葭の塾

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嘉納治五郎の章の参

 雅号と書額
 
 嘉納治五郎という人は書家としても一流を究められた人で、雄渾闊達の書風に揮毫の依頼はひきもきらず、その書額は今も全国に残されています。
 どんな書額があるかについては、横山健堂氏が記した嘉納が愛用した語句の一覧が参考になります(『嘉納先生伝』昭和十六年四月刊)。横山著には、「全国の道場や学校に掲げられている句を塩谷君が克明に調査したものである」として、
  「順道制勝」(八十一件)
  「精力善用」(六十六件)
  「力必達(ツトムレバ必ズ達ス)」(二十一件)
  「心身自在」(十二件)
  「盡力」(十一件)
  「成己益世(己ヲ世ノ益ト為ス」(八件)
  「自他共栄」(五件)
  「竭己竢成(己ヲツクシテて成ルヲ待ツ)」(五件)
  「精力善用活用」(五件)
(以下、一件のものが六種で合計二百二十六件)
の順が示されています。
 本章の壱で私が灘中学校の講堂に掛かっていた書額を見たというのは、嘉納が後年座右の銘とした「精力善用」「自他共栄」の二面で、同じ文句の掛軸仕立てのものが講道館の資料館に展示されています。

 嘉納治五郎が用いた雅号については、森本角蔵氏の解説があります(『嘉納先生揮毫の語句の解説』雑誌「柔道」昭和二十六年五月〜二十七年十一月号掲載)。
 それによると、雅号は三種。「甲南」を用いたのは五十代までで、意味は六甲山の南、出生地を現わし、「進乎齋(しんこさい)」は六十ごろから使用するも出典不明、「歸一齋(きいつさい)」は七十代で出典は荀子「百王之法、不同所帰一也(同ジカラザルモ帰スル所ハ一ツナリ)」ではないかといいます。
 森本氏は言及していませんが、「歸一齋」については、碧巖録(第四十五則)に「萬法歸一」という公案がありますから、嘉納はこちらのほうから採ったことも考えられます。

 さて、問題は「進乎齋」の雅号です。漢学者の森本氏が「進乎齋」が出典不明というのであればひとつ調べてみようかという気になるもので、暇に任せてネットを検索していたら、荘子の『養生主篇』の中に次のような言葉が見つかりました。
 「臣之所好者道也。進乎技矣。(臣ノ好ム所ハ道也。技ヨリ進ム。)」
 これは魏王・文恵君に牛の解体の妙技を誉められた料理人が答えた言葉で、「私が好むのは道であり、技は二の次である」という意味です。牛の解体を始めた頃は、牛しか見えなかったが、三年すると、牛の各部分が見えてきて、牛刀を入れる場所がわかってきた。今では、心で牛を捉え、目で見なくなった。刃を入れるべき筋に沿って、牛刀を動かしているので、決して無駄な力を使わない。従って、十九年解体を続けても、牛刀の刃こぼれは一つもない、と料理人は答えたといいます。
 この故事より荘子は、道(天の理)を知り尽くした行為こそが、無駄な動きのない行為(無為)となる。道を悟るには技を究める精進が必要だが、技を超える域に達しないと無為には行き着けない、と説いたのです。
 「技を超える域に達して初めて道を悟ることができる」というのはまさに嘉納の心情にぴったりで、「進乎齋」の雅号はここから来ているものと考えていいでしょう。

 それにしても用いた語句といい書号といい、嘉納治五郎の漢籍の素養の深さは尋常なものではありません。それも道理で、嘉納の父・次郎作希芝(まれしば)は、近江国坂本日吉大社の神官で且つ和漢洋に通じた学者であった正三位生源寺希烈(しょうげんじまれたけ)の四男(一説には次男)で、父から十分に学問を仕込まれ、絵画も良くした教養人でありました(戸川幸夫『小説嘉納治五郎』)。

 しかし嘉納家の養子に迎えられたこの父親は、公私頗る多忙で家のことはほとんど顧みる暇がなく、嘉納六歳の時に山本竹雲なる画家、あるいは山本なる医者の家に通わせて習字や漢学を学ばせます(嘉納治五郎『回顧六十年』)。十歳の時、母親が死亡して東京の父親に引き取られた嘉納は両国の成達書塾に入り、生方桂堂(うぶかたけいどう)のもとで書道と漢学を修めます。桂堂は嘉納の人物の卓越性を見抜いて特別に心を用いて訓育し、四書五経の素読は既に国許で習得していたので、国史略、日本外史、十八史略、日本政記と順を追うて素読を授け、書の方は一日必ず三帖(半紙六十枚)は丁寧に習字せしめたといいます(『嘉納治五郎大系第十一巻・嘉納治五郎伝』「嘉納先生の家系、血統および少青年時代」)。
 嘉納の書の巧さと漢籍の素養は、これら少年時に育まれたものなのです。

 嬉しいことに、嘉納が別荘を構えたわが我孫子にも、嘉納書額は次の五面が残されています。
一.「力必達(ツトムレバ必ズ達ス)」 
雅号は「進乎齋」で、我孫子第一小学校の体育館に懸架されています。
語句はいろいろ検索したが見当らず、森本氏が中庸の要約というように、嘉納の造語と思われます。
語感から柔道場に架けられた場合が多く、学習院柔道部(進乎齋)と京大柔道部(歸一齋)の道場には同じ額があります。

二.「以人為鏡(人ヲ以テ鏡ト為ス)」
雅号は「歸一齋」で、我孫子第一小学校の玄関に懸架されています。
語句の意は、中国唐時代唐高宗の名相魏徴の名言「以銅為鏡 可以正形 以人為鏡 可以正身」(銅ヲ以テ鏡ト為セバ形ヲ正スベシ、人ヲ以テ鏡ト為セバ身ヲ正スベシ)に基いています。

三.「擇道竭力(道ヲエラビテ力ヲツクス)」 
雅号は「歸一齋」で、市役所の市長室に懸架されています。
最初の二文字が判読できず、いろいろ識者に当って最後に秘書室よりメールで教わりました。
この語句も出典は検索不能で、嘉納の造語と思われます。

四.「従善如流(善ニ従フコト流ルルガ如シ)」 
雅号は「歸一齋」で、角松旅館の客室に懸架されています。
語句の意は、「善いことに従うのが水の流れのように速く、自然でとどこおることがないこと(『成語林』)」で、平安時代初頭に源為憲が道長の子・頼通のために書いたといわれる『世俗諺文』ということわざ辞典の元祖に登場します。
『世俗諺文』には、現在のことわざ辞典にも載っている「良薬口に苦し」「千載一遇」などがすでに記載されていました。出典を辿れば『春秋左氏伝』で、斉の桓公がそういう人となりであったといわれます。

五.「三樹荘」 
 雅号は「歸一齋」で、三樹荘跡、村山正八氏邸の玄関階段上に懸架されています。
 「三樹荘」とは柳宗悦の旧邸、邸内に椎(スダジイ)の古木が三本屹立しているところから嘉納が命名して、書額に仕立てたものです。(続く)

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