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恭司は自分に話しかけてくれる人たちの愛情に浸ってとても幸福だった。
しかしそれでも恭司の世界には何かが欠けていた。
それは父親というものの存在感だった。
父だけはけっして話しかけてくれなかった。母が話してくれるお伽噺の主人公には決まって父親という
存在がいるのに、自分にはそれがいなかった。恭司には父親という存在のイメージがどうしても湧いてこ
なかった。
しかしある日母が神に祈りを捧げているときに、天啓のように突然恭司の脳裏にそのイメージが刻み込
まれた。それは母が神のことを「天のお父様」と呼んでいるのを聞いたときのことだった。恭司にはそれ
が太陽のようなイメージで伝わってきた。それはとても大きくて暖かく、すべてを包み込む光のような存
在だった。母が神のことを「お父様」と呼ぶたびに、ぞくぞくするような感覚が首筋を昇ってくる。じら
じらと微かに光を放ち、様々に形状を変え、爆発するピーコックグリーンの太陽のフレア。
その太陽はちょうど視線の高さにあり、太陽から吹く帯電微粒子の風が前額部から後頭部のあたりを吹
き抜けてゆく。とても爽快で、すべての感覚が研ぎ澄まされてゆくのがわかる。全身の細胞が活性化さ
れ、胸の奥底から不思議な力が湧き上がってくる。精神の揺らぎが止まる瞬間、突如としてオレンジ色の
温かい光に包まれ、世界が一変する。軽く、希薄となり、顎を上に打ち揚げられ、意識の海原へと浮かび
上がる。
そのとき恭司は悟った。その太陽のような存在が『神』で、太陽が放射する熱が『神の愛』であり、光
が『真理』であることを! 私は私を照らす光の中にあってこそ、はじめて『真理』を悟ることができ、
私の心に奔流のように流れ込む『神の愛』を体恤{たいじゅつ}することによってのみ、私の内に命がある
ことを!
これが恭司のはじめての『神との邂逅{かいこう}』であった。神こそは自分の真{まこと}の父であるこ
とを知った。恭司は母の胎内にあるときすでに神との邂逅を果たしていたのである。
恭司はいま母の祈りを聞いている。言葉にならぬ無言の祈りであったが、恭司には母の心情を感じ取る
ことができた。それはイエスを身籠ったときのマリアが神に捧げた祈りに匹敵する敬虔な祈りであった。
しかし母は畏{おそ}れていた。何を畏れているのか。何が母をこれほどまでに怯えさせるのか。母の畏れ
ている気持ちが臍{へそ}の緒を通して伝わってくる。
母の畏れ、戸惑い、迷い、恭司はその正体を知りたいと願った。
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奥が深いですねぇ・・・・読むにつれ、考えさせられる事が多くなります。
2007/2/4(日) 午後 0:10
ブルーさん、いつもコメントありがとうございます。この種の神秘体験については後程分かりやすく解説するつもりです。
2007/2/4(日) 午後 1:30 [ yuzukijoutrou ]