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嘉納治五郎の章の六(2)

ハーンに嫌われた? 嘉納治五郎(続き)
 
この失態は、しかし、すぐに悦びに変わりました。同図書館にメールを出して確認したところ、なんと利用相談担当の永村典子氏の破格のご厚意で、現物のコピーを送っていただくことができたのです。届けられたA37頁にも及ぶハーン直筆の手書きの英文は、《May 10, 1894》と日付の入った封筒のコピーまで含めた書簡の全文で、問題の《Kano himself is all cunning.》という箇所には付箋がつけられているというご親切さでした。
 
実はこの書簡には日本語訳があるのです。それは東氏の出典リストのうちの『小泉八雲全集 第十巻(書簡集)』(昭和2年第一書房刊、原文は旧仮名旧漢字)に所収されています(因みに先に引用した西田千太郎宛書簡もこの本の日本語訳に基いています)。この書簡の全文は数頁にわたる長文であり、ハーン特有のまわりくどい表現が多いため、ここでは東氏のいう「自分の対立する某教師との批判をK氏との係わりで批判している」部分だけを引用することにします。
「チェンバレン様、――(前略)
私の当地での難儀は総てみんな一人の男の仕業でありました。…兎も角もその男はK氏に自分の言うことを聴いて貰える男です。K氏は今その男を助教授か何かにして大学へ――その予科へ――入れようと力めております。然しそれはただその男を出す策略であるのかそうでないのか、私は確かとは知り得ません。私の景慕者の専門は英文学であります――だから私はその邪魔になるのに相違ないと思います。英文学に関する書物の非常に立派な――驚嘆されさえする程の――コレクションをもって居り、書名や代価について本屋の番頭ほどの知識をもっております。…手紙を誤り無しに十行と書けぬ男で、『湖上の美人』が判らぬ男であります。然しその男はベーコンの論文、バークの演説、カーライル、その他変妙なもの色々と教えます。その上またその男は教科書を出版します。…この私の友人が、大学での頗る有効ならざる語学教授法をK氏へ申し立てたほど、それほど自分をえらい語学者だと思っているのは寧ろ滑稽であります。K氏はこの事について文部大臣へ一書を認めたらよかろうとその男に言いました――屹度その男はそうしたろうと思います。その厭な小さな畜生に対して私は非常に親切にしております。が然し私の神経は――その男がやっているのが判っている事を了解している風をよそおうことは出来ませんから――痛められます。K氏がその男を大学へ遣るか、或はこの学校から何処か他へ遣るかするよう、私は神々にお祈りします。…でも、私共の学校には此の男よりもっと悪い者がいるかも知れません。無体粗暴といった性質の男ではありません――小っぽけな、上品ぶった意地悪の種類に属するものであります。…幾頁と悪口を書きました! でも私の苦痛を察することの出来る誰かへ吠えずにはいられません! ――(後略)」
 
昭和2年の直訳式のこなれていない日本語とあってまことに読みづらい文章ですが、「対立する某教師」への悪口雑言が書きつらねられているのにあらためて驚かされます。
省略した文中に、(あのS.Sが悪意ある歓喜を感ずると言う積りはないが…)という文節がありますから、このイニシャルから、『文学アルバム小泉八雲』(2008年恒文社刊)に掲載された年表によって、この男が佐久間信恭(音読みでサクマシンキョウ)であることがわかります。同年表の18945月の項に、「この頃から同僚・佐久間信恭などとの確執が激しくなり、五高退任を考えるようになる」という記述があるのです。同書は八雲の孫小泉時および曾孫・小泉凡両氏の共編になるものですから、まず間違いはないでしょう。この事件で嫌気がさしたハーンは、この年の10月に熊本を去って神戸に職を求めます。
 
東氏の指摘どおり、日本語訳では「K氏」となっているところは、ハーン手書きの原文では《Kano》と記されています。西田仙太郎宛の書簡では「嘉納氏」と訳されているので、原文は《Mr. Kano》となっていると推定されますが、ここではMr.の敬称はなく Kano》と呼び捨てになっているのです。
但し、この邦訳文の中には、《Kano himself is all cunning.》に該当する日本語は出てきません。くせのあるハーンの字体にてこずりながらその前後の文章を確かめると、問題の《Kano himself is all cunning.》という短文は、日本語訳の「私の景慕者の専門は英文学であります」(引用文の4行目)の直前にあることがわかりました。訳文ではその部分の訳がすっぽりと抜け落ちているのです。因みに「景慕者」とは聞きなれない日本語ですが原文は《my admirer》、多分ハーンは佐久間信恭のことを皮肉をこめてそう言ってるのでしょう。
つまりは、嘉納が佐久間を助けてやるつもりなのか、見放すつもりなのか、「私は確かとは知り得ませんI cannot be sure.)」と言ったあとに「嘉納自身はまったく狡猾なやつだ」という最大級の悪口が出てくるというわけです。
ここは少し文章の脈絡が合いません。嘉納が憎き同僚を助けることがはっきりしたのなら、そんな捨て台詞もいいでしょう。でもハーンは、その10数行後に、「K氏がその男を大学へ遣るか、或はこの学校から何処か他へ遣るかするよう、私は神々にお祈りします」と書いているのですから、嘉納の態度がまだ定まっていないことは明らかです。助けるか見放すか、まだわからないうちにこんなことを口に出すのは、嘉納がわざと意地悪をしてなかなか決めようとしないとでも言いたかったのでしょうか。
 
さて、ここで再び私の頭に生じた疑問は、
なぜ、邦訳文は原文の《kano》を「K氏」と表現したのか?
なぜ、邦訳文はKano himself is all cunning.》という部分を外したのか?
という2点でありました。
疑問を解く鍵は、この邦訳文が所収されている『小泉八雲全集 第十巻(書簡集)』(第一書房)が、昭和2年に刊行されていることにありました。昭和2年といえば嘉納治五郎はまだ存命中(67歳)で、講道館柔道の創始者にして貴族院議員且つIOC委員として大活躍のさなかでした。訳者は大谷正信、ハーンの松江時代の教え子ですが、おそらく当時はハーンよりもはるかに高名な嘉納治五郎に遠慮して「K氏」とイニシャルに敬称をつけ、侮蔑的表現のほうは意図的に削除したのでありましょう。
ところで、東氏の出典リストには第一書房の全集のほかに、『ラフカディオ・ハーン著作集全十五巻』(恒文社1998年刊)があげられています。ネットで調べてみると、同書の第十四、十五巻の副題は「ハーン=チェンバレン往復書簡」とありました。もしその中に同じチェンバレン宛書簡が登載されていれば、いまや嘉納治五郎よりハーンのほうが著名人となった1990年代の最新の訳文とあってみれば、《Kano himself is all cunning.》はそのまま訳されているに違いないのです。
いったいどんな日本語になっているのか?……しかし残念なことに、わざわざ県立図書館から取り寄せてもらった部厚の箱入り豪華本には、山下宏一氏の『解説』として、「(二人の往復書簡は)収録紙数の制限もあって完訳登載とはならなかった」旨が記され、「その第一の未収録部分は、189310月〜12月までの3カ月間であり、第二の部分は、18943月〜12月までの10カ月間である」とありました。私の探す1894510日付の問題の書簡は第二の未収録部分になっていたのです。
 
しかし、この豪華本には思わぬ収穫がありました。それは第十四巻の斎藤正二氏の「『ハーン=チェンバレン往復書簡』解説」で紹介された最晩年のチェンバレンの描いた《ハーン像》の一節でした。(高梨健吉訳『日本事物誌二』平凡社版東洋文庫)。
「彼は常に最初は友人を理想化する。そして自分の間違いに気がつくと、自分を欺(だま)したといって友人に憤慨するのであった。著者は日本における彼の最も古くからの友人であるが、この共通の運命を免れることはできなかった。超人間的な美徳や才能を私が持っていると思っていたのが、実際は存在していないことを彼は突然に悟った。私がハーバート・スペンサーのあの大冊の本を三冊か四冊しか読んでいないこと…を彼が発見したとき、われわれの間に危機が訪れた。ラフカディオにとって、ハーバート・スペンサーは神のような予言者であった。…その日からわれわれの友情は破れた。」
そういえば問題のチェンバレン宛書簡を読み直してみても、ハーンがなにゆえ嘉納にこれほどの憎悪を抱いたのかという理由は漠然としています。どうみても、《kano》と呼び捨てにし、Kano himself is all cunning.》と罵るほどの理由は見出せません。むしろ嘉納にしてみれば、佐久間信恭に対する憎しみの八つ当たりを受けたようなものとしか考えられないのです。
結局、日本でのハーンをもっともよく知るチェンバレンの観察が正しいのでしょう。嘉納に対してもまた、最初は理想化し、やがて欺(だま)されたと憤慨するいつものハーンが顔を出しただけなのでしょう。おそらく小泉凡氏も、このチェンバレンのハーン評を読んでおられたことでしょう。
 
ハーンはたしかに、《Kano himself is all cunning.》と書きましたが、それはハーンの性格からきたもので、嘉納の側にはそうまでいわれる理由はなかったのです。嘉納治五郎に対する私の敬意は、いささかもゆるぐことはありませんでした。(完)

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