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「毛沢東の賛辞――宏文書院に注いだ嘉納師範の情熱」

 かの毛沢東が、若き日に嘉納治五郎師範の名前を挙げて文章を書いていたことは有名な話で、「写真図説『柔道百年の歴史』」(講談社一九七〇年刊)の「弘文学院」(六五頁)の項にも、「学院出身者の中に魯迅、陳独秀、呉敬恒、田漢等がいた。中共主席の毛沢東が初期の論文「体育の研究」の中で、嘉納師範の思想と業績を高く評価しているのは、これらの人々の影響を受けたものであろう」と記されています。

 原文は私には入手困難なので、鈴木明氏の著作(『「東京、遂に勝てり」1936年ベルリン至急電』)から孫引きさせてもらうと、この「体育の研究」なる論文は陳独秀が編集していた雑誌『新青年』に投稿したもので、第四章「体育の効力」と題した一文が師範に言及したものであり、要約すれば、次のような文章であるといいます。
「人間は動物ではあるが、理性を持っているために《道》がある。《道》は何故大切であろうか。それは生を養う方法であり、心を楽しませることにもつながっているからである。 
人間の規則ある動きを体育という。体育の効用は、筋力を養い、骨を強くし、これがやがて道につながる。愚かな人は、骨格や筋肉は、ある時期になれば自然に強くなると思い込んでいる。しかし、体は作るものであって、自然に出来上がるものではない。強い者はかえって自分をいたわることを知らず、やがて弱くなる。逆に体の弱いことを知る者は、体をいたわり、鍛え、やがて本当に強くなる。
 日本の著名な体育家嘉納治五郎もまた、弱い体を以て生れ、やがて強くなった。日本の武士道も、体育の道である。更にそれが改良され、柔道として完成した。……
 だから往々にして体が鍛えられている人を、考えが足りない人と考えるほど大きな間違いはない。孔子は七十二歳まで、体が弱いということはなかった。釈迦も厳しい伝導に耐え、高齢まで生きた。モハメッドに至っては、左手に経典を、右手に利剣を持って、一世を制圧した。……よく体育をする人は、心も強くなる。人間が強くなるのは、運命ではなく、自らの力によるものである。」

 同書によると、毛沢東はエドガー・スノーに「十六歳の時、学校で新しい西洋の学問を教えてくれたのは日本帰りの教師だった」と語ったといいます。事実、スノーの『中国の赤い星』第四部には、毛沢東が、十六歳の時に父の反対を押し切って従兄と一緒に家から五十里も離れた新しい学校へ入ったことを述べたあと、
「学校では自然科学や西洋の新しい科目を学ぶことが出来ました。もう一つ注目すべきことは、教師の一人が日本へ留学していた人で、にせの辮髪をつけていたことです。…学生の多くは《ジアヤンクイツ仮洋鬼子》のつくりものの辮髪のために彼を嫌いましたが、私は彼が日本について話すのを聴くのが好きでした。彼は音楽と英語を教えていました。その歌の一つに日本の《黄海の海戦》というのがあり、その歌詞の美しい言葉をいまだに一部分覚えています。…当時私は日本の美を知り、また感じとり、このロシアへの勝利の歌に日本の誇りと力といったものを感じたのでした」
と、語った言葉が記されています。
「日本へ留学した教師」とは、当時清国政府が日本に派遣した中国人留学生のことで、この時芽生えた日本への興味が、のちに交わりを深める弘文学院の卒業生から聞かされた師範の強さを讃える文章になったのでありましょう。

 弘文学院とは、師範が明治二十九年春に開校し、以後明治四十二年夏に閉校するまで十三年間の長きにわたって清国留学生の教育に当たった私学校のことで、開校に至る経緯は師範自身の次の言葉に残されています(『嘉納治五郎大系第十巻』「柔道家としての師範 第十回 支那人の教育――弘文学院」)。
「明治二十九年に、西園寺公爵(当時は侯爵)が文部大臣と外務大臣とを兼ねて居られる頃、公爵が当時の清国公使裕庚から次の如き相談をうけられた。即ちこれまで清国公使館では、公使館の学生というものがあって、公使館で教育して居ったのであるが、之を日本の然るべき人に托したいから引きうけてくれまいかという相談である。そこで公爵から、更に自分にこの相談をむけられた。さしあたり自分に名案とてもなかった。自分はとても暇がないから直接世話はできないが、誰か人を選み、直接にはその人に世話させ、自分は間接に指導、監督をするなら差支がないという答をしたところが、それでよろしいからということになり、三崎町に塾舎を設けて、いよいよ支那人の教育を引き受けた。」

 学院に関する記述としては、横山健堂氏『嘉納治五郎伝』(昭和十六年講道館刊)中の「第三章 支那教育の権威」(『嘉納治五郎大系第十一巻』に収録)を嚆矢とし、戦後のものとしては、さねとう・けいしゅう氏『増補 中国人日本留学史』(くろしお出版一九七〇年刊)、老松信一氏「嘉納治五郎と中国人留学生教育」(一九七八年『講道館柔道科学研究会紀要 第構粥戞法厳 安生氏『日本留学精神史 近代中国知識人の軌跡』(岩波書店一九九一年刊)などが出色です。
 これらを読むと、いまさらのように驚かされ感心させられることが多々出てきて、まさに眼からウロコが落ちる思いをしたことでした。(以後、一々出典は示しませんが、私の述べるところの大半は上掲諸氏の著作に拠っています。)

 その一は、清国政府の近代化に賭ける熱意です。
 西園寺公が清国公使から相談を受けた明治二十九年(一八九六)といえば、日清戦争終結の翌年でありました。清国は負けた相手国の日本から直ちに学ぼうとしたのです。アヘン戦争(一八四〇)やアロー戦争(一八五六)によって欧州諸国の偉力を見せつけられたのち同じアジアの小国日本にまで屈した清国は、明治維新以来欧州文明を摂取して急速に興隆した日本を手本にしようと意を固めたのでした。清国が示したこの勇気ある決断は、中国人の度量の広さを示すものといわれますが、清国が誇り高い漢民族ではなく実利的な満州族の国家であったことも理由の一つではありましょう。

 というのも、日本留学を促したバイブルといわれる清国開明派の名臣・張之洞の著した『勧学篇』の中には、西洋から直接学ぶよりは日本から学ぶほうが得策であるという理由が縷々(るる)述べられているからです。曰く、隣国ゆえに留学費用も西洋に比して安価である、同文同種ゆえに西洋文に比して日本文の学習は容易である、日本の風俗習慣も中国に似ている、すでに西洋列強から取捨選択して学び終わった日本を手本にするほうが半分の努力で倍の効果が期待できる、などなど、きわめて実利的な理由が列挙されているのです。

『勧学篇』によって胎動した日本留学ブームともいうべき現象は、日露戦争の勝利(一九〇五)以後は、折から長い歴史を持つ科挙が廃止されたことも加わって一気に加速し、弘文学院のほか各種専門学校が次々と設置される中で、数千を数える中国の若者が東京、横浜に滞在するようになり、その総数は延べにして二万人は下らなかったと推定されるほどに増加するのです。

 その二は、受け入れ側の我が国が示した態度の鷹揚さです。
 逸早く歓迎の論陣を張ったのは雑誌『太陽』で、一八九八年には東京帝国大学教授上田万年が、留学生来日の意味とその教育の責任に続いて日本語の教授法、教育期間・内容など詳細な提案を述べたあと、辮髪を坊主頭に巻きつけて銭湯で大工や左官らと雑浴させたり路傍で女子供からチャンチャン坊主と罵言を聞かされるのは可哀想だから、食堂・浴場を完備した寄宿舎を設けよと主張し、学校側に費用不足なら外務省なり文部省が尽力すべき義務があるとまで言っています(第四巻「清国留学生について」)。

 翌一八九九年には前駐清全権公使の大鳥圭介が、「此頃彼国より文武学生の派遣ありしは、誠に此隣相親むの良謀にて近来の一大美挙なり、…希(ねがわ)くは我文武官中関係の人は、其教導に誠意をつく竭し、衣食住の便を与え、日夜ゆうえき誘掖(掖は扶ける意)して至懇の友情を尽し、今や昔時に受けし師導の恩義に酬い…」と、最大級の歓迎の辞を送ります(第五巻「清国に対する古今感情の変遷」)。大鳥圭介は榎本武揚や土方歳三とともに函館戦争を戦った人物で、のちに明治政府に登用され師範が最初の教鞭をとった学習院の、当時は院長でもありましたから、師範が大鳥の思想に共鳴したであろうという想像は許されていいでしょう。

 一方では、当時駐清公使に在任中で日本の外務当局による留学勧誘の先鋒として立案にあたったといわれる矢野文雄の、「我国の感化を受けたる新人材を老帝国内に散布するは、後来我勢力を東亜大陸に樹植するの長計なるべし…是等の学生が日本に対する縁故より将来に於いて清国自ら進んで続々学生を我国に送出するに至り、我国の勢力は暗々裡に東亜大陸に増進すべし」という、留学生をシンパとして清国を勢力下におこうとする日本の国家戦略を臭わせる発言(黄福慶『清末留日学生』)もあるのですが、総じて世論は好意的であり、政府は真摯に留学生教育に取り組みます。(その2へ続く)

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毛沢東の最初の著書「体育の研究」。気になってはいたが読む機会がなかった。そのエッセンスと背景をご紹介いただき、私の想像していたものをはるかに超えた内容に感銘を受けました。毛沢東は20代にして老成していたのですね。60代後半にさしかかって、彼が書いたことをしみじみ実感する、そして今頃になって懸命に体育にいそしむ者です。ありがとう。

2011/9/28(水) 午前 9:33 [ sim**a12* ]


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