葭の塾

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嘉納治五郎の章の壱

    「大事な人」

 本稿は2006.1.8作成のものを2008.3.25付で訂正補筆したものです。
 字数制限(5000字)があるため2編に分かれますので、前稿を削除し、新たに本稿をおこしました。

 天神坂は、我孫子の史跡文学散歩の人気スポットの一つです。
 平成十三年(二〇〇一)に第五回我孫子市景観賞を受賞した天神坂は、どこか京都を思わせるまことに風情のある一画で、左手「三樹荘」の名の由来になった三本の椎の巨木を仰いで昼なお暗い石段を登れば、嘉納別荘跡の竹林の緑が目に染みます。
 志賀直哉の旧居は「邸跡」になってしまいましたが、ありがたいことに柳宗悦の旧居「三樹荘」は歌人村山正八氏が現在もお住まいで、家は改築され敷地もかなり狭くなったとはいえ、当時の雰囲気を充分うかがい知ることができます。
 嘉納別荘のほうは長年住まわれた千葉県議井手口魁氏が亡くなられたあと、幸いなことに市が敷地建物の西半分を購入してくれたので、嘉納治五郎が生活した空間は辛うじて保存されることになりました。もっとも嘉納が建てた別荘は疾うになく、現在残る建物は井手口氏が新築されたものです。
天神坂の名前は、昔ここに天神様を祀る祠(ほこら)があったことに由来するといわれます。

 この坂道は、昭和十五年ごろでもまだ根っこが浮き出たままの狭い急坂で、両側から鬱蒼と大木が覆い被さってきて夜はとても怖かったという岩村守氏(陶芸家・我孫子窯主宰)の思い出話があります。岩村氏の父福之氏は焼失したリーチ窯の跡に越してきた河村蜻山の窯で焼かせてもらった時期があり、守氏は子供の頃よく父の仕事場へ通っていたのです。
 今は情緒ある自然石の階段に生まれ変わり、近年は手摺までつけられて我孫子文学散歩の名所になりましたが、昼なお暗いのは往時のままで、坂の東側には常夜燈が点(とも)されています。坂の途中、左の石垣には村山氏作になる「三樹荘に夢をつむぎし文人の足跡しるす天神の坂」という歌碑が埋め込まれています。
 坂を登りつめると、左が柳の旧居跡(現村山邸)、右が嘉納別荘跡(現市の施設)です。
 我孫子の文化発祥のキーマンが柳宗悦であることは否めない事実ですが、柳が我孫子に住むことになったのは、嘉納治五郎が先に別荘を構えていた縁によるものでした。二人は叔父甥の関係で、嘉納の姉勝子が柳楢悦の後妻に入って生んだ三男三女のうちの五番目の子が柳宗悦でありました。柳は直接的には姉直枝子の家を借り受けたのですが、その家は直枝子が叔父の嘉納に勧められて建てたものでした。

 嘉納治五郎はこの別荘を特に晩年はたいそう気に入っていたようで、年譜(『嘉納治五郎大系第十三巻』)には大正十四年頃から亡くなる前年まで、「我孫子で静養」「家族と共に我孫子へ」「夫人同伴で我孫子へ」「孫たちが我孫子に来訪」「我孫子で越年」という記述が各年数回の頻度で現れます。
 嘉納が別荘を建てた時期は定かではありません。ただ、別荘用地を購入したのは、当時の土地台帳によれば、明治四十四年十二月二十一日が最初(以後大正二年まで逐次買い増し)ですから、別荘建築はその少しあと、大正元年から二年ごろであろうと推測されます。
 甥の柳宗悦が新妻の兼子を伴って移ってくるのは大正三年秋のこと、その柳が志賀直哉を誘い、志賀が武者小路実篤を誘って、我孫子に白樺派のコロニーが生まれます。柳はまたバーナード・リーチを誘って自邸の庭に窯を築かせ、そこにリーチの友人の浜田庄司らが集い来て、のちに民芸運動を興す友垣が生まれるのです。
 志賀直哉に私淑した瀧井孝作が、「嘉納治五郎という人は(あの人がいて柳さんを呼んで、柳さんが志賀さん武者さんを呼んだのだから)、我孫子の大事な人じゃないかな」と語っている言葉(『我孫子市史研究第十三号』)は、まさに千金の重みがあります。私の好きな仮定法でいうなら、(「縁の章の壱」でも述べたように)、もし嘉納が我孫子に住んでくれなかったら、白樺派も民芸も、どこかよその地で発展していたに違いないのですから。

 それほどの《大事な人》でありながら、嘉納治五郎については、郷土史家にとってまだまだ知られざる部分が少なくありません。
 もっとも大きな謎は、幻の学園構想にまつわるものです。
嘉納は、教育者の夢として、別荘の近くに理想の学園を建設する構想を抱いていたのでした。別荘地を購入する二か月前に二万余坪の用地を手当てし始めたことは、当時の土地台帳に記録されています。学園建設工事も進められ、校門予定地に到る並木道までが完成したことも目撃されています。
 しかし工事は中断され、学園は農園に転用されたまま、嘉納の没後は手放され住宅地として分譲されてしまいます。現在は閑静な住宅地となった白山地区で、往時の農園はおろか学園の痕跡を偲ぶものは何一つ残されていません。

 なぜ我孫子に? どんな学園を? どうして農園に? ……謎が多い理由は、嘉納自身がこれらについて語った記録が見当たらないためです。我孫子市立図書館には全十五巻もある『嘉納治五郎大系』が揃っていますが、これは講道館の監修になるためか公的活動に限られているようで、別荘や学園建設に関わる記述は見出すことができません。
 それゆえ、郷土史家の間ではこれまで様々な推論、想像、憶測がなされてきました。しかし、あらためて各氏の文章を読んでみると、幾多の疑問が生じてきたのでした。私はせっせとアビスタ市民図書館や講道館の資料館・図書館に通って資料を渉猟し、各氏諸方面に問合せを連発して疑問の解消に努めました。その結果、従来地元に伝わる諸説とはちがう、いろいろなことが見えてきました。
 調査を終えて、私なりの仮説として一文にまとめ、問合せをした各氏に発送してご批評を請いました。幸いにも、山本鉱太郎先生のお目にとまって、『東葛流山研究第二十二号』に掲載することになり、のちに講道館図書資料部長の村田直樹氏の推薦を得て、若干補筆したものを講道館機関誌『柔道』(平成十六年四月号)に「我孫子の嘉納治五郎 別荘跡と幻の学園構想」という題で発表する栄誉を賜りました。

 詳しくは『柔道』誌のほうを読んでいただければと思いますが、私が従来の諸説と異なる所見をもったのは、以下の諸点でありました。
 まずは嘉納治五郎が我孫子に別荘を求めた動機です。
先に述べたとおり、嘉納は別荘用地の取得に先立つ二か月前に学園用地を求めています。このことから地元では、嘉納がかねてより学園建設の構想をもっていて土地探しをしていたところ手賀沼周辺の地に白羽の矢を立てた、別荘は学園建設のベースキャンプである、という説が有力でした。
 しかし私は、最初から学園用地として求めたものではなく、地価のあまりの安さに惹かれた嘉納が手持ちの資金の許す限り二万坪強の山林原野を衝動買いしたのだと考えました。地価の安さというのは、明治四十二年から三年続きで手賀沼が水害に襲われたという記録からの推測です。大正四年に我孫子に越してきた志賀直哉ですら、のちに武者小路実篤に貸すことになる松林を、「安いので千四五百坪買っておいた」と言っているのです。
 衝動買いしたという根拠は、嘉納の長男履正氏の「景色の良い場所を見付けるとすぐに買うのが父のくせだった」という証言に基いています。この時期、いなかの土地はどこもひと山いくらで、お大尽たちはごく気軽に景色のよいところを買っておく風潮があったと思われます。
 別荘用地の購入があとになったのは、少し離れたところに手ごろな別荘用地があったので、多分不動産屋の勧めに応じてこれも買うことにしたのでしょう。別荘を建てて住んでみると、教育者の自然な発想として、理想の学園をつくりたいという気持ちが高まっていったのだ、と私はみているのです。

 さて、その学園のモデルは英国イートン校であるという説があります。
 これは、「嘉納は訪英の折、イートンスクールの環境に魅せられ、これがロンドン郊外三〇キロ、テームズ河畔にあることから、東京とほぼ同距離の我孫子手賀沼をテームズ河になぞらえて、ここにイートンスクールを再現しようと企てたのだろう」(秋谷半七氏『手賀沼と文人』)と書かれた一文が端緒です。単なる推論にすぎないのですが、妙に説得性があるのか、何度となく引用されているうちに、「だろう」が消えて断定調に変化し、いつか定説になってしまった感があります。
 しかし、もしそうであれば、何よりも嘉納が訪英時にイートン校を視察した事実が必要になります。年譜には記録がなく、嘉納の日記が公表されていないので、残念ながら確たる証拠は発見できていません。
 私は、そうではなく、三十八年の長きにわたって続けてきた私塾・嘉納塾がそのころから負担になり始めていたので、環境豊かな我孫子に移して発展拡大を図ったのだ、と考えています。
 それは、校門予定地まで出来あがっていた並木道が目撃されたのと、嘉納塾が閉鎖されたのが同じ大正八年であったことからの推測です。(続く)

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