葭の塾

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 「わだばゴッホになる」(続き)

 そんなことどもを思い出しているうちに、私の中に、突然、棟方志功のふるさとを訪ねて見たいという思いが湧き上がってきました。思い立ったらすぐにでも実行したいのが私の性分で、折からキャンペーン中のジパング倶楽部の東日本JR三日間乗り放題という得々切符を利用して、さっそく出かけることにしました。
 こういう場合は、いつも一人旅です。八戸で新幹線をおりて特急で野辺地まで。駅前でレンタカーを借りて恐山から下北半島を一周して、その日は大湊泊。翌日は青森へ入る前に浅虫温泉の「椿館」を訪ねました。「椿館」は、当世風の近代ビルに生まれ変わった旅館群をよそに、曲がりくねった露地の奥に、牢固として昔風を貫いている和風旅館です。

 ここは志功が好んで逗留した宿で、「私は椿の湯宿が好きだ。……ひと月もいる麻蒸を書くのに、書くことは尽きない。」と記した文章が残されています。「浅虫」ではなく「麻蒸」の名を使ったのは、当時この辺りに住んでいたアイヌの村人が麻を蒸すために温泉を使っていたことから「麻蒸し」と呼ばれていたことを大事にしたいからでした。

 「志功さんの作品を拝見にきました」と言ったら、「どうぞ、ゆっくりご覧になってください」と愛想のいい返事が返ってきました。案内書に記載されている通り、玄関入って正面の、年代物の応接セットが置かれたロビーが志功の作品展示ラウンジとなっています。作品は決して多くありませんが、墨絵風の鯉の大胆な構図がひとしお目をひきます。磨きこまれた年代物の木の廊下には、志功の写真が数多くかけられていて、いまにでもあの人懐っこい顔が現われそうな雰囲気が漂います。
 そう、私はいま、志功が立っていた場所に立っているのでした。
 鶴舞橋で啄木を、暁鶏館で光太郎を思ったときと同じ感慨が私を襲います。その人を理解しようと思ったら、その人と同じ場所に立つことが何より大切なことなのです。

 翌日は、終日、志向が立った場所をめぐって過ごしました。
 朝、真っ先にお詣りした善知鳥(うとう)神社は、宿の隣にありました。たまたま境内を掃除していた巫女さんに志功生誕の地と生育の地を尋ねたら、東京からやって来た棟方ファンと知って好意を抱いてくれたのか、わざわざ社務所のカーテンを開けて、肉筆の「うとう善知鳥親子鳥の図」を見せてくれました。

 善知鳥(うとう)とはウミスズメ科の海鳥で、室町頃の伝承では、猟師は蓑笠をかぶって巣に近づき「ウトウー」と親鳥の鳴き声を真似すると子鳥は「ヤスカタ」と答えてしまうので、所在がすぐにわかって捕らえやすいといわれます。子鳥が捕らえられるとき、親鳥は空の上から血の涙をふりそそぎ、それが身体にかかると身を傷めるため猟師は決して蓑笠を脱がないという伝承です。この俗伝をもとに謡曲「善知鳥」が作られました。諸国一見の僧が越中立山の湧泉地獄に苦しむ亡者から、自分は生前ウトウヤスカタの鳥を殺して生計をたてていた外ヶ浜の猟師だが、もし陸奥外ヶ浜に行くことがあれば、そこにすむ自分の妻子を訪ねて、罪ほろぼしのために自分の手許にある蓑笠を手向けてほしいと頼まれ、僧はその約束を果すというお話で、志功の絵はこれを下敷きにしたものです。

 巫女さんが教えてくれた志功生誕の地は神社のすぐ前、生育の地もほんの二、三分もかからぬ所で、うとう善知鳥神社が志功の幼い頃の遊び場所だったことが実感できました。志功がチヤ夫人と結婚式を挙げたのもこの神社でした。

 それから三内霊園へ赴き、志功の墓に手を合わせました。通り道にある三内丸山遺跡へ立ち寄ったのは、縄文人の典型だといわれる志功を知るためには縄文人のオーラに接しておかなければ、と思ったからでした。園内の案内板に導かれて墓前に立つと、志功が敬愛したゴッホの墓に模した墓石に自作の板画「むじん不盡の柵」を刻んだブロンズがはめこまれています。「静眠碑」と名づけられた碑文は「驚異モ 歓喜モ マシテ 悲愛ヲ 盡シ得ス」とあり、「驚いてもオドロキきれない、喜んでもヨロコビきれない、悲しんでもカナシミきれない、愛してもアイシきれない」という志功の有名な言葉を現わしています。墓の建立は昭和四十九年、歿する一年前に自らデザインして建てたものでした。

 生誕の地と終焉の地を見ると心が落着いて、市内へ戻って校倉造(あぜくらづくり)を摸した棟方志功記念館を訪ねました。年に四回展示替えがあるとのことでお目当ての「大和し美し」は見られなかったものの、「釈迦十大弟子」や「女人観世音」はまことに眼福でありました。
 私事(わたくしごと)ですが、最近「書」をいたずらするようになってから志功の書にも関心があり、「華厳」と「遊」のいかにも志功らしい雄渾闊達な書体にしびれました。記念館完成を報せた絵手紙もなんとも風趣があり、力強い線刻で描かれた「双天妃図」の陶器はド迫力でした。

 記念館近くの平和公園には、志功自伝の表題にもなった有名な言葉「わだばゴッホになる」が刻まれた碑があり、合浦(がつぽ)公園へ行くと、「清く高く美事に希望の大世界を進み抜く」と記された碑が立っています。海沿いの合浦公園は、志功が裁判所の給仕をしていた時代、ひまを見てはよく写生に通った場所でした。

 残念ながら、現在の合浦公園からは、無骨な防波堤に遮られて海岸へ出ることはできません。平日の昼下がりの公園は人影もまばらです。私はふと茶目っ気を起こして、公園の端っこまで行って、周りに人のいないのを確かめてから、海に向かって「わだばゴッホになる!」と、思い切り大声で叫んでみました。叫んでみて、私はいまさらのように、この台詞のすごさに気がつきました。

 志功は、「有名な画家になる」とか「日本一の画家になる」と言ったわけじゃない、特定の人名を挙げて、それも「ゴッホのような画家になる」と言わずに、「ゴッホになる」と言い切っているのです。子供は誰でも、親や先生から「大きくなったら何になりたい?」と訊かれるものです。私たちの時代は、男児は「陸軍大将!」や「総理大臣!」が多かった。現代では、さしずめ「宇宙飛行士!」「ノーベル賞!」というところでしょうが、いずれも職業で答えるのが普通で、「乃木大将!」「伊藤博文!」とか「毛利さん!」「田中さん!」とか言う児童はほとんどいないでしょう。

 「わだばゴッホになる」と宣言した志功は、草野心平氏の詩のとおりに、ゴッホにはならなかったが《世界のMunakata》になった。 いま、志功の故郷で、絵を志す若者は、「わだばスコになる」と言っているのかどうか?……また一つ芽生えた「?(はてな)」の種をいとおしみながら、私は合浦公園をあとにしたのでした。(完)

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2008/6/6(金) 午後 5:02 [ ロクチャン ] 返信する

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