葭の塾

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 「たけおさん」(続き)

 志賀には、『沓掛にて』という短編があります。「芥川君のこと」と副題があるように、芥川龍之介が自殺した直後に書かれた回想記ですが、この中にも注目すべき一節があります。
 「芥川君は三年間私が全く小説を書かなかった時代の事を切(しき)りに聞きたがった。そして自身そういう時期に来ているらしい口吻で、自分は小説など書ける人間ではないのだ、というような事を云っていた。
 私はそれは誰にでも来る事ゆえ、一々真に受けなくてもいいだろう、冬眠しているような気持で一年でも二年でも書かずにいたらどうです、と云った。私の経験からいえば、それで再び書くようになったと云うと、芥川君は『そういう結構な御身分ではないから』と云った。」

 そう云われて、自分が「結構な御身分」であることに全く気づきもしないところが志賀の志賀たるゆえんで、
 「私の答えは芥川君を満足させたかどうか分らない。後で思った事だが、私のように小説を書く以外全く才能のない人間は行きづまっても何時かは又小説へ還るより仕方ないが、芥川君のような人は創作で行きづまると研究とか考証とかいう方面に外(そ)れて行くのではないかと。然し今にして見れば芥川君は矢張りそうはなり切れなかった人かも知れない。」
などと、ひとりよがりの反応を記しているのです。

 このひとりよがりで他人の感情を顧みない志賀の特質は、志賀直哉の章でも散々触れたことですが、武郎に対しては、次のように表現されます。
 「(Tさんは)親孝行な性質からモノメニアックな父の心を撹乱するのは忍びないらしかった。私からすれば年も五つ程上で、私程には考えられないのかも知れないが、それが当時では異様に思われた。」(前出『過去』)
 異様なのはあくまでも武郎のほうで、自分のほうが異様だという感覚はないのです。

 ところで、『沓掛にて』の終わり近くには、芥川の死にこと寄せて、武郎の自殺を知ったときの志賀の感想が記されています。
 「私は芥川君の死を七月二十五日の朝、信州篠の井から沓掛へ来る途中で知った。それは思いがけない事には違いないが、四年前武郎さんの自殺を聞いた時とは余程異なった気分だった。乃木大将の時も、武郎さんの時も、一番先に来た感情は腹立たしさだったが、芥川君の場合では何故か『仕方ない事だった』と云うような気持ちがした。」

 「乃木大将の時」は、志賀は日記に先ず「馬鹿な奴だ」と書き、それが「下女かなにかが無考えに何かした時感ずる心持と同じような感じ方で感じられた」と書き継いだのでした。
 武郎の自殺を聞いた時の志賀の日記は公表されていませんが、乃木大将の時と同じ腹立たしさを感じたというのなら、武郎の死もまた「下女かなにかが無考えに何かした時感ずる心持と同じよう」に感じたことになります。
 これがあれほど世話になった武郎への感情であるというのなら、志賀直哉という人はよほど寒々とした人格を持った人であったのでしょう。(完)

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