葭の塾

葭の髄から我孫子ゆかりの文化人たちを覗いています

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 啄木ワールド(続き)

 札幌に二年間住んだ私にとって、北海道を詠った啄木の歌はまことに郷愁をそそるものがあります。
  しんとして幅広き街の/秋の夜の/玉蜀黍(とうもろこし)の焼くるにほひよ(札幌)
  かなしきは小樽の町よ/歌ふことなき人人の/声の荒さよ(小樽)
  函館の青柳町こそかなしけれ/友の恋歌/矢ぐるまの花(函館)
  潮かをる北の浜辺の/砂山のかの浜薔薇(はまなす)よ/今年も咲けるや(函館大森浜)
  みぞれ降る/石狩の野の汽車に読みし/ツルゲエネフの物語かな(石狩平野)
  空知川雪に埋れて/鳥も見えず/岸辺の林に人ひとりゐき(空知川)
  神のごと/遠く姿をあらはせる/阿寒の山の雪のあけぼの(阿寒)
  さいはての駅に下り立ち/雪あかり/さびしき町にあゆみ入りにき(釧路)
  しらしらと氷かがやき/千鳥なく/釧路の海の冬の月かな(釧路)

 これらの歌はいずれも、目を閉じれば私の網膜にくっきりと浮かび出る光景なのです。たった二年間の札幌生活でしたが、私は少年のように胸躍らせて北の大地をくまなく駆け巡ったのでした。小樽の一歌だけが突出して反感に満ちているのは、折角職を得た小樽日報社を自ら招いた内紛で退社した鬱憤が込められているのでしょう。そんなことを知らなかった当時の私は、悪しざまに詠まれた小樽の人々にいたく同情したことでした。

 歌そのものの持つ抒情性に加えて、啄木は三行歌という独自の表現を考案しています。
 第一歌集『一握の砂』が刊行されたとき、藪野椋十の筆名で序文を書いた朝日の社会部長渋川柳次郎は、生活に密着した内容に加えて三行書きの特異な表現について、「そもそも、歌は人の心を種として言葉の手品を使ふものとのみ合点して居た拙者は、斯ういふ種も仕掛も無い誰にも承知の出来る歌も亦当節新発明にな為って居たかと、くれぐれも感心仕る」と記しています(岩城之徳氏『啄木歌集全歌評釈』)。

 昨今の啄木研究書は、引用の煩雑さと行数の多さを嫌ってか、大概「/」で区切って一行に書く習慣が定着しています。これらに倣って私もそう書いてきましたが、たとえば『一握の砂』の巻頭作品、
  東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる
の歌は、正確には、
  東海の小島の磯の白砂に
  われ泣きぬれて
  蟹とたはむる
と書かなければいけないのです。

 ところで第二歌集『悲しき玩具』の巻頭作品になると、
  呼吸(いき)すれば、
  胸の中(うち)にて鳴る音あり。
   凩(こがらし)よりもさびしきその音!
のように、歌に句読点やダッシュや感嘆符などがつけられ、字下げなどの表現方法がとられるようになります。啄木は歌の情緒にもっとも即した表現形式を追求して詩への接近を図ったのであろう、と岩城氏は指摘します。感性の人ばかりではない、啄木は短歌の最適な文字表現を考え抜いた理性の人でもあったのです。

 啄木を語ると、私は自然に饒舌になってしまいます。
 月刊誌「短歌往来」の出版社主である晋樹隆彦という人に、
  飽かぬもの五つあぐれば酒タバコ女人賭事啄木の歌
という歌があります。
 これは元より佐藤春夫の有名詩、
「若き二十(はたち)のころなれや/六年(むとせ)がほどはかよひしも/酒、歌、煙草、また女/外に学びしこともなし」(「三田の学生時代を唄える歌」)
をなぞったものですが、賭事が入っているのが一興です。

 私は血統的に酒はやりませんが、世に数多ある歌の中で啄木の歌を飽かぬものとは言い得て妙で、全き共感を覚えます。
 飽くどころか、私は啄木の三倍もの歳になってなお、啄木ワールドにはまり込んでいるのです。(完)





 


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