葭の塾

葭の髄から我孫子ゆかりの文化人たちを覗いています

全体表示

[ リスト ]

志賀直哉の章の四

    「小説の神様」?

《政治と宗教と野球の話をすると友情がこわれる》という諺が米国にあるそうです。志賀直哉ファンの多いご当地我孫子では、さしずめ《志賀直哉を批判すると友情がこわれる》ということになるのでしょうか。この歳で友だちを失うのもいやなので、前稿だけで矛(ほこ)を納めようと思っていた私ですが、日大芸術学部教授の清水正氏の強烈な志賀批判に出会って気が変わりました。我孫子生まれの清水氏にこれほどの酷評が赦されるのであれば、私にだってもう少しは言わせてもらってもいいだろうという思いが芽生えてきたのです。

 清水氏はこう述べているのです(『志賀直哉 自然と日常を描いた小説家』「『城の崎にて』を読む」あとがき)。
「志賀直哉の小説に人間いかに生きるべきか、といったテーマはない。人間はこのように生きているという叙述があるばかりだ。……
(志賀直哉の)主人公は自分のエゴイズムを思う存分に発揮するか、それが抑えられた場合は癇癪をおこして喧嘩別れになるか、相手の妥協と寛容を要求するような自己本位の男として登場する。激しい怒りにかられて自分を失うことはあっても、思想上の問題で分裂的苦悩を味わうなどということはない。彼が最も嫌うのは自分に不愉快な感情を起こさせることである。彼がイヤと思うこと、感じることは彼にとって絶対であり、彼は意地でも自分の思いを変えることはない。」

 清水氏の文章を読んで、私が直ちに思い起こしたのは、『和解』で連発される「不愉快」という表現でありました。
 主人公である「自分」の感情表現はただ「不愉快」の繰返しです。父親に対してばかりではなく、祖母や母親、妻に対しても「不愉快」一辺倒です。重箱の隅をつつくことになるのを承知で、「不愉快」の数を数えてみたら、全編で三十二もありました。他に「不快」が七つ、「怒った」「カッとなった」「腹が立った(または腹立たしい)」「ムカムカした」など小学生の作文にあるような口語的表現も無数にあります。
 主人公の最も機嫌が悪いのは第七章で、
「自分は麻布の人間全体に不愉快を感じていた」「殊に……祖母に対しては腹が立った」「自分は腹から不愉快を感じた」「……自分は腹の底から腹を立てた」「……それは中々思い返すことの出来ない不愉快だった」「自分は腹立たしかった」「腹は立つが、不徹底は其所から起って来た」「その青年が腹立ちから父に不愉快な交渉をつけて行く」「……父と自分との間に起り得る不愉快な事を書いて……」「……最も不愉快な悲劇を書こうと思った」
といった具合です。
 なにやら、外国人が一つ覚えの単語を乱発しているようで、これでは読んでいる方が「不愉快」になってしまいます。
(参考までに、『和解』と同じ木から生えたもう一つの枝だと作者自らが言う『大津順吉』では、「不機嫌」という言葉が連発されています。)

《志賀の初期作品を貫いている「不機嫌」または「不愉快」な感情は、一つには当時の世情からもたらされたものである》
というのは山崎正和氏の鋭い指摘です(『不機嫌の時代』)。
 明治末期、日露戦争が終わって人々は捉えどころのない漠然とした、えたいの知れない鬱屈を感じていた。それゆえ志賀にとって不機嫌な青春は、「このとき三十台であった荷風にも、四十台であった漱石にも、さらには五十台であった鷗外にすら、偶然というにはあまりにも典型的なかたちでわけ持たれている」と、いうのです。
 山崎氏の指摘はまことにもっともと思うものの、私は感情表現のし方に拘っています。いやしくも言葉で生きている作家であるのなら、「不愉快」「不機嫌」をあらわす語彙の五つや六つは持っていなければなりません。「不愉快」「不機嫌」の内容もまた、蟠(わだかま)りなのか拘(こだわ)りなのか、癇(かん)に触れるのか癪(しゃく)に障(さわ)るのか、気に食わないのか我慢がならないのか、失望したのか幻滅したのか、憎しみか恨みかなどなどを、情景に応じて書き分けるべきでありましょう。

 これはまさに「ボキャ貧」(ボキャブラリー、つまりは語彙が貧困であることの意)といっていいでしょう。「わたしはボキャ貧だから」と、自嘲してみせたのは故小渕首相でした。言葉が命である政治家にとっては致命的な欠陥となるものを逆手にとって出たのは、小渕さんなりのパフォーマンスだったのでしょうか。
 志賀自身も、自らのボキャ貧を誇るような一文を残しています。
「或る晩、(リーチから)小説の話を聴いた事がある。少ない語彙で却って非常によく感じが出るのに感心した。感じが圧搾されて出て来る。自分も語彙は貧弱な方だが、リーチの話を聴き、気丈夫に思った事を憶い出す」(『リーチのこと』昭和八年四月十八日刊『工藝』第二十九号「リーチ号」)
 志賀の高弟であった阿川弘之氏も、「(志賀先生の)語彙は少ないと思いますよ。誰かが調べてみるとおもしろいんだけどね。…使っていたのは、ちょっと厚めのコンサイス判くらいの字引だったね。持っていてもそんなに引かないんだ」と語って、師匠のボキャ貧を証明しています(『座談会昭和文学史』集英社)。
 
 ボキャ貧をいうなら、武者小路実篤のそれはもっとひどい。武者の場合は「よろこんだ」が頻繁に現れます。
 たとえば『或る男』です。
「母はよろこんで迎えてくれ、そしてついて行った人が、彼の態度をしきりとお世辞的にほめたのをよろこんで聞いていた(二七節)」、「姉をたずねると、姉はよろこんでくれた。それで、彼もよろこんだ(四三節)」、「彼等はそれをよろこんだ。……そして思ったよりうまくいったねと彼等はお互によろこびあって、家に帰った(一四二節)」「随分賞められたので、彼はよろこんで返事をかいた。……彼は少しずつ自分の仕事が反響を見出しつつあるのをよろこんだ(一四三節)」、「彼等はよろこんだ。皆に大束村の話をしたら皆よろこんでいた(二二五節)」
と、「よろこんだ」が連続して出てくるのが武者小路の特徴です。
 漢字で書くと、「喜んだ」「悦んだ」「慶んだ」「歓んだ」「愉んだ」「欣んだ」と、たちまち五種類もの表し方があるものを、わざわざ仮名で書いているのが武者なりの知恵なのでしょうが、ただ「よろこんだ」の繰返しでは小学生の作文と変わりありません。「よろこんだ」のは、嬉しいからか有り難いからか、満足したからか幸せだからか、楽しいからか面白いからか、溜飲が下がったからか心地よいからか、などなどを書き分けてしかるべきでしょう。
(余計な穿鑿(せんさく)ですが、志賀の繰り返しが「不愉快」「不機嫌」で武者が「よろこんだ」というのは、二人の性格の違いを現わして興味のあるところです。)

 鶴見俊輔氏は、白樺派の文体がやさしい言葉を使ったのは「知ったかぶり」と「意味ありげ」を避けて意識的に形成されたものである、といいます。特に武者の文章は、しろうとの誰にでも書けるむぞうさな文体であったため、同時代の文学志望者たちに《これならおれにも書ける》という大いなる希望を与えたという、皮肉な解釈をしています(『柳宗悦』)。
 しかし一方で、当代売れっ子の評論家藤原正彦氏は、語彙こそは思考や情緒を進める上での出発点である、という主張を唱えます。
「たとえば好きな人を思うとき、『好感を抱く』『ときめく』『見初める』『ほのかに想う』『陰ながら慕う』『想いを寄せる』『好き』『惚れる』『一目惚れ』『べた惚れ』『愛する』『恋する』『片想い』『横恋慕』『恋い焦がれる』『身を焦がす』『恋煩い』『初恋』『老いらくの恋』『うたかたの恋』など様々な語彙で思考や情緒をいったん整理し、そこから再び思考や情緒を進めている。これらのうちの『好き』という語彙しか持ち合わせがないとしたら、情緒自身がよほどひだのない直線的なものになるだろう。人間はその語彙を大きく超えて考えたり感じたりすることはない、といって過言でない。母国語の語彙は思考であり情緒なのである。」(『祖国とは国語』)
 私は当然藤原説に与(くみ)するもので、志賀も武者も、意識してやさしい言葉を使ったのではなく、二人は生来ボキャ貧だったのだと睨んでいます。二人が終生親友であり続けたのは、案外お互いボキャ貧仲間であったからかもしれません。(続く)

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事