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当時、京都御所(法成寺)の北東側一帯に位置した ことから、「東北院」と呼ばれた、鴨川の氾濫(はんらん)などにより一条小川(上京区)に移築再建されたが更に中世の兵火によって幾度も類焼し、元禄五年(1692年)現在の地に移され、左京区、吉田・神楽岡(かぐらおか)の東側にある東北院にも、「軒端の梅」と呼ばれる古木の白梅が、ひっそりと一重の小さな花を、ほころばせ始め今日この頃鄙びた素朴な寺世阿弥の作と伝えられる謡曲「軒端の梅」は繁華は何処どこへやら冷たい風に花びらを散らしていた。 |
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