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カフェテラスを出るとそこは礼拝堂の裏庭へと続く遊歩道{プロムナード}だった。花弁が散ってすでに
葉桜となっていた街路樹が、樹間から垣間見える抜けるような青空を覆い隠すかのように、少し鬱蒼とし
た感じで生い茂っている。濡れたように濃い鳩羽色のアスファルトの上には、まだ微{かす}かに桜の花弁
や萼{がく}の残滓{ざんし}が、うっとりとした桜の香気を漂わせ路傍を薫{かお}らせている。
恭司は深く息を吸い、少し肺腑にとどめてから今度はゆっくりと吐き出した。馥郁{ふくいく}とした香
しい大気が細胞の隅々にまで行きわたり、街路樹の緑がひときわ輝きを増したかのように急に息づいて見
えた。五月の緑の旺盛な生命力が、恭司の生命力と呼応して共鳴しているかのようだった。神殿の敷地周
辺を包む辺り一帯の空気を恭司は悦{たの}しんでいた。霊的視力を持った者がそのときの恭司を見れば、
彼のからだから立ち昇るミントグリーンの巨大なオーラが見えたであろう――。
オーラ、この不可思議な光のベールが三人の常人とは思えない魅力の秘密だった。その光のベールは信
仰を持つ者のみが纏{まと}うことのできるアポローンのような日輪の色からそのときどきの心理状態に応
じて色を変えた。やさしい気持ちのときのローズピンク。祈るときのターコイズブルー。祈りが深くなる
と青白く白熱化し、ときには紫色を帯びることもある。今はリラックスしているので、恭司のからだは淡
いミントグリーンのオーラにつつまれていた。
春の明るい陽射しの中、聖日礼拝が行なわれる礼拝堂までの道程を、三人は『ダンテの神曲』を話題に
しながら歩いていた。ダンテが恋人ベアトリーチェに導かれ、詩人ヴィルジリオを伴って天界へと昇る物
語である。
恭子は夢見るような眼差しで兄に語りかけた。
「兄さん。わたくしももういちど、いつかみたいに兄さんたちと一緒に霊界の旅をしてみたいわ。霊界に
はまだわたくしが知らない、とても綺麗な場所がいっぱいあるんでしょ」
恭子はしなやかな髪をさらりと揺らし兄の顔を覗き込んだ。しかし恭司は前を見据えたまま、霊界の雄
大なパノラマに想いを馳せ、憧れと微かな厭世を込めて恭子に語った。
「あるよ。美しい場所ならたくさん。――広く果てしなく連なるコスモスの丘。雪を戴いた荘厳な山々。
宇宙の叡智を集めたクリスタルでできたミュージアム。すべては精霊界に住む霊人たちの想念が作り出し
たものだ。精霊界には霊人たちが作り出した『偽りの天国』というのもあるんだよ」
「『偽りの天国』! 物質的な考えに毒された人が夢見るような理想世界のことかしら?」
「そう、その場所は一見すると楽園{パラダイス}のように見えるからね。――花がいっぱい咲き乱れてい
て、立派な宮殿があって、小鳥たちや可愛らしい小動物がいる。そこにいる霊人たちは、お酒やご馳走を
おなかいっぱいたいらげ、美しい竪琴の音に酔い痴れ、自分たちは天国にいると思い込んでいる」
「本当の天国はそんなのじゃないわ。天地{あめつち}を造り給うた天のお父様への崇敬と隣人への愛なく
して天国などあり得ないわ」
クリストファーもそれに同調した。
「天の御国は神の御心を行なうことによってのみ創られるものなのですね」
三人はそのあと、「花は何のために咲くのか」という問題について話し合いながら、陽光の降り注ぐ道
を登っていった。
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