葭の塾

葭の髄から我孫子ゆかりの文化人たちを覗いています

全体表示

[ リスト ]

嘉納治五郎の章の四

 毛沢東の讃辞

 かの毛沢東が、若き日に嘉納治五郎を讃えた文章を書いていたことは、私にとって快い驚きでありました。この「体育の研究」なる論文は、陳独秀が編集していた雑誌『新青年』に投稿したもので、「日本の著名な体育家嘉納治五郎もまた、弱い体を以て生れ、やがて強くなった。日本の武士道も、体育の道である。更にそれが改良され、柔道として完成した。……よく体育をする人は、心も強くなる。人間が強くなるのは、運命ではなく、自らの力によるものである。」と記しています。

 毛沢東はエドガー・スノーの名著『中国の赤い星』の中で、「十六歳の時、学校で新しい西洋の学問を教えてくれたのは日本帰りの教師だった」と語っています。「日本帰りの教師」とは、当時清国政府が日本に派遣した中国人留学生のことで、この時芽生えた日本への興味が、のちに交わりを深める弘文学院の卒業生から聞かされた嘉納の強さを讃える文章になったのでありましょう。

 弘文学院とは、嘉納が明治二十九年春に開校し、以後明治四十二年夏に閉校するまで十三年間の長きにわたって清国留学生の教育に当たった私学校のことです。開校に至る経緯は、清国公使から留学生を派遣したき旨の相談を受けた西園寺公望(公爵)が、嘉納に委嘱したものでした。
 横山健堂、さねとう・けいしゅう、老松信一、厳 安生ら先人諸氏の弘文学院に関する著作を読むと、いまさらのように驚かされ感心させられることが多々出てきて、まさに眼からウロコが落ちる思いをしたことでした。

 その一は、清国政府の近代化に賭ける熱意です。
 西園寺公が清国公使から相談を受けたのは日清戦争終結の翌年、つまり清国は、負けた相手国の日本から直ちに学ぼうとしたのです。アヘン戦争やアロー戦争によって欧州諸国の偉力を見せつけられたのち同じアジアの小国日本にまで屈した清国は、明治維新以来欧州文明を摂取して急速に興隆した日本を手本にしようと意を固めたのでした。清国が示したこの勇気ある決断は、中国人の度量の広さを示すものというよりは、清国が誇り高い漢民族ではなく実利的な満州族の国家であったことによるものと思われます。

 というのも、日本留学を促したバイブルといわれる清国開明派の名臣・張之洞の著した『勧学篇』の中には、西洋から直接学ぶよりは日本から学ぶほうが得策であるという理由が縷々(るる)述べられているからです。曰く、隣国ゆえに留学費用も西洋に比して安価である、同文同種ゆえに西洋文に比して日本文の学習は容易である、日本の風俗習慣も中国に似ている、すでに西洋列強から取捨選択して学び終わった日本を手本にするほうが半分の努力で倍の効果が期待できる、などなど、きわめて実利的な理由が列挙されているのです。

 『勧学篇』によって胎動した日本留学ブームともいうべき現象は、日露戦争の勝利(一九〇五)以後は、折から長い歴史を持つ科挙が廃止されたことも加わって一気に加速し、弘文学院のほか各種専門学校が次々と設置される中で、数千を数える中国の若者が東京、横浜に滞在するようになり、その総数は述べにして二万人は下らなかったと推定されるほどに増加するのです。

 その二は、受け入れ側の我が国が示した態度の鷹揚さです。
 逸早く歓迎の論陣を張ったのは雑誌『太陽』で、一八九八年には東京帝国大学教授上田万年が、留学生来日の意味とその教育の責任に続いて日本語の教授法、教育期間・内容など詳細な提案を述べたあと、辮髪を坊主頭に巻きつけて銭湯で大工や左官らと雑浴させたり路傍で女子供からチャンチャン坊主と罵言を聞かされるのは可哀想だから、食堂・浴場を完備した寄宿舎を設けよと主張し、学校側に費用不足なら外務省なり文部省が尽力すべき義務があるとまで言っています(第四巻「清国留学生について」)。

 翌一八九九年には前駐清全権公使の大鳥圭介が、「此頃彼国より文武学生の派遣ありしは、誠に此隣相親むの良謀にて近来の一大美挙なり、…希(ねがわ)くは我文武官中関係の人は、其教導に誠意をつく竭し、衣食住の便を与え、日夜誘掖(ゆうえき・掖は扶ける意)して至懇の友情を尽し、今や昔時に受けし師導の恩義に酬い…」と、最大級の歓迎の辞を送ります(第五巻「清国に対する古今感情の変遷」)。大鳥圭介は榎本武揚や土方歳三とともに函館戦争を戦った人物で、のちに明治政府に登用され嘉納が最初の教鞭をとった学習院の、当時は院長でもありましたから、嘉納が大鳥の思想に共鳴したであろうことは想像できます。

 一方では、「我国の感化を受けたる新人材を老帝国内に散布するは、後来我勢力を東亜大陸に樹植するの長計なるべし」(矢野文雄)という、留学生をシンパとして清国を勢力下におこうとする日本の国家戦略を臭わせる発言もあるのですが、総じて世論は好意的であり、政府は真摯に留学生教育に取り組みます。

 中でも驚かされるのは、日本陸軍士官学校(以下、陸士と略記)に中国留学生を受け入れたことでした。当時の陸士留学生名簿によると、第一期(明治三十三年?)から第六期(四十年十二月〜四十一年十一月)までに実に四百名以上もの留学生が陸士に学んでいます。そればかりではない、陸士に入るための準備教育を施す、いわゆる陸士の予備校として、参謀総長・川上操六を校長にいただく「成城学校」や「振武学校」などが開校します。これらの卒業生から陸士に進んだ学生の中には大将・中将になったものもあり、以後二十年、中国軍隊の重要人物の姓名はほとんど両校の在籍名簿にその名を見出せるとまでいわれます。いかに日清戦争に勝利したとはいえ、いつまた戦火を交えることになるやも知れぬ隣国に、士官学校を開放して戦略戦術の要諦を学ばせるという、この時期明治政府の鷹揚さはどうでしょう。

 その三は、嘉納の留学生教育に示した情熱とその教育精神の高邁さです。
 明治二十九年三月に留学生教育を引き受けた嘉納は、早くも同年四月に神田三崎町に一戸を借りて学校及び寄宿舎とし、学生数の増加とともに三十二年十月には同じ三崎町の新しい家に移ります。ここも手狭になったため、二年後には牛込西五軒町に大邸宅を借り受けて弘文学院の看板を掲げます。この弘文学院が宏文学院と改められたのは三十六年、清国乾隆帝のいみな諱が弘暦であったため、留学生の一部に校名に弘の字を用いるのは好まないものがいたことによるといわれます(以後、宏文学院と記します)。
宏文学院はその後もますます増加する学生に対応して、本院のほかに四つの分教場と、七つの外塾を矢継ぎ早に開校しています。嘉納は、本業として高等師範学校長をつとめる傍ら、異国の留学生のための学校つくりに注力、奔走したのでした。

 嘉納の教育精神の高邁さは、清国人を軽侮また敵視せず日本人と一視同仁とし、互いに相手を対等の人として信頼し合い、相輔けて世界の文化を進むべきことを教育方針として徹底させたことでありました。戦勝に酔って清国人を見下し、辮髪を指してチャンチャンボーズとあざわら嘲笑った当時の世相から見て、嘉納の示した方針は信じがたきものでありました。講道館図書資料部には、学院で学んだ後帰国した留学生たちが嘉納に送った感謝の手紙が多数保管されています。嘉納のこの寛容な態度こそが、のちに唱導した「自他共栄」の精神に引き継がれてゆくのです。

 その四は、宏文学院に入学した学生の数の多さと質の高さです。
 学院開学中の十三年間に入学した学生は七一九二名、うち卒業(修業)した者は三八一〇名の多きを数えました。最盛期の明治三十九年末には一五五六名の学生が在籍したといわれ、学院があった牛込東五軒町界隈はあたかも支那の学生町ともいうべき景観を呈したと伝えられます。
卒業生の中で特筆すべきは、何といっても魯迅でありましょう。魯迅は明治三十五年(一九〇二)に入学し、二年間の学業(日本語及普通速成科)を終え三十七年四月に卒業したのち、医学を修めるため仙台医学専門学校へ入学します。しかし、医学では中国人民の精神状態は治せないと悟った魯迅は、文筆の力によって覚醒を促そうと決心して文学の道に入るのです。

 冒頭に記した毛沢東の論文を掲載した『新青年』の主筆、陳独秀も宏文学院で学んでいます。『新青年』(一九一五年創刊)は、打倒孔子を起点として一切の旧弊に反対することを謳った雑誌ですが、いわゆる「文学革命」、中国文章史上画期的な口語文体(白話文)を確立したことで知られ、魯迅の『狂人日記』が掲載されたのも『新青年』でありました。陳は魯迅と同年の入学ですから、多分二人は相知る仲で、『新青年』への掲載はその縁からだったかも知れません。
 毛沢東は魯迅をもって「中国第一等の聖人」と評しました。上海にある魯迅記念公園の墓碑に刻まれた「魯迅先生之墓」の文字は毛沢東の筆によるもので、ここにおいて魯迅、陳独秀、毛沢東という中国近代史を彩る三大人物の輪が、嘉納を巡って繋がることになります。(参考までに、魯迅は陳より八歳、毛より十二歳、歳上でありました。)(続く)

閉じる コメント(2)

顔アイコン

毛沢東と冶五郎すごいことです

2006/1/13(金) 午前 9:14 [ tkt*0*81 ] 返信する

顔アイコン

毛沢東と冶五郎すごいことです

2006/1/13(金) 午前 9:14 [ tkt*0*81 ] 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事