葭の塾

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    仮託したものは?(続き)

 森鷗外、芥川龍之介、中島敦らをはじめとして、古典に題材を求めた作品においては、作者は登場人物の誰かに己(おのれ)(と周辺人物)を仮託(かたく)するのが定石とされます。
 とすれば、勘助はこの二作において、誰に誰を仮託したのでありましょうか?
 「この二作の主題は言うならば愛欲の妄執の深さ、女をめぐる嫉妬の生む迷いと狂乱の救いがたさ、そして憐れさである。……およそこの二作ほどに人間愛欲の深みをえぐり出した作は、東西古今にも全く類を見ないであろう。これはつまり当時の作者がどのような問題につきまとわれていたかを示すもので、ここには義姉との関係が大きな由縁をなしているものと見られる。『銀の匙』の末尾に現われている美しい《姉様》へのあこがれは、その前触れであった。彼女への傾倒と讃美はまことに深く、言うならば罪深いといっていいものがあった。中氏はたしかに、肉体的には知らず、心の中ではこの愛欲地獄を底までさすらったのだ。」
 これは、『中勘助の恋』に引用されている山室静氏の観察(「中勘助の世界」――『愛読する作家たち』)ですが、私もそう考えます。

 前編で触れたように、義姉・末子に対する勘助の「傾倒と讃美」は、『蜜蜂』という作品の中で存分に語られています。山室氏のいうその「罪深さ」は、七月二十四日の項に鮮明に述べられています。その項はこういう風にはじまるのです。
「けふはたうたうこれを書くことになった。せんだって私の書庫においてある姉(勘助は終始《姉》と呼び続けました)の本箱をかたづけてゐるうちに立ててある本のあひだから匂(にお)ひ菫(すみれ)の押し花が出てきた。包み紙のうへに これはあなたと楽しくつくったすみれ、うつくしい思ひ出のたねとなるやうに 明治三十九年一月八日 と姉の筆で書いてある。」

 それが「うつくしい思ひ出のたね」とはならずに「悲しい悲しい私ひとりのけふの思ひ出のたね」となってしまったとして、勘助は、姉と過ごした濃密な時間の追憶を丹念に綴ります。
 姉が好きだという当時は珍しい匂い菫を里から取り寄せて庭に植えたこと、その庭は「姉と話しはじめ、そして話しつづけた」場所だったこと、姉は「たぐいない純真と親切」をもって私に「文字だうり蘇生の喜び」を与えてくれたこと、その菫を植えたのがきっかけで裏の空き地に花壇をつくる計画をしたこと、町外れの種屋で「袋についている絵をたよりにいろいろな草花の種子を買ってきた」こと、それらが小さな双葉を出したとき、「顔を見合わせて思わず微笑」したこと、などなどを……。
ここで気づくのは、主語が「私たち」になっていることです。「姉と私」でもなく、「二人」でもなく、「私たち」という言い方にはどこか共犯の匂いがただよってきます。
 ここには兄金一の影はまったくありません。それは結婚(明治三十五年)してすぐドイツに単身留学した金一の留守中の出来事であったのです。

 ここでは、押し花の包み紙に記された「明治三十九年一月八日」という日付がキーになるようです。
 勘助は、「明治三十九年といへば私が二十一で一高の三年生、姉がまだ小石川の家にゐた時だ。やがて別れて九州へ行かねばならぬ日を思ってこれを書いたのだらう」と述べています。
 「小石川の家」というのは父・中勘弥の家のことで、勘弥はこのとき存命中でありました(明治三十九年十月歿)。「やがて別れて九州へ行かねばならぬ日を思って」というのは、兄の金一が前年(明治三十八年)の十一月にドイツから帰国して新設の福岡医科大学(後の九州帝大医科)の教授に姉を伴って赴任する直前の状況に符合します。

 ところで図鑑で調べると、匂い菫の開花期は二〜四月とありますから、この押し花はこの年のものではなく、前の年(明治三十八年)の二〜四月に咲いた花ということになります。したがって、「私たち」が植えたのは、少なくもそれ以前です。
 つまりは父の家に同居していた二十三歳の「姉」と二十一歳の「弟」とが、「私たち」の花壇づくりにいそしんでいたのは、すべて「兄」のいない時期のことでした。
 脳を患って廃人同様になった兄の暴虐に尽くした姉への同情が愛に変わっていった、というのではなく、勘助は最初から姉が好きだったのです。
 姉もまた勘助の寄せる恋心にこたえて、「これはあなたと楽しくつくったすみれ、うつくしい思ひ出のたねとなるやうに」と愛のメッセージを送っているのです。 

 以上のことを考慮におけば、勘助が仮託したものは自然に明らかになります。
 『提婆達多』では、己を提婆達多に、姉を釈尊の妻耶輸陀羅(やしょーどはらー)に仮託しています。
 提婆が悉達多(しっどはーるとは)王子時代の釈尊に武闘競技で破れたことを根に持って、釈尊が出家した留守に言葉巧みに耶輸陀羅(やしょーどはらー)を篭絡するという筋書きは、兄の留守中に姉と花壇づくりを楽しんだ勘助の体験に酷似しています。勘助はここでも『犬』と同じような(『犬』よりはよほど上品ではありますが)、凌辱シーンを克明に書き記しているのです。
 「提婆達多は彼女(耶輸陀羅)をしっかりと抱きしめた。彼女の乳房は強く彼の胸におしつけられた。彼の五体の毛孔は悉く口となって濃な女の肌を吸った。頸をきつくまきよせられて彼女の顔は斜に彼のはうに仰むきながら丸っこい顎をその胸板にくっつけてゐる。彼は矢庭に己が顔のしたに喘いでゐるやうに唇をおしつけた。彼はいつまでもいつまでも唇をはなさなかった。」

 『犬』では、己を僧犬に、姉を娘犬に仮託しているのはいうまでもないでしょう。
 実際には、勘助は姉と肉体的に結ばれることはなかった。勘助の内なる性格からみて、姉への恋情を口に出すこともできなかったでしょう。
 でも、狂おしいほどの思いの蔭で、姉を凌辱したいという心がいつか芽生えていったという推測は、不自然なものではありません。
 『提婆達多』、『犬』という虚構の世界で、勘助は姉末子に対する積年の思いを遂げたのです。(完)

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作品の背景としての「勘助と姉」の謎解きの面白さから(失礼)、前回と同様一気に読みました。
いい整理だと思います。

2007/10/27(土) 午前 11:35 [ yon**5544 ] 返信する

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