン

実際に、島尾敏雄と関与していた方からコメントを頂き、ありがとうございます。

2010/9/8(水) 午前 10:10 [ yuu**unar*to*ha ] 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


みんなの更新記事